1200年の歴史が息づく坂本。何気ないところにも深い歴史や物語があります。

 

今回談をとるのは、日吉山王祭の至誠駕輿丁(しせいかよちょう)で現在事務局次長を務める山本雅之さん。駕輿丁(かよちょう)とは神輿を担ぐグループのことで、4つの地区に分かれており、中部(ちゅうぶ)、広芝(ひろしば)、至誠(しせい)、下阪本(しもさかもと)があります。1200年の歴史を誇る山王祭を裏から支える事務局としての役割や、祭りへの想い、生まれ育った地元・坂本の魅力などをお伺いしました。

ー 山王祭に参加されたのはいつごろですか?

山王祭が行われる八王子山に登って初めて午の神事を見たのが小学5年生の時で、神輿の迫力に心打たれました。
父や祖父が雅楽会として祭りに携わっていたこともあって、中学2年生の時に初めて祭りに参加しました。最初は松明持ちからのスタートし、下積み時代に雑用などをこなしながら祭りのことを勉強しました。高校を卒業して神輿の担ぎ手の一員になることができました。
さらに担ぎ手として数年を経て、毎年4月12日に行われる午の神事で神輿の先頭を担ぐ「鼻」を32歳の時に務めました。「鼻」は一生に一度しかできない役割で、祭りへの貢献度などが認められて初めて任せてもらえる大役なんです。

ー 担ぎ手から事務局へ入った理由をお聞かせください。

担ぎ手の「鼻」をやらせてもらって、僕自身も祭りに恩返ししたいという思いがあり、誘われたこともあって、事務局に入りました。当初は次長補佐、翌年は次長になって今年で4年目、来年には事務局長となります。

ー 事務局としての役割を教えてください。

一月の後半くらいから実行委員会などを交えて、その年の祭りに向けて会議が始まります。去年の課題を検討したり、来場してくださる方々の安全対策などを講じます。約3000人もの人が集まる宵宮落し神事では、観覧いただく方が分かれてご覧いただけるよう、今年は大型スクリーンを2つ用意することが決定しました。
当日は本部とやり取りしながら、現場で神輿の担ぎ手である駕輿丁のタイムスケジュールを管理します。駕輿丁の若者たちの面倒を見たり、一度では覚えられない危険な箇所を教えたりします。
また、祭りの前後には協賛してくれた方々や、警察、消防、観光バス、延暦寺などへ挨拶回りや、祭りの後の御礼参りも事務局の大切な仕事です。

ー 事務局はいつごろからできたのでしょうか?

祭りの記録が残っているのは明治初期のころですが、当時から事務局はあったそうです。当時の神輿は今より重く、松明の灯りだけを頼りに坂を下るのはとても難しいことだったと思います。その神輿を落とすことなく安全に担いでいくために、事務局が担ぎ手の肩を合わせる肩合わせや担ぐ場所を決めておいたんです。
神様を乗せた神輿を担ぐのは、誇り高い役目です。また昔は遠く琵琶湖の対岸からも、神輿の行く手を照らす松明の明かりが見えたと言います。その明かりが滞りなく降りてくることができればその年は豊作と信じられていたため、山王祭は地元・坂本のみならず、周辺地域の農家にとっても大切な祭りだったんです。

ー 事務局のやりがいはどんなところですか?

担ぎ手をしていたころは「もっとこうしたらいいのにな」と思ったこともありました。今は事務局として裏方に回り、自分の意見を提案できています。会議では駕輿丁トップの人と若手の意見がぶつかることもありますが、守らなければいけないしきたりや決まり事は守りながら、今の時代に合った新しい部分も取り入れて、みんなが楽しめる祭りにしていけるように心がけています。

ー 祭りで心がけていることは何ですか?

甥の将太を後継者にと思って、仕込んでいる真っ最中です。15歳くらいから仕込み始めて、5年ほどになりますね。“高張”を務める僕の真横で、振り松明の役を務めながら覚えさせています。

ー 山本さんおすすめの、山王祭の一番の見どころは?

神輿は見てほしいですね。迫力がすごいし、リハーサルなしで神輿を担ぐから、神輿を落としてしまうなどのハプニングが起こることもあります。ぶっつけ本番だからこそ、毎年おもしろいんです。

ー 今後の課題はありますか?

やはり人材の確保が難しいですね。子どもの数も減っていますし、祭り自体に興味を示してくれない子どもも増えているんです。歴史と伝統のある山王祭を後世へ伝えていくためにも、次世代を担う若者や子どもたちに興味を持ってもらい、祭りに参加してもらうことが今後の僕たちの課題ですね。

ー そのためにどんな対策をされているのでしょうか?

PR不足かなと思い、まずはSNSなどを使って外へ発信していこうと動き始めています。まずはたくさんの人に見に来てもらって、祭りに参加したいと思ってもらいたいと思っています。祭りに参加したいという県外の方も大歓迎です。
今、少年野球チームのコーチをしているのですが、野球はもちろん祭りのことも知ってもらえたらという目論見もあります(笑)。

ー 山本さんにとって山王祭とは?

一年で一番の楽しみですね。坂本では年が明けたら「明けましておめでとう」ではなく、「そろそろ始まるな」と祭りの話をするほどで、祭りの後はみんなで今年の祭りがどうだったかを話し合うのも楽しいんです。そして来年の祭りを楽しみにしながら、また仕事に励む。事務局などの仕事は完全にボランティアでの参加ですが、毎年ワクワクするんです。

来年度委員長となる山本勇(現副委員長)は
良きアドバイザーであり、祭りを支える仲間

ー 坂本の魅力を教えてください。

あたたかい人が多いところだと思います。僕自身も祭りを通してたくさんの人と知り合うことができましたし、いい意味で上下関係がなくてフランクなんです。そういうあたたかさは、若い世代や子どもたちにも伝えていきたいですね。
また、奥宮からの景色は絶景なので、ぜひ登って見てほしいです。

ー 好きな言葉を教えてください。

「縁」ですね。坂本で生まれ育って、いろんな人と知り合って、人間的にも成長させてもらえたし地域の人とのつながりもできました。山王祭では他の地域の神輿同士で競争することもありますが、同じ志を持つ者同士で団結して祭りを盛り上げています。
こうした「縁」も、後世に伝えていきたいと思っています。

定年後に若き日の夢を叶え、生まれ育った坂本の素晴らしさを伝えたい。

 

今回談をとるのは、日吉山王祭の至誠駕輿丁(しせいかよちょう)で現在事務局次長を務める山本雅之さん。駕輿丁(かよちょう)とは神輿を担ぐグループのことで、4つの地区に分かれており、中部(ちゅうぶ)、広芝(ひろしば)、至誠(しせい)、下阪本(しもさかもと)があります。1200年の歴史を誇る山王祭を裏から支える事務局としての役割や、祭りへの想い、生まれ育った地元・坂本の魅力などをお伺いしました。

ー 山王祭に参加されたのはいつごろですか?

山王祭が行われる八王子山に登って初めて午の神事を見たのが小学5年生の時で、神輿の迫力に心打たれました。
父や祖父が雅楽会として祭りに携わっていたこともあって、中学2年生の時に初めて祭りに参加しました。最初は松明持ちからのスタートし、下積み時代に雑用などをこなしながら祭りのことを勉強しました。高校を卒業して神輿の担ぎ手の一員になることができました。
さらに担ぎ手として数年を経て、毎年4月12日に行われる午の神事で神輿の先頭を担ぐ「鼻」を32歳の時に務めました。「鼻」は一生に一度しかできない役割で、祭りへの貢献度などが認められて初めて任せてもらえる大役なんです。

ー 担ぎ手から事務局へ入った理由をお聞かせください。

担ぎ手の「鼻」をやらせてもらって、僕自身も祭りに恩返ししたいという思いがあり、誘われたこともあって、事務局に入りました。当初は次長補佐、翌年は次長になって今年で4年目、来年には事務局長となります。

ー 事務局としての役割を教えてください。

一月の後半くらいから実行委員会などを交えて、その年の祭りに向けて会議が始まります。去年の課題を検討したり、来場してくださる方々の安全対策などを講じます。約3000人もの人が集まる宵宮落し神事では、観覧いただく方が分かれてご覧いただけるよう、今年は大型スクリーンを2つ用意することが決定しました。
当日は本部とやり取りしながら、現場で神輿の担ぎ手である駕輿丁のタイムスケジュールを管理します。駕輿丁の若者たちの面倒を見たり、一度では覚えられない危険な箇所を教えたりします。
また、祭りの前後には協賛してくれた方々や、警察、消防、観光バス、延暦寺などへ挨拶回りや、祭りの後の御礼参りも事務局の大切な仕事です。

ー 事務局はいつごろからできたのでしょうか?

祭りの記録が残っているのは明治初期のころですが、当時から事務局はあったそうです。当時の神輿は今より重く、松明の灯りだけを頼りに坂を下るのはとても難しいことだったと思います。その神輿を落とすことなく安全に担いでいくために、事務局が担ぎ手の肩を合わせる肩合わせや担ぐ場所を決めておいたんです。
神様を乗せた神輿を担ぐのは、誇り高い役目です。また昔は遠く琵琶湖の対岸からも、神輿の行く手を照らす松明の明かりが見えたと言います。その明かりが滞りなく降りてくることができればその年は豊作と信じられていたため、山王祭は地元・坂本のみならず、周辺地域の農家にとっても大切な祭りだったんです。

ー 事務局のやりがいはどんなところですか?

担ぎ手をしていたころは「もっとこうしたらいいのにな」と思ったこともありました。今は事務局として裏方に回り、自分の意見を提案できています。会議では駕輿丁トップの人と若手の意見がぶつかることもありますが、守らなければいけないしきたりや決まり事は守りながら、今の時代に合った新しい部分も取り入れて、みんなが楽しめる祭りにしていけるように心がけています。

ー 祭りで心がけていることは何ですか?

甥の将太を後継者にと思って、仕込んでいる真っ最中です。15歳くらいから仕込み始めて、5年ほどになりますね。“高張”を務める僕の真横で、振り松明の役を務めながら覚えさせています。

ー 山本さんおすすめの、山王祭の一番の見どころは?

神輿は見てほしいですね。迫力がすごいし、リハーサルなしで神輿を担ぐから、神輿を落としてしまうなどのハプニングが起こることもあります。ぶっつけ本番だからこそ、毎年おもしろいんです。

ー 今後の課題はありますか?

やはり人材の確保が難しいですね。子どもの数も減っていますし、祭り自体に興味を示してくれない子どもも増えているんです。歴史と伝統のある山王祭を後世へ伝えていくためにも、次世代を担う若者や子どもたちに興味を持ってもらい、祭りに参加してもらうことが今後の僕たちの課題ですね。

ー そのためにどんな対策をされているのでしょうか?

PR不足かなと思い、まずはSNSなどを使って外へ発信していこうと動き始めています。まずはたくさんの人に見に来てもらって、祭りに参加したいと思ってもらいたいと思っています。祭りに参加したいという県外の方も大歓迎です。
今、少年野球チームのコーチをしているのですが、野球はもちろん祭りのことも知ってもらえたらという目論見もあります(笑)。

ー 山本さんにとって山王祭とは?

一年で一番の楽しみですね。坂本では年が明けたら「明けましておめでとう」ではなく、「そろそろ始まるな」と祭りの話をするほどで、祭りの後はみんなで今年の祭りがどうだったかを話し合うのも楽しいんです。そして来年の祭りを楽しみにしながら、また仕事に励む。事務局などの仕事は完全にボランティアでの参加ですが、毎年ワクワクするんです。

来年度委員長となる山本勇(現副委員長)は
良きアドバイザーであり、祭りを支える仲間

ー 坂本の魅力を教えてください。

あたたかい人が多いところだと思います。僕自身も祭りを通してたくさんの人と知り合うことができましたし、いい意味で上下関係がなくてフランクなんです。そういうあたたかさは、若い世代や子どもたちにも伝えていきたいですね。
また、奥宮からの景色は絶景なので、ぜひ登って見てほしいです。

ー 好きな言葉を教えてください。

「縁」ですね。坂本で生まれ育って、いろんな人と知り合って、人間的にも成長させてもらえたし地域の人とのつながりもできました。山王祭では他の地域の神輿同士で競争することもありますが、同じ志を持つ者同士で団結して祭りを盛り上げています。
こうした「縁」も、後世に伝えていきたいと思っています。

400年を口伝で紡ぐ石積みの匠“穴太衆” 「人生死ぬまで修行」と語る粟田純徳さんを訪ねました。

今回談をとるのは、日吉山王祭の至誠駕輿丁(しせいかよちょう)で現在事務局次長を務める山本雅之さん。駕輿丁(かよちょう)とは神輿を担ぐグループのことで、4つの地区に分かれており、中部(ちゅうぶ)、広芝(ひろしば)、至誠(しせい)、下阪本(しもさかもと)があります。1200年の歴史を誇る山王祭を裏から支える事務局としての役割や、祭りへの想い、生まれ育った地元・坂本の魅力などをお伺いしました。

山王祭に参加されたのはいつごろですか?

山王祭が行われる八王子山に登って初めて午の神事を見たのが小学5年生の時で、神輿の迫力に心打たれました。
父や祖父が雅楽会として祭りに携わっていたこともあって、中学2年生の時に初めて祭りに参加しました。最初は松明持ちからのスタートし、下積み時代に雑用などをこなしながら祭りのことを勉強しました。高校を卒業して神輿の担ぎ手の一員になることができました。
さらに担ぎ手として数年を経て、毎年4月12日に行われる午の神事で神輿の先頭を担ぐ「鼻」を32歳の時に務めました。「鼻」は一生に一度しかできない役割で、祭りへの貢献度などが認められて初めて任せてもらえる大役なんです。

担ぎ手から事務局へ入った理由をお聞かせください。

担ぎ手の「鼻」をやらせてもらって、僕自身も祭りに恩返ししたいという思いがあり、誘われたこともあって、事務局に入りました。当初は次長補佐、翌年は次長になって今年で4年目、来年には事務局長となります。

事務局としての役割を教えてください。

一月の後半くらいから実行委員会などを交えて、その年の祭りに向けて会議が始まります。去年の課題を検討したり、来場してくださる方々の安全対策などを講じます。約3000人もの人が集まる宵宮落し神事では、観覧いただく方が分かれてご覧いただけるよう、今年は大型スクリーンを2つ用意することが決定しました。
当日は本部とやり取りしながら、現場で神輿の担ぎ手である駕輿丁のタイムスケジュールを管理します。駕輿丁の若者たちの面倒を見たり、一度では覚えられない危険な箇所を教えたりします。
また、祭りの前後には協賛してくれた方々や、警察、消防、観光バス、延暦寺などへ挨拶回りや、祭りの後の御礼参りも事務局の大切な仕事です。

事務局はいつごろからできたのでしょうか?

祭りの記録が残っているのは明治初期のころですが、当時から事務局はあったそうです。当時の神輿は今より重く、松明の灯りだけを頼りに坂を下るのはとても難しいことだったと思います。その神輿を落とすことなく安全に担いでいくために、事務局が担ぎ手の肩を合わせる肩合わせや担ぐ場所を決めておいたんです。
神様を乗せた神輿を担ぐのは、誇り高い役目です。また昔は遠く琵琶湖の対岸からも、神輿の行く手を照らす松明の明かりが見えたと言います。その明かりが滞りなく降りてくることができればその年は豊作と信じられていたため、山王祭は地元・坂本のみならず、周辺地域の農家にとっても大切な祭りだったんです。

事務局のやりがいはどんなところですか?

担ぎ手をしていたころは「もっとこうしたらいいのにな」と思ったこともありました。今は事務局として裏方に回り、自分の意見を提案できています。会議では駕輿丁トップの人と若手の意見がぶつかることもありますが、守らなければいけないしきたりや決まり事は守りながら、今の時代に合った新しい部分も取り入れて、みんなが楽しめる祭りにしていけるように心がけています。

祭りで心がけていることは何ですか?

甥の将太を後継者にと思って、仕込んでいる真っ最中です。15歳くらいから仕込み始めて、5年ほどになりますね。“高張”を務める僕の真横で、振り松明の役を務めながら覚えさせています。

山本さんおすすめの、山王祭の一番の見どころは?

神輿は見てほしいですね。迫力がすごいし、リハーサルなしで神輿を担ぐから、神輿を落としてしまうなどのハプニングが起こることもあります。ぶっつけ本番だからこそ、毎年おもしろいんです。

今後の課題はありますか?

やはり人材の確保が難しいですね。子どもの数も減っていますし、祭り自体に興味を示してくれない子どもも増えているんです。歴史と伝統のある山王祭を後世へ伝えていくためにも、次世代を担う若者や子どもたちに興味を持ってもらい、祭りに参加してもらうことが今後の僕たちの課題ですね。

そのためにどんな対策をされているのでしょうか?

PR不足かなと思い、まずはSNSなどを使って外へ発信していこうと動き始めています。まずはたくさんの人に見に来てもらって、祭りに参加したいと思ってもらいたいと思っています。祭りに参加したいという県外の方も大歓迎です。
今、少年野球チームのコーチをしているのですが、野球はもちろん祭りのことも知ってもらえたらという目論見もあります(笑)。

山本さんにとって山王祭とは?

一年で一番の楽しみですね。坂本では年が明けたら「明けましておめでとう」ではなく、「そろそろ始まるな」と祭りの話をするほどで、祭りの後はみんなで今年の祭りがどうだったかを話し合うのも楽しいんです。そして来年の祭りを楽しみにしながら、また仕事に励む。事務局などの仕事は完全にボランティアでの参加ですが、毎年ワクワクするんです。

来年度委員長となる山本勇(現副委員長)は
良きアドバイザーであり、祭りを支える仲間

坂本の魅力を教えてください。

あたたかい人が多いところだと思います。僕自身も祭りを通してたくさんの人と知り合うことができましたし、いい意味で上下関係がなくてフランクなんです。そういうあたたかさは、若い世代や子どもたちにも伝えていきたいですね。
また、奥宮からの景色は絶景なので、ぜひ登って見てほしいです。

好きな言葉を教えてください。

「縁」ですね。坂本で生まれ育って、いろんな人と知り合って、人間的にも成長させてもらえたし地域の人とのつながりもできました。山王祭では他の地域の神輿同士で競争することもありますが、同じ志を持つ者同士で団結して祭りを盛り上げています。
こうした「縁」も、後世に伝えていきたいと思っています。

「そばの町-坂本」。何百年もの軌跡を築いたのは地元への感謝―。

 

今回談をとるのは、日吉山王祭の至誠駕輿丁(しせいかよちょう)で現在事務局次長を務める山本雅之さん。駕輿丁(かよちょう)とは神輿を担ぐグループのことで、4つの地区に分かれており、中部(ちゅうぶ)、広芝(ひろしば)、至誠(しせい)、下阪本(しもさかもと)があります。1200年の歴史を誇る山王祭を裏から支える事務局としての役割や、祭りへの想い、生まれ育った地元・坂本の魅力などをお伺いしました。

ー 山王祭に参加されたのはいつごろですか?

山王祭が行われる八王子山に登って初めて午の神事を見たのが小学5年生の時で、神輿の迫力に心打たれました。
父や祖父が雅楽会として祭りに携わっていたこともあって、中学2年生の時に初めて祭りに参加しました。最初は松明持ちからのスタートし、下積み時代に雑用などをこなしながら祭りのことを勉強しました。高校を卒業して神輿の担ぎ手の一員になることができました。
さらに担ぎ手として数年を経て、毎年4月12日に行われる午の神事で神輿の先頭を担ぐ「鼻」を32歳の時に務めました。「鼻」は一生に一度しかできない役割で、祭りへの貢献度などが認められて初めて任せてもらえる大役なんです。

ー 担ぎ手から事務局へ入った理由をお聞かせください。

担ぎ手の「鼻」をやらせてもらって、僕自身も祭りに恩返ししたいという思いがあり、誘われたこともあって、事務局に入りました。当初は次長補佐、翌年は次長になって今年で4年目、来年には事務局長となります。

ー 事務局としての役割を教えてください。

一月の後半くらいから実行委員会などを交えて、その年の祭りに向けて会議が始まります。去年の課題を検討したり、来場してくださる方々の安全対策などを講じます。約3000人もの人が集まる宵宮落し神事では、観覧いただく方が分かれてご覧いただけるよう、今年は大型スクリーンを2つ用意することが決定しました。
当日は本部とやり取りしながら、現場で神輿の担ぎ手である駕輿丁のタイムスケジュールを管理します。駕輿丁の若者たちの面倒を見たり、一度では覚えられない危険な箇所を教えたりします。
また、祭りの前後には協賛してくれた方々や、警察、消防、観光バス、延暦寺などへ挨拶回りや、祭りの後の御礼参りも事務局の大切な仕事です。

ー 事務局はいつごろからできたのでしょうか?

祭りの記録が残っているのは明治初期のころですが、当時から事務局はあったそうです。当時の神輿は今より重く、松明の灯りだけを頼りに坂を下るのはとても難しいことだったと思います。その神輿を落とすことなく安全に担いでいくために、事務局が担ぎ手の肩を合わせる肩合わせや担ぐ場所を決めておいたんです。
神様を乗せた神輿を担ぐのは、誇り高い役目です。また昔は遠く琵琶湖の対岸からも、神輿の行く手を照らす松明の明かりが見えたと言います。その明かりが滞りなく降りてくることができればその年は豊作と信じられていたため、山王祭は地元・坂本のみならず、周辺地域の農家にとっても大切な祭りだったんです。

ー 事務局のやりがいはどんなところですか?

担ぎ手をしていたころは「もっとこうしたらいいのにな」と思ったこともありました。今は事務局として裏方に回り、自分の意見を提案できています。会議では駕輿丁トップの人と若手の意見がぶつかることもありますが、守らなければいけないしきたりや決まり事は守りながら、今の時代に合った新しい部分も取り入れて、みんなが楽しめる祭りにしていけるように心がけています。

ー 祭りで心がけていることは何ですか?

甥の将太を後継者にと思って、仕込んでいる真っ最中です。15歳くらいから仕込み始めて、5年ほどになりますね。“高張”を務める僕の真横で、振り松明の役を務めながら覚えさせています。

ー 山本さんおすすめの、山王祭の一番の見どころは?

神輿は見てほしいですね。迫力がすごいし、リハーサルなしで神輿を担ぐから、神輿を落としてしまうなどのハプニングが起こることもあります。ぶっつけ本番だからこそ、毎年おもしろいんです。

ー 今後の課題はありますか?

やはり人材の確保が難しいですね。子どもの数も減っていますし、祭り自体に興味を示してくれない子どもも増えているんです。歴史と伝統のある山王祭を後世へ伝えていくためにも、次世代を担う若者や子どもたちに興味を持ってもらい、祭りに参加してもらうことが今後の僕たちの課題ですね。

ー そのためにどんな対策をされているのでしょうか?

PR不足かなと思い、まずはSNSなどを使って外へ発信していこうと動き始めています。まずはたくさんの人に見に来てもらって、祭りに参加したいと思ってもらいたいと思っています。祭りに参加したいという県外の方も大歓迎です。
今、少年野球チームのコーチをしているのですが、野球はもちろん祭りのことも知ってもらえたらという目論見もあります(笑)。

ー 山本さんにとって山王祭とは?

一年で一番の楽しみですね。坂本では年が明けたら「明けましておめでとう」ではなく、「そろそろ始まるな」と祭りの話をするほどで、祭りの後はみんなで今年の祭りがどうだったかを話し合うのも楽しいんです。そして来年の祭りを楽しみにしながら、また仕事に励む。事務局などの仕事は完全にボランティアでの参加ですが、毎年ワクワクするんです。

来年度委員長となる山本勇(現副委員長)は
良きアドバイザーであり、祭りを支える仲間

ー 坂本の魅力を教えてください。

あたたかい人が多いところだと思います。僕自身も祭りを通してたくさんの人と知り合うことができましたし、いい意味で上下関係がなくてフランクなんです。そういうあたたかさは、若い世代や子どもたちにも伝えていきたいですね。
また、奥宮からの景色は絶景なので、ぜひ登って見てほしいです。

ー 好きな言葉を教えてください。

「縁」ですね。坂本で生まれ育って、いろんな人と知り合って、人間的にも成長させてもらえたし地域の人とのつながりもできました。山王祭では他の地域の神輿同士で競争することもありますが、同じ志を持つ者同士で団結して祭りを盛り上げています。
こうした「縁」も、後世に伝えていきたいと思っています。

山王祭を裏から支える事務局の役を担う山本さんと談をとる

今回談をとるのは、日吉山王祭の至誠駕輿丁(しせいかよちょう)で現在事務局次長を務める山本雅之さん。駕輿丁(かよちょう)とは神輿を担ぐグループのことで、4つの地区に分かれており、中部(ちゅうぶ)、広芝(ひろしば)、至誠(しせい)、下阪本(しもさかもと)があります。1200年の歴史を誇る山王祭を裏から支える事務局としての役割や、祭りへの想い、生まれ育った地元・坂本の魅力などをお伺いしました。

山王祭に参加されたのはいつごろですか?

山王祭が行われる八王子山に登って初めて午の神事を見たのが小学5年生の時で、神輿の迫力に心打たれました。
父や祖父が雅楽会として祭りに携わっていたこともあって、中学2年生の時に初めて祭りに参加しました。最初は松明持ちからのスタートし、下積み時代に雑用などをこなしながら祭りのことを勉強しました。高校を卒業して神輿の担ぎ手の一員になることができました。
さらに担ぎ手として数年を経て、毎年4月12日に行われる午の神事で神輿の先頭を担ぐ「鼻」を32歳の時に務めました。「鼻」は一生に一度しかできない役割で、祭りへの貢献度などが認められて初めて任せてもらえる大役なんです。

担ぎ手から事務局へ入った理由をお聞かせください。

担ぎ手の「鼻」をやらせてもらって、僕自身も祭りに恩返ししたいという思いがあり、誘われたこともあって、事務局に入りました。当初は次長補佐、翌年は次長になって今年で4年目、来年には事務局長となります。

事務局としての役割を教えてください。

一月の後半くらいから実行委員会などを交えて、その年の祭りに向けて会議が始まります。去年の課題を検討したり、来場してくださる方々の安全対策などを講じます。約3000人もの人が集まる宵宮落し神事では、観覧いただく方が分かれてご覧いただけるよう、今年は大型スクリーンを2つ用意することが決定しました。
当日は本部とやり取りしながら、現場で神輿の担ぎ手である駕輿丁のタイムスケジュールを管理します。駕輿丁の若者たちの面倒を見たり、一度では覚えられない危険な箇所を教えたりします。
また、祭りの前後には協賛してくれた方々や、警察、消防、観光バス、延暦寺などへ挨拶回りや、祭りの後の御礼参りも事務局の大切な仕事です。

事務局はいつごろからできたのでしょうか?

祭りの記録が残っているのは明治初期のころですが、当時から事務局はあったそうです。当時の神輿は今より重く、松明の灯りだけを頼りに坂を下るのはとても難しいことだったと思います。その神輿を落とすことなく安全に担いでいくために、事務局が担ぎ手の肩を合わせる肩合わせや担ぐ場所を決めておいたんです。
神様を乗せた神輿を担ぐのは、誇り高い役目です。また昔は遠く琵琶湖の対岸からも、神輿の行く手を照らす松明の明かりが見えたと言います。その明かりが滞りなく降りてくることができればその年は豊作と信じられていたため、山王祭は地元・坂本のみならず、周辺地域の農家にとっても大切な祭りだったんです。

事務局のやりがいはどんなところですか?

担ぎ手をしていたころは「もっとこうしたらいいのにな」と思ったこともありました。今は事務局として裏方に回り、自分の意見を提案できています。会議では駕輿丁トップの人と若手の意見がぶつかることもありますが、守らなければいけないしきたりや決まり事は守りながら、今の時代に合った新しい部分も取り入れて、みんなが楽しめる祭りにしていけるように心がけています。

祭りで心がけていることは何ですか?

甥の将太を後継者にと思って、仕込んでいる真っ最中です。15歳くらいから仕込み始めて、5年ほどになりますね。“高張”を務める僕の真横で、振り松明の役を務めながら覚えさせています。

山本さんおすすめの、山王祭の一番の見どころは?

神輿は見てほしいですね。迫力がすごいし、リハーサルなしで神輿を担ぐから、神輿を落としてしまうなどのハプニングが起こることもあります。ぶっつけ本番だからこそ、毎年おもしろいんです。

今後の課題はありますか?

やはり人材の確保が難しいですね。子どもの数も減っていますし、祭り自体に興味を示してくれない子どもも増えているんです。歴史と伝統のある山王祭を後世へ伝えていくためにも、次世代を担う若者や子どもたちに興味を持ってもらい、祭りに参加してもらうことが今後の僕たちの課題ですね。

そのためにどんな対策をされているのでしょうか?

PR不足かなと思い、まずはSNSなどを使って外へ発信していこうと動き始めています。まずはたくさんの人に見に来てもらって、祭りに参加したいと思ってもらいたいと思っています。祭りに参加したいという県外の方も大歓迎です。
今、少年野球チームのコーチをしているのですが、野球はもちろん祭りのことも知ってもらえたらという目論見もあります(笑)。

山本さんにとって山王祭とは?

一年で一番の楽しみですね。坂本では年が明けたら「明けましておめでとう」ではなく、「そろそろ始まるな」と祭りの話をするほどで、祭りの後はみんなで今年の祭りがどうだったかを話し合うのも楽しいんです。そして来年の祭りを楽しみにしながら、また仕事に励む。事務局などの仕事は完全にボランティアでの参加ですが、毎年ワクワクするんです。

来年度委員長となる山本勇(現副委員長)は
良きアドバイザーであり、祭りを支える仲間

坂本の魅力を教えてください。

あたたかい人が多いところだと思います。僕自身も祭りを通してたくさんの人と知り合うことができましたし、いい意味で上下関係がなくてフランクなんです。そういうあたたかさは、若い世代や子どもたちにも伝えていきたいですね。
また、奥宮からの景色は絶景なので、ぜひ登って見てほしいです。

好きな言葉を教えてください。

「縁」ですね。坂本で生まれ育って、いろんな人と知り合って、人間的にも成長させてもらえたし地域の人とのつながりもできました。山王祭では他の地域の神輿同士で競争することもありますが、同じ志を持つ者同士で団結して祭りを盛り上げています。
こうした「縁」も、後世に伝えていきたいと思っています。

1200年間続いてきた山王祭で唯一無二の役“高張” を継承する西谷さんと談をとる

今回談をとるのは1200年もの間、先祖代々受け継がれてきた、山王祭でたった一人しかいない“高張(たかはり)”の役を務める西谷良弘(にしたによしひろ)さん。“高張”とは、華やかな神輿に目を奪われがちな祭りの中でどんな役割を担っているのか。長年の継承と熟練の技、歴史ある山王祭の見どころについて、話をお聞きしました。

山王祭における“高張”の役割を教えてください。

4月13日に、神様の出産を再現した宵宮落とし神事(よみやおとししんじ)が行われます。駕輿丁(かよちょう=神輿を担ぐ人たち)たちが4基ある神輿を一斉に揺すって陣痛を、そして神輿を落として御子誕生を表現します。
この時が“高張”の出番です。神輿振りから神輿をいったん落として甲冑武者の姿をした“とび”が神輿の黒棒の部分にしがみついて境内の上に乗るのですが、“とび”が走ってくるタイミングを見計らって、僕が合図とともに高張提灯(たかはりちょうちん)を持って走るんです。

“高張”はどんなところが難しいのでしょうか?

高張提灯を掲げて走るだけではないかと思われるかもしれませんが、実はタイミングが非常に難しいんです。“とび”は毎年違う人がやるから走る速さも人それぞれ、タイミングも毎年違います。コツは“とび”の足を見ること。これが意外に難しいんです。
神輿を落とすタイミングと“とび”が入ってくるタイミングを合わせるための“高張”は、他の役と同様に1200年前から変わらず受け継がれてきている姿を保っています。

“高張”を受け継がれた経緯を教えてください。

“高張”は代々、勝嶌(かつしま)の家系に受け継がれてきました。定かではありませんが古い話を紐解いていくと、日吉大社ができた時に坂本で一番古い神社に敬意を表して、その御旅所(おたびしょ:神が巡行の途中で休憩または宿泊する場所)周辺に住む勝嶌家が“高張”の役を任されたのではないかと思います。
僕の母の実家が勝嶌家だったのですが、一時は別の家系の人が“高張”をしていて、「勝嶌で始まったものは勝嶌で守っていきたい」という思いに駆られて受け継ぎました。

“高張”のやりがいはどんなところですか?

正直なところ、やりがいは感じません(笑)。宵宮落としの前に生源寺(しょうげんじ)で行われる4つの駕輿丁の読み上げ式の際にも、提灯に火を灯して立ち合う役目も担っています。“高張”は山王祭でたった一人しか務めることができないからこそ、重要な役割であると同時に孤独なんです。神輿をかいて(担いで)いる方が、よほど楽しいですね。

それでも“高張”を守っていかなければいけないんですね。

神様を乗せる神輿を担ぎ、今年一年の健康や五穀豊穣を願う祭りにおいて、“高張”は神輿にも触らない役回りです。しかし、祭りはたくさんの人の力を合わせなければできません。“高張”は決して目立つ役ではありませんが、神様の出産という大切な儀式において必要不可欠な役なんです。
神輿のような華やかさはなくても、他の誰でもなく自分にしかできないという思いが強いですね。勝嶌の家系しかできない役だからこそ、1200年続いてきたこの“高張”を受け継ぎ、途切れることなく次の世代へ残していかなければいけないと思っています。

後継者は決まっているんですか?

甥の将太を後継者にと思って、仕込んでいる真っ最中です。15歳くらいから仕込み始めて、5年ほどになりますね。“高張”を務める僕の真横で、振り松明の役を務めながら覚えさせています。

教える上で難しいところはどんなところですか?

口で言ってもわからないことの方が多いので、基本的には見て覚えてもらうことです。年に一度しか見ることができないし、毎年場面も人も変わるから、覚えるのが難しいんです。
また祭りの細かなしきたりや、ケガをしないコツも教えなければいけません。
そろそろ甥に引き継いでもいいかなと思っていたのですが、周りからは「お前が苦労してやってきた“高張”を、まだ山王祭の『さ』の字も知らん甥っ子に簡単に譲ったらあかん」と言われてしまいました。

将太さんが“高張”を継ごうと思ったきっかけは?

将太さん

13歳くらいのころから祭りに参加し始めて、おっちゃんに「せぇ(やれ)」と言われたこともありましたが(笑)、自然な流れでそうなった感じです。
初めて祭りに参加した年はおもしろくてしょうがなかったけど、翌年からは寒くて仕方がなかったですね。

“高張”を受け継ぐことへの思いをお聞かせください。

将太さん

祭りで一人しかいないからこそ、自分がやらなければという自負があります。それを肝に銘じてやっていきたいと思います。
おっちゃんが守ってきたものを託されることは嬉しいし、そこはしっかり受け継いでいきたいですね。

お二人にとっての山王祭とは?

良弘さん

あって当たり前のもの、生活の一部ですね(笑)。
1200年変わらず受け継がれてきた坂本の祭りだからこそ、坂本で生まれ育った僕たちが継承し続けていかなければいけないものです。

将太さん

しんどいけど、めちゃくちゃおもしろい祭りです。
山王祭に参加するには青年会に入る必要があるんです。僕も青年会に入っていますが、祭りの前には松明作りなど準備もしなければいけないし、これが本当に面倒くさいんだけど、祭りの本番はめちゃくちゃ楽しい。神輿をかいている時は「なんでこんな重いもの持って、しんどいことしてんねん」と毎年思いながら、祭りが終わった後は「おもしろかったな」って思うんです(笑)。

山王祭の見どころを教えてください。

4月12日の神事で行われる、山頂からの階段を下りてくる神輿をぜひ見てほしいですね。13日の宵宮落としの神輿振りも圧巻です。

お二人から見た、坂本の魅力を教えてください。

良弘さん

坂本に約50ヵ寺ある里坊の石垣や、日吉大社の参道の桜は見ものです。遅咲きのしだれ桜もあって、長くお花見が楽しめます。最近では紅葉のライトアップも人気ですね。

将太さん

僕は檜皮葺(ひわだぶき)という檜の皮を使った屋根を作る仕事をしているのですが、本物の檜の皮や漆を使った建物が多く残っていて、本当に昔ながらの風景が残っているんです。そんな坂本の風景を見に来てほしいですね。

好きな言葉を教えてください。

良弘さん

伝統と継承ですね。
長年受け継がれてきた伝統だから、変えずに後世へ残すことが重要だと思っています。
ただ、“高張”のことを知っている人が少ないので、もっと知ってもらえるようにしていきたいと思っています。
伝統ある“高張”を継承し、日吉大社の山王祭として恥ずかしくない祭りを次の世代にも伝承して、1000年後も同じ祭りをしてほしいと思います。

将太さん

「恩は石に刻め。恨みは水に流せ」
昔聞いた言葉なのですが、ずっと記憶に残っている言葉です。