樹齢1000年を超える大銀杏が見守る観音様の霊地「福城寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

樹齢1000年を超える大銀杏が見守る観音様の霊地「福城寺」を訪ねる

熊本県のほぼ中央に位置する美里町。
美しく豊かな山並みが人々を惹きつける美里町には、『甲佐富士』と呼ばれ、その美しい姿が人々に親しまれている甲佐岳(こうさだけ)がそびえ立ちます。
そんな甲佐岳の山中に、約1200年の歴史をもつ古刹・福城寺が伽藍を構えています。

古来より『甲佐岳観音』と呼ばれ信仰を集める福城寺の境内には、全国有数の樹齢を誇る大銀杏が枝を広げ、福城寺の悠久の歴史を共に紡いでいます。

境内の大銀杏の葉が黄金色に色づき始めた11月中旬、第58世住職を務める河地真恵師に福城寺の魅力や歴史をご案内いただきました。

◇弘仁年間に創建、後に平重盛公に再興される

「本日はようこそお参りいただきました。福城寺までの険しい山道に皆さん驚いたことでしょう(笑)。福城寺は甲佐岳の8合目くらいの場所にあります。現在は車で来ることができますが、車道ができる前は歩いて登るしか方法がありませんでした。甲佐岳の山頂が標高753メートルですから、お参りするだけでもかなり大変だったと思います。」

福城寺までの険しい山道を思い返し、ご住職の言葉に驚く学生たち。
ご住職の穏やかで優しい語りに引き込まれていきます。

「それでは、早速本堂へと歩みを進めてまいりましょう。」

ご住職に続き、風そよぐ葉々の緑に彩られる本堂へ向かいます。
「福城寺がある山を甲佐岳といいますが、別名を『亀甲山(きこうざん)』ともいいます。」

「『亀甲山』は福城寺の山号でもあるのですが、この名前は南から甲佐岳の山容をみると亀の甲羅のように見えるためです。また、西側から見ると亀の甲羅ではなく尖った山容をしていることから『甲佐富士』とも呼ばれており、見る方向から山容が変わるおもしろい山として知られています。」

「この珍しい山の形から、甲佐岳は古来より山岳修行の行場として多くの修行者が集ったそうです。」

「そのような甲佐岳に福城寺が創建されたのは、今から約1200年前のこと。嵯峨天皇の御代である弘仁年間に湛西上人というお坊さんによって創建されたと伝えられております。その際、福城寺は甲佐岳の麓にある甲佐神社の神宮寺として建立されたのだそうです。」

「甲佐神社は、現在の熊本の地を守護するために、阿蘇氏の祖とされる健磐龍命(たけいわたつのみこと)が鏑矢を放ち、その鏑矢が刺さった地に宮を築いたことに始まるとされる神社です。伝えられているお話しによれば、熊本の守護のため、健磐龍命はわずか7歳の御子様を甲佐の地に派遣したそうです。」

「わずか7歳の御子様は、ご両親と離れ甲佐の地で暮らすことになりました。伝承では、御子様は甲佐岳に登り、母君のいる方向を眺め、母君のことを想い毎日泣いていたと伝えられています。」

「このような伝承から、甲佐岳の山頂には御子様をおまつりするお社がおまつりされ、以前は、麓の甲佐神社のことを下宮、福城寺のことを中宮、山頂のお社のことを上宮と呼んでいたと伝えられています。このような阿蘇氏との繋がりを示すように、こちらの賽銭箱には阿蘇氏の家紋が刻まれています。」

「しかしながら、創建されてからしばらくすると荒れてしまったそうで、平安時代の終わりごろ、平清盛公の息子である平重盛公によって再興されたといいます。」

「中世までには甲佐岳の山中に十六坊の僧房が並び建っていたそうなのですが、天正年間にキリシタン大名であった小西行長によって焼討ちされてしまい、そのほとんどが焼失してしまったそうです。しかしながら、『西之坊』や『地蔵堂』といった名称が現在も地名に残っており、往時の福城寺の姿を伝えています。」

「その後、この場所には茅葺の小さなお堂が建っていたそうです。しかしながら、火災に見舞われてしまい全焼してしまいました。その後、現在の本堂が明治時代に再建されました。」

「明治時代ですので、お寺の歴史からするとこの建物はまだまだ新しいですね。ただ、正面の龍の彫刻や獅子の彫刻など生き生きとしていますから、当時の人々が並々ならぬ思いで再建した建物なのだと思います。」
神代から現代まで続く甲佐の歴史に圧倒される学生たち。
甲佐岳に育まれる原生の木々の葉を揺らし、ご住職と学生たちの間を通り抜ける穏やかな風は、まるで甲佐に育まれてきた歴史を学生たちに伝えているよう。
和やかな雰囲気の中、ご住職と学生たちとの語らいは続いていきます。

◇吉祥天様から姿を変えた御本尊・十一面観音様と凛々しさ溢れる釈迦如来様

「本堂の中央をご覧ください。」

中央へ目線を向けると、お身体が金色に輝く仏様がおまつりされていました。
御本尊・木造十一面観音菩薩立像《熊本県指定文化財》

「中央におまつりされている仏様が、福城寺の御本尊様である十一面観音菩薩様になります。先ほどお話しした明治時代以前の火災の後に、阿蘇からお迎えした仏様と聞いております。脇には不動明王様と毘沙門天様をおまつりしています。」

「御本尊様は非常に珍しい仏様として知られておりまして、学芸員の方によると、もともとは吉祥天様であったそうなのですが、後の時代に頭上にお顔を乗せて十一面観音様としているのだそうです。」

「また、平安時代に造立された仏様で、熊本県下では最古級の仏様としても知られております。このような点が貴重であるとのことで、県外問わず様々な展覧会に出張をされており、2025年3月には熊本県の文化財に指定されました。」
秘仏・木造釈迦如来立像《国指定重要文化財》毎年1月18日に行われる初観音の際に御開扉

「そして、右手のお厨子の内部には釈迦如来様をおまつりしております。こちらは鎌倉時代に造立された仏様でして、寺伝では恵心僧都源信の作と伝わり、国の重要文化財に指定されています。お姿をご覧いただくと、一見阿弥陀如来様のお姿のようにも見えるのですが、釈迦如来様として今日まで守り伝えられてきました。ですので、文化財としての指定名称も『木造釈迦如来立像』で指定を受けています。」

「こちらの釈迦如来様は秘仏でして、今回皆さんがお参りいただくということで特別に御開扉いたしました。本来ですと1年に1度、毎年1月18日に行われる初観音の際に御開扉をして、その凛々しいお姿を皆様にお参りいただいています。」

ゆったりとした服装を身にまとい、学生たちに微笑みを向ける御本尊・十一面観音様。

すらっとした凛々しい立ち姿に、荒波のように激しくうねる衣を身にまとう釈迦如来様。

それぞれの仏様が放つ対極にある美しさに学生たちは息をのみます。
鉾まつりで使用される1対の鉾

「御本尊様のお厨子の近くに鉾が立てかけてありますね。こちらは、毎年7月18日に行われる鉾まつりの際に使用される鉾です。」

むかしむかし、現在の甲佐町で悪さをする大ウナギや亀がいたのだそう。
その悪さに村人たちが困っていたところ、福城寺の観音様が悪さをする大ウナギや亀を退治してくださったのだとか。
そして、退治していただいたことへの御礼として鉾まつりが始められたと伝えられているそうです。

「鉾まつり当日、御本尊様の両脇にある1対の鉾は観音様の身代わりとして扱われます。この鉾を持ち、5か所くらいの場所を巡りお経を唱えます。いつから始まった御祭りであるかは分からないのですが、数百年以上地域で大切に伝えられてきた御祭りです。」

◇農業と畜産が盛んな当地を象徴する勇壮な馬頭観音様

『甲佐岳観音』と呼ばれ観音様のお寺として知られている福城寺。
福城寺の境内には、御本尊様以外にも観音様がおまつりされています。
馬頭観音堂

「仁王門をくぐって右側には馬頭観音様をおまつりする馬頭観音堂があります。福城寺周辺の地域は昔から農業や畜産業が盛んな地域で、牛や馬が多く飼育されていました。ですので、先程お話しした毎年1月18日の初観音の際には、皆様が飼育されている牛や馬を連れて馬頭観音様にお参りにこられていました。私が中学生くらいの時には、当時あった荒尾競馬場の競走馬がお参りに訪れ、安全祈願を行っていたことも覚えています。」

「実は、福城寺の観音様といえば御本尊様よりも馬頭観音様のほうが有名です(笑)。地元の小学校の校歌には、『馬頭観音の名も高き、亀甲の山を・・・』と登場するほど、地域の皆様に親しまれている観音様です。」

木造馬頭観音菩薩立像《美里町指定文化財》

力強く真一文字に結ぶ口元。
かっと見開く迫力ある眼差し。
盛り上がる腕の筋肉。

人間の姿に通ずるお姿に感じられながらも、人知を超えた迫力が感じられる馬頭観音様の勇壮なお姿。
どんな祈りも受け止めてくださるような馬頭観音様の前で、ご住職と学生たちとの交流は進みます。

◇福城寺とともに歩み続ける大銀杏

大銀杏《美里町指定天然記念物》

ご住職とともに学生たちは馬頭観音堂の裏へ
そこには福城寺とともに歴史を歩む大銀杏が枝を広げていました。

「こちらの大銀杏は、樹齢1000年以上と言われています。大きさが15メートルから16メートルくらいある大木で、西九州では1番、全国でもトップクラスの大木であると言われています。」

「銀杏の木は水分を多く含みますから、防火のためにお寺や神社に多く植えられます。ですから、もしかしたら福城寺が創建される際にこの銀杏の木も植えられたのかもしれませんね。まさに福城寺とともに歴史を紡いできた大木です。」

「12月の初旬になると、銀杏の葉が黄金色になります。これだけ大きい木ですから、その姿は圧巻です。黄金色の葉っぱが地面に落ちると、あたかも黄金色の絨毯が広がっているようになります。今では、福城寺といえばこの大銀杏というほど知名度が広がりまして、毎年たくさんの方が見に来られます。ただ、綺麗なのですが掃除が大変ですね。。。(笑)。」
人の何倍もの枝を広げる大銀杏。
福城寺とともに歴史を紡いできた大銀杏は、約1200年以上にわたり人々の祈りの歩みを見守り続けているのでしょう。
穏やかな秋の日差しに照らされながら境内を包み込むその枝葉には、福城寺の1200年の歴史を形作る先人たちの姿が垣間見えました。

大銀杏の根元には多くのひこばえが芽吹いていました。
これらのひこばえが育ち、大銀杏はさらに幹を広げていきます。
それはまるで、地域とともに歴史を紡ぐ福城寺を象徴しているように思いました。

◇参加学生の感想

御本尊・十一面観音様や釈迦如来様をお参りさせていただき、平安時代や鎌倉時代に造立された仏様が大切に、今日まで信仰され続けていることに感銘を受けました。御本尊様はもともと吉祥天様であったとお聞きし、様々な困難がありながらも信仰を守り伝えてきたことを感じさせる仏様でした。

また、人々が山中の険しい道を登り、福城寺へ馬や牛を連れて参拝されていたというお話を伺い、先人たちの仏様に対する信仰の強さを感じました。

福城寺へ向かう道が豪雨により一部崩落しており、福城寺周辺が9日ほど孤立状態になっていたとお聞きしました。さらに熊本地震では、本堂がずれ、燈籠が倒れ、庫裡の屋根瓦が落ちたと伺いました。このような豪雨や地震といった災害は近年だけでなく長い歴史の中で何度もあったのだと思います。そのような困難に直面しても、福城寺を愛する皆様によって福城寺が大切に伝えられ、困難を乗り越えてこられたのだと強く感じました。

奈良大学 大学院 2年
福城寺
〒861-4706 熊本県下益城郡美里町甲佐平2110