伝教大師が造立した不動明王様が地域とともに祈りを繋ぐ古刹「木原不動尊 長寿寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

伝教大師が造立した不動明王様が地域とともに祈りを繋ぐ古刹「木原不動尊 長寿寺」を訪ねる

熊本市の南部、宇土市との市境にそびえる木原山。
その麓に1200年以上の歴史を持つ名刹・長寿寺が伽藍を構えています。
『木原不動尊』と呼ばれ親しまれている長寿寺には、伝教大師が造立しおまつりしたという秘仏御本尊・不動明王様を中心に様々な仏様がおまつりされ、境内には人々の祈りが満ちています。

晩秋の穏やかな朝日が境内を照らす11月の中旬、名誉住職を務める角本尚雄師に長寿寺の歴史とその魅力をご案内いただきました。

◇伝教大師により創建、その後木原地区の人々とともに祈りを伝える

本堂内陣

「本日はようこそお参りいただきました。本日は良い天気が広がり、心地が良いですね。」

心地よい日差しのもとで和やかな交流が始まりました。

「それでは、まず長寿寺の歴史をお話ししたいと思います。長寿寺が創建されたのは、今から約1200年前の平安時代。天台宗を開かれた伝教大師最澄様によって創建されました。創建の際に、最澄様は一刀三礼のもと不動明王様を造立したと伝えられています。そしてその不動明王様を御本尊様として長寿寺が創建されました。」

「こちらの本堂の中央奥に御本尊様をおまつりしております。ご覧いただくと、不動明王様のお姿は見えませんね。御本尊様は秘仏ですので、通常はお厨子の扉を閉めておまつりしております。しかしながら、不動明王様の御縁日である毎月28日にはお扉を開けて、皆様に御本尊様のお姿をお参りいただいております。御縁日の日には、朝の5時にお扉を開けて、午前10時に護摩を修します。そして午後5時にお扉を閉めております。ありがたいことに、門を開けるとお参りの方がすでにいらっしゃいますね。」

「実は、長寿寺と言っても、『どこのお寺だろう?』と誰も思い浮かばないのです...。ただし、『木原不動尊』と言うと皆様思い出していただきます。それほど、最澄様が彫られた御本尊様に対する篤い信仰が1200年を通じて育まれてきたのだと思います。」

「また、長寿寺は、千葉の成田不動尊、東京の目黒不動尊とともに『日本三大不動尊』と言われております。この三大というのは、大きな不動明王様がおまつりされているということではなくて、日本仏教の礎を築かれた3人の高僧の方々にゆかりのある不動明王様がおまつりされているということを表しているのだそうです。皆さんご存知のように、成田不動尊は弘法大師空海様、目黒不動尊は慈覚大師円仁様、そして木原不動尊が伝教大師最澄様にそれぞれゆかりがございます。」

角本師の穏やかなお話しに自然と笑みがこぼれる学生たち。
角本師とともに1200年の歴史の旅路を進んでいきます。
源為朝公像《観音堂安置》

「創建されてから1200年もありますと様々なことがございます。例えば、最澄様が木原を訪れてから約200年後の平安時代の終わり頃、近くの木原山に源為朝(みなもとのためとも)公が山城を築きました。源為朝公は鎮西八郎と名乗りまして、その勇ましさから九州一帯を支配したとも伝えられています。」

「為朝公が築いた山城から見ると、長寿寺はちょうど北東の鬼門の方角にありました。そのことから、為朝公は長寿寺の御本尊様に篤い信仰を向けてくださっていたと伝えられています。」

「また、長寿寺の山号は『雁回山(がんかいさん)』といいます。この由来も為朝公とゆかりの深いものです。弓の名手として知られていた為朝公は、木原山に近づいた雁(がん)を弓で射落としていたそうです。すると、雁が恐れて木原山を迂回して飛ぶようになったのだそうです。つまり、『雁』が迂『回』する山ということで、木原山が雁回山と呼ばれるようになり、その麓に伽藍を構える長寿寺の山号も『雁回山』となりました。」
本堂《大正15年(1926)建立》

「為朝公が活躍された時代の後、長寿寺は源頼朝公や地元の領主たちの信仰を集め、この地域の祈願寺として隆盛をしたと伝えられております。しかしながら、戦国時代の天正年間、近くの宇土にキリシタン大名で知られている小西行長公が入り、長寿寺の寺領は没収されてしまいました。その後江戸時代に再興され、お参りの方々で往時の賑わいを取り戻したそうなのですが、明治時代になり廃仏毀釈運動の影響を大きく受けてしまいました。当時は住職がいなくなり、廃寺となってしまったそうです。」

「長寿寺は廃寺となりましたが、地域の皆様が大切に守り伝えてくださっていました。廃仏毀釈運動が落ち着いてきた明治の半ば頃には地域の方々による復興計画が立てられ、さらに大正時代に現在のように復興されました。今皆さんがいる本堂も大正15年(1926)に再建された建物になります。この本堂が建てられる以前は小さなお堂が建っていたのだそうです。現在の本堂のように大きな建物を建立するためには、たいへんなご尽力が必要だったと思います。」

「その後も山門や観音堂などが再建され、地域の皆様と力を合わせて復興が続いてまいりました。また、大晦日や元旦、春の大祭の際にはたくさんの方のお参りがございます。長寿寺の付近の道路は一方通行となり地域の皆様にご面倒をおかけしているのですが、皆様のご理解とご協力をいただいております。本当にありがたいことです。」

長寿寺の1200年の歴史。
それは、様々な人の尽力によって不動明王様への祈りが伝えられてきたことを実感しました。

◇熊本の春を告げる木原不動尊の『火渡り』

語らいは先ほど登場した木原不動尊の春季大祭へと移ります。

「先ほど登場した長寿寺の春季大祭は毎年2月28日に執り行われます。当日は御本尊様を御開扉し、本堂内で私たちが護摩を修し、建物の外では採灯大護摩供を行者さんたちが修します。その後、火渡りや湯立てという荒行を行い、お参りの皆様の無病息災や厄除けをお祈りしております。」

「こちらの写真をご覧いただきたいのですが、長寿寺の採灯大護摩供には特徴がございます。ご覧いただくと、三本の柱が組み合わさり、その上に釜が乗っていますね。行者の方々や私たちお坊さん、そしてお参りの方々はこの釜の下を火渡りで歩きます。また、下にももう一つ釜がありまして、釜の中には湯が沸いています。行者の方々は、その湯に笹の葉を入れて、笹の葉を自身やお参りの方々にお清めとして振りまきます。これが湯立てです。」

「上の写真が火渡りの写真ですね。まだ火が燃え上がっている迫力ある様子が写っていますが、行者さんたちは素足で渡るのです。そして火が落ち着いたら、お参りの方々に渡っていただいて、災厄を取り除くという行事になります。」

「木原不動尊の火渡りは熊本の春を告げる行事として親しまれていまして、毎年たくさんの方々にお参りいただいています。午前と午後の2座あるのですが、毎年午前だけで600名くらいの方が火渡りを体験されます。また、周囲には露店なども出まして、地域が賑わう一日です。」

◇人々の祈りが形づくる長寿寺の諸堂

「天気も良いですから、長寿寺の境内もご案内いたしましょう。」

角本師とともに境内を巡る学生たち。
まずは観音堂をお参りしました。
観音堂

「こちらが観音堂になります。中央には坐像の十一面観音様、向かって左には立像の十一面観音様をおまつりしております。近年これらの十一面観音様を修理したのですが、中央の十一面観音様に『寛延十二年』の銘文が残されていることが分かりました。ただし、よくよく調べてみると寛延は4年までで、寛延12年は存在しないはずなのだけど...と謎は深まるばかりです(笑)。そして、右側には先ほど登場した源為朝公のお像をおまつりしております。」

伝教大師坐像

「こちらは伝教大師最澄様をおまつりする伝教大師堂です。内部には最澄様の石像をおまつりしております。こちらのお像はそんなに古くはないと思います。以前はお顔も自然と見ることができたのですが。修理をした際に台座が高くなってしまったので、かがまないとお顔が見えなくなってしまいました...。近くに寄らないとお顔が見えないので、最澄様になるべく近づいてお参りくださいとお伝えしております(笑)。」
石造宝篋印塔《豪潮律師建立(文化七年銘)》

和やかに諸堂をご案内いただく角本師のお言葉に仏様や最澄様に対する想いが感じられます。

「本堂の近くには、江戸時代の高僧である豪潮律師(ごうちょうりっし)が建立した宝篋印塔が建立されています。豪潮律師は、人々の安寧のために日本全国にこのような石塔を八万四千ほど建立したのだそうです。横には文化七年(1810)に豪潮律師によって建立されたことを伝える銘文が刻まれています。」
続いて、長寿寺の入口となる山門へと向かいました。

山門

「こちらが長寿寺の入口となる山門です。門の左右には阿行と吽形の仁王様をおまつりしています。こちらの仁王様が珍しくて、どちらも参道の内側を向き、さらに、三本の指を伸ばす印を結んでいます。お姿をご覧いただくと、筋骨隆々としたお姿ではなくて、金剛力士という言葉が表すように、お相撲取りさんのようなぷっくりとした良い体格をしていらっしゃいます。」
仁王像

「おそらく江戸時代の仁王様ではないかと言われています。仁王様は外におまつりされていますから、足元に雨が吹き込んでしまい傷んでいました。そこで静岡の仏師の方に修復をお願いして、さらに足元に雨水がたまらないように30㎝ほど底上げしておまつりしております。ただ、高くなってしまったので、最澄様のお像と同じようにお顔が見えづらくなってしまいました...。」

目を大きく見開き、にらみを利かせる仁王様
勇ましくもどこか愛らしいそのお姿に惹きつけられました。

山門からは長寿寺とゆかりの深い木原山の姿がよく見えました。
「先ほどお話ししたように、あちらに源為朝公が山城を築いたと伝えられています。その名残なのか私たちは、『城山(じょうやま)』とよく呼びますね。また、山中にはお城だけではなくて、お寺がたくさんありました。『比丘尼谷(びくにだに)』と呼ばれる谷や、『〇〇寺』という名前の地名があるなど、痕跡が数多く残されています。」

「そして、木原山の山中には長寿寺の奥の院がございます。最近まで歩いてお参りするしか方法がなかったのですが、木原山の整備が行われて車道が整備されたことにあわせ、お堂とおまつりされている5体の仏様の修復を行い、平成15年に完成しました。」

角本師にお聞きすると、長寿寺を訪問した当日は、1年に1度奥の院へ地域の方々が集い、法要が行われる日とのことでした。
せっかくの機会ということで、法要が始まる前の奥の院を角本師にご案内いただきました。

◇山上から地域を見守る5体の仏様

車で5分ほどの山道を登りたどり着いた一宇のお堂。
お堂の中へ入ると、そこには荘厳さを発する5体の仏様の姿がありました。
「こちらが長寿寺の奥の院です。平成15年にこちらの建物と5体の仏様の修復が完了しました。丁度本日この後執り行われますが、1年に1度、地域の方々が奥の院へ集い、地域の方々の御供養と御祈願のための法要が執り行われます。以前は毎年9月22日にこの法要は行われていたのですが、平成15年の修理の落慶法要が11月15日(第3日曜日)に行われたことにあわせて、それ以来11月の第3日曜日に行われるようになりました。」

「正面には5体の仏様がいらっしゃいますね。中央の仏様が阿弥陀如来様、その左右が観音菩薩様と勢至菩薩様、さらにその両脇に不動明王様と毘沙門天様がおまつりされています。それぞれの仏様がいつ造立されたのか詳しい調査はしていないので不明なのですが、この地域で大切に伝えられてきた仏様です。」

「この5体の仏様は、山の麓にあった円福寺というお寺でおまつりされていた仏様と伝えられています。しかしながら、円福寺が廃寺同様な姿に荒れてしまったことから、長寿寺の奥の院として木原山の山中にお移しして、地域の方々を見守っていただいております。」

「このような山中ですと、私たち長寿寺の者だけではなかなか手入れが難しい部分もあるのですが、ありがたいことに、地域の方々や信者の方々が定期的にお参りに来られて、周囲を整えてくださっております。長寿寺の歴史を振り返ってみますと、長寿寺の歴史は、やはり地域の皆様や信者の皆様に支えられてきた歴史であると思います。そのような方々のための長寿寺であるように、長寿寺を次の世代へ伝えていきたいと考えております。」
5体の仏様のもとで角本師や地域の方々としばらく交流する学生たち。
穏やかな日差しのもと、奥の院に笑顔が溢れます。
その姿を見守る仏様の眼差しは、温かく慈愛に満ちていました。

伝教大師が約1200年前に創建して以来、地域とともに歴史を歩んできた長寿寺。
どんな困難に直面しても、地域の皆様で乗り越えてきた穏やかで温かく力強い歴史が長寿寺にはありました。
これから先も、長寿寺の歴史が地域とともに紡がれていきますように。そう心より願いながら訪問を終えました。

◇参加学生の感想

今回の訪問では、私たちの訪問している間、絶えずお参りの方が訪れていることが印象深く心に残っています。お聞きすると、毎月決まった日にお参りに来られる方もいれば、毎日お参りに来られる方もいらっしゃるそうで、長寿寺が地域の方々をはじめ皆様の心の拠所となっているのだと強く感じました。

伝教大師が御本尊・不動明王様を造立し、当地におまつりして以来約1200年間の年月の中で育まれた長寿寺とお参りに来られる方々との交流が積み重なり、『また訪れたい』と思える穏やかで安心感のある長寿寺の空気が醸成されているのだと感じました。

立命館大学 博士課程

今回の訪問で特に印象的だったのは奥の院にまつられている5体の仏様です。こちらの仏様たちは最近修復されたとのことでしたが、とてもやさしい顔立ちで心が温まりました。またその他にも2月の春季大祭では無病息災や厄除けを祈る火渡り、湯立てなどの荒行が行われているとお聞きし、多くの方々が参加されているお写真を拝見して、皆様が長寿寺様を大切に思っていることを感じました。

立命館大学 4年
長寿寺(木原不動尊)
〒861-4153 熊本県熊本市南区富合町木原2040番地