大阪の陣で活躍した猛将・後藤又兵衛ゆかりの古刹「福田寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

大阪の陣で活躍した猛将・後藤又兵衛ゆかりの古刹「福田寺」を訪ねる

兵庫県姫路市の北東部・山田町。
かつてこの一帯には古代から寺院が建立され、多くの人々の祈りを受け止める地でした。
そのような姫路市山田町に飛鳥時代に創建されたと伝えられている古刹・福田寺が伽藍を構えています。

戦国時代に活躍した猛将・後藤又兵衛基次とゆかりの深いお寺としても知られている福田寺は、いつの時代も人々の営みとともにあり、1300年以上の悠久の歴史を紡いできました。

今回、福田寺の御住職を務める井上真円師に福田寺で伝承されてきた歴史や文化、地域の魅力を伺いました。

◆飛鳥時代、法道仙人によって創建された古刹

勇壮な鯱が屋根を飾る山門をくぐり本堂へ向かう学生たち。

学生たちを福田寺の御住職を務める井上師が迎えます。

「本日はようこそ福田寺へお参りいただきました。皆さんのお顔を見ると、お会いする機会が2度目の方もいらっしゃいますね。再びお会いできて私も嬉しいです(笑)。」

井上師は、福田寺に加えて岩屋寺(兵庫県姫路市)の御住職も兼務されています。
岩屋寺への訪問以来の再会に、井上師と学生たちの間に穏やかな空気が育まれました。

御本尊様へのお参りを終えた学生たちへ、井上師が語りかけます。
福田寺の縁起が記された額(昭和11年の本堂再建にあたり真道法印により記された)

「福田寺が創建されたのは、今から1300年以上昔の飛鳥時代。645年のことだと伝えられています。645年というと、歴史の授業で習ういわゆる「大化の改新」の年です。お寺を開いた方は、法道仙人という方です。この法道仙人という方は、現在の兵庫県を中心にたくさんのお寺を創建し数々の伝説や逸話を残す方でして、以前皆さんに訪れていただいた岩屋寺も法道仙人によって創建されたお寺になります。」

「法道仙人は伝説的な方ですから、詳しいことは分からないことが多い方です。一説には、西国三十三所巡礼を創始した徳道上人がモデルではないかと言われています。兵庫県内には宗派を問わず法道仙人の伝説を残すお寺が数多くありますから、皆さんも兵庫県のお寺にお参りするときに法道仙人の伝説を探してみてくださいね。」
「法道仙人により創建された福田寺は、長い年月の経る中で残念ながら荒廃してしまったそうです。今から約400年前の慶長年間、教順大阿闍梨という方が福田寺を再興し、現在まで歴史を紡いでいます。」

「先ほど皆様にお参りいただいた福田寺の御本尊様は、再興された時期の少し前の室町時代、文正元年(1466)に造立された阿弥陀如来様です。詳しい来歴は分からないのですが、美しいお姿をされています。普段は幕の内におまつりしているので、そのお姿をご覧いただくことはできないのですが、今回特別に皆さんにお参りしていただきたいと思います。是非近くでお参りしてくださいね。」

井上師のご厚意により幕を上げていただくと、そこには金色に輝く精緻な文様が施された衣をまとう穏やかな阿弥陀如来様がいらっしゃいました。
秘仏御本尊・木造阿弥陀如来立像《文正元年(1466)造立》

「衣をご覧いただくと、細やかな文様が施されています。様々な図柄を組み合わせている点が特徴ですね。おそらく御本尊様が造立された当初に施されたものだと思います。優しく穏やかなお顔もとても丁寧に彫られています。」

暗闇の中に浮かび上がるように立体的な輝きを放つ衣の文様、そしてその文様を身にまとう御本尊様の美しいお姿に息をのむ学生たち。
さらに、横から御本尊様をお参りすると、私たちの方へ前方に傾いていらっしゃいます。
私たちのもとへと歩み寄りしっかりと私たちを見守ってくださっているような、そんな優しさが感じられました。
「福田寺には他にも古い仏様がいらっしゃいます。こちらの如意輪観音様は、御本尊様よりも数十年くらい昔に造立されたと考えられている観音様です。」

木造如意輪観音像《南北朝時代造立》

「それぞれの手には法輪や如意宝珠、蓮の花などを持っていらっしゃいます。そして、頭上には豪華な宝冠を、胸元には胸飾りを身に着けていらっしゃいます。」
木造如意輪観音像《南北朝時代造立》

「実は、これらは如意輪観音様が造立された当初のもの、つまり南北朝時代に制作されたものと考えられており、非常に貴重であると聞いています。ですので、こちらの如意輪観音様は国立博物館で展示されたこともあります。」

「こちらの如意輪観音様の詳しい伝来は明らかではありませんが、南北朝時代の装飾が伝えらえているということは、世代を越えて大切におまつりされてきた仏様ということだと思います。仏様に込められている先人たちの想いを大切に、今を生きる私たちもしっかりと次の世代へ伝えていきたいと考えています。」

◆後藤又兵衛の息づかいが残る山田の里

「福田寺のある姫路市山田町は戦国時代に活躍した武将・後藤又兵衛基次の生誕地と伝えられています。ですので、この地域には後藤又兵衛とゆかりの深い場所が伝えられており、福田寺もその1つです。」

「後藤又兵衛という方は、戦国時代に活躍した武将です。10年くらい昔の大河ドラマ「軍師官兵衛」で話題となった黒田官兵衛の家臣の一人で、黒田家の家臣団の中心人物である黒田二十四騎にも数えられた武将です。槍の名手であったことから「槍の又兵衛」とも呼ばれています。」

「黒田家の中で着実に武功を重ねた又兵衛ですが、ある時黒田家を出奔しました。理由は諸説あるそうですが、一説には黒田官兵衛の嫡男であった黒田長政と折り合いが悪かったためとも言われています。」
後藤又兵衛父母の供養塔

「黒田家を離れた又兵衛は、生まれ故郷であるこの山田の地に戻ったと伝えられています。浪人時代の又兵衛のことを伝える場所も残っており、浪人となった又兵衛を支えていた扶持米が作られていた田んぼが「又兵衛田(またべえでん)」と呼ばれ残っているほか、又兵衛が大蛇を討伐したとの逸話が残る「蛇塚(じゃづか)」があります。」

「福田寺は又兵衛の一族・後藤家の菩提寺であったと伝えられており、境内には又兵衛のご両親の供養塔が伝えられ、又兵衛も福田寺の仏様を篤く信仰していたと伝えられております。」

「生まれ故郷である山田の里で暮らしていた又兵衛でしたが、豊臣方として大坂の陣へ参加するために大坂へと向かいました。そして、真田信繁(幸村)などと徳川方と戦いましたが、奮戦むなしく討死されたと伝えられています。」
後藤家家系図(一部)

「こちらには後藤家に連なる方々をまとめた家系図があります。又兵衛から代を遡っていくと、平安時代の公家である藤原氏、そして大化の改新で活躍した藤原鎌足公へとたどり着くそうです。ですので、後藤家の家紋は「下り藤」ですが、又兵衛は武将として「下る」ということは縁起が悪いとして、逆さまにした「上り藤」の紋も使用していたそうです。」

「この家系図をご覧いただいてお分かりの通り、又兵衛の没後も後藤家の方々は代を重ねていらっしゃり、現在も全国各地に子孫の方々がいらっしゃいます。福田寺では、又兵衛の命日である毎年5月6日に又兵衛の菩提を弔う法要を行っており、後藤家の方々にご参列いただいております。」

「その際、後藤家の方々にお聞きすると、後に天下を取った徳川方と戦ったということから咎めを受けないためにも、江戸時代には「後藤」という姓を名乗らず、漢字を入れ替えて「藤後」や「東後」と名乗っていたそうです。」

「また、2016年の大河ドラマ「真田丸」において又兵衛を演じた哀川翔さんが福田寺を訪問されたことがあります。その際、後藤家の子孫の方々の御厚意で又兵衛が実際に使用したと伝えられている槍と袴を福田寺にお持ちいただきました。」

「哀川翔さんも熱心にご覧いただいておりましたね。こちらの写真がその時の写真です。実際に槍を持たせていただいたのですが、ずっしりと重く、槍の名手であった又兵衛の凄さを体感しました。」
後藤又兵衛顕彰碑

「山門の近くには、又兵衛の四百回忌にあわせて「後藤又兵衛顕彰碑」を建立しております。その顕彰碑の隣には「又兵衛桜」というシダレザクラが植えられております。こちらの「又兵衛桜」は、奈良県宇陀市に枝を広げる樹齢300年以上と言われる「又兵衛桜」の種を地元の方々の御厚意でいただき、発芽させた2世になります。」

「奈良県宇陀市の「又兵衛桜」は、大坂の陣で落ち延びて再起を図った又兵衛が隠遁したという逸話が残る屋敷跡に育つ桜です。山田町の地域の方々が中心となっている後藤又兵衛顕彰会の方々の「毎年咲く又兵衛桜を通して、地元出身の又兵衛のことを伝えたい」という想いが形となり、奈良から遠く離れた福田寺でもすくすくと育っています。」

猛将として名をはせた後藤又兵衛。
又兵衛が生まれ育った山田の里には、歴史の内に秘められた豪快で驕らない又兵衛のお人柄が息づいていました。
亡くなってから数百年経ても、郷里の偉人として地域の方々に親しまれている又兵衛。
今もなお、山田の里に暮らす地域の人々を快活に見守ってくださっているような心地を抱きました。

◆人々の営みとともに歩みを進める

「実は明治時代、福田寺は小学校となっていました。」
井上師のお話に学生たちは惹きつけられます。

庫裏《江戸時代建立》

「江戸時代から明治時代に時代が変わり少し経った明治6年(1873)、山田村を3つの学区にわけ、それぞれの学区に学校を設けたそうです。そのうちの1つが福田寺に設立され、「南山小学校」と言ったそうです。南山小学校は、後に他の学校と合併し、いくつかの変遷を経て現在の姫路市立山田小学校へ繋がっています。」

「本堂の隣に庫裏がありますが、当時はそちらの部屋が教室として使われていたそうです。いわば寺子屋のような形だったのかなと思います。福田寺が地域のこどもたちの学び舎であったと伝えられています。」

地域の方々の営みとともに歴史を紡いできた福田寺。
檀家の皆さん・地域の皆さんと作成した竹垣

井上師が微笑みながら道路の脇の竹垣についてお話しを向けます。

「この竹垣は、檀家の皆さんや地域の皆さんと力を合わせて作りました。福田寺の境内に育つ竹を120本ほど切り、このような形の竹垣にしました。竹というと軽いイメージがあるのですが、120本も切るというのは非常に大変。皆さんと一生懸命頑張りました。」

「福田寺はご覧の通り山手にあります。ですので、寺の者だけでは境内を維持して綺麗にするだけでもとても大変なのです。檀家皆さんや地域の皆さんには、このような竹垣のような境内の整備に加え、定期的な掃除や維持などにもご協力いただいています。このような、皆さんとの繋がりは福田寺の財産だと思います。これからも檀家の皆さんや地域の皆さん、福田寺へお参りに来ていただいた皆さんとともに福田寺の歴史を伝えていきたいと思います。」

◇参加学生の感想

 今回の福田寺への訪問では、天下をおさめた徳川方と戦った後藤又兵衛についてのお話が印象に残っています。

 江戸時代、咎めを受けないためにも「後藤」という姓も隠しながらも又兵衛の持ち物や逸話を伝えてこられた子孫や地域の方々の又兵衛に対する想いに心が動かされました。また、福田寺の御本尊様を戦国時代に生きた又兵衛も拝んでいたかもしれないと考えると、仏様が数百年前に生きた人々と現在を生きる私たちを繋いでいるように感じられて、仏様のお姿が古くから残る意味の大きさを感じました。

 また、今回福田寺を案内していただいた井上御住職の柔らかな人柄や御住職と一緒に竹垣を作ったお話を伺い、地域のコミュニティの中心となっている寺院はとても素敵なものだと感じました。

立命館大学 3年
福田寺
〒679-2113 兵庫県姫路市山田町南山田807