何げない日常に潜む日本文化~わび・さび~

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何げない日常に潜む日本文化
~わび・さび~

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「しんと静まり返った空間、苔むした石仏、美しく手入れされた庭、よどみのない凛とした空気…。歴史ある日本のお寺って、なんとも言えない独特なわびさび感がたまらなくいい」と、筆者は雰囲気で「わびさび」という言葉を使います。しかし、「わびさびって、どういう意味?」と聞かれると、「日本特有の美意識で、質素で古びた、寂しげな感じ。そこに美を感じるわけよ~」とあやふやな説明しかできません。そこで、今回は「わびさび」について調べてみました。

-「わびさび」とは

漢字で「侘び」「寂び」と書き、茶道や俳諧などの世界における美的理念のひとつだと辞書にありました。また、「わびさび」は、ひとつの単語ではなく「わび」と「さび」に別れ、それぞれに別々の意味や由来があるそうです。「茶道や俳諧などの」というワードがあるので、そこから探っていきたと思います。

-「わび」の意味、由来とは

「わび」は、古語である「侘(わ)ぶ」という動詞に由来し、気落ちする、困惑する、辛く思う、寂しく思う、落ちぶれる。という劣った状態を表す否定的な言葉で、そこから転じて「質素で簡素な暮らしをする」という意味になったそうです。
そういえば、茶道のひとつの形式に「わび茶」がありますね。「茶の湯(=客を招き、茶を点て、振舞うこと)」は、室町時代中期以降に確立し、豪華な茶器を使って盛大に行う「大名茶会」と呼ばれるものと、そうでないものがあったそうです。そうでないものを「わび茶」といい、村田珠光から始まり、武野紹鴎(たけのじょうおう)、千利休がその形成に大きく貢献したといいます。

「わび茶」は、物事面における不足や欠如、欠乏、不自由を肯定し、簡素で閑静を楽しむ茶の湯のこと。すなわち場所や道具にこだわるより精神的なものを重要視することが「わび」という概念になったそうです。余談ですが、「わび茶」は安土桃山時代に流行し、千利休のように簡素で閑静な茶の湯を好む茶人を「侘び数寄(すき)」といいます。
武野紹鴎は「わび茶」の精神を表しているものとして「見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」という藤原定家の歌をあげているそうです。~当たりを見渡すと、桜の花はもちろんモミジすらないんだな。漁師の小屋が点在する浦の秋の夕暮れは~という感じでしょうか。華麗なものを一切そぎ落とした世界の美しさ。それこそが「わび」の心だということだそうです。なんとなくわかる気がしますね。

-「さび」の意味、由来とは

「さび」も古語である「さ(寂)ぶ」という動詞からで、古くなる、色あせる、錆びる。という意味があります。時間の流れによる劣化や生命力がなくなっていく様子を表し、こちらもネガティブな意味合いを持つ言葉ですね。それが転じて、古くなることで出てくる味わいや、朽ちていく様子に対して、美しいと感じる心に美を求めるのが「さび」の意味であり、由来だそうです。この「さび」という概念を「わび」と同じく、重要視にしていたのが、俳人・松尾芭蕉だといいます。

芭蕉の俳句の中で「わび・さび」を表現した代表的な俳句があります。みなさんもよく知る「古池や 蛙飛び込む 水の音」「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」。
この句を読んで、質素さの中の美や、古く寂しい空間な中にある美を感じることができでしょうか。
なんとなく「わびさび」とは、日本的で独特な美意識であることわかったような気がしませんか。私たちが歴史あるお寺などを訪ねた時に、「質素さ」や「古さ」「閑静」を肌で感じ、教わることもなく「これぞ、わびさび」だと感じるのは、やはり日本人だからこそなのかもしれません。という筆者ですが、学生のころは歴史ある寺社を訪ねても「なんとも言えない独特なわびさび感がたまらなくいい」なんて思ったことがありませんでした。これも時が流れ、自身が枯れてきたからなのだろか…。そこに美を追求したい今日この頃です。
ライター:惣元美由紀
画像素材:PIXTA