身近な日本文化を学ぶ ~桝~

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日本伝統の計量器「枡」について

『酒は憂いの玉箒(たまははき)』と言いながら、心配事や悩み事もあまりないにも関わらず、筆者はほぼ毎日適量のお酒を飲んでおります。先日、そのお酒が切れたので、いつも注文している酒蔵からお酒を取り寄せたところ、2月ということもあってか枡が一緒に送られて来ました。自宅で枡にお酒を入れて飲むことはないのですが、居酒屋などで日本酒を注文すると、枡の中にグラスを入れて提供されます。目の前でなみなみとついでもらい、グラスからあふれた枡の中のお酒の量でその店の心意気を感じたりもします。このスタイルを「もっきり」と言い、量り売りが中心だった江戸時代に、枡ぎりぎりいっぱい注いで売っていた「盛り切り」という言葉がルーツだそうです。

「枡」の歴史

さて、その「枡」。酒器や豆まきの豆を入れる容器、また、数年前にはSNS映えスイーツの容器として話題にもなりましたが、もともと体積を計量する道具。なんと1300年の歴史があるといわれ、奈良の平城京跡近くからは現在主流となっている四角い木製の大小の枡が出土しているそうです。
度(長さ)・量(体積)・衡(質量)は中国・朝鮮から日本に伝わり、701年(大宝元年)の大宝律令において「尺・升・斗」などが制定され、これが日本の度量衡制度の始まりと言われています。奈良時代の前なので、飛鳥時代から枡は存在していたんですね。

ところで、度量衡の単位は世界的に統一方向にありますが、現在の日本において建築や和裁などでは、「曲尺(かねじゃく)」や「鯨尺(くじらじゃく)」という古い道具が使われていて、今でも「尺」という単位が用いられています。三尺帯、六尺ふんどしなんていうのを見聞きしたことはあるのではないでしょうか。

また、江戸時代から昭和中期まで使われていた「さおばかり」。これは、てこの原理を利用し、重り(分銅)の位置をずらすだけで重さが測れるという、コンパクトでシンプルなもの。現在も小学校の教科書で紹介されているようなので、この道具を知っている人は多いかもしれません。

                          

現在の枡の容量は秀吉が決めた!

長さや分銅の重さは、昔から大きく変わることなく現在に伝わっていますが、「枡」の容量に関しては、時代によって、地域によって変化しています。奈良時代には大枡と小枡の2種があり、大きな枡1枡は現在の約4合(720ml)に該当すると考えられています。これが、大宝令の制定により公定枡として指定されていたようですが、豪族や荘園の勢力が大きくなる平安中期以降は、政治の混乱に乗じてさまざまなサイズが登場。それではいかんと、後三条天皇が乱れた枡を統一し、延久宣旨枡(せんじます)が公定枡として制定されます。鎌倉時代から室町時代には、再び、多様なサイズの枡が用いられるようになり、豊臣秀吉が1升を10合と統一しました。京都で発令したのでこの枡は「京枡」と呼ばれ、江戸時代の一時期に江戸枡が登場しますが、1669年に京枡以外の使用が禁止され、現在に至っています。
現在の生活では、枡を使用する機会がほぼなくなっていますが、枡の単位として「一合炊き」や「一升瓶」という言葉は今も私たちの生活の中に息づいています。また、酒器として、神社仏閣で行われる節分行事など神聖な行事、結婚式などの祝いの席でも使われています。古くは飛鳥時代から使われてきたであろう、日本の伝統の道具「枡」。さすがに容量を計ることは生活の中でなさそうですが、枡に清い酒を注ぎ、その歴史を感じながら飲むのも一興かなと思う次第です。
ライター:惣元美由紀
画像素材:PIXTA