何気ない日常会話に潜む仏教用語 其の一

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何気ない日常会話に潜む仏教用語 其の一

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私たちは、日常の生活の中でそうとは知らず仏教用語を使って話しをしていると言います。同じ意味で使われているものもあれば、まったく異なる意味として使われるものもあるようです。本来の意味を知ると、その言葉を深く感じることができますし、なぜその言葉が使われるようになったかの由来を知るとさらにその言葉自体にも納得できるかもしれません。この記事では、筆者や、筆者の身近にいる人たちとの何気ない会話から仏教用語をご紹介していこうと思います。今回は、筆者の愛犬とのやりとりです。
「そんなところで、何、うろうろしてるの?
 あ! おやつ?
 頂戴、頂戴してもダメ~。
 まだ早いから、もう少し我慢して!」

すると、愛犬はお布団の上に行き顎を突き出して寝転び、退屈そうな表情で筆者を上目遣いで見つめます。また、その姿が超かわいいのです。
これは、ほぼ毎日14時半ごろから行われる筆者と愛犬のやりとりです。
さて、この中に仏教用語由来の言葉はいくつあるでしょうか。調べて行こうと思います。

-「うろうろする」

あっちへ行ったりこっちへ行ったりする様子を言いますが、「うろうろ」は漢字で「有漏」と書くそうです。漏れるものが有るという意味で、煩悩のことだそうです。「うろうろする」とは本能や欲求に翻弄されている様子ということになるでしょうか。ちなみに、煩悩がないことを「無漏(むろ)」と言うそうです。

-「頂戴」

仏教の教えや経典などを、頭の上にのせ頂くことで、最高の敬意を表す行為のこと。

-「我慢」

仏教用語で「我慢」とは、自我の慢心という意味だそうです。慢心とは、うぬぼれて、他を軽んじる。要するに思い上がりの心。それが転じて、我を張ること、強情なことを「我慢」と言うようになったそうです。

-「布団」

坐禅の時に敷く敷物のことで、中に蒲(がま)が詰められたもの。蒲の葉で編んだものもあるそう。もとは「蒲団」と書いたようです。仏教用語というよりは、仏教用具ですね。
※蒲:きりたんぽのような姿の植物のこと。

-「退屈」

することがなくて、ヒマなことを言いますが、もとは「仏道修行の厳しさに屈し、逃げ出してしまうこと」を意味するそうです。仏道の世界で生きることを目指したが、志半ばで挫折し、逃げ出したはいいが、することがなくなりヒマ。そういう状態を「退屈」と言うようになったようですね。

-「超」

「超かっこいい」「超おいしい」など、最高にとか、すごくという意味で使います(反対の意味で使う場合もありますね)が、これも仏教用語。「超」とは、限界を越え、絶対無限の世界を感得すること、つまり「完全な悟り」を意味するそうです。また、「誰にでも通じる」という意味もあるそうです。
ということは、私と愛犬とのやりとりは
「そんなところで、何、煩悩(本能や欲求)に翻弄されてるの?
あ! おやつ?
最高の敬意を表してもダメ~。
まだ、時間が早いのに、思い上がってる~」
すると、愛犬は坐禅の時に使用する蒲団の上に顎を突き出して寝転び、おやつを得ようとしたけど、目的を達成することの厳しさに心が折れ、その場から逃げ出してしまったはいいが、することがなくなりヒマそうな表情で、筆者を上目遣いで見つめます。また、その姿は誰にでも通じるかわいさなのです。
という感じでしょうか。日常会話(会話ではないですが)の中にこれだけの、仏教用語が入っていてびっくりです。
今日は朝からずっとお仕事で、愛犬の相手ができなかった筆者。今から彼女(愛犬は女の子です)のご機嫌を取ろうと思います。「機嫌」ももとは「譏嫌」と書き、仏教用語です。譏(そし)り嫌われないように、頑張ります! 「頑張る」も仏教用語のようですが、終わらないので、今回はこの辺で。
ライター:惣元美由紀
画像素材:PIXTA