何げない日常に潜む日本文化~お寿司~

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何げない日常に潜む日本文化
~お寿司~

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2013年12月にユネスコ世界無形文化遺産として和食(日本人の伝統的な食文化)が登録され、世界中で和食がブームとなっています。その和食ブームの代表的な存在ともいえるのが「お寿司」ではないでしょうか。ひと昔前まで「お寿司」は、お祭りや誕生日など人が集まる特別な日、いわゆるハレの日にしか味わえないご馳走だったような気がします。最近ではひと皿100円からと手軽に食べられるものとなり、ハレ晴れの日の特別なものという意識は随分と薄れてきましたが、それでもまだ私たちの意識の中には“お寿司は特別な日に食べるご馳走”という感覚は残っているようにも思います。日本が誇る伝統的な食文化「お寿司」ですが、その起源は日本ではないようなのです。

-お寿司の起源

お寿司の起源は、東南アジアでの魚や肉の保存食に由来するそうです。それが中国に伝わり、稲作文化と共に日本に伝わったのではないかといわれています。日本で最も古い文献に「すし」の文字があるのは、718年に成立した「養老令」で、その中の「賦役令」に【鮑鮓、貽貝鮓、雑魚鮨】という文字が見られます。養老律令は現存せず「令義解(養老律令の解説書)」に大部分が伝えられていますが、701年に成立した大宝令と養老令の内容は大差がないと言われているので、大宝令にも「鮨・鮓」という文字があったと思われます。奈良時代よりももっと前から存在していたということです。当時は、高貴な方の食べ物だったといいますから、文武天皇や藤原不比等、さらには天武天皇や持統天皇も食べていたのかもしれませんね。どのような味だったのでしょうか。想像するだけでワクワクします。

-お寿司の原型

以上のことからもお寿司の歴史はかなり古いことがわかりましたが、当時のお寿司は、私たちがイメージする、シャリにネタがのっているものではなく、魚を塩と米で発酵させた、いわゆる「熟(な)れずし」だったそうです。今でも、その原型を残しているのが滋賀県の名産「鮒ずし」。酢は使わず、ご飯は発酵させるために使い、食べるときにはそのご飯を取り除いていただきます。発酵によって独特な香りが生まれます。また、鮒ずしの歴史も古く、奈良時代の長屋王家荷札にも「鮒鮨」の文字が見られ、また、平安時代の「延喜式」の記載によれば、近江国筑摩厨(滋賀県米原市)から当時の朝廷に貢納されていたといいます。

-握り寿司の誕生は江戸時代後期

「なれずし」の形はかなり長い間続き、ご飯も一緒に食べるようになったのは室町時代だそうです。発酵の時間を短くした「なまなれ」が誕生し、保存食からご飯料理に進化しました。さらに、江戸時代になると「お寿司」は庶民も口にするようになり、江戸や京、大阪にも「すし屋」が登場します。そのころのお寿司は、ご飯に酢を混ぜ、その上に魚介類を乗せて落とし蓋をし、重しを置いて数時間後に食べるという「早ずし」というものです。そして江戸時代後期に「握り寿司」が登場します。当時の握り寿司は、今のようなひと口で食べられるサイズではなく、おにぎりぐらいの大きさだったと言います。握り寿司は「江戸前ずし」と言われるように、江戸で流行ったもので、京や大阪では、押し寿司や棒寿司などが主流でした。江戸前ずしに対し、押し寿司(箱寿司)、棒寿司、バッテラなどを総称して大阪寿司と呼ばれます。

-日本最古の寿司店

さて、日本最古のお寿司屋さんは、どこにあるかご存じでしょうか。奈良県吉野郡下市町にある「つるべすし 弥助」です。創業800余年の歴史を誇り、歌舞伎や人形浄瑠璃の演目「義経千本桜 すし屋の段」にその名が登場します。現在、「なれずし」は出されていないようですが、鮎寿司などを中心とした食事がいただけます。

筆者は、お寿司といえば思い出す出来事があります。筆者が通っていた小学校はなぜかお弁当だったのですが、ある日、母が朝から仕事でバタバタしていたので、お昼にお弁当を持って来ることになっていました。しかし、お昼に教室のドアを開けて入って来たのは、おかもちを持った寿司屋のおじさん。今では笑い話ですが、当時はとても恥ずかしい思いをしました。

お寿司の起源は、日本ではなかったようですが、保存食であった「なれずし」から、熟成期間を短くした「早ずし」、「押し寿司」、そして、新鮮なネタをのせて食べる「握り寿司」と変遷し、日本独自の食べ物として定着しました。「お寿司」というと、握り寿司をイメージする人が多いと思いますが、地方によっては、その土地ならではの郷土色豊かなお寿司があったりしますので、その種類はてとも豊富です。地方寿司を巡る旅をしてみるのも楽しそうです。
あまりにも有名な話なのでご存知だとは思いますが、「回転寿司」が世界で初めて誕生したのは昭和33年。東大阪にある「元禄寿司」です。この画期的とも言える大発明がなければ、今日のようにリーズナブルにお寿司を食べることができなかったかもしれませんね。
ライター:惣元美由紀
画像素材:PIXTA