何げない日常に潜む日本文化~扇子~

日本文化を探る

何げない日常に潜む日本文化
~扇子~

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-「厄年」とは

数年前からハンディタイプの扇風機が若い人を中心に流行っていますが、最近では年齢を問わず、暑い夏を快適に過ごす便利なアイテムとして広がっているようです。筆者もハンディファン、羽なしハンディファン、ネックツインファンの3種を持っていて、特に夏場の取材時には、首に掛けることができるネックツインファンが大活躍です。
しかし、ハンディファンの起源をたどると、日本の伝統工芸でもある「扇子」や「団扇(うちわ)」ですよね。扇風機やクーラーがない時代には、涼を運んでくれる道具として活躍していた「扇子」や「団扇」ですが、いつごろから使われていたのでしょうか。

-「扇子」と「団扇」の歴史

「扇子」と「団扇」の違いは、言わずと知れた形状です。扇子は使わないときはコンパクトにたためるのが特徴。一方、団扇は持ち手があり、その上に風を起こす部分が付いています。扇子と団扇では、団扇のほうが歴史は古く、高松塚古墳の女性群像の先頭の女性が、柄の長い団扇状の「円翳(えんえい)」を持つ姿が描かれています。これは古墳時代に中国から伝わった「翳(さしは)」が原型で、現在の団扇よりも柄が長く、貴人や女性の顔を隠したり、虫を払う道具として使われていたといいます。虫やハエを追い払ったり、災いを払う役目もあったという小型の「翳」を「打ち翳(は)」と呼び、その後「うちわ」と変化したそうです。

-「扇子」は日本独自の道具だった

「団扇」が日本に伝わってから約100年後、平安時代に折りたためて携帯しやすい扇子が発明されました。団扇同様、てっきり中国から伝わったものだと思っていたのですが、なんと、扇子は日本人が発明したものだったのですね。
その始まりは、平安時代初期。数枚の木簡(墨書のある木片)を持ち歩くために綴じて使ったのが扇子の始まりだそうです。これを檜扇(ひおうぎ)といい、当時は、扇ぐことが目的ではなく、宮中での複雑な作法を書き留めておくメモ帳のような役割を持っていたそうです。主に男性が公の場で使っていたそうですが、やがて檜扇に色や絵が施されるようになり、宮中の女性たちにも普及。女性の持つ檜扇は衵扇(あこめおうぎ)と呼ばれ、装飾品として好まれたといいます。現存する最も古い檜扇は、東寺(京都府)の千手観音像の腕の中から発見されたもので、元慶元年(877)と記されているそうです。
その後、竹や木の骨組みの片面に紙を張った「蝙蝠※扇(かわほりおうぎ)」が登場するのですが、「蝙蝠扇」がいつ誕生したかについては定かではないそうです。ただ「蝙蝠扇」は夏用の扇子だったようです。こうして扇は、平安時代の貴族の礼装に欠かせない必需品となり、礼儀やコミュニケーションの道具としても利用されるようになりました。「源氏物語」にも、檜扇や蝙蝠扇が登場する場面があり、扇いだり、女性が顔を隠したりするほか、自分の気持ちを歌にして贈ったり、人を呼ぶのに使ったりと、物語から扇のさまざまな用途を知ることができます。興味のある方はぜひ、その場面を探してみてください。
※蝙蝠:コウモリ

-日本の「扇子」がヨーロッパへ

鎌倉時代に、日本の扇子は中国を経由しヨーロッパへと渡ったと言われています。さらに、そこで独自の発展を遂げ、羽やレースを貼った洋扇が誕生しました。西洋では日本と異なり、最初から女性の持ち物だったそうです。
そして、中国で扇子は両面貼りとなり、室町時代に日本に逆輸入されて普及したといいます。鎌倉時代までは、貴族や神職など一部の人しか使うことができなかったそうですが、このころに庶民にも許可が出され、能や演劇、茶道などに用いられるようになったそうです。しかし、「涼」を取るという一般的な使用法が広まったのは、庶民文化が花開く江戸時代後期のことだそうです。

平安時代に日本で独自の変化を遂げ、1,200年もの歴史を持つ「扇子」。平安時代に誕生したことからも、京都の「京扇子」は有名で、国の伝統的工芸品にも指定されています。また、扇子の扇骨(せんこつ)と呼ばれる骨組みは、京都のお隣、滋賀県高島市安雲川町で生産されています。ここで作られる扇骨は「高島扇骨」と呼ばれ、日本で生産される扇骨の90%近くを占めているそうです。そのほかにも江戸扇子や名古屋扇子などがあり、産地により特徴が異なるというのもおもしろいですね。
「扇子」の歴史に触れると「扇子」に対する思いや見方も違ってきませんか。扇面の素材や絵柄などバリエーションも豊富な「扇子」は、私たちの生活に涼と彩を添えてくれるだけでなく、自分らしさを演出する夏のアイテムにもなりそうです。