何気ない日常会話に潜む仏教用語 其の二

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何気ない日常会話に潜む仏教用語 其の二

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私たちは、日常の生活の中でそうとは知らず仏教用語を使って話しをしていると言います。同じ意味で使われているものもあれば、まったく異なる意味として使われているものもあるようです。本来の意味を知ると、その言葉を深く感じることができますし、なぜその言葉が使われるようになったのかの由来を知るとさらにその言葉自体にも納得できるかもしれません。この記事では、筆者や、筆者の身近にいる人たちとの何気ない会話から仏教用語をご紹介していこうと思います。今回は、保育園から戻ると時々「遊ぼう!」と誘いに来る近所の3歳児、B君とのやりとりです。
B君「玄関まで来て~。外で遊ぼう。鬼ごっこしよう」
筆者「え~、鬼ごっこするの?」
B君「うん。逃げるから捕まえて。ベロベロバ~」
筆者「捕まえるぞ~」
B君「俺は必死で逃げるぞ~。覚悟しろ~」
タタタタタタッ、ドテ(B君コケる)
筆者「大丈夫? 血出た?」
B君「血出てない。大丈夫。ベロベロバ~」
そして、鬼ごっこで分が悪くなると、彼は変身して戦隊モノの主人公(ヒーロー)になります。
さて、生を受けて3年しか経っていないB君との遊びの中にも仏教用語由来の言葉はあるのでしょうか。

-「玄関」

生活の中で必ずここを通って家の中に入りますが、漢字を見ると「玄」の「関」ってよく意味がわかりません。「関」は「街道や国境の関所」「○○の関門を突破する」などと使われるので、何となく“入口”なんではないかと思いますが、「玄」の意味は何でしょうか。「玄」とは、「玄妙(げんみょう)=悟り」だそうです。
「玄関」とは、「玄妙な道に入る関門」、つまり悟りの道の入口だということです。建築用語かと思っていましたが、仏教用語だったんですね。

-「鬼」

一般的によく知られているのは、節分の日に「鬼は外」と追い払われる鬼や、「桃太郎」「一寸法師」などの昔話に登場する鬼たち。そして、最も身近にいるのが鬼婆(=母親)や、鬼嫁。ほかに、一生懸命仕事をする人のことを「仕事の鬼」、普段の顔とは全く異なる恐ろしい顔つきになることを「鬼のような形相」など、「鬼」という言葉は日常的によく使います。
では、仏教における「鬼」とはどのような存在なのでしょうか。筆者は毎年、節分の日には神社やお寺の節分祭(追儺会・鬼やらい式などとも)に行くのですが、赤鬼や青鬼、黒鬼などの鬼が登場するお寺があります。「鬼」は仏教と関係があるということですね。
ところで、お寺に参拝した際に「鬼」を見たことはありませんか。四天王像(増長天・広目天・多聞天・持国天)の足元をよく見ると、踏みつけられている鬼がいます。また、仏像ファンの中で人気の高い「鬼」と言えば、興福寺の木造天燈鬼・龍燈鬼立像。木造天燈鬼・龍燈鬼立像は、表情や姿がひょうきんでとても可愛らしいので、筆者も好きな仏像のひとつです。これらの鬼は「邪鬼」と呼ばれ、仏法を犯す邪神。四天王像に踏まれている邪鬼は懲らしめられている姿で、興福寺の木造天燈鬼・龍燈鬼立像は、「邪鬼」を独立させ仏前を照らす役目を与えられたものだそうです。この「邪鬼」について色々とご紹介をしたいのですが、そのようなコーナーではないので、この辺りで終わりにしますが、「鬼」は私たちにさまざまな災厄をもたらす存在。しかし、燈籠を持つ天燈鬼・龍燈鬼立像の姿から考えると、一度改心すれば、健気で憎めない存在とも言えそうです。

-「覚悟」

「悟」という漢字が入っているので、仏教用語ではないかと推測できます。「覚悟」とは真理をさとる。真理に目覚めることを意味し、煩悩(迷い)の世界から抜け出し、真理を体得することだそうです。『涅槃経(ねはんぎょう)』という経典の中に「仏とは、覚と名づく。既に自ら覚悟し、また能く他を覚す」とあり、仏とは自らが悟るだけでなく、ほかをも悟らしめると説いています。覚悟ができれば仏になれるということですが、仏とは仏教における最高の存在なので、「覚悟」という言葉を使うときは、かなりの覚悟が必要ですね。

-「大丈夫」

「寒くない?」「大丈夫」。「もっと食べる」「大丈夫」など、「大丈夫」という言葉は、日常でよく使います。
「丈夫」とは、健康で頑丈なさまを表す言葉として使われますが、やまと言葉で立派な成人男性、勇気があって強い男性のことを「益荒男(ますらお)」、または丈夫(大丈夫)と書いて「ますらお」と言ったそうです。「丈夫」という漢字は、古代中国で成人に達した男性のことを言い、その漢字が日本に伝わり、後に「ますらお」に「丈夫」という漢字が当てはめられた。確かにパソコンで「ますらお」と打つと「益荒男」「丈夫」「大丈夫」と変換されます。そして「ますらお」の中でも、より立派な男性のことを「大丈夫」と言ったそうです。そこからそのような立派な人が近くにいてくれれば安心だということから現在の「大丈夫」という意味に転じたそうです。
では、仏教用語どのような関係があるのでしょうか? 実は「大丈夫」の語源は古代サンスクリット語「マハー・プルシャ(偉大な男性)」が語源で、仏教において、頼れて、偉大な人という人称として菩薩が使われていたそうです。中国に偉大な存在である菩薩が伝わり、成人した立派な男性「丈夫」と「菩薩」のイメージが重なって、そこに「大」という美称・尊称を付けて菩薩のことを「大丈夫」と呼ぶようになったと言います。長々と書きましたが「大丈夫」とは、人々を救うために修行をしている「菩薩」様のことを称する別名ということになります。
先の挙げた「寒くない?」「大丈夫」。「もっと食べる?」「大丈夫」は、間違った使い方ということです。あなたが使っている「大丈夫」は、大丈夫ですか? これも間違いですね。

-「主人公」

映画やドラマなど主役、中心人物を主人公と言いますが、これ、仏教用語だそうです。「主人公」という言葉は、禅宗の思想から生まれた仏教用語だそうで、その意味は「本当(本来)の自己」のこと。
以上のことから、今回の内容はこういうことでしょうか。
筆者は悟りを開こうと修行をしている身なのに、可愛らしい声にまどわされ、外に出たとたん筆者は邪鬼にされてしまう。そして、B君は逃げながら、邪鬼になった筆者に対してこう言うのです。
「真理を悟れ!」
そんなことは知ったことではないと、邪鬼(筆者)は彼を追いかけ回し災厄を撒き散らします。
そして、彼は“コケる”という災難に見舞われます。
邪鬼(筆者)は彼のそばに駆け寄り、優しい言葉をかけるのです。
「あなたは立派な方ですよね? お怪我はありませんか?」
するとB君は
「俺は菩薩だ! ベロベロバ~」
と、変身し本来の自分の姿に戻るのです。
3歳児との「鬼ごっこ」ですが、すごい内容が詰まっています。

実は彼、変身する前にこんなことを言いました。
「俺は昔、死んでいたんだ。最初は女の子だったんだ。そして、秋になって小さな男の子になったんだ」。
聞いた時は吹き出すほど笑いました。“秋になって”という部分はよくわかりませんが(胎内記憶かもしれません)、この言葉通りだとすれば彼は生まれ変わって3回目ということです。まさに「輪廻転生」。人間としての経験値は筆者よりはるかに高いということになります。恐るべし3歳児。
ライター:惣元美由紀
画像素材:PIXTA