歳時記シリーズ 11月編 ~七五三詣~

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歳時記シリーズ 11月編
~七五三詣~

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日本には古くから受け継がれてきた行事や慣習が月ごとにあります。私たちの暮らしを彩るさまざまな年中行事や慣習も時代と共に形を変えて残っているものもあれば、姿を消してしまったものもあります。「歳時記シリーズ」では、毎月、和風月名と身近な行事や慣習について調べていきたいと思います。

-歳時記とは

「歳時記」は「歳事記」とも書くそうで書物のこと。筆者の母は随分と前から俳句を嗜んでいて、いつも「歳時記」を見ながら俳句を作っています。「歳時記」は、俳句の季語を集めたものだと思っていましたが、昔は、年中行事や季節ごとの植物や動物、生活の諸注意などが書かれた暮らしの百科事典のようなものだったそうです。

-11月の和風月名は「霜月」

今年のカレンダーも残すところあと2枚(1枚とういう方もいらっしゃると思いますが)となり、朝夕がめっきり冷え込む時節となりました。11月は和風月名で「霜月(しもつき)」と書き、霜が降りる月という意味だそうですが、朝夕の寒気が身にしみるとはいえ、実感としてはちょっと早い気がします。それもそのはず、「霜月」は旧暦の11月を指す月名なので、今年は11月27日(この日が旧暦の11月1日)からが「霜月」というわけなんですね。その頃には、確かに霜は降りていそうなので納得です。

-11月を代表する伝統行事と言えば「七五三詣」

そして、11月の伝統行事と言えば「七五三詣(しちごさんもうで)」ではないでしょうか。「七五三詣」とは、数え年で3歳の男女、5歳男子、7歳女子を祝う行事で、子供の成長の節目に産土神社または氏神神社(お寺でもいいそうです)に参拝して、無事に成長したことを感謝し、将来の幸せと長寿をお祈りする行事のことです。一般的には稲刈りを終えた11月15日前後に行うそうですが、雪の多いところでは、1か月早めて行うところもあるそうです。筆者の氏神神社を調べてみると10月中旬~12月上旬まで毎日「七五三詣」の受付を行っています。

-「七五三」の由来とは

では、なぜ3歳・5歳・7歳なのでしょうか。起源となる行事が始まったのは室町時代(1336~1573年)で、古くからある風習の3歳の髪置き(かみおき:男女とも髪を伸ばし始める)、5歳の袴着(はかまぎ:男子が初めて袴をつける)、7歳の帯解き(女子がそれまでの幼児用の帯をやめて、大人用の帯を使い始める)が由来だそうです。もともとは宮中や公家などの行事だったそうですが、この3つの風習をまとめて「七五三」と呼ぶようになり、江戸時代になると広く一般的に行われるようになったと言います。実は「七五三」は関東地方のみの風習だったそうで、明治以降に関西地方を経て全国に広まり定着したそうです。

-「七五三詣」はなぜ11月15日?

現在のように「七五三」を11月15日に行うようになったのは、五代将軍徳川綱吉が長男の徳松の健やかな成長を祈願したことからとされています。
11月15日は「二十八宿の鬼宿日(にじゅうはっしゅくのきしゅくにち)」と呼ばれ、鬼が出歩かないので婚礼以外は万事大吉。余談ですが、万事大吉と言うものの恋愛面では効果が見込めない日だそうなのでご注意を。また、11月は収穫を感謝する月でもあるので、氏神に収穫の感謝をすると共に子供の成長の感謝と祈願するにはぴったりの日だったのですね。
また、「三・五・七」という奇数は陽数で、古来より縁起の良い数字とされていたそうです。3月3日(桃の節句)、5月5日(端午の節句)、7月7日(七夕の節句)などの馴染みのある行事も確かに奇数が並んでいます。筆者は幼かったからか「七五三詣」の記憶はありませんが、母曰く「連れていきました」と言いますし、千歳飴を持ったすまし顔の写真もありますから、確実に連れて行ってもらっているようです。

そういえば、「七五三」とセットとも言える「千歳飴」。「千歳飴」は江戸時代、東京・浅草の浅草寺で売られていたものだという説や、1615年、大坂の陣のあった年に、大坂の商人が、浅草の境内で売り始めたという説があるそうです。どちらにしても江戸(東京)ですね。その時のキャッチコピーは「長い長い千歳飴を食べると千年もの長寿になる」ということだったそうです。諸説色々とありますが、いつの時代も親が子供の成長の無事を祝い、幸せを祈る気持ちは変わらないということだけは、よく理解できるのではないでしょうか。
ライター:惣元美由紀
画像素材:PIXTA