最上三十三観音霊場「石行寺」を訪ねる
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いろり端

探訪「1200年の魅力交流」

最上三十三観音霊場「石行寺」を訪ねる

山形県内を縦横無尽に、南北から東西に流れる最上川。その流域は、経済の大動脈としてだけでなく、観音信仰の流布という点でも大きな役割を果たしています。室町時代から遍路のコースとして、多くの巡礼者を集めていたのが、南は山形県上山市から北は秋田県境付近の鮭川村までのルートをたどる最上三十三観音。昭和62年(1987年)に開創555年を記念した「三十三観音子年連合御開帳」以降は、12年に一度、子年に開催されることとなっています。くしくも令和2年は(2020年)ご開帳の年でしたが、コロナ感染の影響により残念ながら翌令和4年と延期されてしまいました。

今回ご訪問したのは山形県の東南地方を代表する古刹である「新福山般若院石行寺」です。その開山は和銅元年(708年)、行基菩薩が竜山川下流で霊木を見つけ、その木でご本尊である十一面観音を彫って安置したことから、由来しています。その後、慈覚大師円仁が再興し、平安から鎌倉時代には瀧山修験の拠点として大いに栄え、「瀧山三百坊」と呼ばれるほど、隆盛したといいます。
今回のご訪問では、残念ながらご本尊こそ、ご開帳されていませんでしたが、御前立ちの観音像や、南北朝時代に納められた大般若経の一部も拝見することがかないました。そして、長年のサラリーマン生活を経て、50代にして僧籍を得た佐藤亮照住職からの心温まるメッセージでした。

「慈覚大師作とされます観音堂は『御作の御堂』と言われ、山形県の指定有形文化財となっています。開山当初、観音堂は行基菩薩がこの場所を訪れた際に、お釈迦様がいた霊山に似ているということで、観音堂を建てられたと言われています。その後、貞観2年(860年)東北を巡っていた慈覚大師様がこちらにこられて、粗末な寺を立派に中興された。それで天台宗に改宗したようです。
『石行寺』という名称は、ここは岩波地区という場所で、近くに竜山川が流れていて、波が岩に砕け、また非常に石が多く、そこを歩く様子から『石行寺』と命名されたのではないかと言われています。
観音堂の内部には、ご本尊の十一面観音菩薩様がいらっしゃいます。最上三十三観音七番札所で昔は50年に1回、ご開帳されていました。今は十二年に一度の子年に本尊のご開帳をしています。その前に御前立ちの観音様がいらっしゃいます。ここ10年ほど毎月20日には、副住職がここで護摩を焚いています。すると、このご縁から人が集まるようになりました。継続は力なりと実感しています。

文化財として、この観音堂のほかに、南北朝時代の文和2年(1353年)から永和元年(1375年)に写経された『大般若経』という経典も学者の先生方によって調査が進められました。『大般若経』は本来600巻ありますが、このお寺に現存しているのは114巻です。第100巻の最後の方には、今でいうメモ書きが遺されていて『国々両方合戦絶えず飢餓也』と書かれています。遠い都のことでも出羽の国にも影響が及んでいたことを記す書物として非常に珍しいとされています。
本堂にある御本尊は阿弥陀如来で、向かって右側が釈迦如来の座像、左側が千手観音菩薩の立像でございます。本来、阿弥陀三尊像は観音菩薩と勢至菩薩が両脇侍なのですが、なぜかお釈迦様がいらっしゃる。何か意味があるのかなと思います。

私自身、お寺は信仰の場であり、仏像は単なる美術品ではないと思っています。美術的にも美しいかもしれませんが、本来は仏様と1対1で座って相対して、何か話しかけてくれそうな雰囲気の中、何か癒されるようなお顔をしているとか、仏様と向き合うことが大切だと思っています。」

また、佐藤住職によれば位牌をお寺に預ける位牌堂が建てられているのは、雪の深い東北地方や北陸地方の日本海側に多いとのこと。正面には、天台大師が中央に祀られ、その脇を伝教大師最澄と慈覚大師円仁の三尊形式で祀られています。
「伝教大師の言葉で『一隅を照らす』という言葉があります。私は最初、この言葉の意味が良くわからなかった。なぜかというと、私は寺に育ちましたが、次男で33年間会社勤めをしてから僧侶になりました。ですので、まだ僧侶になって20年ほどしかたっていません。
とても敬虔の深い仏教の大学を出られた方々と違って、私はどちらかというと理系のためか、1+1=2でなければいけないという思いに凝り固まっていました。性格的には白と黒、碁石のような性格でグレーはないというタイプ。会社の組織というのは業績優先で、まず数字が問われる世界です。ところがサラリーマンを辞めてみると、案に反して、仏門もさることながら、我々の数字至上主義とは違った世界があることに気づきました。


そのキッカケになったのが、社会見学で、寺に訪れた地元の小学生の女の子からの素朴な質問からです。お寺を一通り案内して、最後に「質問ないですか?」と尋ねたんです。すると、一人の女の子が手を挙げ「和尚さま、お寺って何をするところなの?」って、聞かれたんですよ。これにはドキリとさせられました。
一瞬、簡潔に「お寺は法事、葬式をするところ」って答えそうになり、言い淀みました。あとは、観光かなとも考えました。
ところが「ちょっと待てよ」と、私の頭に3つの答えが浮かんだんです。その問いが私の住職人生にとって大きな転機となったのです。
お寺の役割とは何か? 
まず1つ目は、文字通り法事、葬式をする場所です。葬式仏教という言葉がありますが、お寺はご先祖様に感謝する場所で、ご先祖様あっての我々だと思いを巡らせること。そして感謝する場としてお寺が必要ということです。

2つ目は、現世利益をお願いする場所。ここは元々祈祷のお寺です。観音堂には色々悩みを抱えた方が願い事をしにこられます。交通安全とか身体堅固とか幅広いですが、手を合わせお願いする場ということです。

そして3つ目は、私は一番大事だと思っていることです、それは自ら仏道修行するとともに仏様の教えをわかりやすく伝える場であるということです。私が仏門に入って一番最初に疑問に思ったのは『南無阿弥陀仏ってどういう意味だ』ということでした(笑)。お経って何が書いてあるんだと不思議に感じたものです。ちなみに般若心経は『空』という仏教の教えを説いたもの。南無阿弥陀仏は、『阿弥陀様に帰依します。阿弥陀様にお任せします』という誓いを述べています。例えば、観音様お参りするときは、『南無観世音菩薩』とお願いします。その日に経典をわかりやすく、自分の経験を交えてお伝えするのが、お坊さんの役割ではないでしょうか。幼稚園の子供さんには、子供の目線など、その場に最も適した話題を通じて、お檀家さんにも仏様の教えを理解してもらいたい。毎回、そのような気持ちで法事や葬式に臨んでいます。
さらに言えば、最近のお寺は敷居が高すぎるので、法事の時だけでなく、ちょっとお茶を飲みに来るとか、散歩がてらに寄るような気軽に立ち寄れる場所でありたい。だから私は寺のホームページやお寺でお配りしている小冊子にも『生きている人のための寺でありたい』というメッセージを掲げています。これが、私の強い想いです。
人はそれぞれ遠めに見ているだけではわからない、深い悩みを抱えている方が大勢います。お檀家さんの中にもいらっしゃいます。例えば、ちょっとした雑談をしていれば、「俺もう死にたい」と吐露する人がいるかもしれません。他にも「もう仕事辞めたい」とか「母ちゃんと喧嘩して…」とか「子供がよお、非行に走って」とか、他愛のないことから深刻なことまで、坊さんだから話せることがあるかもしれません。私自身は、ズバリと答えは出せませんが、傾聴ですね。話をお聴きすることだけでも全然違う。悩みを打ち明けた人の7,8割はほっとして帰られます。お寺の敷居を下げるというのは古刹であるほど、実現は難しいですが、そういう場でありたいと心から願っています。」
また、佐藤住職は社会貢献活動にも積極的に参加。社会福祉法人「山形いのちの電話」のボランティアに参画するなど、今も多方面で活躍しておられます。そんなご住職から若者たちに期待を込める言葉でエールをいただきました。

「これから社会に巣立っていく皆さんにお伝えしたいことがあります。伝教大師のお言葉に『忘己利他』というのがあります。文字通り、己を忘れて他人に尽くすこと。今でいうとボランティアなど、自分のできる範囲のことに無理せず取り組むことを目指してほしい。これで思い出すのが、石垣島に自生している蛭木のことです。河口や海岸沿いに根を張る蛭木は海水で育ちます。なぜかというと、海水を吸い上げる時に、ある1枚の葉だけが、吸い上げた海水に含まれる塩分を吸収して、他の葉に真水を送り込みそうなんです。だから他の葉が元気に海水でも生きていけます。
2つ目は、結果ではなく過程を重視せよということです。そして、結果には執着しない、こだわらないことが大事です。

最後に、命を大切にしてくださいということです。毎年自殺者というのは全国で約2万人。山形県に限っても約250名が亡くなっています。山形県は人口比でワースト10に入ります。今、若い人の自死が増えているんです。また40代、50代の中堅社員が上司と部下の板挟みで亡くなるケースも多いそうです。命って誰のもの。それは仏様のものです。あなた方自身のものではありません。大事にしなきゃいかん。就職してつらいことがあると、鬱になることもあります。なかなか話ができる人がいないとか、就職して単身で独りぼっちだとか、そういう人は陥りやすいです。
『一隅を照らす』という伝教大師のお言葉の話をいつもしています。自分の置かれた立場で、できることをやればいいんだよ。それが国の宝だよ。それこそ私の伝えたい言葉でもあります。これまでの私の思いは、お伝えしましたけど、いろんな坊さんがいるんだなあと思ってもらえれば幸いです。」


参加大学生の感想

ご本尊の前で和讃をお唱えしました。音程が記されている楽譜のような紙をみながらお唱えしましたが、音程をとるのが非常に難しく、繊細な音程をとらえることができませんでした。佐藤ご住職の和讃の詠唱を聞いていると、葉っぱや花びらがひらひらと舞っているような、穏やかな感覚を覚えました。今まで和讃をお唱えする機会はほとんどなかったので、非常に新鮮でした。


佐藤ご住職の「お寺は生きている人のためにある」というお話がとても印象的でした。情報伝達手段や教育制度も限られていた過去の時代に、お寺という存在は、地域に住む人々の意思や思いから離れてしまうと、とても続いてこなかったのではないかと思います。だからこそお話いただいたように、人々に寄り添って、生きるための力を得られる場所であったからこそ、お寺というものが長い歳月を経て続いてきたのではないかと思いました。
石行寺を訪問して、伝教大師が遺されたお言葉「忘己利他」や「一隅を照らす」を自分の中にまたひとつ深い段階で落とし込めたように感じました。また菩提寺に参拝し、ご住職とお話しをしてみたいとも感じました。そして先祖への感謝の気持ちを深めていきたいと思いました。


佐藤ご住職が情熱をもってお寺の在り方を模索し「命」を見つめ続けている印象を受けました。仏教では、あらゆる生き物の命は仏様のものであるとされ、すべての生き物は繋がりによって生かされていることを示していると聞きました。命を見つめていくことによって周りの人との繋がりを大切にして、自分自身の生を直視していくことが今を生きる上で重要なヒントになることを学ばせていただきました。
石行寺
〒990-2403 山形県山形市大字岩波114-1

山形県お寺巡りダイジェスト映像(約19分)

山形県お寺巡りの様子(記事)