いろり端
探訪「1200年の魅力交流」
木造千歳山大佛、修復中の「平泉寺」を訪ねる

では、なぜ「平泉寺」には、今も「千歳山大佛」の仏頭が残っているのでしょうか。その由来を含め、山の麓にあるお寺を訪ねて、御住職に話を伺いました。



この伝説の池を眺めつつ、杉の林を登っていくと、目の前に忽然とご本尊の大日如来が納められた「覚王殿」、通称「大日堂」が現れました。事前の情報では、このお堂の中に、ご本尊の大日如来と千歳山大佛の仏頭も祀られているといわれているので、百聞は一見にしかずと堂内に入ると、その天井からは「大日如来」と書かれた提灯がさがっていて、堂内を二分するように仕切られた格子の結界の先には、お厨子に納められた秘仏の大日如来、両脇に広目天と増長天などのご尊像が祀られていて、その迫力に圧倒されました。


最後に公開したのは昭和56年(1981年)のこと。茅葺だった大日堂を銅板に葺き替えた際でした。これが嘉永以来130年ぶりのご開帳になったそうです。先代の住職も一度も開帳しないまま亡くなりました。私もこのままいけばご開帳しないまま終わるかと思います。
実は、毎年4月28日の大日堂のお祭りの前日に、お厨子の扉を開けています。そして仏さまの状態を確認し、お祭り当日は、火が飛ばないよう金襴の戸帳をかけて扉を開けて護摩を焚きます。」
「ここは古いお寺なので、色々な仏像が祀られています。ご本尊の両脇にいらっしゃいます平安時代の広目天と増長天は、本来四天王だったと寺伝には書かれています。寺伝には『あとの二天はボロボロになって大日さまの宮殿の下に納まっている』とあったので、宮殿下をあらためてみますと、たくさんの仏さまの断片がありました。組むと60センチほどになる如来さまの断片も複数ありました。


「内陣の両側にはお不動さんとお地蔵さんがおられますが、いずれも江戸時代のものだと推測されます。このお地蔵さんは古伝に元和元年(1615年)の3月24日に、山形の城下にある地蔵堂から飛んできたと逸話があります。この日参道の杉の枝に一尺ほどのかわいらしいお地蔵さんが引っかかっていたそうです。元の場所に戻して、台座の上にぐるぐる巻きにしたところ、またどこかに飛んで行ってしまいました。探していると、案の定平泉寺境内に鎮座していたといいます。そこで、こちらでお祀りすることになりました。その逸話に基づいて『飛地蔵』と呼ばれ、それ以来秘仏となっており、今ご覧いただいているのはその御前仏なのです。」

「こちらの大仏さまは、江戸時代の寛文年間(1661年から1673年)に建立され、天保3年(1832年)火災で焼失してしまった大仏さまの頭部を再現したものです。はじめの大仏さまのモデルとなったのは、豊臣家が建立し徳川家が修復した京都の方広寺の大仏さまです。将軍様が京都の東山に大仏さまを建立したのを目の当たりにした徳川譜代の大名の奥平家が、それに倣って領地山形の東の山裾に建てられたのです。


この大仏さまは頭に鉢巻きを巻いていますね。これは2011年の東日本大震災のころから傾き始めたのがここ1~2年ほど、ひどくなってきたので応急処置として、鉢巻きを巻いて傾きを抑えています。年々、傾きが激しくなり隙間が空いてきているので、2021年の8月から10月末にかけて、自立できるように修理することを決めました。お金に余裕のない寺ですからクラウドファンディングなどで寄付を募るのもいいかな、とも思いましたが、このタイミングで新型コロナが流行したため、世の中が厳しい時にこんなお願いを皆様にするのもどうかと考え、まずは修理の様子を三密を避けながら公開し、来られた方にご納得いただいてご寄進をお願いすることにしました。
少しでも広く浄財を募ることができればと思いますので、ぜひご協力のお声がけもお願いいたします。」

大日堂の下、境内手前の客殿には、平安後期のお釈迦様が中央に祀られ、向かって右には、天台大師像が、左側には伝教大師像が安置され、中興の祖である慈覚大師からの連綿とした信仰のつながりを感じずにはいられません。御住職はこうもいいます。

内陣の伝教大師像の前に祀られている小さな伝教大師最澄像を手にとって話を続けた。
「このお像の台座の裏には先々代の住職がこんなことを書いていました。」

『俊田(大僧正) 宗議員として感ずる処あり 宗祖大師生誕千二百年を記念し
宗祖の御像を檀信徒に広く讃仰せしむ可く 宗議会に請願 採択となり 一宗
として製作された記念の御像である 作者は名古屋の名工の由である
昭和四十一年 俊田六十三歳』
「このお寺のお檀家さんの家にお盆でお伺いしますが、古いお檀家さんの御仏壇にはこの小さな最澄像が鎮座していますので、お檀家さんには割と身近な存在なのかと思います。
また、山門を入った所にある釣鐘、あれはちょうど50年前の昭和46年(1971年)に『伝教大師1150年御忌』で落成したと書いてあります。天台宗は歴史の長い宗派なので、こうした儀式や行事などの機会も多い。その都度、何かを祈念することで最澄さんの教えがちゃんと続いていることを確認し、伝教大師の教えに想いを致すいい機会が御遠忌なんだと思います。
また、山門を入った所にある釣鐘、あれはちょうど50年前の昭和46年(1971年)に『伝教大師1150年御忌』で落成したと書いてあります。天台宗は歴史の長い宗派なので、こうした儀式や行事などの機会も多い。その都度、何かを祈念することで最澄さんの教えがちゃんと続いていることを確認し、伝教大師の教えに想いを致すいい機会が御遠忌なんだと思います。

大佛頭部の修理の様子は、修理を手掛ける「東北古典彫刻修復研究所」https://twitter.com/tohkokenでも逐次、公開されています。長い年月をかけて、信仰を集めた仏像が維持されている裏側には、多くの人たちの思いが込められていることを感じました。
参加大学生の感想
●千歳山平泉寺を訪問して印象に残ったのは、大仏の頭部の木像である。大きさは丁度、私の身長(1.8m)ほどで大仏を間近で見たことがなかった私は、非常に大きな衝撃を受けた。過去の火災で大仏の全身が消失してしまったため、再興が計画されるものの経済的な影響で頭部のみが製作されたようだ。大仏の全身の復元とはならなかったが、檀信徒の方々の力添えによって現在の大仏の頭部がある。
大仏の復元には莫大な浄財が必要になるが、それを為そうとした当時の檀信徒の方々には、何としても大仏を復元したいという想いがあったのだろう。その想いは、仏様の教えによって心が安らかになり、その教えが心のより所となっていたから出てくるのだと思う。お寺を護り続けてきた檀信徒の方々には心のより所となる仏様の教えがあったのだろう。
大仏の復元には莫大な浄財が必要になるが、それを為そうとした当時の檀信徒の方々には、何としても大仏を復元したいという想いがあったのだろう。その想いは、仏様の教えによって心が安らかになり、その教えが心のより所となっていたから出てくるのだと思う。お寺を護り続けてきた檀信徒の方々には心のより所となる仏様の教えがあったのだろう。


平泉寺
〒940-2401 山形県山形市平清水番外1
〒940-2401 山形県山形市平清水番外1
山形県お寺巡りダイジェスト映像(約19分)

人から人へと紡がれてきた
大切な想いや魅力について語り合う
地域で育まれてきた歴史や文化を語り合い、
新しい価値と出会います