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第4回 オンライン大学コラボフォーラム(前編)

株式会社 聖護院八ッ橋総本店について

児玉 まず初めに、聖護院八ッ橋総本店の歴史や会社の特徴についてお伺いいたします。

鈴鹿 聖護院八ッ橋総本店は創業が1689年(江戸時代 元禄2年)と言われています。

八ッ橋といえば柔らかい三角形のものを想像される方が今では多いかもしれませんが、本来の八ッ橋はお箏の形をした焼菓子で、創業当時から販売していたのはこちらになります。

生八ッ橋という柔らかいものが出来たのがいつかは文献がありませんが、1960年(約50年前)に生八ッ橋と餡をはじめて組合せ、1967年に三角形の餡入り生八ッ橋「聖」が登場しました。
八ッ橋には「米粉」「砂糖」「ニッキ」を混ぜ合わせたものという定義があり、これを守り続けて現在に至ります。
また、京都には14社が属している「京都八ッ橋商工業協同組合」があり、「焼いた八ッ橋を製造販売していること」が加盟条件です。つまり八ッ橋は何かという昔からの伝統を繋げることを目的としており、その中で、各社美味しいものを作り続けるために前を向いて進んでいます。

児玉 八ッ橋に定義があるというのは驚きでした。八ッ橋の定義を守りながら、各会社が商品の工夫をされているのですね。

鈴鹿 「八ッ橋」は固有名詞ではなく一般名詞のため、商標がとれません。そのため何を八ッ橋と言っても法的には問題が無いので、定義を守り、八ッ橋とは何かということを守っています。組合では、たとえば米粉ではなくもち米を使っている、または単ににっきの味のものを八ッ橋と称してしまう、などに対して、本来の八ッ橋が何かわからなくなることを防ぐため、指摘しています。

伝承の大変さやこだわり、伝統を守りながら新しい事を進めることとは

児玉 八ッ橋にとっての本物とは何でしょうか?伝承されてきた味へのこだわりとはどういったところでしょうか?

鈴鹿 まず、八ッ橋が300年続いた理由としては「おいしいから」の一言につきます。とはいえ同じレシピで同じ味をただ続けるだけでは「おいしい」に繋がりません。毎日味見をし、その時代に沿って味を微妙に変えていくことで、時代に取り残された味にしない、どんな時でも食べたらおいしいなと思ってもらえる商品を作れるよう心掛けてきました。大きく味を変えることはしませんが、日々流れに沿って味を変えていくことで、初めて食べる人も美味しいと思い、昔から食べていた人も懐かしいと感じられる、最終的な「おいしい」が同じというところ目指して商品開発を行っています。

昔からのお菓子屋さんはそうしたところが多いです。そのため、例えば原材料のお米は、何県の何米という決め方をせずにお米屋さんと話しながら、その年に一番自分たちのお菓子に合うブレンドを作っていただく。これが長く続くお菓子で一般的なのは、不作などで味が変わることが昔は特に多かったためでしょう。私たちは現在もその方法を守り、おいしさを一定にすることに力を注いでいます。

長崎 「ニッキ」といえば「八ッ橋」というイメージがあるのですが、なぜ「八ッ橋」に「ニッキ」を使用したのでしょうか?

鈴鹿 文献が残っている訳ではないので、正確な理由はわかりません。当初から使用していたのは確かなようだと聞いています。

ニッキは高価な漢方として平安時代に入ってきており、薬として使われてきています。また、そもそも八ッ橋ができたのが、八橋検校(やつはしけんぎょう)さんのお墓参りに来られる方に向けて、茶店で出した事が始まり。この話を漢方のお医者さんにしたところ、全国から歩いていらっしゃるお客様の足の疲れを癒す目的もあり、当時入れられたのではとおっしゃっていました。

また、これは私見ですが、ニッキを使うことで他のお菓子との風味の差別化を図るという意味もあったのではとも考えています。

長崎 米粉は様々な地方の米をブレンドしているとおっしゃっていましたが、使用するニッキの産地は決まっているのでしょうか?

鈴鹿 こちらも米粉と同じで、産地は決めていません。現在は主にベトナム産を使用しています。ただし、ベトナムも情勢が変わってきておりニッキの取れる量も変化しているので、別の産地のものを利用していくことになるかもしれません。

ニッキの味が各八ッ橋屋の特徴があるようです。お客様によっては、利き八ッ橋をされるという方もおられて、聞いてみるとニッキで違いがわかるとか。

聖護院八ッ橋総本店のニッキは刺激が少なくて、風味は豊なものを使用するようにしています。この条件にあったものを、香辛料屋さんと相談して決めています。おそらく創業当初とはニッキの価値も違うので量も変わっているとは思いますが、こちらも同じく試食をして、美味しいと思う配分にしてきています。

長崎 使用するニッキも時代のニーズに合わせながら選んでいくということなのですね。では、伝統を守りながら、どのように新しいものを取り入れてきたのでしょうか?

鈴鹿 最も大きな変換は、生八ッ橋の誕生ではないでしょうか。生八ッ橋が生まれたのがいつかはわからないと先ほど言いましたが、おそらくは八ッ橋を焼く前の生地をしがんでいたのではと考えられています。今では生八ッ橋と八ッ橋の生地では、配合も原材料も少しずつ変わっています。時代のニーズにあわせて生地を柔らかくしていったのでしょう。定義を変えずに新たな食感を作り出すというのは、大きな変換だったに違いありません。また、この生八ッ橋に餡を入れ、現在の三角形の餡入り生八ッ橋が誕生しました。こちらが今では八ッ橋と言えばと思い描かれるように、一般的になっています。

今では全く別物に思える八ッ橋と生八ッ橋ですが、「米粉」「砂糖」「ニッキ」という八ッ橋の定義は同じであったため、生八ッ橋も八ッ橋のひとつ。結果、お土産物としてここまで定着していきました。まさに伝統を守りながらの大きな転換だと思います。

また、近年での事例を挙げると、京都の若い方にも楽しく食べてもらおうと、「nikiniki」というブランドを起ち上げました。こちらは生八ッ橋や八ッ橋を素材とみて、たとえばリンゴのコンフィやカスタードと生八ッ橋をあわせたり、生八ッ橋で様々な可愛らしい形を仕立てたり、八ッ橋を薄く焼いてさまざまな形にしたりチョコレートと合わせたりなど、多くの方に生八ッ橋を食べて頂けるよう様々な商品開発を行っています。
新しい取り組みである「nikiniki」の商品を通じて、若い方に生八ッ橋を食べてもらう機会を提供できれば、八ッ橋は「美味しいもの」だと感じてもらうことができ、元々の八ッ橋・生八ッ橋を知ってもらえるのではないかと考えています。

経営にとって歴史や文化はどのように関わりあうか

長崎 以前、経営者の方は歴史や文化について詳しい方が多いと伺ったことがあるのですが、鈴鹿さんにとって歴史や文化を学ぶことはどのように会社の経営に役に立っていますか?

鈴鹿 ビジネス面でも、精神の面でも、役に立っていると感じています。
今でも文化・歳時記に沿って動いている亊は多く、特に和菓子やお茶の世界では二十四節気を基準として動いている事が多いので、文化について知っていると、「いつ・どういうものが好まれるのか」という需要が分かりやすくなります。
和菓子だけでなく、すべての商品に当てはまるのかもしれませんが、最近のものと思われていても、文化軸に沿って動いているものは多いので、文化や歴史を知っているのと知らないのでは、仕事、商品作りにおいてのチャンスが変わってくると思います。

さらに文化や歴史を知っていると交流の場が広がります。例えば、京都の良さをお客様に伝える際、漠然と京都の良さを伝えるのではなく、文化や歴史、現代のことに常にアンテナを張り、土地や季節の魅力について知っていれば、より深い話をすることができ、京都のファンを増やすきっかけになります。お客様に喜んでいただくのは勿論、多くの方に京都に来ていただくことができ、京都の発展にもつながると考えています。

また、私自身、和歌を習っているのですが、季語を知っているとお菓子の名前を付ける時に季節感が伝えやすいです。たとえばとらやさんの「夜の梅」は古今和歌集から、など、和歌から名前をとっているお菓子は多くあります。何か名前を、と思ったときに和歌を知っていること、また季語を知っていることで、幅が広がっていく。お菓子や包材を作る際に、季節外れのモチーフを使うことはなくなる、という点でも役に立っていると思います。

そして何よりも、こちらは精神的に、文化に触れている時間というのはゆっくりと時が流れるので、慌ただしい毎日の中でほっと一息つける貴重な時になっています。これが一番大きな理由なので、経営者の方々が文化に詳しいというのは、ただビジネスに直接的に役立つからではなく、心の余裕を持つことが出来るからという理由が大きいのかもしれませんね。

鈴鹿 私が文化・歴史を学んで感じたことは、元々接点が無かったことでも、知っていくと面白く感じるようになるということです。

大学1年生で留学に行った時の話なのですが、海外の方は政治や文化を含めて自身の国の事をよく知っていました。彼らとお互いの国のことについてディスカッションしようとなった際、英語は話せても、ディスカッションする中身が備わっていないと感じることがありました。

それから、自分の国の事についてもっと知りたいと考えるようになり、京都に戻ってからまずは自分の街のことに触れて知っていくよう勉強していきました。
それにつれて、知れば知るほど好きになっていく。また好きなことが出来ればその部分をさらに掘り下げたくなってくる。この繰り返しで、ようやく自分の国や街について知識が増え、話せることも増えてきました。

よくグローバリゼーションと言われますが、単に英語が話せることがグローバル化ではないと思います。自分のこと、自分の国のことについて知って話す知識を持っている、それがなければいかに多国語で話せても、内容が伴わず深みが出ないとこの経験から実感しました。

児玉 日本のことについてもっと知っておかなければいけないということはオンラインフォーラムや魅力交流委員会の活動を通じて我々も感じておりました。
特に海外に出た際にそれを感じるなと思っており、日本の文化や歴史について自分たちなりのことばで話せるようになるのが、この活動においてのキーポイントだと考えています。

伝承することの大変さ、伝統を守りつつ新しい事を取り入れる必然性や、日本人が日本のことについてもっと知っておかなければならないという気づきもあった。
後編では、文化の大切さ、接し方など文化の本質に迫る議論が続きます。