聖徳太子ゆかりの「椿堂」特別御開扉
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いろり端

特集「一隅を照らす」

令和4年9月3日(土)~12月4日(日)

聖徳太子ゆかりの「椿堂」特別御開扉

かつて聖徳太子が比叡山に登った際、椿の木でできた杖をこの地に立てたところ、その椿が芽を出し葉をのばし育ったという伝承から、このお堂には椿堂という名前が付けられています。比叡山では、伝教大師最澄と同じく法華経の教えを大切にされていたという聖徳太子を重要視してきた歴史もあります。今年は聖徳太子が亡くなって1400年の御遠忌の年であるということで、椿堂の内部が一般の方に初めて公開されることになりました。
織田信長の焼き討ち後、およそ300年前の江戸時代に再建されたお堂の中に、千手観世音菩薩さまがお祀りされているのを拝観することができます。このお像も椿堂の再建以後の江戸時代ごろのものだろうとお聞きしました。お像は非常に綺麗な状態で残されており、大切に守られてきたことが窺えます。
注目すべきは、このお像の中に入っていた仏像(胎内仏)が、聖徳太子の時代と同じくらい古く、7世紀ごろに日本または朝鮮半島で作られたお像であるということです。今回公開された千手観世音菩薩像も、このお像の前身となる信長の焼き討ちに遭ってしまった時の椿堂の仏様も、もしかしたら聖徳太子の時代から大切にされてきたものをずっと守ってきてくださっていたのかもしれません。その長い歴史に触れられたことに感動を覚えました。今回の特別御開扉と同時に、延暦寺国宝館ではこの胎内仏も特別公開されます。椿堂の拝観と併せて、ぜひ聖徳太子の時代や受け継がれてきた信仰に思いを馳せてみてください。

聖徳太子は、早くは奈良時代から日本に仏教を広めた聖人として崇拝されてきました。飛鳥時代の日本にとって、仏は外国の神様のような存在でした。聖徳太子という存在を介して外来の宗教である仏教を受容することで、仏教を日本の文化として消化できたような側面もあったのではないでしょうか。
現代においても、宗派を問わず聖徳太子は大切な存在として認識されていますし、偉人としてのイメージは強く残されていると思います。法隆寺や四天王寺をはじめとする聖徳太子が残したお寺は日本を代表する文化遺産として、私たちにとって身近な存在です。私自身も法隆寺を訪問して、日本文化の魅力に取り憑かれた若者の一人です。聖徳太子は今もなお、私たちと仏教や日本文化とをつなぐ大きな役割を果たしてくださっているように思います。

(文・大学コラボプロジェクト学生)
〒520-0116
滋賀県大津市坂本本町4220

日時  令和4年9月3日(土)~12月4日(日)
場所  比叡山延暦寺西塔

公式サイト https://www.hieizan.or.jp/archives/5352