曼殊院、再建された宸殿と国宝・黄不動を訪ねる
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いろり端

特集「一隅を照らす」

令和5年特別公開

曼殊院、再建された宸殿と国宝・黄不動を訪ねる

【2023年6月29日訪問】
平安時代以来1200年を超える歴史を持つ曼殊院は、皇室とゆかりの深い京都五箇室門跡の一つです。江戸時代初期に建てられた数寄屋風建築が残されていることから、「小さな桂離宮」とも呼ばれており、当時の皇室文化を今に伝えています。

昨年、曼殊院にとってとても大切な建物が再建されました。歴代の天皇や皇族の方々の位牌を祀る「宸殿」というお堂です。かつて存在していた宸殿は明治時代のころ、病院の建設のために政府に上納されて失われていました。宸殿は門跡寺院の中核となる施設でもあり、その再建は長い間、曼殊院の悲願であったそうです。
そんな宸殿の完成を祝した落慶法要と合わせて、曼殊院を代表する文化財の一つである国宝、黄不動像が特別に公開されることとなりました。

今回、私たち大学コラボプロジェクト参加学生は、この特別公開に合わせて曼殊院を訪問し、宸殿と黄不動を拝観しました。
宸殿は、書院のすぐ西側、かつて宸殿があったその場所に、同じ大きさで再建されていました。渡り廊下を通って宸殿の方に向かうと、まず目に入ってきたのはこちらも新しく整備された大きな枯山水庭園です。

このお庭には、「盲亀浮木之庭(もうきふぼくのにわ)」という名前が付けられています。敷き詰められた白砂は大きな海を、大きな石は左が浮木を右が亀を表現していて、お釈迦さまが説法の時に用いたお話、「盲亀浮木」のエピソードがモチーフになっています。大きな海に百年に一度だけ水面に顔を出す盲目の亀が、たまたまその百年に一度のタイミングで水面に上がってきた時に、流木に一つだけ空いていた穴から顔を出した。というもので、確率的に考えた時に起こり得ないほど難しいことの例えとしてお話しされたものです。ここから、人間として生まれてくること、そして仏教の教えに出会えたということは決して当たり前のことではなく、非常に有難いことである、という意味合いがこのお庭に込められているそうです。

尚、左の浮木の石は天然記念物貴舟岩だそうです。
お庭の意味を伺った後は、いよいよ宸殿の中に入っていきます。まだ新築の木の香りが漂う堂内は、南北に三つのお部屋が並ぶようなつくりになっていました。その中の一番南の部屋で、今回特別公開されている黄不動像がお祀りされていました。
国宝に指定されている黄不動像は、いまからおよそ800年から900年ほど前の平安時代後期に書かれたものと考えられている絵画です。黄不動は第五代天台座主、智証大師円珍が、比叡山での修行中に出会ったという金色の光を放つ不動明王を描かせたものです。通常の不動明王像とは違い、体が黄色で表されていることから、「黄不動」と呼ばれています。
円珍が再興した滋賀県大津市の三井寺には、平安時代初期の国宝黄不動像が残されており、それを模写したものがこの曼殊院の黄不動像であると言われています。三井寺の黄不動が台座を描かないのに対して、曼殊院の黄不動は岩の上に乗った姿で描かれているなど違いもあるそうです。間近で拝観することができ、その力強い表情や体の表現の迫力に圧倒されました。
今回の特別公開では、黄不動像が愛知県立芸術大学で作成された複製のお像と並んで掛けられていて、作られた当初のお姿と現在のお姿を比べることができました。複製のお像と比べてみても、800年以上の時を経ていながらも彩色などが非常に綺麗に残っているのが印象的で、先人たちが丁寧に保管し、修復してきた歴史も感じ取れます。
 近年では2013年から2年間、黄不動は解体修理を施されているのですが、その時には黄不動像のおへそのあたりに別に小さな不動明王像が描かれた痕跡が発見されています。これは、古い文献にみえる、御衣絹加持(みそぎぬかじ)というものの痕跡であると考えられています。これは仏画を描く前に、絵を描く絹に清められた水で仏の姿を描くという清めの儀式だそうで、文献にみえる儀式が実際に行われていたことを示すとても貴重な発見であったそうです。文化財を未来に繋ぐためというのはもちろん、人々の信仰の歴史を明らかにしていくという点でも、文化財修理の大切さを改めて認識したお話でした。
今回の特別拝観を最後に、黄不動像は劣化を防ぐために秘仏として京都国立博物館に預けられ、今後は複製された黄不動像が曼殊院で掛けられることになるそうです。これからはこの新しい黄不動像とともに、曼殊院の信仰の歴史が紡がれていくことになります。


続いて、歴代の天皇や皇族のお位牌を祀る中央のお部屋を拝観しました。
中央に安置されているのは、平安時代に作られた国指定重要文化財の阿弥陀如来像です。そのお隣には、古くから曼殊院と関係の深かった北野天満宮でお祀りされていたという十一面観音菩薩像もお祀りされていました。
これらのお像はもともと書院の方に安置されていましたが、宸殿の再建に合わせて移ってこられたそうです。阿弥陀さまの優しい表情に見守られているような、暖かい祈りの空間が広がっていました。

最後に一番北のお部屋には、重要文化財に指定されている鎌倉時代の元三大師像をはじめ、阿弥陀如来像、薬師如来像、弁財天像など、曼殊院に伝わってきたお像が多く安置されていました。


これまで、寺院を訪れる際には、文化財に指定されているような古いものを見るという意識が強かったのですが、今回の訪問では、再建された宸殿、複製された黄不動像など、新しく作られたものに多く触れました。曼殊院の信仰の歴史に新たな一ページが刻まれるタイミングに立ち会うことのできた、非常に貴重な機会であったと思います。この宸殿が、多くの方々に親しまれて愛されるお堂になっていったら嬉しいなと願いながら、訪問を終えました。

(文・京都大学大学院2回生)
曼殊院門跡
〒606-8134 京都市左京区一乗寺竹ノ内町42