伝教大師最澄1200年魅力交流委員会委員 京都市長 門川大作さん
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いろり端

特集「一隅を照らす」

伝教大師最澄1200年魅力交流委員会委員
京都市長

門川大作さん

「伝統と文化」を語るのに、これほどの適任者はいないといっても過言ではありません。2008年(平成20年)から12年間、京都市政を率いてきた門川大作市長は、和装で公務にあたり、京都の広報マンとしても積極的に京都の魅力をアピールしてこられました。今回は大学コラボプロジェクトの3人が、1000年以上にわたって文化と芸術の中心をになってきた京都の魅力について、改めて質問させていただきました。長年、教育委員会の職務に携わってきた経験を元に、多くの「学生さん」を送り出してきた教育都市としての側面にも話題が及びました。

Q.京都にはたくさんの文化が残っており「京都=文化」という印象を持っています。 門川市長は「文化」とはどのようなものだとお考えでしょうか。また文化を繋げていくにはどういったことが必要だとお考えでしょうか。

文化というのは、定義が非常に難しい。「SDGs」という言葉を最近よく耳にするでしょう。あれは、2015年9月の国連サミットで採択されたもので「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称です。2030年までには達成すべき目標として、「誰一人取り残さない」をフレーズに17の項目を掲げています。ところが、17の目標の中に「カルチャー」という言葉がないんですよ。「何でやろう?」と思ったら、17の目標すべての根幹にあるのが「文化」なんです。
日本国憲法では、「健康で文化的な生活」というのが明記されています。これはすごいことなんですよね。文化的な生活というのは「ちゃんと食料がある」「水がある」「住むところがある」ということだけではなく、その根底に文化が大切ということなんだと私は思います。
 その中でも京都は「生活文化」を大事にしてきました。例えば、食文化というのは、食べる物だけではなくて、お茶碗、そしてそのお茶碗をつくっている人も含めての文化なんですね。

例えば、利休箸や祝い箸というのがあります。これって箸の両端が食べやすいように削ってありますけど、何でだと思います? 片方は食事をいただく私たちが使いますけど、もう片方の天井に向いた方は、神様仏様、御先祖様、それに料理をつくってくれた人や農家や漁師さん、運んでくれた人など全ての人に感謝の気持ちを表すために同じ様に用意しているんですね。ご先祖さんも含めて。お箸にそういう「哲学」が込められています。最近、食品ロスをなくすことが世界的に大きなテーマに。しかし、利休箸の意味を理解し、その背景にある文化を感じ取れば、おのずと先祖を敬い、自然、食物に感謝する。食品ロスは出さないと思うんです。料理をいただくために他の命をいただいて生かされて生きている。そこに感謝して、そしてそれを子孫につないでいく。ちょっと話が脱線しましたけど、この箸一つとっても、その意味を考えてもらうということが、文化です。また、京都に伝わる「日本の心」があります。その背景には宗教がある。自然との共生がある。そして支え合いの精神がある。社会包摂ですね。それを含めて、大切な文化と思います。
 1999年(平成11年)12月に策定した「京都市基本構想」という素晴らしい方針があります。策定当時、日本は、バブル経済が崩壊した大不況に、経済成長率の低下、少子高齢化等、社会の仕組みに大きな転機を迫るような事態となっており、京都も都市存亡の危機を向かえていました。全国では競争と規制緩和一色でした。しかし、京都市は基本構想の策定にあたり、市民ぐるみで議論に議論を重ね、一番大事なのは、千年を超えて紡がれてきた「京都市民の生き方」だとしました。そして、第1章に「京都市民の生き方」、つまり、京都市民の6つの得意わざである「目利き」「匠」「極み」「試み」「もてなし」「始末」を据え、これを大切に2025年までのくらしとまちづくりを市民の視点から描いた基本構想を策定しました。

「目利きーその本質を見る」「匠―精緻なモノづくり」「極みーとことん極めていく」「試みー常に挑戦していく」ということです。
 そして、「もてなし」と「始末」。もったいないは大切なことです。一汁三菜と言いますが日頃始末して、ハレの日は豪華にする。だから、例えば、祇園祭はあんなに豪華なものになるんです。
 決して京都は古いまちではありません。伝統をただ守り続けてきたのではなく、つねに挑戦し、進化し続けてきた先人の,京都市民の努力の積み重ねがあります。だから文化、伝統がつながっていく。こういった6つの得意わざ、市民の生き方を伝えていくのが文化を繋げていくのに大事だと思います。
比叡山の法灯は1200年もつながっています。それは常に芯を新しくするからです。そして常に新しい油を注ぐ。だから、伝統(「伝灯」)は伝わる。油を注がなかったら「油断」になる。これは比叡山のお坊さんからお聞きした話です(笑)。
 今コロナ禍で当たり前だと思っていたことが当たり前でなくなっています。人と会えない。会っても握手ができない。当たり前の反対語ってわかりますか? 感謝です。コロナ禍になってわかったのは、当たり前と思っていたことが有難いことだった。有ることが難しい、有難い。それが感謝につながります。
 コロナ禍でもう一度、当たり前だと思っていたことが有難いことだったということを気付けば、皆が支え合い、人々に自然に感謝の気持ちが湧いてくる。今のパラダイムの延長では人類に未来はありません。それを変えるのは、2050年ごろに50歳を迎え社会の中心を担う皆さんの世代。2050年にCO2ゼロの達成。それなくして人類の未来はない。ライフスタイルはじめあらゆる改革が必要。そのきっかけになるのも文化じゃないでしょうか?
 京都のまちの文化といえば、2022年度(令和4年度)中に文化庁は機能強化をして新・文化庁として、京都に全面的に移転することを決定しました。明治維新ですべての政府機関が江戸、東京に行きました。それ以来,初めての政府機関の移転です。その主旨は地方創生、文化で日本中を元気にする。そして、生活文化を大事にすること。さらに、より世界から尊敬される日本にしようとのこと。それに伴い、2017年(平成29年)には「文化芸術基本法」が改正され、文部科学省の設置法も改正されました。機能強化の一環として、地域文化創生本部が京都に創設され、京都への先遣隊の役割を担い準備がどんどん進んでいます。京都が文字どおり日本の文化の都になります。私自身も責任を感じると共に大変楽しみにしています。

Q.京都は学生の町であり、京都のまちが学生を育てていると感じています。門川市長は文化や伝承をしていく学生達(次世代)に何を担って欲しいとお考えでしょうか。

 京都はね、学生ではなく学生さんっていいます(笑)。ここは学生さんのまち。古いまちで、シキタリがうるさくて敷居が高い。なかなか人を寄せ付けないなんてことを言われますけど(笑)。
 私は京都に生まれ、育ってきましたが、京都は包容力のある街で、ちょっととっつきにくいとか、ちょっとイケズなところ(笑)はあるかもしれない。でも京都は古くから学生さんを大事にして、よそ者扱いしない懐の深いまちだと思っています。私自身、学生さんから学ぶことも多いし、学校を問わずどの大学もみな、素晴らしい。
 でもあえて、一言いうとするなら是非、京都のまち全体から学んでほしい。大学の枠を超えて、1200年を超える歴史とそこに伝わる京都の文化から学んでほしい。
 2019年(平成31年)1月に亡くなった哲学者の梅原猛先生から色々と学ばせていただきましたが、こんな話が印象深いです。梅原先生は仙台の生まれですが、18歳の時に東京で学ぶか京都で学ぶかで大変悩んだそうです。その時に「東京では100年の真理を学べる。京都なら1000年の真理を学べる、だから京都に来た」と。90歳になって「京都で学んでよかった」ということを、誕生日のお祝いに伺ったとき、しみじみおっしゃっていました。京都には1000年の歴史を学び1000年先を見通して今を生きることができる文化、歴史が息づいています。比叡山の法灯が1200年、現代につながっているように、京都のまちを歩いていると、そこかしこに古の歴史を実感させてくれる場所がある。「ここは紫式部が歩いていた時と同じ地名ですよ」とか。それが京都では普通なんですね。

Q.門川市長は「旅の本質を追求する観光戦略」を打ち出しておられます。寺社仏閣参詣は時代や社会情勢によって変化していると考えているのですが、門川市長は今の時代の「寺社仏閣参詣や寺社仏閣の価値や役割、そして観光の在り方」についてどのようにお考えでしょうか。

 私はよく「京都は観光都市ではない」と話しています。正確に言うと「観光のために作られた都市ではない」という意味です。観光も大事にしてきたまちではありますが、先ほどの話ではないですけど、寺院、神社、自然、景観、食、文化芸術、そして人々の「暮らしの美学」、「生き方の哲学」といった価値観も含めた「暮らしの文化」が京都の魅力となり、観光面でも評価されてきました。いずれも観光のために、作られたものではありません。その根本にあるのは、さきほどの「京都市民の生き方」、京都市民の6つの得意わざです。それに加えて京都に伝わる日本の心、神仏、自然に感謝する「祈り」ですね。
 旅の本質は何か。観光という言葉は、「観る」に「光」と書きます。「みる」という言葉はよく使う「見る」とか、世話をするという意味の「看る」、患部を「診る」ということもあります。旅というのは景色を「見る」ことではなく、心で「観る」ことであり、これこそが旅の本質だと思います。
 スランプに陥った作家が、京都に来てそして静かな生活を送る。そうすると、新しい発想が湧いてきた。あるいはスポーツ選手が京都のお寺で座禅に専心したことでスランプから立ち直ったとか、世界のスタートアップ(起業)した人たちが京都のお寺で、新しい発想を得たとかの話をよく聞きます。先の見えない混沌の社会にあって、静寂なお寺で自分と対話することもお寺の大きな役割ですね。
 旅の本質を追求するという点では、ウィズコロナ社会で、感染拡大防止と観光を両立させるため「3つの集中」を打破する取組に改めて挑戦していきます。ひとつは季節の集中。京都の観光客は桜の季節と紅葉の季節にどっと人が訪れる。そして、時間の集中というのもある。京都観光の7割は日帰りだから、昼から夕方に集中する。そして、場所も集中しています。この「3つの集中」を徹底して分散化していく。ビックデータ等も活用し、快適に安全に観光してもらい、観光の効果を市民の豊かさにつなげる取組となるよう、引き続き関係者と努力しています。

Q.歴史は偉人だけが繋いでいるのではなく、一人一人が生活の中で紡いできていると活動を通じて感じました。平安時代から日本を護る場所として京都と密接な関係だった比叡山延暦寺ですが、門川市長からみた比叡山延暦寺とはどのような存在でしょうか。

 京都から見ると朝日は比叡山から昇ってくるし身近な存在ですね。もちろん延暦寺には何度もお参りさせてもらっていますし、子供のころは夏休みの宿題の植物採集等に連れて行ってもらったこともあります。うちのおじいさんは昔お坊さんで比叡山で修行していたことを聞いてます。延暦寺は厳かなお山で何か京都の都を守り続けていただいているという存在と思っています。

Q. 現在オンラインで精進料理づくりの会を行っています。その中で 「文化は人と人が交流して紡ぐもの」と気づき、精進料理を通じて文化を未来に紡いでいこうと同会を実践しています。コロナ禍の中、人と人との交流に制限がかかっている現在ですが、ニューノーマルの中での交流をどのようにお考えでしょうか。

 難しいね、ほんとに。例えば、料理っていう漢字は、どういう意味なんだろうと考えると「理(ことわり)」を「料る(はかる)」。物事のあるべき姿を求めて、料る(はかる)というのは最もいい状態にすること。それぞれ四季折々の素材を手間、暇、心をかけて組み合わせる。そしてこの料理には陶器がいいのか磁器がいいのか漆器がいいのか、フタ物がいいのか、お膳、床の間のしつらえ、生け花、掛け軸、そして料理を運ぶ人の所作。そして何よりも食べる人の心、健康、何もかも「推し料(はか)って」というのが「料理」なんですね。
 このコロナ禍においては、与えられた条件の中で最大限に推し量って、心をつなぐということも精進料理の精神なのかなと思いますね。
 リアルでこうしてお話させていただいて、心通じるのも大事です。ではオンラインではどうか。京都市では3月中に全ての市立学校に1人1台の端末を配備しますが、コロナで休校になった時でもオンラインで授業を。そして日常授業でも、一人一人の児童・生徒に個別最適化、同時に集団的な学び合いをどう両立させていくかという研究と実践を続けてます。先生たちと話していると、大きな可能性と課題も出ている。現場の先生たちも大変だと。オンラインでできないこともいっぱいある。ある先生が「(オンラインによるカリキュラムは)余白がない」という言い方をされていて、言い得た表現だと思いました。リアルならば、一人一人と向き合って、話を聞いて問いを立てて、答え合って、人との関係性を含めてのコミュニケーションすべてが余白の妙で成立している。それをオンラインでどう埋めていくかというのは難しいですね。
 一方で、オンラインの良さもある。ヨーロッパには京都を好きな人がたくさんおられて、その人たちが俳句を作って交流をされている。去年の夏から、今月のテーマは「祇園祭」。来月は「送り火」。その次は「虫の音」と。そうやって、離れていても京都に思いを馳せていただいているというのは、ありがたいですね。

Q.魅力交流の活動の中で自分なりの「一隅の照らし方」をみつけました。門川市長にとっての「一隅を照らす」、そして伝教大師最澄に対してどのような思いをお持ちでしょうか。

 本当に、「一隅を照らす」素晴らしい精神と言葉です。一隅を照らすと言えば、25年前から、毎月第2土曜日に、早朝学校や寺社の便所掃除に励んでます。「掃除に学ぶ会・便きょう会」の主催です。また、毎週土曜日に学生さんたちを中心とした「掃除に学ぶ会」,「新洗組」が主催される活動にも、時々参加します。木屋町に朝6時に集まって地域の掃除をするんです。参加している学生さんたちは卒業すると、また引っ越し先の地域でも掃除をされるので、全国な広がりのある動きになっています。私の父親がよく、「掃除をしている姿を見れば、人間の本質がわかる」と話し、実践していたのが、「掃除に学ぶ会」の創始者である鍵山秀三郎さんのその姿を見て「おやじが言うてたんはこれか」と思ったのがきっかけです。
 そしてもちろん、私、京都市長として、市民の皆さんの命と健康、暮らしを守らなくてはいけない。特に学生さんがコロナ禍で勉学も生活も厳しい。こういう実情も国に対して説明をして、可能な支援策をしていく。それが私の市長としての大きな仕事です。
 一隅を照らすというのも京都の文化だと思いますが、世界中の人が花を愛で、香りやお茶を楽しむ。そのスポーツに励み、いろんな趣味に没頭する。しかし、日本に育ってきたそれらは華道になり、茶道・香道になり、武道になり、それらが「道」という哲学になってきた歴史があります。生け花、これは命と向き合う芸術であり、自然と向き合う芸術。茶道、一期一会のもてなしが芸術・哲学に昇華されてきました。
 1200年魅力交流委員会では様々な事柄にスポットを当て「一隅を照らす」ことによって文化が成立するということを再認識する機会にしたいですね。

 京都は1200年を超える歴史の中で、疫病と自然災害を町衆の力で、祈り行動し、乗り越えて、より魅力的なまちになってきました。今、世界は厳しいコロナ禍ですが、いつまでも続く疫病はなかったんです。
 1152年前、日本中で自然災害、火山の噴火、大地震、津波などが続発し、また、京の都をはじめ日本各地で疫病が流行したとき、神泉苑(現在の二条城の南)に当時の国の数にちなんで、66本の矛を立て、帝が全国の平安及び災厄の除去を祈られた。そこに祇園社から、神輿を贈られた。昔は死んだ人の魂が収まっていないからそういうことが起こると。だから祈るしかなかった。それが素晴らしい世界遺産の祇園祭のはじまり、「祇園御霊会」です。
 学生さんたちにお願いしたいのは、国難な時には、ひたすら人のために行動することが大事と思います。展望が開けます。神輿というのは、歴史・縦糸と、今を懸命に生きる人々の絆・横糸の担ぎ棒で、人と人とがつながるという仕組みですね。我々も世代を越えて、縦糸と横糸を編んで連帯すれば、次の時代は絶対拓けます。学生さん共々一緒に頑張っていきたいなと思いますね。
<インタビューを終えて(参加学生より)>
 行政と文化が強い関わりを持っているということについて、様々な観点からお話いただきました。歴史や文化が長年受け継がれている京都では、お寺や神社だけではなく人々の心が文化として受け継がれている、というお話が特に興味深かったです。
 また、市長という行政のトップの立場におられる方が、これほど文化というものに対して強い思いを持っていらっしゃるということからも、京都の街にとっての文化の重要性を強く感じました。人々の心にある文化こそが、京都を、これだけの歴史が続いてきた街に育てた要因なのではないかと強く思いました。
 この大学コラボプロジェクトにおいて、行政の長の方とお話をさせていただいたのは私にとって初めての機会でした。そしてこれまでにお話を伺った方と同様に、それぞれの立場からの文化への関わり方があるということ、行政というのはそこに住む人たち全員に関わることだからこそ、その影響力も大きく、文化と結びついた行政が京都の街全体を保ち、動かしてきたのではないかという思いを抱きました。