武者小路千家第15代家元後嗣 千 宗屋さん
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いろり端

特集「一隅を照らす」

伝教大師最澄1200年魅力交流委員会委員
武者小路千家第15代家元後嗣

千 宗屋さん

15代続いて日本文化を伝承されている千さんから「一隅を照らす」の意味とその深さを感じるお話をお聞きしました。

Q.「一隅を照らす」とは日々のどのようなことだと感じていらっしゃいますか?

例えばこの部屋には明かりが1つあります。明かりが一つあることで部屋を明るくしてくれていますね。自分に与えられた本分や自分がやらなければいけないことを淡々とやる、結局世の中をよくしたいと思って大騒ぎをしても、一人の人間ができることには限りがあります。
でも一人でもやらない人がいれば、その部分にぽっかりと穴が開いてしまうことになります。つまりみんなが気持ちよく心地よく日々を暮していくためには、みんなで一緒になって努力をしていく必要があるわけで、一人でもやらない人がいれば全体も回っていかなくなります。
よく「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という言葉にもあるように、自分自身が与えられた「一隅」、つまり与えられえたポジションに全力を尽くす、その全力を尽くす人がたくさんいることで、世の中が成り立っていくということですね。
ただ、自分に与えられえたポジションは日々の積み重ねによるものなんです。
例えば今私がここにいて、あなたたちが目の前にいるということも、今までやってきた日々の積み重ねの結果です。だれかとの出会いがあり、そのご縁のつながりで今ここにいる。つまり今までやってきた行いのたった一つでも欠けていたとしたら、パズルのピースが抜けてしまったように、結果が変わってしまい、この3人の対談は生まれてこなかったかもしれません(笑)。
他の例えでは、私は比叡山中学・高校に通っており、三塔巡拝といって比叡山の各お堂をお参りするもので、千日回峰行の1日版があり何度もいったことがあります。これは厳しい坂や階段があり道のりが険しいものですが、先の距離をみるとしんどさがましていきます。そこでふと今自分が上っている一段一段の階段に全力を尽くし全部の意識をそこに集中するようになったら、先が楽になって気づいたら上まで上がっていました。
目に見えない先のことを思うよりも、今自分が与えられた一歩一歩に全力を注ぐことが大切なんです。最後の階段の1段を上らなければ、上り通したことにはならないわけですからね。
一段一歩を大切にする。そうすることで遠大な目標にもつながっていくということが「一隅を照らす」ということと思います。
ー今の自分のいるコミュニティの中で自分の役割一つ一つに尽力し続けることは、当たり前のようで中々できないし、日ごろから意識もしない。最澄という人物は、与えられたことも、人との出会いも含めて一瞬一瞬を大切にするという価値観を念頭に生活をしていたのだと思いました。まさにこのプロジェクトも、新たな取り組みだからこそ、それぞれが役目を自覚し、出会う方々とのご縁を大切にして作り上げていくことが大事なのだと学びました。

Q. 千利休が現在も生きていたらどんなことをされるかを考えて、インスタグラム等の新しいもので発信していくという過去のインタビュー記事を拝見しました。千利休やお茶などの【本物】をどのように考え抽出されているのでしょうか?

お茶というのは、その時代を生きている人と人の生の交流の場です。これは千利休から今も変わらない茶の湯の本質ですね。昔から伝わってきたことや約束事も大事ですが、今を生きているお互いの共通の認識や意識が前提にないといけない。伝えようとすることは今までの歴史や伝統ではあってもそれを広める手段は今のものを使っていかないと、本当に届けたい今を生きる人に届いていきません。
利休は、時代を見極め、どうやったら人に想いが早く届き、人に刺さるかを常に考えている人でした。いわば時代を見る目をもった目利きですね。さらに言うと、堺の商人であったことからも何が求められるかを判断する力、見通す力があったのだと思います。自分の能力を100%活かし、常に最大公約数で、誰に話を聴き意見を求めれば時代の勢いを利用して国を動かしていけるのか?と人一倍考えていました。今も生きているとしたら、むしろ古いことにはこだわらず、今をどう生き、伝えるか考えて行動していきたいという意欲をもっていたのではないでしょうか。
ー古き良きものを大切にしながらも、それを伝える手法として昔にこだわりすぎず、新たな手段で発信していく、というのは今千さんがされていることだと思います。千利休がその時代の目利きであった点、今生きていたらどんな仕掛けを作ったのだろうと不思議に思います。最澄が残した志も現代の新たな仕掛けを作りながら、個々の心に響くような言葉として伝えていきたいと改めてお話伺って思いました!

Q.今の時代の伝え方などを取り入れることで苦労されたことはなかったのでしょうか?

武者小路千家では、他の大きな流派に比べると組織的な縛りやしがらみから比較的自由なのかもしれませんね。私の父も大胆な発言やのびやかな風なのかなと思いますが、組織の規模は弱みであり強みにもなっています。自由であるがゆえに個人の発言に左右されることもありますが、賛同してもらったりもします。私はそれに苦労した経験よりも、自由に想いを伝えてこられたという実感の方が強いですね 。

Q.伝える先として国外はどのように思われますか?

国外としては、一年間文化庁の派遣で海外へ行く機会がありました。海外には、ある意味日本にいる日本人よりもよく文化について勉強をしたり、興味をもつ人々がいます。もっと言うと「本物」の日本に近づけるように一生懸命努力している人がいる。例えば、お茶を点てるために炭から熾して火を起こすことが本来です。ところが最近日本の方が現状に甘んじて電気で湯を沸かしている人も多く、コスト削減の方向にすら議論が進みつつあります。日本の方が簡単に、身近に炭火を使うことが出来るにもかかわらず、そのありがたみを感じている人は多くはない気がしています。炭を作る人も跡継ぎがおらず、コストが上がってきたり・・・と悪循環に陥っていってしまう。その現状を変えていくには、古く手間のかかるものにも面倒くさがらずにふれ、語り継いでいくために「つながる努力」をする必要があると思っています。まず「意識をすること」の大切さ、ですね。
ー今の立命館の大学コラボプロジェクト参加メンバーには、偶然にも京都出身の人がいません。皆興味や、何かしらの縁があってここにいます。ある意味外からみる京都=憧れの京都も知っているということです。千さんがおっしゃるように、身近にふれることのできる文化は日常にあふれています。それを今、本物に迫っていくのであれば、日々「意識」をすることから全て始まっていくのではないかと聴いていて思いました。

Q. 千さんは、文化の本質的な良さはよくご存知だと思います。自分たちも日々それについて突き詰めて考えていますが、千さんが今まで発信してきた中での成功体験があればお聞きしたいのと、どうやったら若い世代に伝えていけるかアドバイスを頂けますか?

自分たちが実際に体験することでリアルを伝えていくことです。例えばインスタグラムでの投稿においても、あくまで自分の置かれた立場だからこそ経験し、見ることができたり、発信したりすることができます。本物と言える良いものがなくなりつつあるこの時代にまだまだ良いものがあるのだと、そしてそれらにふれる機会が少しでもあれば良いな、そんな想いでやっています。お茶人というとどんな人?とイメージが湧きにくかったりもしますよね。暇つぶしに毎日お茶を飲んでいるわけではなく、お仕事もしているんだよというのもちゃんと伝えていこうと(笑)。
ーこの魅力交流においても、やはり本人が体験を通して体感し、「わくわく」しなければ誰もついてきてはくれないと思います。今のメンバーだからこそ、同じ学生目線で伝えていける多様な魅力をいろんな手段で表現していきたいです。千さんが日々されていることも、それにおける意識も大変大きなヒントになりました。

メッセージをお願いします!

せっかく京都で生活しているので(お祭りも365日どこかでやっているくらいですし)、京都にいる時間を大切にして、ここでしか味わえないいろんな文化にふれてみてください。様々なところに足を運ぶと、それぞれの違いがみえてくるでしょう。その地にいてしかできないこと、見られないものを大切にしてほしい、それぞれの立場から発信することが大切です。貪欲にいろんな手段で発信できる時代だからこそ、あなたたちらしくやっていってほしいです!
ーありがとうございました。千利休の言葉をお借りすると、最澄という人物やその志、千さんや学生メンバーといった人々に出会ったのもご縁の巡り合わせ。大学コラボプロジェクトには、文化の道を一心に極められている方々の想いをしっかり理解し、同世代に伝えていく役割があります。いろんな価値観をミックスさせて、今の時代らしい、聴いていてわくわくするような企画をさらに考えていきたいです!

この記事を書いた人

立命館大学4回生 規矩琴香さん