『比叡山の正倉院』と称される聖衆来迎寺の虫干会を訪問する
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いろり端

特集「一隅を照らす」

『比叡山の正倉院』と称される聖衆来迎寺の虫干会を訪問する

【2026年8月16日訪問】
毎年8月16日、比叡山麓の比叡辻に伽藍を構える聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ)では虫干会(むしぼしえ)が行われ、広く寺宝が公開されています。

令和8年の虫干会では、国立博物館などから寺宝が里帰りする中、滋賀県立琵琶湖文化館への寄託品より構成された「地域連携企画展」が開催されました。

今回、学生たちが聖衆来迎寺を訪れ、聖衆来迎寺の皆様との交流を通して聖衆来迎寺の歴史・文化の魅力を学ぶとともに、聖衆来迎寺と滋賀県立琵琶湖文化館との長年のご関係や寺宝の魅力を、滋賀県立琵琶湖文化館の井上優氏と久我由敦氏に伺いました。

◆古代から近世 時代を代表する名宝が里帰り

まばゆい夏の陽光と蝉の合唱に包まれながら聖衆来迎寺へ到着した学生たち。
坂本城の城門を移築したとされる表門を潜ると、境内にはたくさんの人々が集っていました。
虫干会の開始時刻が近づくにつれ、お参りの方々の期待が膨らみます。
そして、いよいよ虫干会の開始時刻。
聖衆来迎寺の檀家の皆さんのご案内に従い、50名を超える沢山の方々が虫干会の会場となる本堂へ歩みを進めました。

「本日は聖衆来迎寺の3つの建物を会場に、聖衆来迎寺に伝えられている寺宝をご覧いただいております。」
滋賀県立琵琶湖文化館の学芸員を務める久我由敦氏が学生たちに語りかけます。

「今回の虫干会では、滋賀県立琵琶湖文化館の地域連携企画展「聖衆来迎寺の名宝」虫干会として、多くの寺宝が里帰りしています。今回は、寺宝を通して聖衆来迎寺の歴史を辿っていただきたいという思いから、いくつかのテーマを設け、古代から近世の多様な寺宝を展示しております。」
本堂・客殿・西の部屋と3つの会場を巡り、展示されている寺宝やおまつりされている仏様をお参りする学生たち。
ご案内をしている聖衆来迎寺の檀家の皆さんから寺宝や聖衆来迎寺の歴史、子供のころの聖衆来迎寺での思い出など様々なお話を伺いながら、聖衆来迎寺の魅力を体感していきます。

虫干会が始まり1時間ほど。
それぞれの会場では、聖衆来迎寺の皆さんとお参りの方々の語らいが育まれ、里帰りした寺宝を中心に、笑顔あふれる空間が広がっていました。

◆『比叡山の正倉院』-時代を代表する宝物が聖衆来迎寺に集う-

今回の虫干会では、滋賀県立琵琶湖文化館の人気講座『滋賀の文化財講座「花湖さんの打出のコヅチ」』の現地講座として、滋賀県立琵琶湖文化館の井上優氏による現地講演とギャラリートークが行われました。

今回の講座には沢山のご応募があり、応募開始早々に定員に達したのだとか。
お参りの方々の虫干会に対する期待感と熱意が感じられます。

「ようこそ聖衆来迎寺の虫干会にお越しくださいました。今回、現地講座ということで、張り切って沢山のスライドを作ってしまいました(笑)。時間も限られていますから、早速、現地講演「聖衆来迎寺の名宝」虫干会を始めたいと思います。」

ユーモアのある井上氏の語りに和やかな笑い声に包まれる会場。
参加者の盛大な拍手により講演が始まりました。

「今回の地域連携企画展「聖衆来迎寺の名宝」虫干会についてお話しする前に、聖衆来迎寺についてお話したいと思います。」

「皆さんご存知のように、聖衆来迎寺は大津市の比叡辻、地域では下阪本に位置する天台宗の古刹です。」

「この聖衆来迎寺の歴史は、今から約1200年前の延暦9年(790)、比叡山にいらっしゃった伝教大師が、民衆を教化するために、この地に地蔵教院というお寺を創建したことに始まると伝えられています。この地蔵教院の場所ですが、おそらく現在の聖衆来迎寺の墓地のあたりではないかと伝えられています。」
左:本堂にまつられる乱判尊像、右:乱判尊像のお姿を刷ったもの

「時は移ろい、長保3年(1001)、恵心僧都源信が入り、念仏道場としてお寺を中興したと伝えられています。このとき、紫雲に乗った阿弥陀如来と菩薩たちのお姿、つまり聖衆がお迎えに来てくださるお姿を感得されたことから、『紫雲山聖衆来迎寺』としたそうです。」

「この逸話を伝える仏画が聖衆来迎寺に伝えられています。今回の虫干会では展示しておりませんが、「絹本著色阿弥陀廿五菩薩来迎図」という仏画で、国の重要文化財に指定されています。こちらは、感得された聖衆のお姿を恵心僧都が自らお写しになられた仏画であると伝えられ、古来より「絵本尊」として大切にされてきました。」

「また、この絵本尊のお姿は版木に写され、お札として摺られました。この版木が本堂にておまつりされている「乱判尊像」です。刷られたお姿は霊験があると評判となり、沢山の方々からの信仰を集めました。その結果、版木が摩滅するほど大量に摺られたことから「乱判尊像」と呼ばれています。」

聖衆来迎寺の歴史と寺宝との結びつきを分かりやすく解説してくださる井上氏の語りに、会場からは感嘆の声が漏れます。

「『比叡山の正倉院』とも称されるように、時代や国を代表する多様な宝物が聖衆来迎寺に伝えられています。その代表が国宝の六道絵です。皆さんご存知のように、六道絵は恵心僧都がまとめた『往生要集』の世界観を絵画化したものです。生きとし生けるものが輪廻転生する6つの世界(天道・人道・阿修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)や閻魔王庁での裁きなどの様子を克明に描いている点が特徴です。こちらは、鎌倉時代に描かれたものです。」

井上氏の丁寧な解説が続きます。

「絹本著色十二天図という仏画がございます。こちらは密教を守護する護法の神々の姿を描いた絵画で、鎌倉時代に描かれました。聖衆来迎寺は念仏道場として隆盛しましたが、天台宗のお寺ですから、十二天図のように密教にまつわる寺宝も多く伝えられています。」

「また、絹本著色楊柳観音像という仏画は、様々な説がありますが、高麗で描かれた仏画であると考えられています。この楊柳観音様は、朝鮮半島で特に信仰された観音様で、高麗の時代に多く描かれたとされています。このように海を越えて聖衆来迎寺に伝えられている寺宝も多くあります。」

時代や国を越えて聖衆来迎寺に集う宝物の数々。
その一つ一つの魅力を余すことなく伝える井上氏のお話に、学生たちも釘付けとなりました。

◆『文化財を伝える』 -70年以上の深い関係がある聖衆来迎寺と滋賀県立琵琶湖文化館-

「それでは、今回の地域連携企画展についてお話したいと思います。現在、滋賀県立琵琶湖文化館は休館しておりますが、聖衆来迎寺さまをはじめ県内の皆様より多くの文化財を預かっております。そして、今回の地域連携企画展のように、県内の博物館やご寺院にて文化財の里帰りの展示を行ってまいりました。」

「今回の聖衆来迎寺の虫干会の展示では、例年の里帰りの展示を拡大するとともに、解説も加えて、お参りの方々に聖衆来迎寺の魅力を広く知っていただく機会といたしました。」

「展示を6つのテーマに分けました。1つ目のテーマを「坂本に集う仏教遺宝」としまして、お配りしているリーフレットに大きく写真が記載されている銅造薬師如来立像(国指定重要文化財)や天平写経として注目されている注大般涅槃経巻第十(滋賀県指定有形文化財)、不空羂索神変真言経巻第三(滋賀県指定有形文化財)が見どころです。」

「2つ目のテーマは「浄土教と六道絵」。見どころはもちろん国宝の六道絵。今回は3幅が里帰りしております。滋賀県立琵琶湖文化館からは、「人道生老病死四苦相図(にんどうしょうろうびょうししくそうず)」の1幅が里帰りとなりました。」
《空蓮上人糸引名号》江戸時代

「3つ目のテーマは「高僧と聖衆来迎寺」です。江戸時代の初め、聖衆来迎寺の復興に尽力した天海大僧正の肖像画や実際にお使いになられたという御杖や念珠を展示しております。これらは聖衆来迎寺の歴史をつたえる虫干会にふさわしい宝物であると思いますから、ご覧いただきたいです。」

「また、空蓮上人糸引名号(くうれんしょうにんいとひきのみょうごう)をぜひご覧ください。信楽生まれの空蓮上人というお坊さんが記した名号で、聖衆来迎寺の皆様からのご要望で毎年里帰りとなっています。この名号をお参りすると手から五色の色が出現したという逸話が江戸時代の『近世畸人伝』に登場する魅力的な宝物です。」
(左から)《明智光秀寄進状》安土桃山時代/《豊臣秀吉禁制》天正18年(1590)

「今年は大河ドラマが戦国時代。このことにちなみ、4つ目のテーマを「織田・明智・豊臣家と聖衆来迎寺」としました。坂本城に近い聖衆来迎寺には、武将たちゆかりの深い書状や記録が多く伝えられています。特に注目していただきたい史料が、明智光秀の寄進状です。」

「明智光秀の寄進状は、天正5年(1577)9月27日、当時坂本城の城主であった明智光秀により聖衆来迎寺にお金が寄進されたことを示す書状です。この書状には謎がございまして、明智光秀直筆の花押の近くに「明智」と記されています。この寄進状が記された時期は、「惟任(これとう)」と記されることが通例ですから、なぜ「明智」と記したのか、様々な説が考えられています。」

「私の考えなのですが、この寄進状の時期に注目してみると、実は光秀の奥さんである煕子さんの一周忌の直前です。もしかしたら、この寄進状は煕子さんの菩提を弔うためのものであり、夫婦で慣れ親しんだ「明智」という表記をあえて用いたのかもしれません。」
《唐画詩》王問筆 中国・明時代

「そして5つ目と6つ目のテーマは「工芸品と近世絵画」と「重文・聖衆来迎寺客殿と文化財」としました。室町時代、聖衆来迎寺に元応国清寺という皇室と関係の深い名刹が合併することとなりました。これは、現在の京都・岡崎の地に伽藍を構えていた元応国清寺が、応仁の乱の影響により荒廃してしまったためでした。」

「この合併に伴い、元応国清寺に伝えられていた仏像や宝物が末寺であった聖衆来迎寺へと移されるとともに、合併以後も皇室ゆかりの由緒を引き継ぐ聖衆来迎寺には多くの宝物がもたらされました。そのうち、今回は、明の時代に活躍した王問による巻物や同じ時代に製作された堆朱の香合を展示しています。」

「客殿中央の仏間には、元応国清寺の御本尊と伝えられている秘仏・薬師如来像を中心に、元応国清寺より移されてきた日光菩薩・月光菩薩立像(国指定重要文化財)など様々な仏様がおまつりされています。」

「リーフレットには、参考として特別に薬師如来様の像内におさめられている能作性宝珠(のうさしょうほうじゅ)と水晶五輪塔形舎利容器の写真を掲載しています。客殿を彩る狩野探幽をはじめとする狩野派の絵師たちによる障壁画も必見です。」
国指定重要文化財《銅造薬師如来立像》奈良時代

井上氏より今回の展示に対する熱い想いが語られます。

「聖衆来迎寺さまと滋賀県立琵琶湖文化館は長年の関係がございます。今回の展示を通して、地域の皆様に聖衆来迎寺さまと滋賀県立琵琶湖文化館の縁(えにし)を知っていただきたい、そして令和9年(2027)12月の滋賀県立琵琶湖文化館の再開館を前に、『文化財を守り伝えるためのお手伝いを今後も行っていく。』ということを表す決意表明としたいと考えています。この想いをもって今回の展示をさせていただきました。」

「先ほどご紹介した銅造薬師如来立像は、滋賀県立琵琶湖文化館の前身である県立産業文化館の時代より70年以上もお預かりしている宝物になります。そして、昭和59年(1984)には聖衆来迎寺展と展という企画展を開催いたしました。これまで育まれてきた聖衆来迎寺さまと滋賀県立琵琶湖文化館の関係をこれからも紡ぎ、聖衆来迎寺の文化財を未来に伝えていくためのサポーターとして活動していきたいと思います。」

井上氏による熱意のこもる丁寧な講演を受け、会場は拍手に包まれました。
興奮冷めやらぬ中、井上氏と久我氏によるギャラリートークへ。
井上氏を先頭に、宝物が展示されている客殿へ向かいました。

◆聖衆来迎寺の歴史を体感 井上氏と久我氏によるギャラリートーク

たどり着いたのは、客殿の花鳥の間。
最初に井上氏より展示ケースに入っている史料について解説がありました。

「こちらに展示している史料は、文禄4年(1595)の聖衆来迎寺の過去帳です。今回の虫干会で初公開の史料となります。この史料の注目すべき点は、坂本城の城主を務めた浅野長吉の実母のご法名が記載されている点です。ご覧いただくと、真ん中に「陰優妙森禅定尼」と記載されています。こちらがご法名になります。」

「過去帳を読むと、浅野長吉の母は文禄4年11月14日にお亡くなりになったそうです。そして、聖衆来迎寺にお墓が設けられたと伝えられています。残念ながら、墓碑銘の磨滅が進んでおり、どのお墓が浅野長吉の母のお墓なのか、特定には至っておりません。」

「浅野長吉の母がお亡くなりになった時、浅野長吉は遠く甲斐国に移っていましたから、浅野長吉の母は息子に同行せず坂本に留まっていたのだと思います。」

今から約400年前に生きた先人たちの息づかいに触れた学生たち。
遠く離れていた歴史が、目の前にあるかのように感じられます。
続いて、床の間に掛けられている国宝・六道絵について、久我氏による解説が始まりました。

国宝《六道絵》(左:人道生別死別風火水不慮難図、中央:人道生老病死四苦相図、右:衆合地獄殺生偸盗邪婬罪科図)鎌倉時代

「正面に3幅展示しておりますのが、国宝の六道絵になります。このうち、中央の「人道生老病死四苦相図」が滋賀県立琵琶湖文化館より里帰りしたものになります。」

「「人道生老病死四苦相図」は、人間が生きる上での4つの苦しみを描いています。下から順に、生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病になる苦しみ、死ぬ苦しみとなります。このような苦しみから逃れるためにはどうしたらよいのか。そうしたテーマが、六道絵では15幅の絵を通じて説かれています。」

続いて、仏間の手前の部屋である賢人の間へ歩みを進めます。

「こちらは賢人の間といいます。「竹林の七賢(ちくりんのしちけん)」など中国の賢い人の姿を描いた襖絵が飾られた部屋となっております。」

「こちらで注目いただきたい展示が、こちらの不空羂索神変真言経巻第三です。奈良時代に写された天平写経で、光明皇后が両親の冥福を祈るために写させた五月十一日経と呼ばれる一群に属する経典です。光明皇后が写させた経典群は他にもございますが、五月十一日経は、今日まで伝えられているものが少なく、たいへん貴重な経典です。」

井上氏が続けます。
《扁額「鷲霊山」》豪如筆 江戸時代

「聖衆来迎寺が2つのお寺を兼ねているというお話がございました。こちらの客殿の仏間は、聖衆来迎寺に合併した元応国清寺の本堂を兼ねております。欄間をご覧いただくと、「鷲霊山」(じゅりょうせん)という額が掲げられています。こちらは、元応国清寺の山号で、豪恕という方が記したものです。」

「豪恕さんは、湖東の金剛輪寺の麓に生まれた方でして、当時から徳の高いお坊さんとして有名でございました。この豪恕さんが記した文字が掲げられていると、火災に見舞われないという信仰もございます。」

「仏間をご覧ください。中央のお厨子の内部に、元応国清寺の御本尊様である薬師如来立像がおまつりされています。そして、その左右に脇侍の日光菩薩と月光菩薩がいらっしゃいます。こちらの日光菩薩立像と月光菩薩立像は、国の重要文化財に指定されておりまして、江戸時代の修理の際に、元応元年(1319)に頼弁という仏師が造立したとの銘文が像内から発見されたと記録に残されています。」

続いて、久我氏より客殿を飾る襖絵について解説がありました。

「ご覧いただいているように、客殿の各部屋は障壁画で彩られています。この障壁画を手掛けたのは、狩野守信(探幽)を中心とした計4名の狩野派の絵師たちです。狩野派は御用絵師として、公の仕事に携わることが多かったですから、聖衆来迎寺の客殿に狩野派の絵師たちによる障壁画があるということは、聖衆来迎寺が中央とも深い繋がりがあったということを象徴しているように思えます。」

「障壁画が彩る部屋は5部屋あります。座る部分が一段高くなっている上座の間と呼ばれる部屋は、最も格式が高い人のための部屋でして、この部屋の障壁画を手掛けたのは、狩野守信(探幽)です。格式の高い部屋の障壁画は、技術の優れている絵師が手掛けたといいますから、どの絵師がどの部屋の障壁画を手掛けたかという点からも部屋の格式や用途などを推察することができます。」
続いて、上座の間の手前にある龍虎の間へ移ります。
(左から)《慈眼大師像》狩野探幽筆 天海賛 江戸時代/《徳寿院殿像》江戸時代/《織田秀信像》安土桃山時代

「今年の大河ドラマをご覧になっている方も多いと思います。最近放送された回では、可愛らしい三法師が登場しましたね。その三法師が成長されたお姿がこちらの掛軸になります。お名前を織田秀信といい、聖衆来迎寺には母である徳寿院の肖像画も伝えられています。」

「その隣には、聖衆来迎寺の整備に尽力された慈眼大師天海大僧正の掛軸を展示しております。描いたのは、障壁画と同じ狩野探幽。上部の賛は天海大僧正ご自身により記されました。」

「また、今回の虫干会では、天海大僧正が実際に使用した御杖や念珠も展示しております。このような聖衆来迎寺の歴史を伝えた高僧とゆかりのある宝物を見学できるのも虫干会の醍醐味であると思います。」
歴史上の人物が、実際に触れ、実際に使った、聖衆来迎寺の宝物たち。
そこには、激動の時代を懸命に生きた先人たちの想いと願いがありました。

宝物たちの魅力を体感しながら、最後に本堂の外陣へと向かいました。

滋賀県指定有形文化財《六道絵》中谷求馬筆 江戸時代 文政年間

「こちらには、先程ご紹介した国宝・六道絵の模本を展示しております。模本といっても、江戸時代の文政年間(1818~1831)に製作されたもので、滋賀県の文化財に指定されております。こちらの模本を手掛けたのは、近江長浜の絵師であった中谷求馬(なかたにもとめ、1748~1832)という人物です。国宝の六道絵を忠実に写している点が特徴です。」

「こちらは閻魔大王の裁きの様子を描いています。中央に口を大きく開けた閻魔大王を描き、その下には、首や足に枷を付けられている罪人たちの姿があります。左側に大きな鏡がありますね。こちらの鏡を「浄玻璃(じょうはり)の鏡」と言い、生前の行いをうつします。絵の中では、鏡の前の人物が僧侶を刺している光景がうつっています。」

「閻魔大王をはじめとする十王の裁きを受けた後、亡者たちは行き先が決まります。地獄の中で最も恐ろしい地獄がこちらの阿鼻地獄(あびじごく)です。上部に逆さまに落ちている人物が描かれています。この人物たちは、2000年間ひたすら落ち続けているのだといいます。そして、落ちた後も激しい炎の中で様々な責め苦を受けることとなります。」

井上氏により、描かれている内容が1幅ずつ丁寧に解説されていきます。

恐ろしい地獄の様子、阿修羅王と帝釈天の激しい闘い、天道の優雅さと虚しさ。
描かれている場面の1つ1つが、まるで目の前の光景であるかのように臨場感にあふれ、見る者の心を揺さぶりました。
「六道絵では、それぞれの世界の様子を表すだけではなく、念仏による救いの場面も描かれています。こちらでは、奥さんが生前勧めていた念仏を行ったことで旦那さんが地獄から救われる場面が描かれています。一番下に大きな釜が割れていますね。旦那さんはこちらで地獄の刑を受けていたのですが、生前奥さんから教えてもらっていた念仏を唱えると、釜が割れて、救われました。そして、奥さんとも再会することができたそうです。」

宝物に対する熱い想いにあふれる井上氏と久我氏によるギャラリートークは、盛大な拍手とともに終了しました。

毎年の恒例行事として親しまれている聖衆来迎寺の虫干会。

聖衆来迎寺の宝物を守り伝えてきた先人たちの想いを受け継ぎ、これから先へ宝物を伝えるために尽力されている聖衆来迎寺と滋賀県立琵琶湖文化館の皆様の熱い想いがあるからこそ、毎年多くの方々が全国から訪れているのだと感じました。

虫干しを通して、日本全国から人々が集い、語らい、歴史・文化が未来へ紡がれていく。
虫干会で賑わう聖衆来迎寺の境内には、過去から未来へ想いを繋ぐ素敵な空間が広がっていました。

◆参加学生の感想

私は初めて聖衆来迎寺を訪れました。大学で建築史学を専攻しており、日本の伝統建築に関心がある私は、伽藍建築に目が惹かれました。極彩色に彩色された欄間彫刻や障壁画、屋根裏の架構が長年の祈祷時に出た煙に燻され、落ち着いた風合いを醸し出すご本堂や、狩野探幽はじめ江戸前期を代表する名だたる絵師達が筆を執った襖絵や杉戸で飾られた客殿など、どこを見ても貴重な文化財に囲まれた境内の様子に強く心を動かされました。本当に美しくて、思わず口を開けてぼんやり天井を見上げてしまいました。聖衆来迎寺は、信長の焼き討ちを免れたことがしばしば強調されますが、その後、およそ400年に渡り数々の試練を乗り越えて、今日まで守り伝えられてきたことにも大きな価値があると強く感じます。瀬田川の氾濫や廃仏毀釈などに屈することなく、現存するのは奇跡としか言いようありません。

ただ、この奇跡は単に「寺の運が良かったから」ではないと思います。境内のあちらこちらで汗を流して参拝者と交流する地域の皆様の姿を見た時に、そう思いました。
途切れることなく訪れる参拝者一人一人の質問に丁寧に答え、ご寺宝や伽藍の魅力を発信する様子は、聖衆来迎寺が地域の皆様にとって宝であり、誇りであり、後世に伝えていかなければならない大切な文化遺産であることを如実に表していました。

お寺を愛する地域の皆様のお気持ちが400年に渡り連綿と受け継がれたからこそ、壮麗な伽藍や数々の寺宝が今日に伝わり「比叡山の正倉院」とまで称されるに至ったと思います。地域の方々と寺院の結びつきが生み出す力と、良好な関係を構築・維持することの大切さを改めて実感しました。

京都府立大学 修士2年


ギャラリートークでは、展示されている宝物について詳しい解説をしていただき、普段であれば知ることのできないお話を直に伺うことができ、大変興味深かったです。特に、聖衆来迎寺が建立された経緯や、寺院が長い歴史の中でどのような役割を担ってきたのかについてのお話を聞くことで、展示されている宝物を単に「古い文化財」として見るのではなく、それぞれがどのような歴史の中で受け継がれてきたものなのかを意識して拝観することができました。

今回、私は虫干会に参加するのが初めてだったため、実際に文化財を拝見するだけでなく、虫干しという文化財を守り、後世へ伝えていくための取り組みについて知ることができたことも貴重な経験となりました。長い年月を経た品々が現在まで大切に保存されていることを実感し、その背景には多くの方々による保存や管理の積み重ねがあるのだと感じました。

歴史と由緒のある品々を間近で拝見し、その一つ一つについて詳しく知ることができた今回の経験を、今後の大学での学習にも活かしていきたいと思います。

立命館大学 4年
■聖衆来迎寺
滋賀県大津市比叡辻2-4-17
虫干会は毎年8月16日に開催

■滋賀県立琵琶湖文化館(令和9年12月に大津市浜大津に再開館予定)
滋賀県大津市打出浜地先