
特集「一隅を照らす」
戦後日本画壇の風雲児『横山操』の回顧展(佐川美術館)を訪問する
【2025年6月15日訪問】
新潟から上京し図案会社に就職。その後、日本画家・川端龍子と出会う
その後、洋画を描き続けていましたが、石川雅山のすすめで日本画の道へと進みます。操は昼間に会社の仕事を、夜に川端画学校日本画部の夜間部に通い、仕事と日本画の勉強を両立していました。

第1章「戦前の横山操」(左手前)《全日本産業観光甲府大博覧会》1937年 燕市教育委員会蔵

そのように語るのは、今回の横山操展を監修した横山秀樹氏です。
「今回展示している《渡船場》を含む、操が戦前に描いた初期の作品はすでに失われていると考えられていました。その理由として、後に操が過去の作品の大半を焼却してしまった点が挙げられます。おそらくですが、操は自身の制作意図と異なる不本意な作品を処分したのだと思います。戦前の作品は1点も見出されていなかったので、操の初期作品はこのときに操自身の手によって処分されてしまったのだと考えられていました。しかしながら、操が中国へ出兵する前、描いた作品を新潟の実家に送っていたことが近年判明しました。このときに操が送った絵は操自身によって焼却されることなく保管され、2009年に燕市に一括寄贈していただくことになりました。」
「横山操の初期作品がまとまって発見されたことで、横山操の画業をめぐる研究状況が大きく変化しました。今までは戦後に描かれた作品をもとに研究が進められてきましたが、現在、《渡船場》を含む戦前の初期作品をもとに研究が進められています。このような意味で、戦前に描かれた初期作品は非常に重要な作品群です。」
画家としての歩みを進める操。
しかしながら、社会は戦争へと突き進みました。
川端龍子との出会いから数か月後の1940年12月、操は招集され中国へと出兵しました。
中国への出兵とカラガンダでの抑留
1945年に終戦を迎えますが、さらに苦難は続きます。
操はソ連軍の捕虜となり、約5年間、現在のカザフスタンのカラガンダに抑留され、炭鉱夫として石炭の採掘に従事していました。操は周囲に画家であることをあまり言わなかったそうですが、日々の採掘の合間に絵筆をとっていたそうです。
操が日本へ戻ってきたのは、出兵から約10年もの月日が流れた1950年のことでした。
操は抑留されたカラガンダでみた風景や光景をもとに、精力的に作品を制作しました。この頃の代表作が、1950年に描いた《カラガンダの印象》と1951年に描いた《カザフスタンの女》です。《カラガンダの印象》は、操が採掘していた炭鉱の風景を描いた作品、《カザフスタンの女》は、カラガンダで目にした水を汲む女性を、後に妻となる基子夫人をモデルに描いた作品です。どちらも青龍展に出品された作品ですが、《カラガンダの印象》は後に操自身の手によって焼却されてしまい、同じ題名の油彩画や写真からその姿を想像するのみとのこと。一方、《カザフスタンの女》は焼却されることなく今に伝えられています。これは、生涯基子夫人を大切にしたという操の気持ちが表れているのかもしれません。

第2章「青龍社時代の横山操」(左手前)《カザフスタンの女》1951年 新潟県立近代美術館・万代島美術館蔵
ネオン広告のデザインを手掛けながら大画面作品を制作する
その功績もあり、1954年には不二ネオン会社社長の好意によって、会社事務所の2階をアトリエとして使えるようになり、大画面の制作を進めました。
今回の回顧展で注目を集める作品の一つ《網》も不二ネオン会社の事務所で描かれたとされる作品の一つ。

第2章「青龍社時代の横山操」(右手前)《網》1956年 福井県立美術館蔵
力強い筆致で描かれている作品の前に立つと、実際に漁村に足を踏み入れたかのような没入感を抱きます。金箔や鮮やかな彩色を用いて漁網を題材に描いた伝統的な作品たちとは異なり、黒や暗い赤色などの黒を主体としている作品であるからこそ、恵みにも脅威ともなる自然と日々向き合う漁師たちの力強い営みや人々の凄みが感じられます。

「順風満帆に見える操の画業ですが、青龍社の他の社人との確執により、自分の描きたいような作品が作れていなかったといいます。そのことが表面化したのが、1962年の第34回青龍展でした。操は、激しく噴煙を上げる十勝岳を題材とした大画面作品《十勝岳》を出品しようとしました。しかしながら、他の社人から「師である川端龍子より大きな作品はよくない」という理由で縮小を求められました。操はこの求めを受け入れず、そのまま青龍社を脱退しました。」
新たな境地への出発
操は新たな境地へと歩みを進めます。

第3章「無所属時代の横山操」《瀟湘八景》1963年 三重県立美術館蔵
《瀟湘八景》を構成する8つの景観の一つ、《山市晴嵐》(さんしせいらん)は、晴れた日に山中の集落に霞が漂う景観を描いています。操は、墨に濃い膠(にかわ)を混ぜることで光沢の強い墨色を表現し、霞の内に太陽の光が差し込む景観を表しました。
ほかの7つの景観では、墨の上をペインティングナイフでひっかいたり、裏打ち紙の継ぎ目をあえて表側に透かしたり。操が描いた《瀟湘八景》からは、東アジアの数多の画家たちが描いてきた伝統的な画題に正面から挑戦する操の気迫が伝わってきます。


1965年に描いた《ふるさと》は、茜色に染まる夕空が、さらさらと流れる小川と草原を照らす風景を描いた作品です。大胆で豪快な筆致が特徴的な作品とはうってかわり、繊細な筆致で描くふるさとの風景からは、操が幼少期に過ごしたふるさとへの想いが溢れているようです。
1971年、歩みを進める操を病魔が襲います。
脳卒中で倒れた操は後遺症により右半身の自由を奪われてしまいました。
しかしながら、操は強靭な精神力と執念でリハビリを重ね、動かない右手の代わりに左手での制作を開始しました。
左手で描いたのは、ふるさと・新潟の風景や操の身近な光景。
穏やかで繊細な筆致で描かれたこれらの作品に操はどのような気持ちをこめたのでしょう。
1973年、展覧会の最後に展示されている《絶筆》の制作中に再び脳卒中で倒れ、53年の短くも濃密な生涯を閉じました。

第3章「無所属時代の横山操」(右手前)《絶筆》1973年 東京国立近代美術館蔵
時代を超えて伝えられていく横山操の作品たち

展覧会を監修した横山氏が学生たちに語りかけます。
「作品が時代時代を乗り越えていく際、作品を見る人が“古さ”を感じないということが大事であると私は考えています。“古さ”を感じない作品というのは、どんなに時代が変化しても、人々の心を変わらず動かし続けます。その感動こそが作品を次の世代へ伝える原動力となり、これから50年後、100年後と作品が残っていくのです。ほかの名画と同様に、私は、横山操の作品も時代を超えて伝えられていく作品であると確信しています。今回のような展覧会の監修というお仕事を通して、操の作品を未来へ伝えていくお手伝いができることは、非常に嬉しい気持ちであるとともにありがたいことだと思っています。」
かつて横山操は語りました。
今回の滋賀県初となる横山操の回顧展は、横山操の短くも濃密な画業をたどることのできる貴重な展覧会です。WEB事前予約制で会期は7月6日(日)まで。ぜひ、佐川美術館で開催されている「戦後画壇の風雲児 日本画家 横山操展」を訪れてみてください。
滋賀県守山市水保町北川2891
TEL:077-585-7800
2025年5月15日~2025年7月6日
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