
特集「一隅を照らす」
慈覚大師円仁の教えが今に伝わるお寺「立石寺」を再び訪ねる
【2025年6月6日訪問】
山形県を代表する名刹・立石寺


立石寺に伝えられている3つの寺宝
不滅の法灯
「立石寺には不滅の法灯が分灯されています。古文書を調べてみると、明治時代以前に不滅の法灯を分灯しておまつりしたお寺はこの立石寺のみであるそうです。先ほどもお話した通り、立石寺は第3代天台座主をつとめた慈覚大師円仁によって開山されました。その際、慈覚大師さまは、伝教大師さまの教えをみちのくの地に広める中心となるお寺として立石寺を開いたとされます。ですので、そこで比叡山の象徴であります不滅の法灯を分灯して、立石寺でもおまつりしてきた歴史があります。」

「比叡山が織田信長によって焼討ちされる30年ほど前、大永元年(1521年)、立石寺は焼討ちされてしまいます。それは、天童城の城主であった天童頼長によるものでした。その際、立石寺の境内全域が焼失してしまい、ほとんど建物は残っていなかったと記録に残っています。そして建物と同様に不滅の法灯も消えてしまいました。」

「現在、立石寺の根本中堂の内陣の吊り灯籠に不滅の法灯がございます。比叡山の不滅の法灯をご覧になったことがあると思いますが、離れていたと思います。立石寺では、皆さんに不滅の法灯を近くでお参りいただきたいという思いで、昭和40年頃から灯篭の扉を開け、間近で実際の不滅の法灯をお参りいただけるようにしています。」
慈覚大師の御遺骨
「慈覚大師円仁の伝記を見ると、貞観6年1月14日に延暦寺の前唐院のそばのお堂で亡くなり、御遺骸は華芳の峰に葬られたと記されています。慈覚大師の御遺骸はそこで不思議な光を放ち、不思議に思った人々が確認すると御遺骸が無くなっていたそうです。そして。光が飛んだ先を探してみたら立石寺に御遺骸が届いていたと書かれております。」

「その姿は、絵などで残る慈覚大師の姿にとても似ております。そういったことから慈覚大師がお亡くなりになってからそう遠くないときにこのお像が造られたのではないかといわれ、文化庁の見解では、9世紀から10世紀の初めに造られたものであるとされています。」

「そのような中で唯一慈覚大師さまの棺だけは開けられ、結果御遺骨が納められていることを確認することができました。この慈覚大師さまの御遺骨は、平安時代に生きた高僧の姿を現代に生きる我々が直接的に偲ぶことのできる大変貴重な御遺骨になります。」
慈覚大師から脈々と伝えられている行法『如法写経行』
「慈覚大師さまは延暦寺の横川で、『如法写経行』という行を始められました。それまでの日本では、経典は写経を専門とする人々によって製作され、その人たちが書写した経典を日々の法要で使用していました。それに対して円仁は自分の修行の一環に、写経を行いました。」

「一方で、立石寺では如法写経行が現在も行われています。実際に行うとお勤めも長く、写経して礼拝してととても時間がかかる行法です。さらに、『石墨草筆』での写経は皆さんが思い起こすはっきりとした墨色での写経ではなく、乾くと文字が見えなくなるような文字で法華経を書写します。この如法写経行は、様々な教えをひたむきに探究された慈覚大師さまの信念を表している行であると感じます。」
焼討ちを乗り越えて建つ「根本中堂」



「東北では、よく寺院建築に使用されるヒノキなどの木がないため、このお堂ではブナやヒバの木が用いられています。特にブナの木はあまり建築に向く材ではありません。ブナはまっすぐ育たず、特に柱などには通常用いられませんが、根本中堂を支えているブナの柱は400年以上このお堂をお守りしてくれている材ですので、十分役目を果たしてくれています。昭和の修理の際にも周辺ではブナの大木がなく、秋田の材木を購入したようです。実はこの根本中堂はそろそろ修理をしないといけない周期にはきているのですが、順番待ちの状態でまだ修理を行う目処が立っていないのが実情です。」
根本中堂内陣におまつりされる御仏たち




海外の人々に向けたパンフレットとボランティア『Yamaderans』

「仏教の内容を英語にして説明することは難しく、このパンフレットを作る時にも大変思案しました。このパンフレットでは、仏教の内容を簡潔に英語にして説明することは難しいことからお寺の歴史についての説明が中心となっております。」

参加学生の感想

立命館大学 博士課程
今までずっと来たかった立石寺に来れてとても嬉しかったです。ご住職の説明を聞いている中で、立石寺というお寺が慈覚大師円仁さまによって開山されて以来円仁さまのお骨を残されていることや如法写経行が守り伝え残っている等篤く信仰され続けてきた信仰の場であり、このような場であった不滅の法灯が移された唯一のお寺であったのだと知ることができました。今まで延暦寺で不滅の法灯を拝見することは何回もありましたが、立石寺で初めて火の燃えている姿を拝見することができ、しかも至近距離まで近づくことができ、感慨深かったです。立石寺の山を登ってみて、至る所に石仏や巨岩に刻まれた碑、山上の建物等他では見ることのできない山の祈りの場が広がっていて、異空間に入ったようにも感じました。これが、多くの人々に参詣に来られた祈りの場であるのだと思い、感慨深かったです。
奈良大学 博士前期課程2年
山形県山形市山寺4456-1
〒999-3301
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