1200年以上比叡山で育まれた天台密教を実際に体験できる「密教体験」を訪問する
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いろり端

特集「一隅を照らす」

1200年以上比叡山で育まれた天台密教を実際に体験できる「密教体験」を訪問する

【2025年5月25日訪問】
「日本仏教の母山」とも称される比叡山では、「法華一乗」の教えを中心に、様々な教えが学び育まれてきました。2025年、天台密教を実際に体験していただき、その魅力に触れていただく「密教展 ー曼荼羅と仏たちー」が比叡山延暦寺国宝殿にて開催されています。過ごしやすい気候となり多くの参拝者が比叡山に訪れる5月末、天台密教の一端を学生たちが体験しました。

比叡山延暦寺東塔地域国宝殿3階において、「密教展 ー曼荼羅と仏たちー」が開催されています。
7月19日(土)~11月24日(月・振休)の土・日・祝には、結縁灌頂の重要儀式である投華体験ができます。
詳しい情報は以下のリンクよりご確認ください

https://www.hieizan.or.jp/archives/9348

最澄は教えを求め中国へ渡り、密教と出会う

台密(たいみつ)と称され、天台宗の中で重要な位置を占める天台密教。今日まで多様に育まれてきた天台密教が形作られ始めたのは、約1200年前。伝教大師が教えを求め唐へ渡った時代にまで遡ります。

天台の教えを求め日本を出発した最澄は、数多の困難を乗り越え、延暦23年(804)、ついに唐の地へたどり着きました。中国大陸への航海は現在とは異なり、まさに命がけ。実際、最澄は4隻からなる船団の一員として唐へ出発しましたが、そのうち2隻は遭難し行方不明、残りの2隻(最澄が乗船した船と空海が乗船した船)も荒波によって遠く離れた別々の場所に到着するという厳しい航海でした。
道邃和尚伝道文 道邃和尚が最澄に授けた付法の証明書。平安時代(9世紀)の写本が比叡山延暦寺に伝えられている。(今回展示しておりません。)

唐に到着した最澄は、皇帝のもとへ向かう遣唐使一行と別れ、天台山へと向かいました。

天台山周辺の台州に着いた最澄は、天台山山麓に伽藍を構える龍興寺を訪れました。その龍興寺で出会ったのが、天台宗第七祖とされる道邃和尚(どうずいかしょう)。最澄は道邃和尚のもとで多くを学び、天台大師から脈々と伝えられていた天台の重要な教えを授かりました。
天台山国清寺の近くに建つ隋塔。最澄が訪れる以前、隋の時代に建立されたとされる六面九層の塔が現在もそびえ立つ。

最澄はいよいよ天台山へ歩みを進めます。
天台山山上では行満和尚(ぎょうまんかしょう)と出会い、数々の経典等を書写しながら多くのことを学び、天台大師や天台の高僧とゆかりのある宝物とともに天台の重要な教えを行満和尚から授かりました。
天台山国清寺。天台大師智顗により整備が始まり、没後の開皇18年(598)に整備が完了した。

最澄が天台山で学んだことは天台の教えだけではありませんでした。翛然禅師(しゅくねんぜんじ)からは禅を学び、道邃和尚からは天台の教えだけでなく大乗菩薩戒を授けられました。天台の教え(円(法華))だけでなく、禅や戒という様々な教えを学んだ最澄。しかしここで最澄は歩みを止めず、さらなる教えを求め、新しい地・越州(現在の紹興)へと赴きました。

越州で出会ったのは、当時唐で盛んになっていた密教の僧侶、順暁阿闍梨(じゅんぎょうあじゃり)。この出会いにより、最澄は順暁阿闍梨から密教の一端を授けられ、密教を日本へと持ち帰りました。このようにして、最澄により、天台密教が形作られるとともに、「円(法華経)・密・禅・戒」という四宗が融合した日本天台宗の基盤が整備されました。

日本で初めて灌頂をおこなった最澄

約10カ月の唐での学びを終えた最澄。
日本へと戻った伝教大師を待ち受けていたのは、最澄を庇護していた桓武天皇の病でした。加持祈祷により現世利益を祈る密教を持ち帰ってきた最澄には、桓武天皇の病を治すという密教の祈りが大いに期待されました。
延暦24年(805)9月7日、勅命により、最澄は日本で初めて密教灌頂を京都の高雄山寺において執り行いました。灌頂とは、密教の師(阿闍梨)から弟子へと密教が継承される際に行われる儀式で、古代インドの国王が即位するときに頭頂に水を注ぎ祝意を表す儀式が仏教に取り入れられたものです。最澄によって執り行われた日本で最初の灌頂において、最澄は桓武天皇だけでなく皇族、貴族、高位の官吏に加えて南都六宗の高僧にも灌頂を授けたといいます。智慧の法水により過去の罪を滅し、自身が持つという仏の性質(仏性)を育むことができるという灌頂。密教灌頂を通し、桓武天皇は自身の治世を振り返るとともに、今よりももっと平らかな世を目指すという決意を固めたのかもしれません。
天台法華宗年分縁起(複製) 冒頭の3文書に、比叡山で年分度者2名を認めるよう朝廷に上表した際の内容が記されている。

当時の人々は、さらに最澄が持ち帰ってきた密教を必要としました。
延暦25年(806)、朝廷は、天台宗に対し年分度者(ねんぶんどしゃ、国により宗派ごとに定められた1年間に得度できる僧侶)を認めました。天台宗が認められた年分度者は年間2名。そのうちの1名が、密教を修学する「遮那業(しゃなごう)」の僧侶として認められたのでした。

このようにして、比叡山において密教を学ぶ僧侶が育成され始めていきました。

最澄が育てた僧侶たちが天台密教を発展させていく

天台密教は最澄が育成した僧侶たちによりさらに花開いていきました。

伝教大師の高弟の一人として名高い慈覚大師円仁は、承和5年(836)6月より約9年もの間、唐へ渡り仏の教えを学び、その成果を日本へ持ち帰りました。その中で、慈覚大師は胎蔵界・金剛界・蘇悉地(そしつじ)という3つの密教の教えを授かり、日本へともたらしました。この3つの密教の教えが、現在まで伝法されている天台密教の礎となりました。
智証大師円珍坐像 比叡山延暦寺大講堂におまつりされている

第五代天台座主をつとめ、園城寺(三井寺)を再興した智証大師円珍は、仁寿3年(853)から約5年間唐へ渡り多様な密教の教えを持ち帰りました。そして円珍は円仁が日本へもたらした密教の教えを拡充させ、天台密教をさらに体系立てました。

円仁や円珍が活躍した後も、天台密教は育まれていきました。

円仁の弟子である建立大師相応(こんりゅうだいしそうおう、831~918)は、葛川の参籠で生身の不動明王を感得し、回峰行の道場として無動寺谷を開きました。さらに、五大院先徳と呼ばれる阿覚大師安然(あかくだいしあんねん、841~不明)は、天台密教の教学を集大成する書物をまとめ、多様性のある天台密教を築きました。

平安時代末期から室町時代では、「台密十三流」といわれるように天台密教はさらに発展しました。そして、様々な天台密教の流派が比叡山に現在まで伝えられています。

「現在比叡山に伝えられている密教の流派は、大きく分けて、三昧流(さんまいりゅう)、法曼流(ほうまんりゅう)、穴太流(あのうりゅう)、葉上流(ようじょうりゅう)、西山流(せいざんりゅう)の5つあります。」
比叡山延暦寺の僧侶である櫻井行尚師は学生たちに語りかけます。

「さらに、流派ごとに灌室(かんしつ)があり、同じ流派でも灌室ごとに伝法する内容は少し異なっています。例えば、穴太流には、鶏足院(けいそくいん)や行光坊(ぎょうこうぼう)、総持坊(そうじぼう)という灌室があり、灌室それぞれの特色があります。比叡山延暦寺は「三塔十六谷」から構成され、それぞれの谷の中での結びつきが強いとよく言いますが、灌室もそれぞれの谷ごとに存在しており、天台密教の多様性を育んでいます。」

一般の方々が自身で天台密教を直接体感できる唯一の機会「結縁灌頂」

密教はその文字の通り『秘密の教え』です。ですので、いつの時代も密教は限られた人にのみ伝法され、今日まで育まれてきました。そのような密教の特色から、護摩祈願などに参列して僧侶の後ろでお祈りをすることはあっても、一般の方々がご自身で密教を直接体感する機会はほとんどないと思います。」

ですが、一般の方々でも天台密教を自身で直接体感できる機会があります。
その儀式とは「結縁灌頂(けちえんかんじょう)」。

「比叡山では、密教を直接体感して皆様に仏さまとご縁を結んでいただく「結縁灌頂」という密教儀式を毎年6月に行っております。今回、多くの方々に天台密教を体験していただきたいという思いから、実際の結縁灌頂の道場を再現し、結縁灌頂の重要儀式である「投華」を実際に体験していただけるようにしております。」

投華体験ができる場所に入ると、曼荼羅に描かれた極彩色の仏さまに囲まれます。
「結縁灌頂は東塔地域にある法華総持院の隣に建つ灌頂堂でおこなわれます。灌頂堂の内部には、灌頂を行う灌頂道場が設えられており、結縁灌頂が行われる際には、正面に曼荼羅を掛け、壇の上には敷曼荼羅が敷かれます」
結縁灌頂が行われる灌頂堂

「皆様は目隠しをされた状態でこの灌頂道場に入ります。そして、今回体験していただく投華をしていただきます。」

「投華を行う際、まず、皆様には目隠しをされた状態で壇へ進んでいただきます。そして、胸の前で手を伸ばし、中指に挟んだ樒(しきみ)を壇の上の敷曼荼羅に落とし、樒が落ちたところの仏さまとご縁が結ばれます。今回の密教体験では、樒の代わりに散華を使います。それでは、実際に体験してみましょう。」

散華を中指に挟み、壇の上へと手を伸ばします。
そして、合図とともに散華を壇へ投じます。
実際の結縁灌頂は目隠しをされ視覚が制限されている状態。実際の結縁灌頂に思いをはせながら投華を体験すると、自分の感覚が研ぎ澄まされている状態であるからこそ仏さまと向き合いご縁を結ぶことができるのだと感じました。

「仏さまとご縁を結んでいただくと、皆様は様々な感覚・思いを抱かれると思います。ご縁を結んでいただいた仏さまを通して、結縁灌頂は、そうしたご自身の気持ちの動きや変化というものを見つめなおして、これからのご自身の歩みを考える一つの機会にもなると思います。今回の展示で皆様に天台密教に触れていただき、皆様それぞれが思う天台密教の魅力を見つけていただけたらと思います。」

参加大学生の感想

今回の密教体験が一般の方々にとって天台密教に触れる1つの機会となってほしいという願いが込められていること、そして、天台密教がどのように1000年以上今日まで伝えられてきたのかということを実感することができました。私自身、お寺を訪問する中で『密教』という言葉は聞き馴染みのある言葉でしたが、伝教大師が日本へ伝え慈覚大師や智証大師が拡充した天台密教とはどのような教えなのか、灌頂とはどのようなものなのか深く理解しておりませんでした。今回ご案内いただいた密教体験を通して、伝教大師や慈覚大師、智証大師をはじめとする歴代の比叡山の僧侶の皆様が密教のうちどのような教えを大切にされていたのか、そして、仏様のためにただ受け継ぐだけでなく教えを拡充していくという僧侶の皆様の姿が垣間見え、僧侶の皆様の密教に対する熱意や気迫というものの一端に触れたように感じ、たいへん感銘を受けました。

立命館大学 大学院 博士課程

今まで、護摩の法要に参加させていただくこと等、密教に触れることはあっても、分からないことが多く、延暦寺国宝殿の場で密教について体験させていただきながら詳しく学ぶことのできる貴重な経験となりました。結縁灌頂の際に行う投華体験をさせていただく中で、曼荼羅や十二天に囲まれる中で行う特殊な空間に入り散華をさせていただくことは、普段とは別の世界に入り行われているという不思議な感覚であると感じ、灌頂堂で行われる際にはより神聖な空間であるのだと思いました。また華を投げさせていただき、自らの仏と縁を結ぶということは、行う前と後ではその仏を思う気持ちがより強くなるように感じ、今回の体験でも見えない繋がりができたようにも思いました。

奈良大学 大学院 博士前期課程
=2025大阪・関西万博記念 特別企画  「密教体験ー曼荼羅と仏たちー」=
■開催期間
2025年4月19日(土)~5月11日(日)
2025年7月19日(土)~11月24日(月祝)
投華体験は上記期間中の土日祝
※パネル展は4/19~11/24の全期間中開催(国宝殿休館日を除く)

■開催場所
比叡山延暦寺 東塔 国宝殿3F特別催事室

■料金
大人500円 中高生300円 小学生100円 (国宝殿通常拝観料)
※比叡山延暦寺諸堂巡拝料は別途必要