お茶の文化が日常の中に溶け込む比叡山の麓・坂本で八十八夜のお茶摘みに参加する
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いろり端

特集「一隅を照らす」

お茶の文化が日常の中に溶け込む比叡山の麓・坂本で八十八夜のお茶摘みに参加する

【2025年5月1日訪問】
さわやかな風が新緑の葉を揺らす5月1日。比叡山の麓の坂本のまちの一画で毎年恒例の茶摘祭が執り行われます。2025年の茶摘祭では、茶園の前を通る道路の拡幅工事に伴う再整備後初めての茶摘祭ということで、地元の方々をはじめ煎茶道黄檗売茶流家元と社中の皆様、坂本に息づくお茶の文化を伝承・発信している「日本最古のお茶伝承プロジェクト」の参加者を含むたくさんの方々が日吉茶園に集いました。さらに、この茶摘祭に合わせて、坂本の町並みの中に育つ茶の木々から茶摘みをして、伝御大師が生きた時代に中国で行われていた製茶方法でお茶をつくる「坂本餅茶づくり」も開催されました。全国的に有名な穴太衆積みの石垣の中にひっそりと育つ茶の木を探し、伝御大師が生きた時代の手法で茶をつくる。そのような貴重な経験を、様々な世代の方々とともに学生たちが体験しました。

日本最古の茶園で茶摘祭が執り行われる

5月1日の午前9時過ぎ。京阪電鉄坂本比叡山口駅に隣接する日吉茶園に続々と人々が集まってきました。毎年恒例の茶摘祭に参列するためです。

日吉大社の森真吾宮司をはじめ、日吉大社の神職の方々が祈りの言葉を紡ぎます。
雲一つない青空のもと、鮮やかな黄緑色に輝く茶の芽は、あたたかい日差しに照らされ、ますますかがやいて見えます。

「本年も茶摘祭に参列いただきましてありがとうございます。今年の茶摘祭は、茶園の再整備完了後、初めての茶摘祭になります。皆さんとともに一番茶を摘むことができてほっとしております。」
そのように参列した皆さんに語りかけるのは森宮司。

「この日吉茶園は坂本比叡山口駅の隣の地で、地元の皆さんに親しまれてまいりました。しかしながら、日吉茶園の前を通る県道の拡幅工事により、坂本の皆さんに今までずっとずっと愛され続けてきた日吉茶園の敷地の半分ほどが道路になることになりました。皆さんに愛され続ける日吉茶園をどのように未来へ伝えていくか、先代宮司の頃より懸案事項となっておりました。」

「そしてこのたび、皆さまから大きなお力添えをいただきまして、茶園を南側にずらすという再整備を行いました。一時的に他の場所に移していた茶の木々を元に戻し、さる4月29日には茶園の再整備完了に伴う竣功奉告祭を、本日5月1日には茶摘祭を無事に執り行うことができました。本当にありがたいことです。」

「こちらの日吉茶園は、伝教大師最澄上人が唐より帰国した際、日本へ茶の種を持って帰られたことに始まると伝わっております。その際、比叡山麓の坂本のまちなかに茶を植えられたのだそうです。そうしたことから、坂本のお茶というのは、日本茶の始まり、日吉茶園は最古の茶園だともいわれております。」

「このような歴史のある茶園ですので、大正7年(1918)、当時の日吉大社の宮司が滋賀県を通じて天皇陛下に献上できないかというお願いをしました。この願いが実ったのが大正11年のことです。大正11年から戦後の昭和21年まで天皇陛下にこの日吉茶園のお茶を献上させていただいていた歴史がございます。この日吉茶園が今までと同様に、ずっとずっと皆さまに愛される茶園でありますように、私たちも努めていきたいと考えております。」

新たな歴史を紡いでいく日吉茶園。坂本の皆さん、そして日本全国の皆さんとともにどのような歴史を紡いでいくのか思いをはせる時間となりました。

坂本の日常の中に溶け込んでいるお茶の文化

日吉茶園での茶摘祭の後、延暦寺の里坊の1つである恵光院の住職をつとめ、坂本に暮らす住民でもある小鴨覚俊師とともに坂本の町並みを歩きながら、坂本とお茶の関係性を探りました。

「本日はようこそ坂本へお越しいただきました。これから坂本とお茶の関係性を探ってまいりますが、その前に坂本の町並みについてお話したいと思います。」

大きな門をくぐりたどり着いたのは坂本比叡山口駅近くに伽藍を構える生源寺。

「こちらのお寺は生源寺というお寺です。伝教大師がお生まれになった場所で、後にお寺になりました。境内には井戸がございますが、伝教大師の産湯に使用されたと伝えられています。」

「生源寺のご本尊は十一面観音様です。伝教大師は観音様を非常に大切にされたといいます。そのことを感じられるのが、伝教大師がお生まれになる際の逸話です。伝教大師がお生まれになる前、伝教大師のお父さんとお母さんは「子供が授かりますように」と1週間の願をかけてこの日吉の山に山籠もりをしました。その際、4日目に観音さまが夢の中に姿をあらわしたといいます。伝教大師は、両親がお籠りをした場所に御自作の観音様をお祀りされました。現在「神宮寺」として同じように観音様が祀られており、延暦寺の回峰行者もお参りを欠かさない場所の一つです。」

生源寺のご本尊にお参りして横に抜けると、生源寺の近隣に様々なお寺が並んでいることに気が付きます。

「坂本の街中にはお寺がたくさん点在しております。この坂本のお寺は里坊といいまして、お山での修行を終え年齢を重ねられたお坊さんが麓で余生を過ごす場所として建てられました。比叡山の山上の坊である山坊に対して、麓の里にある坊で里坊ということになります。」

「昔は先ほどお参りした生源寺より比叡山側は多くの里坊が存在しました。現在、里坊ではなく一般の方々が住んでいらっしゃる家もありますが、もともとは里坊であったり、中には里坊の建物を引き続き使用しているお家もあります。」

「なぜ最初に里坊についてご紹介したかといいますと、里坊とお茶には大きな関りがあることが最近調べてわかってきたからです。例えば、近くの垣根や石垣を観察してみてください。」
小鴨師の言葉通りに目を向けると、垣根の間や有名な穴太衆積みの石垣の隙間に茶の木がひっそりと生えていました。

「よく見てみると垣根をつくる他の木の隙間にひっそりと茶の木が混ざっていますよね。ほかの里坊でも同じように垣根や石垣の隙間にひっそりと生えていることが多いようです。ひっそりと生えていますから、垣根として植えられたのではなく、どこからか種が移ってきて育ったのかもしれませんね。実は、私も坂本の石垣にこれほど茶の木が生えているなんて気が付いていませんでした。このお茶のプロジェクトに携わるようになってから、ここにも、あそこにも生えていると驚きました。」

里坊が連なる坂本の街並みの中にひっそりと育つ茶の木を探しながら歩いていると、大林院という里坊にたどりつきました。
大林院 門前に茶畑のように茶の木が整備されている

「こちらの里坊は大林院といい、ご住職は、現在毘沙門堂門跡の門主をお務めになっておられます。大林院の門前には茶園のようにお茶の木を整備しておられます。大林院御住職の長男である今出川行戒延暦寺副執行にお聞きすると、子供のころにはお茶摘みの手伝いをしていたといいます。そして、家のお茶やお供えのお茶を自分たちで作っていたそうです。」

「実は、このことはお寺に限ったことではなくて、この坂本に住む方々にとっては当たり前のことであったそうです。お茶は買うものではなくて自分たちで作るもの。こうしたお話をお聞きすると、お茶の文化が当たり前の存在として坂本の日常の中に溶け込んでいるからこそ、伝教大師がお茶の種を持ち帰って以来1200年間伝えられてきたのかなと思います。」

坂本の街並みを巡り坂本の歴史を体感しながら茶摘みをする。そのような貴重な経験を体験しながら次の目的地へ到着しました。
止観院 かつて比叡山に集まる年貢を管理していた行政機関であったという

「こちらは止観院という里坊です。やはり最初に目を惹くのがこちらの大きく立派な門ですね。今まで見てきた他の里坊と比べるとかなり印象が異なっているのではないでしょうか。この止観院、お坊さんが余生を過ごす場所ではなく、比叡山に納められる年貢の管理などを執り行う行政機関でした。門の内を見てみると、大きな蔵が見えますね。あちらの蔵に集められてくる年貢米を保管して山上に納めていました。また、今はお庭になっていますが、かつてはお白州であったそうです。そうした歴史の後に現在のように里坊になったと聞いています。」

「こちらの止観院の内部にもお茶の木が生えているそうなので、お茶摘みをさせていただきましょう。」

止観院の門をくぐり内部に入ると美しい庭園が広がっていました。その庭園の奥にひっそりとお茶の木が育っていました。止観院のご住職をつとめる小林祖承師とそのご家族の皆さんとともにお茶摘みをする学生たち。お茶摘みだけでなく、坂本での日々の暮らしなど様々なことを教えていただき、皆さまと楽しく交流する貴重な時間を過ごすことができました。

その後も日増院や慈眼堂などを巡りお茶摘みをした学生たち。
最終目的地の滋賀院門跡にたどりつくころには、手に持つかごの中にはたくさんの茶葉が集まっていました。

「皆さんお疲れさまでした。日吉茶園からぐるっと坂本を1周して滋賀院門跡まで来ました。茶の木を探しながら坂本を巡っていただいてどうでしたか。坂本にこれほどお茶の木が生えていたのかと驚いていただいた方も多いのではないでしょうか。坂本には里坊の他にも古い町屋が多く残っております。こうした里坊や町屋にはきっと今もお茶の木が人知れず育っているのかもしれません。このお茶のプロジェクトを通して、まずは坂本のお茶の大事さに皆で気づいていきたいと考えています。そして、坂本での暮らしに溶け込むお茶の文化を皆さんとともに繋いでいけたらと思います。」

何度も通ってきた坂本の石積みの道。今まで気が付きませんでしたが、そこには人々の営みの中で育まれてきたお茶の文化がありました。何気ない日常の中で1200年もの長い時を超えてきた坂本のお茶。これから数百年、数千年も坂本のお茶の文化が紡がれていくことを表すかのように、石垣の上に育つお茶の木には鮮やかな黄緑色に輝く茶の芽がたくさん芽吹いていました。

伝教大師が生きた時代の手法で餅茶をつくる

坂本を巡りお茶摘みをした学生たち。
いよいよ集めた茶葉を使って餅茶をつくっていきます。
餅茶の作り方を教えていただくのは、日本最古のお茶伝承プロジェクトの代表をつとめる堀井美香さん。
堀井美香さんからまず餅茶づくりの工程を解説いただきました。

「歴史ある坂本の町並みを巡り茶摘みを行いました。皆さんお楽しみいただけましたでしょうか。ここからは、先程集めていただいた茶葉を使って、餅茶を作っていきたいと思います。」

「餅茶を作るにあたり、まず行うのが「蒸す」工程です。これは茶葉の酸化発酵を止めるために行う工程です。今回は、竈(かまど)の上に茶葉を敷き詰めた竹蒸籠を2段において、1段あたりそれぞれ1分ずつ、合計2分間蒸していきます。その次に行うのが「搗く(つく)」工程です。蒸した茶葉を木臼にいれて杵で搗いて茶葉をすりつぶしていきます。この作業がかなり大変です(笑)。みんなで協力してつぶしていきましょう!ただ、杵だけではなかなか細かくできないので、更にすり鉢とすりこぎを使って細かく滑らかにしていきたいと思います。」

「この次に行うのが「計量」と「成形」になります。今回は2つのサイズを作ります。大きいサイズが15 g、仕上がりの大きさが4.5 cmくらいになります。小さいサイズが10 g、仕上がりの大きさが3.5 cmくらいになります。今日は、大きいサイズを40個、小さいサイズを40個作ることを目標にしています。」

「そして成形ですが、こちらにある円形木型と木槌・押し棒を使っていきます。木型の円の中に計量した茶葉を入れ、木槌もしくは押し棒で圧力をかけていきます。このとき、均一に圧力をかけていかないと乾燥する際にひびが入ってしまうので注意してくださいね。成形の後は茶葉を乾燥させて仕上げますが、乾燥工程は甲賀市水口にある滋賀県農業技術振興センター(茶業指導所)にお願いするので、今回この場所では、成形の工程まで実施いたします。それでは餅茶づくりに移りましょう!」

工程を理解したところでいよいよ実践に移ります。
まず最初に行うのが「蒸す」工程
竹蒸籠に茶葉が重ならないように慎重に並べます。
そして何より緊張感が漂うのは竈の前に立つ皆さん。
蒸し加減がお茶の色や風味にも影響を与えるため、秒単位で竹蒸籠の1段目と2段目を交換していきます。そのようにして蒸された茶葉は、摘んだ時よりもいっそう鮮やかな黄緑色に輝いて見えました。
そして次の工程である「搗く」作業。
昨年も参加した学生やお茶について研究している方に教わりながら鮮やかな茶葉をすりつぶしていきます。なかなか力加減が難しく、周囲に貴重な茶葉を飛ばしてしまうこともありましたが、すりつぶしていく作業を進めていくと香しいお茶の香りが周囲に漂い始めます。

さらに、すり鉢とすりこぎを使用して滑らかにしていく工程では、疲れずに上手にすりつぶす方法を参加している皆さんに教えてもらいながら作業を進めることができました。

最後の計量と成形。目で見るよりも力加減が難しく、なかなか苦戦します。しかしながら、くじけずに圧力を均一にかけて型からそっと押し出すと、黄緑色に輝き円形の美しい餅茶が姿をあらわしました。各工程を経て、竹籠の上に置かれていく餅茶は、美しい緑色を呈し、さながら美しい宝石が並んでいるようにも思えました。
「お疲れさまでした。皆さんにつくっていただいた餅茶は今すぐに飲めませんが、せっかくですので最後に、昨年つくった餅茶を味わっていただきたいと思います。餅茶の飲み方は、私たちが普段飲んでいるお茶とは異なります。今から実践するので、よく見ていてくださいね。」

堀井さんの前に用意されたのは急須ではなくお鍋を食べるときに使うような土鍋。この土鍋を使ってどのようにお茶をいれていくのでしょうか。

「伝教大師が留学された中国では当時、お茶は主に煮て飲まれていました。これを“煮茶法”と呼びます。今日は簡単な道具ではありますが、粉にした餅茶を煮て飲みたいと思います。ちなみに、抹茶のように茶碗の中で茶を点てて飲む方法(点茶法)が流行するのは後の時代で、中国でいうと宋の時代、日本に伝わったのは平安時代の終わりごろから鎌倉時代にかけてのことです。」

「それでは早速お茶を煮ていきましょう。水は日吉大社の東本宮で汲んだ清水を使います。土鍋に入れた水を沸かし、湯の沸く段階により一沸から三沸に分けて煮茶を進めます。一沸の時に、適量の塩を加えて味を調えます。 」

塩が入るとどのような味になるのだろうと参加の皆さんとともに想像が膨らみます。

「次に二沸の時、一勺(瓢)の水を汲みだします。そして湯の中心をかき混ぜて渦巻きを作り、茶粉を量って中央に落とします。しばらくして湯が沸騰してボコボコと波立てば、汲みだしておいた湯を戻して沸騰を止め、表面に白い茶の泡ができるようにします。これが「茶の華」です。茶粉が鍋底に沈んだら、底に溜まったお茶の粉末が混ざらないように上澄みをそっと汲み、お茶碗に移したら完成です。」

「普段飲んでいるお茶と比べて味に違いはあるでしょうか。伝教大師が中国より持ち帰ってきた坂本のお茶をつかって、伝教大師が生きた時代に飲まれていた方法でお茶を飲む。皆さんがこのお茶を通して、坂本に伝わってきたお茶の文化を体感していただきその魅力を感じ取っていただけたら幸いです。」
「また、本日つくった餅茶のうち大きいサイズのものは、延暦寺や日吉大社に御奉納いたします。10月25日には日吉大社で献茶祭が行われますので、その際、本日皆さんとつくった餅茶をお披露目します。茶道具や衣装も1200年前の唐代を再現した茶宴を披露しますのでぜひお越しくださいね。」

伝教大師がもたらしたお茶の葉を摘み、伝教大師が生きた時代の製法でお茶をつくり、伝教大師が生きた時代の方法でお茶を飲む。これほど贅沢な機会はないと思います。日常に溶け込み、当たり前の存在であることから1200年の時を超え今に伝えられている坂本のお茶。その坂本のお茶を中心に様々な世代の皆さんと坂本の魅力に触れた時間はかけがえのないものとなりました。

参加大学生の感想

今回の茶摘みイベントの参加では、坂本とお茶の関係性と茶摘みから実際に人が飲むまでどれほどの手間がかかっているかを実感できたことが印象深く残っております。
伝教大師を学ぶ際に、伝教大師が唐より茶の種を持ち帰り植えたこと、その茶の子孫が坂本の日吉茶園で守り伝えられていることを知りました。今回坂本の町を歩き、里坊の門前で育てられていたり、垣根の木々の間に茶の木がひっそりと生えていたり、石垣の隙間から1本だけ育っている姿を見て、坂本に暮らす人々にとって茶はとても身近な存在なのだと実感しました。
また、茶摘み後に行った餅茶づくりでは、蒸した茶の芽を人力で細かくつぶし、数キログラムの茶の芽からほんの僅かしか制作できないことを実際に体験し、機械化されているであろう現代のお茶製造を考慮しても普段何気なく飲んでいるお茶がどれほどの労力がかけられているのか考えさせられました。また、最後に実際に餅茶を飲ませていただき、塩が入っていることで、茶の出汁を飲んでいるような感覚を覚え、以前文献の中で記されていた茶が薬と言われていたことの意味が理解できました

立命館大学 大学院 博士課程

私はお茶摘み自体が初めてで、新芽があんなにやわらかくて可愛らしいことを知りませんでした。日吉茶園に足を踏み入れるときは少し緊張しましたが、日吉大社に奉納されるお茶に関わると考えると、誇らしい気持ちになりました。中でも、坂本のまちを歩きながら新茶を摘んでいく時間がとても好きでした。自分たちで新芽を探すのは楽しかったですし、生垣や川,少し曲がったカーブミラーなど、故郷を思い出す風景が多くて懐かしい気持ちになりました。ほとんどの生垣にお茶の木が潜んでいて、坂本にはお茶の文化が根強く、地域の人にとっても当たり前になっているのだと思いました。私は大学1年生からボランティアをしていて、地域の人と関わるのが好きです。今回も、特に新茶をすりつぶして成形する作業でたくさんの方とお話しすることができました。すり鉢を使う時のコツや昔のことをたくさん教えて頂き、大変勉強になりました。年齢も性別も関係なく、皆さんが好奇心のままに和気あいあいと作業している様子を見て、素敵だなぁと思いました

立命館大学 経済学部 4年

坂本の町は何度か訪れたことがあり、日吉茶園のことも知っていたのですが、坂本の町の中にここまで多くお茶の木が残されていることに驚きました。
小さい時にはお茶を摘むことをやっていたというお話をお聞きして、坂本の町にとってお茶というものが身近なものであるのだということを実感することができました。これからは坂本の町を歩いている中で、自然とお茶の木を探すことになりそうです。初めてお茶を摘むという体験をさせていただき、摘みながら集めていくのは気持ちが良かったのですが、その新芽を集め、飲むお茶の分として集めることはとても大変なことであることを知りました。またその後の餅茶づくりの工程を含めますと相当の時間がかかることを知りました。普段何気なくお茶を飲んでいますが、ここまでの工程があってのお茶であることをしっかりと感謝をして飲んでいこうと思いました。

奈良大学 大学院 博士前期課程
日吉茶園 茶摘祭 八十八夜茶摘み&唐代「坂本餅茶」づくりイベント
滋賀県大津市坂本
2025年5月1日