50年に一度、ご本尊・薬師如来坐像のご開扉が執り行われた「瀧山寺」を訪ねる
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いろり端

特集「一隅を照らす」

50年に一度、ご本尊・薬師如来坐像のご開扉が執り行われた「瀧山寺」を訪ねる

【2025年4月27日訪問】
新緑が芽吹き、お寺の慶事をお祝いしているように青空が広がる4月27日、瀧山寺のご本尊・薬師如来坐像のご開扉法要が執り行われました。地域の方々やご来賓のみなさま等多くの参詣の方々が集まる中、大きなお厨子の扉が開かれました。

人々の前に姿を現したご本尊・薬師瑠璃光如来

御開扉法要の時間になりました。
様々な色の法衣を身にまとう僧侶の方々が続々と本堂へ入ります。
法要の始まりを告げる音とともに法要が始まり、僧侶の方々の読経の声が境内に響き渡ります。瀧山寺のご住職を務める山田 亮盛師によって今回の御開扉の願文が読み上げられた後、本堂中央の厨子の扉が開かれました。
扉が開かれると同時に閉じ込められていた空気が一斉に放たれたように一筋の風が参列する皆さんの間を通り抜けました。そして、人々の前に、穏やかで優しい表情を参拝者に向ける清らかなお姿のご本尊さまの姿が現れました。そのお姿は、まさに参拝者の皆さんとお会いする事を待ち望んでいらっしゃったように感じられました。
お前立・薬師如来坐像

「普段は中央のお厨子の扉は閉ざされ、鎌倉時代に造られた鋳造製のお前立のお姿を直接拝んでいただいております。ご本尊のご開扉は50年に一度であるとされています。また、その50年に一度のタイミング以外においても、何かおめでたいことがお寺や地域であればご開扉を実施してまいりました。前回の御開扉が平成24年、三門の修復が完了したことを記念して執り行われた御開扉、その前が平成元年、運慶・湛慶父子が造立した聖観音立像・梵天立像・帝釈天立像をおまつりしている宝物殿の完成を記念して執り行われた御開扉になります。それ以前には、昭和の初めに御開扉を行ったと伝え聞いていますが、詳しい事は残念ながら伝わっておりません。平成元年の御開扉の際には、ご本尊さまに関して伝わっていることが少なく、先代の住職からご開扉の前日に厨子の中にご本尊さまが本当に実在しているのか確認してこいと言われたほどです。」

「今回はお寺や隣の瀧山東照宮、地域の3つの慶事を記念して実施する御開扉です。どのような慶事かと申しますと、まずは、現在皆さんの前に並んでいらっしゃる日光菩薩・月光菩薩・十二神将像が国の重要文化財に指定されたこと、そして、瀧山寺の隣の瀧山東照宮の修復が完成したこと、さらに、瀧山寺を舞台に行われる瀧山寺鬼祭りが国の重要無形文化財に指定されたことになります。瀧山寺は地域の方々との繋がりによって成り立っております。この喜ばしいことをお寺だけで留めておくのではなく、地域の皆さんと共有してお祝いするべきだと思い、今回御開扉の実施を決意しました。」

「ご本尊の薬師如来さまについては、長年秘仏であり、記録も伝えられておりませんので、詳しい事は私もわかっておりません。大きさは160 cmほどの座っているお姿の薬師如来さまで、とても大きな木を割って体の部分を造ったのではないかと聞いております。ただ、お姿の様子や身にまとう衣の表現などから、平安時代に造立されたのではないかと考えられています。瀧山寺の本堂の内部には平安時代に造立された毘沙門天立像と不動明王坐像がおまつりされているので、もしかしたら、この2躯と同じ時代くらいに造立されたのかもしれません。50年に一度ご開扉となる秘仏で、あまり厨子の中から出されていなかったお像です。そのため、造立したときのお姿が多く伝えられているのではないかと考えています。実は今回のご開扉をきっかけに詳細な調査を行う予定です。もしかしたら数年後にはご本尊さまに関する詳しい情報が発表されるかもしれませんね。」

「今回の御開扉が終わると、次の御開扉は50年後になると思います。私は幸運なことに平成元年、平成24年、令和7年と3回もご本尊さまのお姿をお参りすることができました。これほどありがたいことはありません。」

魅力あふれる仏さまの秘められた歴史が明らかになる

「今回の御開扉は、本堂内の日光菩薩・月光菩薩・十二神将像の国の重要文化財の指定記念、瀧山寺の隣にある瀧山東照宮の修復完了記念、鬼祭りの国の重要無形文化財の指定記念という3つの喜ばしいことが重なったことを記念して実施しております。」

「今回のご開扉のきっかけとなりました日光菩薩・月光菩薩・十二神将像は、以前はまったく注目されていないお像でした。ある時、奈良教育大学の山岸公基先生とそのゼミの学生の皆さんに、この無名の仏さまの調査を実施していただきました。すると、瀧山寺の縁起に記されている通り、1240~1250年にかけて造られた像であることが分かりました。例えば、十二神将像が身にまとう裾の下の部分が共通して丸く跳ねる像容という点が注目された特徴の一つになります。この特徴は鎌倉時代以降に造立されたお像に見られる特徴であるそうで、造立時代を考える一つの指標となったと聞いています。このように、細かく調査をしていただいた結果、日光菩薩・月光菩薩・十二神将像が国の重要文化財に指定されました。このことは瀧山寺にとっても、地域にとっても非常に嬉しいことです。」

「山岸先生には熱心に瀧山寺の仏さまを調査していただきました。調査についてお聞きすると、『自分は大変幸運だった』とおっしゃっていました。どういうことかと言いますと、仏像彫刻の研究において、調査が手つかずのお像という存在は非常に少ないそうです。ですから、瀧山寺の日光菩薩・月光菩薩・十二神将像のようにほとんど調査もされておらず、しかもお寺に伝えられている文書に記されている歴史に基づき、一から研究を行うことができる機会は、めったにないことなのだそうです。お寺としても、長い歴史に埋もれていたこれらのお像のことを再評価していただき大変ありがたかったです。」
「また、瀧山寺には記録があまり残っておらず、ひっそりとおまつりされている仏さまも多くいらっしゃいます。そのお像たちの中には、お参りの皆さんや研究されている先生の皆さんから指摘を受けて、びっくりするような歴史が分かることもあります。例えば、宝物殿に小さな十一面観音立像をおまつりしていますが、このお像についての詳細な記録などはお寺に伝えられておらず、ひっそりとあまり注目されずに瀧山寺でおまつりされてきました。しかしながら、研究者の方々に見出していただき、造立された時代や関係する仏師の方などについて議論を重ねていただいた結果、鎌倉時代の重要な作例としてようやく愛知県の文化財に指定していただいたということがありました。」

手を取り合う瀧山寺と瀧山東照宮

「3つの記念のうちの1つ、瀧山東照宮の修復完了もこの地域にとって非常に喜ばしいことです。」

「実は、瀧山東照宮の修理は構想から修理が完了した今日に至るまでで約10年もの歳月がかかりました。修理として大変だったのはお金を集めることで、修理には6億円以上の修理費用が必要となりました。国や県、市の補助金に加えて、この地域の皆さんからの御寄附や地元企業の方々からの寄付によって無事に修復を終える事ができました。お助けいただいた皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。」

「瀧山東照宮の修理は本殿からはじめて、その後に拝殿・幣殿の修理が行われました。そのため、本殿と拝殿・幣殿の修理完成時期には2年ほどの差があります。このことが良く分かるのが、建物の表面を彩る漆の様子です。注意深く見ていただくと拝殿・幣殿に塗られている漆の色がピカピカと輝いてみえることに対し、本殿を彩る漆はその輝きが少なくみえますよね。これは2年の年月の間で漆の色が紫外線によって変色してしまったからです。月日が経てば拝殿・幣殿も本殿のように輝きが落ち着いてくると思います。輝く漆に彩られる拝殿の姿は修理完了すぐの今だけしかみることのできない貴重な姿です。」
「他のお寺の御開扉では、神社の慶事をきっかけにしているところは滅多にないかもしれません。このようなことができるのは、瀧山寺と瀧山東照宮を地域みんなで守っていこうという良い関係が構築できているからです。徳川家の庇護を受けた江戸時代から現在まで、お寺と神社は時には反目していた時代もあったと聞きます。ですが、時代が移り変わる中で、瀧山寺と瀧山東照宮は相互的に助け合う関係になりました。今回のご開扉もぜひ東照宮の奉祝祭と合わせて一緒にやりませんかとお声がけしまして、5月4日に御稚児行列では、瀧山寺のご本尊さまだけでなく、東照宮も一緒にお参りできるように計画しています。」

地域との深い関係によって守られる瀧山寺

「今までのお話の中で、瀧山寺と瀧山東照宮のある滝町では、地域みんなで守っていこうという関係ができているということを何度か御紹介しました。この滝町の団結力の強さは岡崎市内でも有名でして、地域の催し物や消防団の訓練などでも褒めていただいています。それでは、なぜ滝町はこれほど団結力が強いのかといいますと、今回の御開扉のきっかけとなりました鬼祭りが深く関係していると思います。」

「瀧山寺の鬼祭りは、旧暦の元旦から7日間執り行われる修正会の最終日の夕刻に行われる祭りです。瀧山寺が舞台となっておりますが、滝町の住民が中心となって行われているお祭りです。以前の滝町の規約には、滝町の町民はもれなく瀧山寺鬼祭り保存会の会員であると書かれていました。20年ほど前に滝町の組長を務めていたときにその規約を見てこんなことを書いていいのかと驚いたことを覚えています。その後、規約からその文言はなくなったのですが、滝町全体で何かをするという文化が脈々と息づいています。」

「滝町の住民の皆さんの中では鬼祭りが一年の節目となっておりまして、鬼祭りが近づくとなんやかんやと集まり、みんなで協力して松明作り等作業を行っていきます。そうやって一緒に作業を行うことで、団結力が生まれているのだと思います。今日の御開扉法要でも人手が足りないと連絡してみると司会や準備、片付けを率先して手伝っていただいています。地域の皆さんとともに瀧山寺や瀧山東照宮をお守りする事ができるということは当たり前のことではないと思います。これはひとえにお薬師さまのおかげであると感じております。」
瀧山寺秘仏ご本尊薬師如来坐像は、5月11日までの期間のみのご開扉で、次のご開扉は50年後になります。5月3日には瀧山東照宮奉祝祭(落慶式)、5月4日には御稚児行列が行われました。新緑の季節、清らかなお姿のお薬師さまにお参りすることで、清々しい気持ちになりました。ご本尊さまにお参りする人々を包み込む優しく穏やかな境内の雰囲気に名残惜しさを抱きながら訪問を終えました。

参加大学生の感想

荘厳な雰囲気の中で拝観させていただき、あまりの迫力に思わず言葉を失うほどの感動を覚えました。
また、ご住職さまのお話はユーモアを交えながらも、歴史の深みや文化の重みをしっかりと感じさせてくださり、とても印象に残りました。寺社の関係性や漆の現状など、普段なかなか伺うことのできないお話の数々に、大変学びの多いひとときとなりました。
お寺、神社、そして東照宮が隣接するこの地に立ち、あらためて日本における宗教と政治の歴史的交差点としての重みを実感いたしました。瀧山寺という場のもつ奥行きの深さに、心から敬意を抱いております。

立命館大学大学院 博士課程

お寺の歴史や祀られている仏像に関するお話などを丁寧に教えていただきました。ご本尊の薬師如来像は包み込むようなとても温かい雰囲気があり、そのお姿は息を呑むほどの感動をおぼえました。また、脇侍の十二神将像や日光・月光菩薩像も流れるような装束を纏われていて、彫刻の精密さに感動しました。宝物殿に祀られている運慶作のお像もとても美しくて感動しました。ぜひまたお伺いさせていただきます。

立命館大学 4回生

このようなご縁をいただけて幸運でした。ご開扉の記録は残してはいけないと伺い、ご開扉がどれだけ寺院にとって特別なことなのか実感する事ができました。神社との関係を尋ねた質問にお答えいただいた時 、明治維新に触れられたことで、教科書とは別視点の歴史が、当時生きていた人はもういらっしゃらなくても世代を超えてそのときの心情も含めてリアルな記憶として残っていることが印象に残りました。鬼祭りのお話やご開扉に多くの人が参列していらっしゃる様子から、地域との親密さを感じました。

立命館大学 3回生
瀧山寺
〒444-3173 愛知県岡崎市滝町字山籠107
50年に一度の御開扉
2025年4月27日~2025年5月11日