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特集

第7回大学コラボフォーラム

世界最古の企業、日本の寺社建築を支える『金剛組』と日本文化について語る【後編】

大学コラボプロジェクトに参加している大学生が、その活動を通じて出会ってきた「文化」をさらに知るため、文化を支えてこられた方々と対話し、その魅力を深める大学コラボフォーラム。

第7回は日本社寺建築を支え続ける世界最古の企業、金剛組の取締役大阪本店長、阿部知己さんと、宮大工の棟梁で金剛組の7つある宮大工の組を束ねる匠会の会長でもある株式会社木内組代表取締役社長、木内繁男さんをお招きし「伝統文化を未来につなぐには」をテーマに語り合いました。
■開催概要
令和4年6月11日(土)10:30~11:30(約1時間)
会場(キャンパスプラザ京都)・オンライン視聴(Zoomウェビナー)同時開催

出演
阿部 知己さん金剛組 取締役大阪本店長
木内 繁男さん
株式会社木内組 代表取締役社長

ファシリテーター
長崎 真拓 京都大学
矢島 朋弥
 京都大学大学院
(以下、敬称略)

【後編】

歴史をつなぐこと

長崎いま魂とか命とかというワードが出てきましたけれど、この流れで次の話題に。歴史をつなぐ、伝統文化を継承していくということについてお伺いしたいと思います。
文化をつないでいくということに関して、矢島君と僕で具体的に考えてみたんですけれど。二人で議論を深めていくと、なかなか伝統文化の継承には課題が多いなということに気付きました。そもそも、私たちの若い世代が、文化をつなぐということを考えた時に、まず漠然とした未来を考えるという姿勢が求められますけれど、なかなかいまの時代というのは変化が速すぎて、未来が全く読めなくなってきていると思います。そうなってしまうと、逆に全く読めないからこそ未来のことを考えられなくなってきているのではないかと思っていまして、それがなかなか伝統文化の継承ということに我々若者世代が高い意識を向けることができないのではないかなと思います。この「歴史をつなぐ」「文化を継承する」ということが、どういうことなのか。そのために自分たちができることは何なのか、ということについて、残りの時間で話していきたいと思います。

矢島今回のテーマでも「伝統文化を未来へつなぐには」と、未来へ継承するという部分がフォーカスされていると思うのですけれど、より具体的に考えてみて、百年後とか千年後とかにどういう状態になっていたら、金剛組のお二人は自分たちの文化を後世へつなぐことができたなと感じられると思いますか。

阿部先ほど創業から1444年と申し上げましたけれど、私は会社で42年目になるのですが、金剛組の歴史からしたらまばたき一つに過ぎないかなと思っています。ですから、うかうかしていると何もないままにバトンを渡してしまうと、そういう使命感がありながら、毎日歴史を背中に背負ってやっているかというとそうではありません。本当に自然体でやってきました。
42年の間にいろいろな波がございましたけれど、百年後を考えてみたときに…木内棟梁の作品が築百年になりますが、棟梁の作品を見ている今の私たちの思いと、百年後の木内棟梁の作品を見た後進の方の思いが、おそらく変わらないのではないかと。この宮大工の仕事というのは、衰退もしなければ、劇的な進展もする必要もなくて、いまやっていることに真摯に向き合って引き継いでいくことが本来の姿で、おそらく金剛組の精神、神仏を敬う精神がある限り、この仕事はなくならずにいままでと同じように、百年後もこういったフォーラムをされて、昔の話をまたしていただけるのではないかと。私たちの先輩たちもそういう風に、百年前も同じようなことで、いまのようにデジタル社会じゃないですけれど、いろいろな場面でディスカッションをしていたのではないかと思っています。

矢島いまある現状を未来に同じままつないでいくことが一つの目標になってくる訳ですね。

〝いい加減〟ってとっても大切

長崎現状のものをつないでいくことを考えていくときに、いまの社会で何が一番の課題だと思いますか。

阿部いまはどうしてもスピードやコストがテーマになってきます。いろいろな経済環境の中で、本物をいかに速く安くやるかというのがテーマになるのですけれど、私たちはやっぱりラインを崩してはいけないと。自分たち、社員や棟梁の収入が減ってでも、本物は本物なのだと。
例えば、図面には「鉋を何回かけてください」とか、そういう表現は書いてない訳なんですね。請負をした限り、最高のものを提供させていただく。棟梁が弟子に「予算ないから鉋は3回だけでええよ」とかいうことはありません。とことんまで材料を環境に合わせて仕上げていくのがこの世界であり、ですから波もありますけれど、大事なことは「手を合わせるということはどういうことなのか」。私たちはよく「お天道様が見ている」と言うんですけれど、嘘をついたら絶対ばれると思っているので、見えないところだからこれで良いだろうという考え方もありません。正直にいこうと。見積も正直にしようということが、歴代当主の記録にも残っています。棟梁も同じ精神だと思います。

矢島形だけでなく、信仰心など「思い」の部分を残すことも重要になってくるんですね。木内さんはいかがでしょうか。

木内僕はいつも、若い子に仕事を教えるのに、現場で「いまはこういう風にしているけれど、本当はこうじゃないよ」と、本当の仕事をこうだと教えて、条件によって今回はこういう風にやろうと伝えています。その若い子がやがて、自分の弟子に簡略化した方法を教えてしまうと違うものになってしまい、その次の弟子にそれを教えて…とだんだんやっていってしまうと、本来の形ってどんなのかわからなくなってしまいます。ですから、常に「本当の仕事はこうやで」とちゃんと念を押しておいて、それからスタートさせています。

矢島本来の形を意識して残すことが大事ということですね。それは、先人の思いもそのまま受け継ぐということになるのですかね。

木内何も変えずに、いまのやつをそのままつなぐ。変えてしまうと形が崩れてしまうので。とにかく今の形を変えずに次に伝えていくのです。

矢島「文化をつなぐ」とはどういうことなのかを、このプロジェクトに参加して考えることが多いのですけれど、2つ意味があって、1つは〝形を残す〟ということ、もう1つは〝思いをつなぐ〟ということにあると思っています。いまおっしゃられたように〝形を残す〟ということは、昔の人の〝思い〟をそのまま受け継ぐことだと思うのです。形だけを残していく、例えば、コンクリートでも形があれば良いじゃないかとか、機械で人の手を入れずに造っても形がきれいならば良いのではないか、ではなくて、昔の人の〝思い〟をそこに継続して込めて残していくことが、文化をつなぐことになっていくのですかね。

木内四天王寺の金堂は戦争で焼けて、コンクリートで再現していますが、あれはうちの親父が31歳の時に棟梁としてやった建物なのです。当時の当主、女棟梁で有名な金剛よしえさんがうちの親父に依頼したのですが、コンクリートでやる方もやる方だけども、やれと言う方もやれという方だと僕は思っているんです。
その時にうちの親父があの建物でこだわったのが、コンクリートだけれども木のようにしているところです。木とコンクリートの違いは、木は時間が経ったら収縮するんですよ。50年後100年後にこの建物は収縮すると仮定して、わざと隙間をあけているんですよ、部材の接合部分に。ですからいま見たら、木造に見えるんです。それがこだわりです。

長崎修復ということを考えるときに、隙間をあけるように完璧・完全な状態をつくらないことはすごく大事になってくると思うのですけれど、どの技術もそうなのかもしれませんが、〝上手いいい加減さ〟というところは建築でも大切になってくるのでしょうか。

木内一番難しいのが〝いい加減〟。本当に大事なことで、逆に徹底してやることは誰でもできることなのです。予算が十分にあって、十分なことをするのは誰でもできる。だけど、〝いい加減〟にして完璧にする、これは一番難しい。

矢島〝いい加減〟と聞くといまは「適当」みたいな感じで聞こえてしまうのですけれど、本来はちょうど良いということですよね。そのちょうど良さを残す、ちょうど良いものを造るということが後世につながっていく。それが面白いなと思います。

長崎人の育成ということに力をおいていらっしゃいますよね。いまの〝いい加減〟さというところはやっぱり「こうしろ」と教えられるものではないと思うのですけれど、そのあたりはご経験や自分の姿を見せて教える感じなのですか。どうやって〝いい加減〟さを次の世代に教えていますか。

木内入って1年目は徹底的に技術の方を教えないといけないのですよ。2年3年経つとやっぱり、まわりの雰囲気を見てこの材料はこういう風にしたら良いとか直感でわかるように「〝いい加減〟にしいや」と。あまり無茶にちゃんとしたらあかんと本能的にわかるように。1年目にきっちり教えているので、応用が利くという感じで。

長崎応用が利くようになると、〝いい加減〟さを自分で判断できるようになってくるのですね。

信仰心がある限り、この仕事は続く

長崎矢島君、今日のお話を聞いた感想をどうぞ。

矢島いままで「文化をつなぐ」と聞くと、「形を残す」、目に見える形や固まったしきたりを守ることをやらないといけないと思いがちだったのですけれど、今日お話を聞く中で、その根底にある心の部分、命を吹き込むというところであったり、先人の思いを引き継ぐという側面が忘れられがちだったのではないかと思いました。その根底にある思いの部分を知ることで、僕たちが直接、木造建築を造っている訳ではありませんが、そういう風に思いがあるから木造建築文化が引き継がれてきたのだなと知ることが、先人が残した文化を守ることの第一歩になるし、私たちができることなのではないかと思いました。

長崎私も今日、お話をしていただいて、同じように”思い”ということを感じました、「伝えたいことには形がないけれど、伝えるためには形が要る」という、その2つの問題がありますが、ただ、伝えていくことは常に不変なのだから、形も不変であり続けなければいけない。これまでこの大学コラボフォーラムでいろいろな業界の方々のお話をしてきたのですけれど、結構、やっぱり時代の変化が速い中で、どの業界の方々も変化していかなければならない、それが事業とかに直接関わってくるとおっしゃっていました。そんな中で今回、お話を伺った金剛組さんに関しては、変わらないといところに最大の価値を置いているところがとても魅力的で、時代がどれだけ変わっても芯がぶれないのだと思いました。
ふと一つ思ったのが、夏目漱石の『夢十夜』という小説の中で、運慶が仁王像をつくる夢の場面がありまして、鑿や槌を使って眉や鼻を彫り出していくのではなく、「眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ」という一節があるんです。その話の最後、夏目漱石は、「ついに明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った」としているんです。その話は今回にも通じるのかなと思いまして、果たして明治の木に残っていなかったものが、令和の木には残っているのか、と。人の育成や、木材の選び方、木材そのものもそうですし、私たちの信仰心、そういったものを総合した時に、伝統建築のあり方を考えると、「変わらない」ためには果たして建築を担っている金剛組さんの当事者の方々だけで良いのか?私たちの信仰心だとか、あるいは資源を大切に使うという、生態系そのものの一環の中で私たちが組み込まれている訳ですけれど、その中でできることはないのかというという風に考えていくことも、一つ伝統文化を継承する大きな流れの中での一側面としてあるのかなと思いました。
最後に、阿部さんと木内さんに感想を伺いたいと思います。

阿部今日はすばらしい機会をいただきまして、ありがとうございます。会社のこととか、宮大工の世界の話をさせていただきましたが、このお仕事があってこの伝統文化をつなげていると考えますと、「私たちはああなんです、こうなんです」と言って胸を張ってのけぞっていたのでは残っていくことにならなくなると思っています。ですので、そういった意味では、先ほどの映像の中にありましたように、江戸時代は豪華絢爛な時代があって、またいま少し飛鳥時代に近いシンプルなものも求められていたり、時代や地域によってもまた変化していきます。それに私たちもやはり敏感に反応しながら、そんな中でも本物を忘れずに、本来の姿を崩さずに、みなさまにかわいがっていただける組織でありたいですし、大きく言えば日本文化のために役に立つ企業であり、宮大工集団でありたいなと思っています。いま本当に、私がテーマにしているのは、関係者のみなさまとコミュニケーションを取らせていただいて、みなさまが何を求めていらっしゃるのかを伺うことです。本物はこうだとわかっているけれど予算がないということもあるので、先ほど棟梁が言いましたように、ここはきちっと本物の部分を守って、ほかはこんなデザインでどうでしょうか?というようなことをいま一度勉強しなければいけないなと、今日はお二人の意見をいただいて、改めて明日から頑張っていこうと思いました。

木内今日は大変有意義な時間をありがとうございました。これからやっぱり、宮大工の技術を伝承するにあたって、若い人を毎年5人や10人は絶対養成していかないといけない。それをするにあたっては、まず仕事がなければだめ。どれだけ若い子を養成したって、仕事がなければ腕を、技術を発揮する場所がない訳です。そのためにはどうしたらよいか。若い子に信仰心をもっと持たせる、信仰心を持たせながら技術を覚えさせる。そうすると友達にも信仰心を伝えてくれる。親兄弟にも伝えてくれる。そうなってきて、日本人全体が信仰心を持つと、宮大工の仕事も結果的に増えるのではないかと、そういう風に思います。

長崎ありがとうございました。それでは、阿部様、木内様、本日はどうもありがとうございました。

阿部ちょっとよろしいですか?打合せになかったかもしれませんけれど、お二人に…。私たちの取り組む姿勢とか、あるいは加工センターに来ていただいた時に、宮大工を育成する「匠育成塾」の塾生が5人いたと思うのですけれど、どういう風に映りましたか?意外でしたか?若い子が多いというのは。

矢島僕はすごく意外でした。伝統文化というと後継者の育成に苦労されているというイメージを受けてきたので、僕らと同じ京大生もいて、身近な子がここで学んでいるんだというのはすごく驚きましたね。

長崎僕は意外というより、とても頼もしく感じました。この活動に参加していると、京都に住んでいてもお寺に興味なかったりとか、歴史って何?という学生が本当に多くて、お寺を回ったりとかが楽しいというという人は本当に少数派だなと感じている日々だったので、その中で若い塾生は信仰心というのもを絶対持っていると思いますし、そしてその延長線上で、宮大工という歴史をつなぐ仕事というものを選んでらっしゃる方がこれだけたくさんいらっしゃるんだということにすごく感動して、「頼んだぞ!」という気持ちになりました(笑)。

矢島信仰心という風に阿部さん・木内さんおっしゃられましたが、僕らにとって信仰心とは何だろうと考えたときに、ただただ仏様や神様を尊いと思ってお詣りするということももちろんあると思うのですけれど、それ以上に、昔の人が残してくれたものを大事にしようという思いがあって、若い塾生も宮大工の仕事を志していると思うので、そういう気持ちを僕たちが少しでも持つことが、文化を未来につなぐために必要だと思いますし、そういう心があれば、多少形が変わっていっても文化は残っていくのではないかなと感じました。

阿部突然無茶振りしましたけれど(笑)、ありがとうございました。

長崎改めまして本日はありがとうございました。

宮大工という仕事は、変化のスピードが速い現代においても「変わらない」ということに最大の価値があります。そして同じ現状を未来につないでいるのです。建築の仕事において技術の進歩はあるけれど、建物を建てる人の思い・信仰は変わりません。思いや信仰をつないでいけば、文化は未来につながっていくのでしょう。
そんな「人の思い」に改めて触れることができる、実りのある対談になりました。

会場へ寄せられたQ&A

Q1宮大工の技術継承は先輩からの口伝が基本と思いますが、修復された内容は報告書等で残されているのでしょうか?
A1図面や仕様書、業務としての報告書はあります。ただし細かい作り方などはすべて口伝になりますね

Q2日本の寺社仏閣でよく使われる木は何ですか?
A2ヒノキです。日本の木を使います。育ったところと違う木を使うと、木が暴れてしまいます。木もホームシックになります。割れたり、ひねったりします。

Q3若い人に伝統建築をどう思ってほしいですか?
A3きれいだなあ。いい建物だなあ。と純粋に思ってほしいです。
建築としての技術は飛鳥時代からあります。かっこいいだけではない機能があるということを知ってもらいたいです。その時代から耐震性にも対応しているなど、いろんな工夫があります。そういった先人の知恵や工夫などにも気づいてもらえたらいいですね。

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