「そばの町-坂本」。何百年もの軌跡を築いたのは地元への感謝―。
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いろり端

探訪「1200年の魅力交流」

「そばの町-坂本」
何百年もの軌跡を築いたのは地元への感謝―。

今回インタビューさせていただいたのは、本家鶴喜そば九代目店主上延昌洋さん。
お店に足を踏み入れ最初に感じたのは、約300年も紡がれ育まれてきた何とも言えない特別な空気感でした。

ー 何故お蕎麦屋を始められたのでしょうか?

初代の先代は元々延暦寺のまかない職人でした。当時は参拝される方々や僧侶の修行など、長旅があけた際に食べるものがないことがあり、その際に蕎麦をおふるまいしたことがきっかけです。
延暦寺さんや日吉大社さんは私たちの始まり、つまり拠点ともいえます。
また、蕎麦が重宝されたのは、蕎麦の実が栽培しやすかったのもありますが、断食など厳しい修行を受けたお坊さんには栄養価が高く、消化しやすいものが求められていたようです。

当時は、今みたいな「お蕎麦」の形をしておらず、練って食べられていたようですが、江戸時代になってやっと蕎麦を麺の形に切り始め、少しずつ現在のそばに変化していったようです。

ー 蕎麦へのこだわりを教えて下さい

お店のこだわりとしては、手打ちを好んでいらっしゃる地元のお客さまも多いので、きちんとその良さを味わってもらおうと思っています。蕎麦が打ちあがるまでの一連の工程に大体40分ほどかけています。一つの作業で大体40~50食に当たりますね。坂本の町に根差しているというのは、町並みや建物の風情が加わったうちにしか提供できないお蕎麦だということかと思います。それこそが、お客様の言ってくださる「鶴喜さんの良さ」なのだと感じています。もちろん蕎麦にもこだわりがあります。そば粉も8割使っていたり、守山市で作られた樽仕込みの醤油を使って蕎麦に合わせたつゆを調合したりと、独自の味を大切にしています。

ー つゆへのこだわりも教えてください

昔は、地元で個人が作っている醤油しか手に入りませんでした。つゆに使う醤油にも、個人で作ればムラによっては向き不向きがあります。個人商店でもムラのない醤油が作れるようになった時期、守山市にある遠藤醤油という、樽仕込みの醤油屋さんを紹介してもらったことがあります。うちの味が変わってしまっても良くないし、高価なものすぎても合わないし・・・と思いつつも調合してみたんです。そうすると、おいしくなった!値段も今までの醤油と変わらず提供できるということになり、それ以降は地元の滋賀県の樽仕込みの醤油を使っているのです。その後も改良を重ね、今まで使っているサバ、ウルメ、メジカ、宗田に厚削りのカツオを併せて作ってみたら味もおいしくなったのでそれをつゆに入れていこうと変えていったりだとか。その時々で良い材料でいいものをつくるようにしてきたということでしょうね。

ー 一人前の蕎麦職人を育てるために大切にされていることはありますか?

やはり一番は蕎麦「想い」です。蕎麦づくりの一通りの工程ができるようになるには2年くらいかかります。そして大体5年くらいすれば感覚が身についてくると思います。その中でどれだけそれらを自分のものにできるかは、本人の意思や自覚、志の高さによると思います。そしてお客様に喜んでもらえた時のやりがいと、作る面白さ、それを体感した人が長く続けていきますね。
大切なのは「技術と想いの両立」だと思います、とはいっても正解はないんです。毎日試行錯誤の繰り返し。やってみて学ぶ。この繰り返しを大切にしています。始めた時の気持ちの持ちようと、続けていくためのモチベーション、これらの2つがあれば十分蕎麦職人になれると思っています。

ー 300年の歴史の担い手として、これからの未来に向けた使命感はどこに感じられていますか?

いろんな人に、「これが本当のお蕎麦だ!」と実感してもらい、お蕎麦のファンを増やすことにあります。今や蕎麦はスーパー等で安く売られていて手軽に食べられますよね。それでもわざわざ坂本で蕎麦屋を続けるのは、本物を知ってもらいたいからです。さらにそれをきっかけにお蕎麦のファンになっていただけたら嬉しいです。そして坂本で蕎麦に出会ったことが、全国の色々なお蕎麦を食べに行ってみたりするなどに広がればといいなと思っています。

私はこの坂本だから300年も続けてこられたと思っています。
ここには、歴史ある比叡山延暦寺があり坂本はその門前町で、さらに日吉大社という昔からある神社がありました。長い歴史の中でこの地の人々と鶴喜の先代との笑顔が常にあり続けること。この風景の大切さを300年も見据えてきたから今があると思います。
どこかで誰かが辞めたら今はない―。これまでの先代たちが続けてきてくれたことへの恩返しがしたいです。
3年前代替わりして改めて和食の一つである「そばの文化」を継承し、今後は日本全体、そして海外へと発信していかなければという使命感が湧きました。
先日、若い頃に叡山学院というお坊さんの学校に行っていた50代くらいの方が、90歳のお父様と何十年ぶりかにお店にお越しになられた際「変わらぬ雰囲気と味で昔の思い出が蘇った、おいしかった!」と言ってもらえました。そうやって先代のお客様にまで「坂本にあってくれてよかった」と思ってもらえる存在であり続けることは300年を担ってきたうちにしかできないのだと思っています。これからも「そばの町・坂本」として鶴喜そばを続けていくことが坂本の活性化の一つになれば良いなと思います。

300年の伝承は「想い」を継ぐことですね。

「うちにしかできないこと」は、お蕎麦をただつくることではなく、文化の伝承を担う職人の真剣な「坂本に根差した味で恩返しをするのだ」という熱い想いでした。一口に文化、と言ってしまってはもったいないくらい、その想いには先代を思う気持ちと同じように日々お店に訪れる地域の人たちへの深い感謝があるように思えました。蕎麦打ちの見学をさせて頂いた際に拝見した本気の表情と談笑されていた時のほっこりした表情とでは、まるで別人の上延さんでした。その大切な、300年以上継承されてきた思いをきちんと今の若い人にも伝わる形で発信していくことが私たちの役割だと思いました。300年以上を担い、気持ちがたくさん詰まった鶴喜さんのお蕎麦は、その味だけでなく、食べる空間に浸ることができるような不思議な感覚がします。はじめての坂本の魅力と出会うきっかけとしてもいろんな人に食べに行って欲しいなと思いました。
上延さん、ありがとうございました!
【この記事を書いた人】
立命館大学4回生:規矩琴香さん
立命館大学4回生:児玉邦宏さん
同志社大学4回生:永原康貴さん

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