いろり端
探訪「1200年の魅力交流」
皇室・公家ゆかりの古刹、二尊院を訪ねる
秋が深まりをみせ、紅葉が美しく色づく12月初頭の京都。中でも多くの観光客が訪れる嵐山エリアにあるのが二尊院です。嵐山・嵯峨野の発展の歴史は、今からおよそ1200年前の平安時代初期、嵯峨天皇が離宮をこの地に営んだことに始まりますが、この二尊院もまた、嵯峨天皇によって創建された寺院の一つです。この秋、二尊院では室町時代に描かれた貴重な仏画、「二十五菩薩来迎図」が修理を終えて特別公開されました。今回は二尊院の歴史と、特別公開された二十五菩薩来迎図について、羽生田ご住職にご案内いただきました。
嵯峨天皇に始まる、二尊院の歴史
「このお寺は正式名称を、『小倉山二尊院華臺寺』といいます。お釈迦さま、阿弥陀さまの二尊を本尊としてお祀りしているので、『二尊』院といいます。
平安初期の承和年間(9世紀前半)、嵯峨天皇の隠居所として創建されたことに二尊院の歴史は始まります。
嵯峨天皇はその御所として、現在の大覚寺も創建していますが、大覚寺が公的な空間であったのに対して、この二尊院は私的な、プライベートな場所として作られました。
その後は、天台・真言・律、さらには浄土の四つを学ぶ仏教道場として発展してきました。
念仏の教えが盛んになった鎌倉時代には法然上人・親鸞上人もこの地で学んでいます。
1467年の応仁の乱の際には、戦に巻き込まれ、焼失してしまいますが、その後に再建されたのが、今の本堂になります。」
平安初期の承和年間(9世紀前半)、嵯峨天皇の隠居所として創建されたことに二尊院の歴史は始まります。
嵯峨天皇はその御所として、現在の大覚寺も創建していますが、大覚寺が公的な空間であったのに対して、この二尊院は私的な、プライベートな場所として作られました。
その後は、天台・真言・律、さらには浄土の四つを学ぶ仏教道場として発展してきました。
念仏の教えが盛んになった鎌倉時代には法然上人・親鸞上人もこの地で学んでいます。
1467年の応仁の乱の際には、戦に巻き込まれ、焼失してしまいますが、その後に再建されたのが、今の本堂になります。」
嵯峨天皇によって創建された二尊院は、皇室ゆかりの寺院です。それを証明するかのように本堂の前に建っているのが「勅使門」です。皇室ゆかりの寺院の多くには勅使門が建てられますが、天皇のお使いが来山する時以外は閉められていることが多いです。しかし、二尊院の勅使門は、一般の方々の通用門として誰でも通ることができるようになっています。
さらに本堂は御所の建物と同じ「寝殿造」で建てられており、京都市指定の文化財にもなっています。京都御所に行ったことがある人ならば、なんとなく雰囲気が似ているなと感じられることでしょう。
「二尊」の御本尊と二十五菩薩来迎図
二尊院の歴史を学んだ後は、本堂をお参りさせていただきました。
「中央に安置されている二人の仏さまが御本尊です。右にいらっしゃるのが釈迦如来、左にいらっしゃるのが阿弥陀如来です。お釈迦さまは右手を、阿弥陀さまは左手を挙げていらっしゃいます。通常は阿弥陀さまも右手を挙げるのが普通なので、この形は「逆手(さかて)」と呼ばれます。お釈迦さまと阿弥陀さまが手をとって一つの仏の姿となり、極楽往生へと導くという思想が表されています。お釈迦さまが現世から極楽へと送り出す役を、阿弥陀さまが極楽から現世へと迎えに来る役割を担っています。」
二つのお像はともに鎌倉時代、運慶や快慶と同系列の春日仏師によって造立されたものとされ、国指定重要文化財となっています。
二つのお像はともに鎌倉時代、運慶や快慶と同系列の春日仏師によって造立されたものとされ、国指定重要文化財となっています。
そして、御本尊を囲むかのうように壁一面に懸けられているのが、今回、340年ぶりの修理を終えて特別公開された「二十五菩薩来迎図」です。
「二十五菩薩来迎図は、室町時代に活躍し、『土佐派』の祖ともされる絵師、土佐行広によって1421年ごろに描かれたものです。17幅で構成され、阿弥陀如来とともに極楽浄土からお迎えにきてくださる二十五菩薩の姿を描いたものです。二十五菩薩と言いますが、数えてみると27の菩薩が描かれています。このうち、肌が白で描かれている地蔵菩薩と龍樹菩薩は25にカウントしません。日輪(太陽)と月輪(月)が描かれているのも特徴の一つで、極楽浄土には存在しないこの二つの存在を描くことで、この絵画の舞台が現実世界であることを表現しています。
二十五菩薩のみで、阿弥陀如来の姿が描かれないのは、二尊院の本尊である阿弥陀如来像を中心に据えて懸けられることを前提に作られているからです。各幅には、作成にあたって寄付を行った人々の名前も記されています。この絵は、皇室ゆかりの方々の法要が行われる際に懸けられたものであると記録が残っています。」
二十五菩薩像の裏の障壁画も、今回の特別公開に合わせて設置されたもので、こちらも本堂と同じく応仁の乱からの復興の際に描かれたものだそうです。春夏秋冬の景色が描かれ、こちらも本堂内に華やかな空間を作り出していました。
二十五菩薩像の裏の障壁画も、今回の特別公開に合わせて設置されたもので、こちらも本堂と同じく応仁の乱からの復興の際に描かれたものだそうです。春夏秋冬の景色が描かれ、こちらも本堂内に華やかな空間を作り出していました。
風光明媚な境内を巡る
本堂でのお参りを終え、境内を案内していただきました。
本堂の隣には、二尊院を菩提寺とする鷹司家の位牌を安置する御霊屋がありました。嵯峨天皇以来、皇室や公家との関係が深い二尊院は、藤原氏一族から分かれた多くの公家の菩提寺となりました。さらに江戸時代には高瀬川を開いた豪商、角倉了以や、儒学者である伊藤仁斎もこの地に墓所を営んでいます。
本堂の裏手の山を上っていくと、こちらも京都市指定文化財となっている法然上人廟が見えてきました。
「法然さんのお墓ということになっていますが、こちらは鎌倉時代に二尊院を復興した法然上人の弟子、湛空上人の石碑が祀られています。」
中の石碑は鎌倉時代に中国で作られたもの、それを守るお堂は室町時代末期のものということで、二尊院の歴史の長さを感じさせる建築です。
「法然さんのお墓ということになっていますが、こちらは鎌倉時代に二尊院を復興した法然上人の弟子、湛空上人の石碑が祀られています。」
中の石碑は鎌倉時代に中国で作られたもの、それを守るお堂は室町時代末期のものということで、二尊院の歴史の長さを感じさせる建築です。
さらに山沿いの道を進んでいくと開けた場所に出てきました。ここからは嵯峨野を一望できます。多くの寺が立ち並ぶ嵯峨野。その歩んできた歴史を絶景とともに感じることができました。
(文・京都大学大学院修士二回生)
(文・京都大学大学院修士二回生)
参加学生の感想
境内は隅々まで端正に整えられていて格式の高さを感じました。二つのご本尊、鏡合わせのように作られた釈迦如来像と阿弥陀如来像は堂々としながらも慈愛を感じさせるお顔で思わず見入ってしまいました。特別開帳の二十五菩薩来迎図は美しく優美で、彩色の鮮やかさは室町時代に描かれたとは思えないほどでした。真っ赤に色づく紅葉のなかを、小倉百人一首や京都名物八ツ橋に縁のある境内もご案内いただき、お寺の持つ歴史の深さを感じました。ご住職のお話もとても心に残りました。あまり頑張りすぎず、のんびり自分らしくやっていこうと思います。
1番印象に残っているのは、勅使門をくぐり抜けた後に見えたお庭です。くぐり抜けた瞬間、その美しさにため息が漏れました。特に左側の紅葉が植わった方の苔と白い石が川の流れを表しているようで見ているだけで楽しかったです。
また、本堂の障壁画にも感動しました。厳かな雰囲気の左側と、温かみを感じる右側との違いがとても素敵で、二十五菩薩の掛軸とともに、障子の美しさも楽しめる素晴らしい時間が過ごせました。
また、本堂の障壁画にも感動しました。厳かな雰囲気の左側と、温かみを感じる右側との違いがとても素敵で、二十五菩薩の掛軸とともに、障子の美しさも楽しめる素晴らしい時間が過ごせました。
小倉山二尊院
〒616-8425
京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町27
〒616-8425
京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町27
人から人へと紡がれてきた
大切な想いや魅力について語り合う
地域で育まれてきた歴史や文化を語り合い、
新しい価値と出会います