地域に守られ続ける伝教大師作の千手観音像 「東光寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

地域に守られ続ける伝教大師作の千手観音像 「東光寺」を訪ねる

2023年1月22日 訪問
比叡山延暦寺の荘園として1200年以上もの間、人々が生活を営んできた大津市仰木。地域の菩提寺として守られてきた霊雲山東光寺を訪ねました。

ご案内いただいたのは、志井浩順ご住職です。
「この東光寺というお寺の縁起については、口伝えで伝えられてきた伝承と、明治時代に記されたこの地域の『仰木村史』という資料に残っているものがあります。仰木には七つのお寺が現在でも檀家寺として活動をされておりますが、その中では一番歴史が若いお寺になるようです。天文年間の1530年ころに創建されたそうです。聖衆来迎寺の真玄上人が、住職を後進に譲られて、隠居寺として創られたのが始まりとのことです。」

本堂

生け花で飾られ整備が行き届いた本堂内でお話を伺います。
「この本堂は、仰木村史によれば『文化10(1813)年の3月に移築された』と書かれています。伝承では奈良にある大きなお寺の書院を移築したとのことで、本堂の造りとは違います。廊下や障子の名残が残っていて、改築されたことが良くわかりますね。」

ご住職によると、生活空間であった書院の名残が他にも残っているそうです。
「これは、別のお寺で伺った話で本当かどうか良くわかっていませんが、丸柱は神仏の空間、角柱は人の居住空間という考えがあったようです。比叡山の根本中堂にも大きな丸い柱があったかと思うのですが、こちらは四角柱が使われています。」
「ご本尊は、慈覚大師円仁さまが御造りになったといわれています阿弥陀如来像です。脇侍の観世音菩薩と勢至菩薩さまも祀っております。お厨子の中には天台大師さまと桓武天皇をお祀りしています。その他にも小さな仏様がいくつか祀られているのですが、時代を経る中でいろいろとお預かりして引き受けたもののようです。」
大切なものを受け継ぎ、大切にお参りする。そうした人々の想いにあふれた空間となっていました。

「『東光寺』という寺の名前だと、本来は薬師如来さまがご本尊だと思われるんですね。『東方瑠璃光浄土』というのがお薬師様の極楽なので。ですが、こちらは阿弥陀如来様がご本尊となっています。また、建物の外側には観音様を示す額が掛かっています。」と、お寺にまつわる不思議を教えてくださいました。

柱で区切られた横の空間には、天台大師の木像が祀られています。
「こちらの空間は、まさに書院といった造りになっていますね。現在はそのような使い方はしておりませんが、かつては位の高い方が来られたときに畳を重ねお座りいただいて、障子を開け放つと一番良い庭の景色が見ることができたようです。そのようなしつらえになっています。」

庭園

「お庭が造られたのは、おそらくお寺ができてから後の時代だと思われます。まずお堂、住職の居住空間ができて、檀家さんができて大きくなっていく段階でどなたかがお庭を作っていくということだったと思われます。琵琶湖を模して造られたもので、中央に竹生島、築山は比叡山を模していて頂上に日吉さんを祀る小さなお社があります。この地域を守護しようという想いや、ご縁をいただいていることを意識して造られたものでしょう。かつて『下仰木』と呼ばれる地域の6~7割がこの東光寺の檀家さんになっておられますので、非常に大切にされてきたのだと思います。」

観音堂

つづいて、東光寺飛び地となっている観音堂へご案内いただきます。
「こちらのお堂の縁起について、戦前に書かれたであろう文章が残っていますが、菊の御紋・葵の御紋と書いています。お厨子の両扉に、天皇家と徳川家の御紋がみられます。この地域を治められていたといわれる『賀子内親王(よしこないしんのう)』という方が大変に信仰篤く、お厨子を寄進くださったと伝わっています。お厨子の中には伝教大師さまの作といわれる『十一面千手観世音菩薩像』が祀られています。こちらは秘仏で三十三年に一度の御開帳です。三十三年だと非常に長いので、間の十七年目に『中開帳』というのがありますが、御開帳のたびに写真を撮影しているものがお堂の中にかけてあります。」

古いものは明治期に撮影されたと思われる写真が残っています。どの写真も、当時の住職を中心に地域の方が集まって笑顔を見せています。
「ここは東光寺の飛び地という扱いになっておりますが、現在でもずっと地域の自治会の方が守ってこられているんです。」神仏習合の名残か、すぐ脇には神社があり、また自治会館も建てられ、今でも地域の方が集まる場所となっているようでした。
1200年もの昔から、比叡山の霊木を仰ぎ見ていた「仰木」の人々。生活の中に信仰が根付き、大切につながれてきた歴史を強く感じられる訪問となりました。

参加大学生の感想

 今回初めて仰木という地を訪れました。案内していただく中で、最澄さんや比叡山という存在が尊ぶ存在であると思っているとともに、身近で生活の一部で、あるのが当たり前であるように認識しているようにも感じました。千手観音菩薩の御開帳ごとに撮られていた写真に写る皆さんが、この御開帳に携わることができて誇らしいく嬉しい表情をしていたのが印象的でした。

伝教大師が手がけたといわれのある木造十一面観音菩薩立像がある寺院とのことで、訪問をとても楽しみにしておりました。秘仏とのことで実際にお姿こそ拝見することはできなかったのですが御住職がご丁寧にお話くださいました。ご開帳の際は写真を残しているとのことでその写真も拝見させていただきました。写真からもわかる精巧なお顔立ち、御姿でした。仏像だけでなく、写真や資料など様々に大切に残されていて温かみを感じるお寺でした。そして次回の開帳の際には是非伺い、自身の目で拝見したいと思いました。

東光寺を訪問して最も興味深かったのは、書院を移築したという本堂の建築でした。廊下の⾯影を残している部分や違棚がそのまま残っているところもあって、普通のお寺の本堂というより、⾨跡寺院の宸殿に雰囲気が近いような印象を受けました。もともとどこのお寺にあっていつ頃のものなのかはよくわかっていないとのことでしたが、もしわかれば当時の他のお寺との交流の様⼦などが分かって⾯⽩そうだなと感じました。
最澄さまがお造りになった千⼿観⾳蔵を祀る⼩さなお堂では、ご開帳のたびに撮影された集合写真がとても印象に残りました。全国にも「地域の⼈々に守られてきた仏像」という存在は少なからずあると思うのですが、その時代その時代に携わってきた⼈々の顔が⾒えることで、より実感を持ってお像が⼤事にされてきた歴史の重みを感じることができました。現在も地域の⽅がお堂を管理されているということで、この理想的な地域と信仰の関係性がこれからも続いていくといいなと感じました。

仰⽊地域には最澄様ゆかりの仏像が合わせて四つお祀りされているということで、⾮常に最澄さまを⾝近に感じておられる⽅が多い地域なのかなと思います。決して⽬⽴つ存在ではないけれど、その存在はどこか⾝近にあって⽣活に馴染んでいるというところがなんだか最澄さまらしいようにも個⼈的には感じています。ぜひ次はご開帳のタイミングでも訪問させていただき、最澄様が作られたお像と、⼈々が祈りを捧げている様⼦をこの⽬で確かめに⾏きたいと思いました。

東光寺と仰木地域に関する数々の貴重なお話を聞き、1000年以上の歴史をもつ仰木地域の歴史の層の厚さに改めて圧倒されました。特に、伝教大師の作と伝わっている4体のお像が仰木地域を構成する4つの地区で大切にお守りされていることに感銘を受けました。今回訪問した観音堂の軒下の壁面には、千手観音像がご開帳されたときに地域の人々が詠んだ俳句の額が掛けられており、地域のみなさんが観音堂のご開帳をいかに大切にしているのかがわかりました。
霊雲山東光寺
〒520-0247 滋賀県大津市仰木5丁目13-52