岡山の歴史を山中から1300年見守り続ける古刹 金山寺を訪ねる(その2)
TOP > いろり端 > 岡山県岡山市

いろり端

探訪「1200年の魅力交流」

岡山の歴史を山中から1300年見守り続ける古刹 金山寺を訪ねる(その2)

2022年12月11日 訪問
奈良時代の749年に報恩大師によって開かれた岡山県最古の名刹である金山寺。三重塔や山門、護摩堂、開山堂などの建物が立ち並ぶ見事な山上伽藍を形成していましたが、2012年の火災で惜しくも本堂が焼失してしまいました。

現在、ご住職を務められているのは、岸本賢信師。火災のすぐ後にご住職になられてから10年を経た今、復興への想いと展望をお話しいただきました。

本堂跡

焼失してしまった本堂が建っていた場所へご案内いただきます。
「平成24(2012)年12月に火災が発生して、国指定重要文化財であった本堂が全焼しました。先住代の出来事だったので、私も本堂を見たことがありません。六間四面だった本堂は、焼け跡に基石が残るだけとなってしまいました。」
本堂跡の広さから、かなり大きな建物だったと推測できますが、それが全焼するほど大きな火の勢いだったことがわかります。一部の壁に今でも火災の名残があります。
樹齢200年の檜(金山寺提供)

仮本堂

「本堂跡の一部に8年程前に建設したのが仮本堂です。12畳程度の小堂で、最低限の祭祀と参拝、伝統行事の会陽の会場として利用しています。本堂と同時に御本尊も焼失してしまったので、寄進された仮の御本尊をお祀りし、現在修理中の山門の仁王像を仮に安置しています。」

「もともとあった御本尊は、報恩大師御自作で『清水寺同木異体』と伝承される千手観音でした。絶対秘仏でしたので、写真も残っておらず、御姿を知る人は誰もいないのです。本堂を再建してほしい、という声もありますが、私はまずは御本尊様の造立が最優先であると考えています。失われた信仰を取り戻すためには仏様をお迎えすることが不可欠です。そこで、境内にある樹齢200年の檜を根付きのまま彫り上げる『立木工法』による7メートルの巨大な千手観音の造立を計画しています。」
立木観音作成計画(金山寺提供)

自然のままの立木を利用し仏像を彫る方法は、平安時代には全国で行われていたようです。日光の中禅寺を筆頭に「立木観音」の名称があるお寺はたくさんあります。その造像法を選んだ理由として、ご住職は次のように話されました。
「工房で作製する通常の造仏とは違い、現地で足場を組み仕上げる段取りになります。ですから、仏像が出来上がるまでの工程をご参拝の方にも見学していただけるかと思います。仏師の休日等にはノミ入れ体験等も企画します。そのようにして、なるべく多くの方に御本尊様とのご縁を結んでいただき、再造立を通して信仰を持っていただきたいのです。まず御本尊を造仏して仮に安置する仮本堂を建立し、日々の勤行や温座・会陽などの伝統行事を通して参詣者の信仰を取り戻したい。そこから、本堂再建の気運を高められればと思っています。」
ご住職の想いは、『新しく創る』ことだけにとどまりません。
「本堂再建も去ることながら既存の建物の老朽化も激しいため、修繕も並行して行う必要があります。木造1100平米の客殿は現在、岡山市と文化財指定を協議しているところです。様々な方法を考え、伽藍の保全もしていかなければなりません。昨年は、山門の解体修理を行いました。再建と修理、この2つの課題を長い年月を掛けて解決していかなければなりません。今後とも、金山寺の復興をあたたかく見守っていただければ幸いです。」

三重塔

境内の最も高い場所には、最も高い建物である三重塔が建てられています。急な階段を上りきり、振り返ると岡山市街地が一望できます。
「こちらの『三重塔』は天明年間の建物で県の重要文化財に指定されています。山の中腹に立つ大きな塔で本尊に一字金輪が祀られ、豪華な装飾が施されています。30年ほど前、傾いてきたため解体修理を行ったそうです。金山寺のシンボル的な建築で、県下で3番目の大きさを誇り、山中に聳え立つ様子は迫力満点です。」
特別に初層部分(1階)の内部を拝見させていただきました。ご本尊様は岡山市街の方を向いて安置されており、人々の平穏を見守っているかのようです。

護摩堂

境内を下り、客殿の下には護摩堂がありました。
「こちらの『護摩堂』は慶長年間に岡山を統一した大名『宇喜多直家』公の寄進による建築で、本堂と同時に建立されました。本堂が焼失した現在では、宇喜多家の唯一の遺構といわれています。宇喜多家は関ケ原の戦いに破れ、大名家としては途絶えてしまったので関連建築も残っておらず、全国唯一であると思われます。建物は県の重要文化財に指定されています。」

堂内をご案内いただきます。

「本来、護摩堂内には、宇喜多直家造立の不動明王像、平安期に造られた阿弥陀如来像、鎌倉期に造られた元三大師像の3体が共に県指定重要文化財としてお祀りされていました。しかし、護摩堂の全解体修理の間本堂へ仮安置していた時に火災が起こり、全て焼失してしまいました。この出来事は近年では『文化財の悲劇』として広く知られているそうです。現在、安置されている不動明王像は、有難くも私の師僧である比叡山次席探題の叡南覺範大僧正が、不憫に思われご自坊からご寄進くださった平安時代の尊像です。」

道場のご本尊の位置には珍しいお像が祀られています。
「このお像は私が10年程前にお願いして彫っていただいた尊像で、御札の角大師の御影を立体的にしたものです。元三大師さまの『僧形座像』か、鬼が正座する『鬼大師像』の2つの形式が一般的なのですが、あえて御札から作製した珍しい尊像です。」

開山堂

普段は非公開である「開山堂」の中にお通しいただき、貴重な仏像を間近で拝見させていただきました。
「先ほどご紹介した『金山観音寺縁起』に登場する人物、報恩大師と弟子の心浄大師、中興の栄西禅師の三方の立体像が祀られています。報恩大師の伝承が残るお寺は岡山にたくさんありますが、お像はあまり残っていないようです。」

「臨済宗の祖師である栄西は、曲六に座り座禅を組む禅僧の御姿として臨済宗の寺院で祀られていますが、金山寺に祀られているのは、七条袈裟をつける天台宗の高僧の御姿のお像です。天台宗では栄西のことを『葉上僧正(ようじょうそうじょう)』とお呼びしており、お堂の古い短冊に『葉上僧正』と書き残されています。したがって、若き日の密教僧としての栄西さまのお姿を伝えていくのが金山寺の使命である、と私は考えております。ちなみに、『葉上』の名は1185年(文治元年)の後鳥羽天皇の勅命によるものだそうです。天皇の勅願で神泉苑にて請雨の御祈祷を勤められた際、たちどころに雨が降り神泉苑の草に水滴が散って、全ての水滴に栄西の姿が映ったのに感嘆されたことから、「葉上」の号を使うよう命じたことに由来しています。」
と、一般的にはなかなか聞くことのない歴史をお伺いすることができました。

ご住職が守り、伝え、つないでいくのは建物やお像などの有形文化財だけではありません。最後に、無形文化財である金山寺の伝統行事についてご紹介いただきました。
金山寺 温座(山陽新聞社提供)

温座

「金山寺には、2つの大きな伝統行事が伝えられています。最も大切なのは、報恩大師が始めたとされる『温座秘密陀羅尼会』略して『温座』。毎年1月に行われる『修正会』にあたる法会です。千手観音を本尊に密教修法の千手観音供を1週間で168座、助勤の僧侶が36000遍の大悲心陀羅尼を唱えます。」
1日24時間×7日=168時間です。つまり、1座1時間程かかる密教修法を交代制で1週間昼夜不断で続ける計算になります。
「『温座』とは、僧侶の座る礼盤の座が体温で冷えぬことから名付けられました。待機している僧侶が千手観音の呪文である大悲心陀羅尼を唱え続けるわけですが、恐らくは20人前後の僧侶が結集して詰めなければできない内容で、密教修法としては日本一過酷な修行だと思います。記録によると、明治維新をきっかけに断絶してしまったようです。理由は定かではありませんが、江戸時代の1712年(正徳2年)に東京浅草の浅草寺に移されて、現在でも浅草寺の年間の最重要行事として続けられています。私が金山寺に来て以来、何とかこの行事を復活できぬかと思案してきましたが、一昨年に県内の有志の方々のすすめもあり、1日ずつ7回に分けて行うことになりました。市民の方に三帰依戒と大悲心陀羅尼を授けてサポーターとして登録していただき、運営のお手伝いや36000遍の大悲心陀羅尼を分担してお唱えしていただく、市民参加型にしました。1日だけでも大変なことで、運営に当たっては僧侶が最低2名と複数人のサポーターが客殿に泊まり込み、年間で7日間の満行を目指します。一昨年には浅草寺様とも交流が実現し、温座会に関する歴史的経緯も伺い、見学もさせていただきました。浅草寺様が今日でも一山住職総出で1週間昼夜不断の修行をなさっておられるのは、正に『国宝』であり、断絶してしまった金山寺の温座の命脈を大切に保っていただいているのです。」

会陽

「もう一つの大切な行事は『会陽』です。日本三大奇祭の一つとされ、裸の男たちが温座に依って御祈祷された護符である宝木を巡って争奪戦を繰り広げるお祀りです。県内では真言宗の西大寺が有名ですが、金山寺が発祥とされ、県下一番に開催されます。参加人数は360人。まわしを巻いた成人男性が本気で宝木を争奪します。宝木を獲得した男性は『福男』と呼ばれ、人生の成功を約束されると言われています。準備から実施、後片付けまでを含めると3か月の長きに渡る行事で、毎年の開催には大変な苦労が伴います。コロナ禍で県内の他所の会陽が全て中止に追い込まれる中、金山寺だけが参加者を30人に制限して実施し、伝統を継承しました。」
※なお、コロナ禍の縮小開催を経て令和5年2月4日に無事に通常開催を復活しました。

金山寺 会陽(山陽新聞社提供)

1300年もの長きに渡って、山中から岡山の歴史を見守ってきた金山寺。本堂と秘仏の御本尊などの重要文化財の焼失という一大事から復興を遂げるべく、新たな歴史がこれからまた刻まれようとしています。時代を越え、場所を変え、変わらぬ信仰心が脈々と続いている、その想いを次の時代に継承していくことを強く願い、お寺を後にしました。

参加大学生の感想

 今回は訪問前から大変に楽しみにしていました。理由は、山上伽藍のお寺に上るのが楽しいという単純な好奇心があったことと、「動く襖」と呼ばれている襖絵のことを知ったからです。中に入った第一印象は、「きれいなものと古いものがごちゃごちゃになったお寺」ということでした。密教の雰囲気が漂うお寺で「カラフル」「派手」という言葉が合っていました。
ご本尊の背後に描かれた来迎図は、パッと見では良くわからなかったのですが、極楽浄土を描いている珍しいものだと分かってとても感動しました。極楽浄土にどんなものがあるのか知らなかったのですが、解説していただきながら拝見できて賢くなった気分でした。

 重要文化財「金山観音寺開山縁起」を目の前で見せていただき、それだけで歴史が詰まった場所であると思いました。また、栄西禅師の仏具に触れさせていただいたのですが、手に取った時間だけ栄西禅師の時代に行けたような気がして感動した。ご住職のお話では、金山寺が葉上流の根本道場ということでしたが、そのように伺うとすべてが厳格なものに見えました。
 復興事業を進めておられるとのことで、仁王門や仁王像本堂も復活した時にまた来たいと思いました。
金山寺
〒701-2151 岡山県岡山市北区金山寺481