岡山の歴史を山中から1300年見守り続ける古刹 金山寺を訪ねる(その1)
TOP > いろり端 > 岡山県岡山市

いろり端

探訪「1200年の魅力交流」

岡山の歴史を山中から1300年見守り続ける古刹 金山寺を訪ねる(その1)

2022年12月11日 訪問
金山寺(きんざんじ)は、奈良時代の749年に報恩大師によって開かれた備前四十八ケ寺の本山で、岡山県最古の名刹です。境内には三重塔や山門、護摩堂、開山堂などの建物が立ち並び、立派な山上伽藍を形成しています。

今回お話を伺ったのは、2012年の火災による本堂焼失のすぐ後に住職になられたという岸本賢信師。まず本堂の焼け跡の始末からはじまり、雨漏りの修理・仮本堂の設置・山門の修復など様々な整備の末、それまで閉めていたお寺の参拝を2年前から再開。お寺にまた新たな歴史が刻まれはじめています。

まずは前編。お寺の縁起についてお聞かせいただき、寺宝を拝見させていただきました。

境内

境内図(金山寺提供)

「金山寺は、JR岡山駅から車で約20分の金山(かなやま)の中腹にあるお寺です。本堂や三重塔等の七堂伽藍が、山の斜面を利用して建てられている山上伽藍として有名です。先住代の2012年(平成24年)に火災で国の重要文化財である本堂を焼失してしまい、現在は復興中ですが少しでも本堂があった往時をイメージできるよう新しく境内図を作成いたしました。」

山上伽藍(金山寺提供)

寺院の歴史

「今から約1300年前の749年(天平勝宝元年)に報恩大師が時の孝謙天皇の御悩を平癒したことから、褒賞として建立された勅願寺です。報恩大師さまは地元岡山以外ではあまり知られていませんが、備前の国中に48のお寺を開基された方です。その『備前48ヶ寺』の本寺として金山寺が建立されました。平安時代の末頃には、臨済宗の開祖栄西がここを拠点として活動し、天台密教の葉上流(ようじょうりゅう)を開いたと伝えられています。戦国時代には、伯耆大山寺の高僧豪円僧正が入山。地の大名である宇喜多直家だけではなく豊臣秀吉からも信仰と庇護を受け、岡山城下の守護霊験所として尊崇され隆盛を極めたようです。江戸時代以降、幕末までは岡山藩主の池田家の庇護を受けて客殿等が整備されていきました。ところが、明治時代以降は藩の公の支援を失い、檀家寺として現在まで細々と法統を保っています。」
伽藍の規模の大きさからも、時の有力者から信仰が篤かったことがうかがわれます。

山門

「現在、山門を修復している最中です。もとは1645年(正保2年)に、岡山藩祖池田光政によって寄進されたもので、建物は市指定重要文化財に指定されています。内部には、鎌倉期の仁王像を安置しています。見所は扁額で、山門の完成から15年後の1660年(万治3年)に奉安されたもので、揮毫は後水尾天皇の猶子・良尚法親王によります。良尚法親王は京都曼殊院を再興されたことで名高い当代一流の文化人で、浅草寺雷門の扁額も揮毫されています。この扁額は、江戸時代は金山寺の寺宝として市中でも有名だったそうです。昨年、極彩色に復元されました。」

客殿

階段を上がり、金山寺の迎賓館にあたる客殿にお通しいただきました。
「この客殿は江戸時代に池田藩が3回にわたって増改築を繰り返して寄進されました。庫裏や書院、茶室、内仏殿兼灌頂堂が合わさった1100平米の広大な木造建築です。以前は完全に非公開で拝観できませんでしたが、一昨年より事務所設置と共に参拝者の憩いの場としても開放し、庭園や襖絵内仏殿の拝観ができるようにいたしました。」

客殿(内仏殿)

「こちらが『内仏殿』といって、日頃のお勤めをするための仏間です。葉上流の伝法灌頂をする時は設えを変えてそのまま灌頂堂として利用できるように設計されているため、別名『灌室』とも呼ばれています。天井を見ていただくと護摩の煙を抜く金網が付いた穴や、極彩色に彩られた天蓋が吊るされているのがわかります。天蓋は一昨年解体修理をして原色を復元いたしました。輪宝・羯磨(かつま)など密教の世界観を表した図柄が描かれていて、真下から見上げてその世界観を感じていただけたら、と思います。」
本来はご住職の座する場所である天蓋の真下まで進み、拝見させていただきました。

続いて、御本尊様を参拝します。まずは焼香し合掌してご住職の説明をお伺いしました。
「御本尊の阿弥陀如来様は平安時代の三尊形式で造られています。どうやら江戸時代に手直しされているようです。お像と合わせて、詳細に表現された珍しい極楽図の壁画にも注目いただきたいのでお近くまでお進みください。壁画は浄土教の信者が臨終する時に雅楽を奏でながら迎えに来る『二十五菩薩来迎図』と、噴水・鳥類・迦陵頻伽・街路樹等の『水鳥樹林』や『八功徳水』など阿弥陀経に説かれる世界が独創的に描かれています。どうぞ近くまでお進みください。」

まずは阿弥陀如来様の間近へと進みます。「真下に立ってみてください」というお声がけをいただき立ってみると、阿弥陀如来様と視線が合うように祀られていることがわかります。壁画は御本尊様の背後だけではなく、裏側まで極楽浄土の世界が描きこまれています。

「『観無量寿経』を題材にした極楽図は多いですが、小経である『阿弥陀経』を題材にして来迎のその先の極楽浄土の様子まで描いた極楽図は他所で見たことがありません。作画は全て狩野派の岩本法眼によるものです。ぜひ、天台宗らしい密教と浄土教が共存する空間をお楽しみください。」
お参りを終えると、ご住職より特別なお知らせをいただきました。
「本日は皆様のために、普段は県立美術館に預けている2点の重宝を持ってきてもらっています。この宝物からも、金山寺の歴史と価値を十分に理解していただけるかと思います。」

重要文化財『金山観音寺縁起』

岡山県立博物館から文化財をお持ちいただいたのは、同館の副館長である横山定様と学芸員の岡﨑有紀様です。国指定の重要文化財を目の前で、学芸員さんの管理のもと拝見できるという、またとない機会をいただきました。

「国指定重要文化財『金山観音寺縁起(かなやまかんおんじえんぎ)』は、金山寺が開かれるあらましが書かれた巻物です。今から開きますのでお待ちください。」
手際よく文化財を公開いただきますが、包装や置かれ方など、貴重なものであることが伝わり緊張感が高まります。目の前で巻物が開かれていく瞬間はこれまでにない感動を覚えました。
書物の内容について、ご住職から詳しい解説をいただきます。

「まず巻物の前半に書かれているのは、伝教大師最澄より100年程前に生きた人物で、奈良時代末に岡山で活躍した報恩大師の軌跡を表した一代記です。報恩大師は青年時に出家して専ら千手観音の信仰をし、その修行法である大悲心陀羅尼の呪文を唱えて霊験を得られた方です。先ほどのお寺の歴史でもご紹介があったと思いますが、奈良に赴き時の帝である孝謙天皇様の御悩を御祈祷して平癒されたことから、褒賞として故郷に金山寺を本寺として備前国中に48のお寺を建てたということが書かれています。」

「孝謙天皇は東大寺を創建された聖武天皇の内親王ですので、金山寺の創建は正に岡山の仏教の始まりと言えます。備前四十八ヶ寺は今でも7割ほどは現存しており、宗派はまちまちですが、ほとんどの御本尊は千手観音様ですから、報恩大師の伝統をつないでいます。また、大師の3番目の弟子である延鎮が京都の清水寺を創建したというくだりがあることから、清水寺の御本尊は報恩大師が渡した用材で作製された『金山寺同木異体』であるとされています。逆に金山寺の千手観音は『清水寺同木異体』の御本尊として崇敬を集めていたようです。いずれにしろ、報恩大師は日本の観音信仰の源流として伝えられているのです。」
「後半は、臨済宗の開祖である栄西の伝記となっています。栄西は金山寺が支配権を及ぼしていた吉備津神社の神主の子で、幼年に出家して吉備の諸山や比叡山等で勉学し、20代後半から30代前半は住職として金山寺を拠点に活動されました。1度目に宋に渡って帰国した後は金山寺に戻り、自身が極めた天台密教の葉上流の奥儀を伝える伝法灌頂を開かれました。この後、弟子の観超に金山寺を譲り九州方面へと活動の拠点を移して臨済宗の勉学を志し、2度目の入宋に備えることとなります。この縁起書自体が弟子の観超が編纂したと奥書されており、上代から平安時代末にかけての岡山の歴史を伝える重要な書物となっています。」

栄西の密具

続いて、岡山県指定の重要文化財に指定されている「鈴・杵(れい・しょ)」を拝見します。漆塗りの木箱より取り出された「鈴・杵」。その輝きはとても850年ほど前のものとは思えないほどです。
「『鈴・杵』は、密教の修行者が持つ仏具、密教法具です。先が5つに分かれている五鈷杵と鈴は、密教の教えを象徴しています。栄西が1度目に入宋した時に入手して持ち帰ったものが金山寺に残っていると伝えられています。鈴の腹部には日本のものとは異なるチベット風の梵字が書かれ、異国の雰囲気も感じられます。当時の宋でチベット仏教が流行していたことがわかります。『金山観音寺縁起』や他の栄西の伝記類にもこの『鈴・杵』のことが触れられていて、正に栄西が開いた天台密教の葉上流の精神を象徴する寺宝です。納められている木箱は岡山藩の家老伊木家によって寄進された江戸時代の作とされるもので、葉上流の伝法灌頂の時以外は公開しないようにという注意書きが見られます。」

ここで、特別なご配慮をいただき何と重要文化財を持たせていただくことになりました。手袋を装着し、万が一を考え腕時計などの装飾品もすべて外します。慎重に持ち上げ、その重みを感じる大変貴重な経験をさせていただきました。

「葉上流は現在でも台密十三流の一つとして伝えられ、尾張や関東など全国に広まった流儀です。これらの文化財からわかるとおり、金山寺はその根本と言えると思います。」と、改めてご住職より金山寺の歴史の深さを実感するご説明をいただきました。

書院

つづいて、客殿の奥へ進み書院をご案内いただきます。

「こちらは、岡山藩主の池田公が金山寺を参拝された時に過ごされたというお部屋です。こちらには見る人を楽しませるある仕掛けがしてあります。こちらの襖絵をご覧ください。」

「これは、『逆遠近法』という技法で描かれています。定められた箇所を見ながら移動してみてください。そうすると、絵も動いているように見えますよ。」
見方をご説明いただき、上下・左右など視点を変えてみると・・・
「伸び縮みする机」、「踊る老人」、「睨む老人」、「動く腕」、「角度の変わる小屋」など数か所が本当に動いて見えました。襖絵は4枚ですが、その中にいくつものギミックが隠れているというものは大変珍しいのだそうです。他にも、奥にあるお風呂や雪隠、水屋もご案内いただきました。いずれも、藩主が滞在していた雰囲気をそのまま残すよう保存をしておられます。
せっかく再開した一般参拝をより多くの方に楽しんでもらおうと、ご住職はさらに様々な工夫をしておられます。
「茶室と、樹齢700年と言われるもみじの木がある泉水を用いた庭園、昔の住職が使った籠などがあります。玄関には茶釜を用意し、一日中お茶を沸かして拝観者に接待しています。お茶は栄西が著書の『喫茶養生記』の中で飲用を勧めた桑茶を使用し、栄西の教えを伝えています。また、客殿内にはイラン遊牧民の手織り絨毯、『ギャッべ』を敷いています。化学染料を用いないゾランヴァリ社製のもので、お子様連れの参拝者が安心して寛いでいかれます。1100平米もある客殿は多くの絨毯を敷くことができるので、年数回、数百枚規模を展示販売する『ギャッベ展』を開催していまして、多くのファンの方が集まります。日本で初めてギャッベの図柄をモチーフにしたお守りや御朱印帳もあり、好評です。」

金山寺提供(下2枚)

金山寺提供

前編はここまで。後編では、客殿以外の建物をご案内いただき、焼失してしまった本堂再建に向けての想いをお聞かせいただきました。
金山寺
〒701-2151 岡山県岡山市北区金山寺481