無住からの復興が進む常住寺を訪ねる(その1)
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探訪「1200年の魅力交流」

無住からの復興が進む常住寺を訪ねる(その1)

2022年12月10日 訪問
江戸時代に岡山藩主池田家の祈祷寺として、岡山城内に創建。その後、和気町などに場を移し、1919(大正8)年に現在の地に移築された金剛山常住寺。一時期、無住状態となり荒廃してしまったお寺を復興させるべく、多くの方々が携わるプロジェクトが進行しています。プロジェクトに関わる人々の想いや、つながってきた縁について、2回に分けてお伝えします。
天台宗岡山教区宗務所長であり、代表役員代務者として常住寺の復興に尽力されている永宗幸信師にお話を伺いました。

境内

「元々このお寺は、岡山城内にある岡山藩主池田家の祈祷寺でした。祈祷寺というのは、藩主が元気な時に、戦勝や世の中の安寧を祈るための場所です。そうすると、藩主が不在になってからは役目を終えてしまいます。庇護者がいなくなり、土地も取り上げられ移転し・・・ということで廃寺の声が出たこともありました。それでも、なんとしてもこのお寺を守っていきたいと思うのです。」

「その理由の一つが、このお寺を大正期から約50年間にわたって住職として守っていた天台宗の高僧・葉上照澄(はがみ しょうちょう)大阿闇梨です。」

葉上師は岡山県和気町出身。東京大学進学を経て仏道へ入り、戦後初めて千日回峰行を達成。世界の宗教指導者が集う「比叡山宗教サミット」の実現にも尽力された、天台宗にとってはなくてはならない偉大な方です。

「葉上師が大切につないできた歴史あるお寺をつぶすわけにいかない、また、その功績をもっと知ってほしいという想いから、復興プロジェクトを立ち上げました。とはいえ、2015年に代表役員代務者として就任した時は、胸まで草が生えて立ち入り禁止になっているような荒廃した状態でした。また、私の本務は倉敷の海岸側にある本性院の住職です。常在できるわけではないため、地域の方々の協力も得ながら整備を進めてきました。」
葉上照澄大阿闍梨顕彰碑

永宗師がまず取り組んだのが、葉上師の功績を称える顕彰碑の建立です。
「建立について比叡山の大僧正・阿闍梨の方々にも協力を仰ぎました。私一人の思い付きや一人の力でお寺を復興していけるわけではありません。より多くの人の想いを集め、力を合わせたいと考えたからです。裏側にご協力いただいた皆様のお名前を残しています。」

「顕彰碑の表面に刻む文章については、岡山に本部を置く『黒住教』の教主に書いていただきました。葉上師の功績を称える文章を、他宗教の方が書くことで、より偉大さが伝わるのではないかと考えたのです。また、葉上師と黒住教の先々代教主は交流があり、私自身も現在の教主と交流があるという縁から、お願いすることになりました。」
「当初お願いしていたものより、大幅に長い文章が届きましたが、とてもすばらしい文章で、どこも削ることができずにそのまま全文を彫ったため、想定よりも大きな顕彰碑となっています。」

他宗教の教主が筆をとり、長文をしたためるほど、葉上師が慕われ偉大な功績を遺したことが顕彰碑の大きさに表れています。
「現在でも黒住教や金光教、カトリック、イスラムのほか、神道や真言宗、立正佼成会など様々な宗教者が集まって世界平和への祈りを捧げます。葉上師が実現に尽力された『比叡山宗教サミット』も世界中から宗教者が集まりますが、地方でも同じような取り組みができていることは貴重なことだと思っています。」
「さらに、荒れていた周辺や護摩が焚けるお堂も整備しました。護摩壇は地域の方の手づくりです。移転するうちに文化財はすべて博物館に渡していたという経緯がありましたので、新しい仏様を入手してご本尊としてお祀りしました。毎月6日に護摩を焚くことにして、少しずつお寺としての形を取り戻していきました。
 開眼の際は、比叡山から上原行照大阿闍梨をお迎えして護摩を焚いていただきました。その後、岡山の諸宗教の関係者が集まり世界平和を祈ったり、落語家で僧侶である露の団姫(まるこ)師をお迎えして落語を披露いただいたり、というイベントも開催するなど、本当にたくさんの方に関わっていただいています。
 毎年いろいろなことをやってきましたけれども、なにも特別なことではなく、できることをするというのが大事なことなんです。天台宗では伝教大師の教えを広める『一隅を照らす運動』をしていますが、その運動の基盤を作ったのも葉上師なんです。その葉上師の言葉で表現すると『ポストにベスト』。どんなことでも、自分の与えられたポストでベストを尽くすということを実践しています。」

本堂

再整備が進む本堂をご案内いただきます。

「本堂には良質なケヤキが使われています。入母屋造本瓦葺で大棟の両端には菊の紋章のある鬼瓦、斗拱間の中備に鶴・亀などの彫刻を入れた蟇股があり、正面中央の蟇股には、池田家の裏紋と呼ばれる竜胆の彫刻が入っています。これらを見ると、かつては岡山城内で藩主の庇護のもとにあって大切にされていたことがわかります。」
「まだ修復が十分ではなく隙間風が入り込むこともありますが、何もなかったお厨子には新たな仏様をお迎えして祀っています。そして中には『叩き彫り』という手法で造った仏像を1000体、小さなサイズのものを1000体、合計2000体の仏像を安置しています。」

護摩を焚くために整備したお堂の中には「比叡山延暦寺霊木楓」の文字がありました。
「延暦寺の根本中堂を改修するにあたって切り倒されてしまった楓を、お寺の復興のためにと譲り受けました。その霊木を用いて五鈷杵(ごこしょ)や数珠を作って記念品として復興に協力いただいた方へお渡ししました。端材はお香にして全国各地で焼香に使っていただいています。さらに、伝教大師様のお像(広野像)を京都の松久宗琳佛所に依頼して彫ってもらい、今は比叡山延暦寺の国宝殿にお祀りしています。中庭に立っていた楓の木が形を変え、再び比叡山へ戻るということになります。」
「仏教用語で「会通(えつう)」という言葉があります。ある解釈が人に通じるかどうか、整合性があるかということです。切り倒されてしまう木にはストーリーが宿っています。それが人に伝わり、通じているから別の形となって新たなつながりを生んでいくのです。私が皆さんにお伝えしたいのは、学んだことや出会い、つながりを、その先にどうつなげていくかを考えて実践していくことが大切ということです。学生の立場だからこそ発信できることもあると思うので、「ポストにベスト」で自分たちが今できることをその先に活かしていってもらいたいですね。」


第2回では、「本堂移築百年記念事業」として建立された『三千佛堂』にてお話を伺います。
常住寺
〒703-8273  岡山県岡山市中区門田文化町2-7-19