東海最古・徳川家ゆかりの「真福寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

東海最古・徳川家ゆかりの「真福寺」を訪ねる

2022年10月23日 訪問
徳川家ゆかりの岡崎市には、聖徳太子が建立してから今に残る東海最古の古刹「真福寺」があります。歴史や文化をいかに後世へつないでいくか、ご住職の想いを伺うことができました。
「1400年ほどまえ、この三河地方は物部氏が治めていました。物部守屋の次男、真福(まさち)がこの地方にいたのですが、その頃、このあたりに「八尺の剣が天から舞い降りた」という噂を聞き、登ってまいりました。そうすると山の一番高いあたりに大きな泉があるのを見つけました。日頃薬師如来を信仰していた真福は大変感激されて、ここにお寺を建てることを思い立たれました。しかし、その時代は聖徳太子の時代で、勝手にお寺を建てるわけにはいけません。幾日も幾日も歩いて奈良の都まで行き、聖徳太子の許可のもと、愛知県では一番古く建てられました。」
神話めいた開山の伝説ですが、「降剣院」という寺号にその言い伝えが表されています。
「聖徳太子は全国で36の寺院建立を許可したそうですが、「本願施主名をして寺号と為す」と言って、お寺を建てた人の名前がそのまま名前になっているのは信州善光寺、太秦広隆寺、讃岐善通寺、三河真福寺という4か寺だそうです。」

本堂

「本堂の中にもう一つの建物、八角堂があります。この中が井戸になっていて、その井戸の水がこの真福寺のご本尊「水體薬師如来」です。眼と内臓の病気に良い水ということで、信仰を集めています。今も汲み上げたお水を皆様にお分けしています。」
「水がご神体というところは全国でも珍しいのではないでしょうか。形がないものですが、仏像を拝むのも水を拝むのも、信仰としては同じです。」

「現本堂は三代目、2度火事にあいましたので、室町中期に再建された建物です。皆様の目の前、中央にはお水が姿を現した薬師如来像の御前立ち、左右に日光菩薩・月光菩薩、両側に十二神将が祀られています。本尊さんと日光菩薩・月光菩薩は本堂が再建された時代のものと言われています。十二神将は専門家の方に『国の文化財になる』と言われているほど古く出来が良いそうで、鎌倉時代のつくりかと。記録はないのですが、火事の際には運び出されたのでしょうか。」
「その前に四天王像があります。これも詳細がわかりませんがかなり古いもので、運慶さんの作じゃないかと伝えられています。専門家の方は違うかも、と言っておられましたが。」
「また、本堂内には徳川二代将軍から十五代将軍までの位牌がございます。これは真福寺が徳川家の祈願寺であったということで祀られているものでございます。家康公は東照宮で祀られています。二代から順に比べてみますと造りが変わっていって、それぞれの時代に作られたということがわかります。」
「さらに、真福寺の寺領で生まれたという縁で、本多平八郎忠勝の位牌もございます。」
「かつては岡崎市の北半分が真福寺の寺領となっていた時代もあり、三十六の末寺がありましたが、現在は1か寺を残してなくなってしまいました。廃寺になったお寺の本尊様をすべてこちらにお祀りしています。」
個々のお像について詳細が残ってはいないそうですが、往時のお寺の栄えぶりを示すように数々の文化財が残されています。あまり見たことのないお姿の仏さまも多く、興味深くじっくりと拝見しました。

大師堂

本堂の裏に慈恵大師様の祀られた「大師堂」があります。
「この慈恵大師様のお像も、専門家の方に「非常に出来がいい」というお墨付きをいただきました。鎌倉時代中期の作です。」

宝物殿「菩提樹館」

2階部分は盆栽美術館、1階にお寺にあった宝物を収めた宝物館になっています。
盆栽はご住職の趣味で始められてから50年だそうです。日本一の評価を受けるものを含め、日本を代表する銘木が揃っています。
「作品には何年も何十年もかけて、育てていく過程が面白いですね。ものによっては、種を蒔くところから始めます。川端康成が持っていた盆栽が縁あってこちらに残っていたりもします。一鉢で家屋敷一棟と同じくらいの価値があるものもありますね。」

盆栽も残すべき日本の伝統文化なのですが、最近では価値のあるものが国外へ流出してしまっているとのこと。「もう少し価値を認めてもらって、国に対策をしてほしいと思っています。」とのことでした。

火事にあった時、信仰心のあった地域の人たちが大切なものを持ち出して真福寺の宝物を守ったそうです。その中にこの仏頭があります。元は白鳳時代のもの、想定できる限りかなりの大きさであり、すべてを持ち出すことができず頭だけ残したのだそうです。
そして、他にも2種の仏頭が残っています。作成年代の違いから表情が少し違います。
「法隆寺の仏頭に匹敵するくらいの価値があるようです。どれも安らかないいお顔ですよね。このお寺は2回火事に遭ったとご説明しましたが、地域の方のおかげでそれなりの宝物がいまでも残されています。」
時代を隔てて2度の火事があったそうですが、いずれの時にもお寺を信仰の対象として大切にしてきた地域の方々がいらっしゃったことが良くわかります。

開山堂

お寺を開いた真福は毘沙門天の生まれ変わり、と言われており、境内の開山堂に毘沙門天像が祀られています。「室町時代か鎌倉時代に作られたものかと思われます。」とのこと。

近くにアトリエを持つ彫刻家、山下清さんによって補修が行われており、大変きれいに保存されています。

竹膳料理

最後に、境内でとれた筍のコース料理をいただきました。刺身、てんぷら、田楽、煮付けなどのフルコースです。また器や箸も竹細工で作られており、自然の恵みを感じる食事となりました。
本来はお寺に籠った参拝者、修行者などへ提供されていたものだったそうです。
「信仰が少なくなって、若い方がお寺に来ることが減ってしまい、もっと老若男女問わず来てもらえるように、前の住職が竹膳料理をはじめました。かつては(季節の良い)11月は毎日7~800人の方がお見えだったのですが、今はだいぶ少ないです。町内会旅行や社員旅行などの団体旅行も減ってしまいましたね。」
「平成12年に菩提樹館を建てたこともそうなのですが、大切な文化を何とか後世につながなければいけません。近頃は『布教』というのも難しくなってしまいました。ですから、何とか文化財だけは守りたいとか、そういったことで各寺院が頑張っていかなければいけないのかなあ、と思っています。」

東海最古のお寺を守るため、また文化を伝承していくため、実際に訪れ、経験し、感じてほしいという想いをお話いただき、訪問を終えました。

参加大学生の感想

 本堂内陣にある八角形のお堂の中の泉そのものがご本尊であるということが最も印象に残 っています。飛鳥時代創建の寺院ということもあり、古来の「自然への信仰」を根強く残すお寺 なのかもしれないなと考えながら参拝させていただきました。水体薬師如来のこの名 水が病に効くということで多くの方が訪れていたそうで、本堂にたくさん飾られていた扁額や絵馬がその信仰の厚さを感じさせてくれました。
お寺で頂いた竹膳料理は、お寺に籠った参拝者に食事を提供していたのが起源であるということで、参拝の方へのおもてなしの心も感じることができました。お寺と参拝者、双方が 幸せになれるような素敵なお寺だと思いました。

 今回の訪問を通して、盆栽や文化財を未来へ受け継ごうという人々の祈りや願いが込められていることを強く感じました。このことを特に感じたのが、菩提樹館に安置されている、白鳳時代と鎌倉時代、室町時代という別々の時代に造立された塑造の仏頭です。これらの仏頭はご本尊である水体薬師如来像のお前立像であり、当初は頭部だけでなく、体部もあるお像であったと伝えられています。しかしながら、度重なる火災により、お像の頭部だけが助け出され、火災の復興の際に、元のお前立像と同じように、塑造のお像を復興しようとしたために、異なる時代の塑造の仏頭が残されているのではないかと考えられているそうです。3つの異なる時代の仏頭を見ていると、なんとかして以前のお前立ち像のお姿を後世へ受け継ごうと尽力した当時の人々の願いを肌で感じた心地がしました。

 菩提樹館には、真福寺伝来の宝物だけでなく、盆栽も展示されています。これは、ご住職の「盆栽やお寺に代表される日本の文化を後世へ伝えたい」という願いから展示を行っているそうです。今からおよそ1400年前に創建された真福寺は、創建から現在までに至る様々な人々の願いにあふれたお寺であると感じました。文化の伝承を考えていく上で、先人たちが何を願い、どのようなことを考えていたのか、ということに向き合っていくことの重要さを改めて学びました。

 お堂の中さらに八角形の建物があるという特殊な建築で、その中にある井戸が本尊であるということを教えていただきました。そのような建築について知らなかったとともに、お寺として水を本尊としてまつり、それを今まで続けていることに驚きました。仏教という外来の宗教を理解することをすぐに理解することは難しく、仏教以前からあった日本元来の神道の信仰と結びつけて仏教というものを理解しようとしていたものであったように思いました。盆栽については全く知識がありませんでしたが、ご住職に説明いただくことで見方が分かり面白くなってきました。ご住職が「今でなくその先の時代」を見据えて作品づくりをされているということを知り、仏教の考え方が盆栽というものに詰まって表現されているようにも思え、感じるものがありました。
真福寺
〒444-2106 愛知県岡崎市真福寺町字薬師山6