紀州徳川家ゆかりの長保寺を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

紀州徳川家ゆかりの長保寺を訪ねる

2022年12月3日 訪問
長保寺は、和歌山県北部、和歌山市にも程近い海南市にあります。周囲の山にはみかん畑がひろがり、「和歌山らしさ」を感じる景色がそこにはありました。
長保寺は平安時代後期の「長保」二年(西暦1000 年)に建てられたことから、当時の年号をとって長保寺と名付けられました。平安時代初期の「延暦」年間に作られた延暦寺と同じですね。開山は兵庫県姫路市の書写山円教寺の開山としても知られる性空上人とされています。

境内

大門を抜けてやや急な階段を登り切った先にある本堂と多宝塔が並ぶ空間は、まるで中世をそのまま切り取ったかのようです。

本堂(国宝)

多宝塔(国宝)

鎮守堂(重要文化財)

長保寺には、本堂・多宝塔・大門と国宝の建造物が三つも残されていることで知られています。
どのお堂もおよそ 700 年前の鎌倉時代後期から南北朝時代ごろに建てられたもので、同じ時期の中世建築がこれだけセットで残されているのは非常に珍しいと思います。

他にも鎌倉時代に建立された重要文化財の鎮守堂もあります。
江戸時代に和歌山城に紀伊徳川家が入ると、徳川家の菩提寺に選ばれ、今も歴代藩主の広大な墓所が残されています。紀伊徳川家出身の八代将軍、徳川吉宗公ももしかしたら長保寺に参詣して私たちと同じ景色を見ていたかもしれません。
長保寺には明治ごろまでは他にもたくさんの古い建物が残されていましたが、中には台風によって倒壊してしまったものも少なくないといいます。紀伊半島は台風被害の多い地域でもあり、近年の台風でも和歌山県内の文化財建築が被害を受けたケースは少なくありません。そんななかで、中世の建造物が今日まで無事に建っていて私たちにその姿を見せてくれているというのは奇跡に近いことなのではないでしょうか。そこには絶えず長保寺の伽藍を修理し、伝えてきた人々の姿があったはずです。
一つひとつの文化財が今日まで残された奇跡と、先人たちへの感謝の気持ちを忘れないようにしたいと感じた訪問となりました。
長保寺
〒649-0164  和歌山県海南市下津町上689