源頼朝公ゆかりの重要文化財が残る「瀧山寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

源頼朝公ゆかりの重要文化財が残る「瀧山寺」を訪ねる

2022年10月23日 訪問
源頼朝公の縁が深い瀧山寺(たきさんじ)には、その歯が納められたといわれる立像が残っています。そのほか、お寺の隆盛が窺える多数の寺宝を拝見させていただきました。

瀧山東照宮

訪問は本堂横にある瀧山東照宮から始まりました。こちらに残るほぼすべてが国指定の重要文化財となっているそうです。現在は改修工事中、令和6年11月までかかる大規模改修です。
「明治の廃仏毀釈で別の運営となりましたが、全国の東照宮としては久能山、日光に続き3宮目です。家康の故郷ということで、岡崎城からみて鬼門の方向に建てられています。家光は全国8か所に東照宮を建てたのですが、日本中で大小合わせれば500以上。家康に手を合わせ、平和を願う祈りが全国に広がった見事な政策だったと思います。」

本堂

つづいて、いよいよ瀧山寺本堂を参拝します。
こちらで毎年『瀧山寺鬼祭り』が行われるとのことです。本堂の建物内で松明をつけるそうで、床や提灯に火の跡が残っています。

「まあ、だいぶ古くなっていましたから、これは『住職、そろそろ交換しなさい』とお薬師様がおっしゃっているのだと思います。」
本来であれば内陣には入れませんが特別に拝見させていただきました。
ユーモアあふれる解説をお聞かせいただきます。
「薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、十二神将とありますが、現在、五体の文化財が文化庁へ行っています。いま、文化財審議会を行なっているんです。近いうちにビッグニュースが聞けるかと思います。」
訪問後、11月18日に『木造日光月光菩薩立像 2軀』『木造十二神将立像 12軀』が重要文化財に指定されました。

「昨年、東京国立博物館で行われた『最澄と天台宗のすべて』にも出張していました。どれも非常に個性的なお像で、十二神将の目の色がすべて違ったり、派手な色が塗ってあったりして、鎌倉時代というのはここまで細かくやるんだな、と驚きます。仏師はわかっていません。うちのお寺は詳細がわかっていないお像ばかりです。」
「ご本尊だけ、どこからも文化財指定を受けていません。見えているのは鎌倉時代に作られた御前立です。後ろの扉を開けると中にご本尊がございます。薬師如来坐像で、平安時代だろうと言われていますが、高さが160cmあります。坐像で160cmはすごい迫力ですよね。それを納めているお厨子の屋根も大きくなります。」
「中でも一番個性的なのは、こちらです。衣装を良く見てください。おそらく寝間着で裸足ですよね。戦を想定しているからか、他のお像は甲冑をつけたりしている中で、こちらだけは寝間着。戦いの集合時間に寝坊をして、慌てて武器だけ持って走っていった様子を表しているお像なのではないか、と私は勝手に解釈しています。」

「毘沙門天は平安時代の作、都を守っていた兵士の姿を形にしたそうです。参拝された方が教えてくれたのですが、槍が下を向いているので平和な時代に作られたものと想定されます。十二神将の作成年代は鎌倉時代中期~後期、専門家の方はお像の衣装の裾のデザインから推定したそうです。当時の流行を示しているそうで、関東のお寺にも同じようなお像が残されているそうです。」
ご本尊の御開帳予定をお伺いしたところ、
「いい質問ですね。いま計画しているのは、令和7年にやろうかな、と。隣の東照宮の改修が終わるのが令和6年11月、それと合わせて、そして今回のお像が重要文化財指定されることと、お祝い続きなんですよね。これはお薬師さんのお力なのだから、と皆さんとお話しているところです。」
「前回御開帳の際に、絵描きさんにご本尊の絵を描いてもらいました。初めて本物を見たときは感動しましたね。」
本堂裏には日吉大社があります。裏山に泉が湧いており、『水體薬師さま』として信仰を集めています。かつては水を取りに訪れる方が絶えなかったそうです。

宝物殿

つづいて、宝物殿に数多く残る文化財を拝見させていただきます。
その中でもひときわ存在感を放っているのが、聖観音菩薩立像です。
「この仏像は運慶の作ということが公式に認められております。こちらに残っている『瀧山寺縁起』を読むと『歯を収め等身大で作った』という記述があるのです。これを確かめるためにX線にかけて内部を調査をしてみると、細工を施して小さな箱が収められていることがわかります。そこで間違いがない、ということで運慶作の重要文化財に指定されてました。」
「運慶作の仏像は、いま全国に35体あります。鎌倉や京都、奈良にあるというのは理由がわかりやすいと思うのですが、なぜここにあるのでしょうか。黒塗りになっているこの文章を読んでみてください。」
黒塗りとなっていながら、良く見ると何とか読むことができそうな史料が残っています。
「式部僧都寛伝が造立し建仁元年(1201)に供養した、と書かれています。頼朝公が亡くなって2年後、三回忌のタイミングですね。その時に歯や髪の毛が入手できるような関係だったということが想像されます。調べてみると寛伝さんと頼朝公は血縁関係(母方の従兄弟)にあったようです。そこで頼朝公の等身大の仏様を作って弔うということをしたようです。」

黒塗りにしなければならない事情がありながら、何とか読める状態になっているのは、当時のご住職が「歴史をつながなければ」という熱い思いをもっていたから、と想像しているとのことでした。

「運慶というと東大寺南大門の仁王像のように力強い作品を想像しますが、このお像のように非常に優しいお像も造られています。ほぼ同時期に作られたようですので、運慶の名人ぶりがわかりますね。ぜひ背中の方にも回って見てください。」
確かに、一般的なイメージと異なり非常に美しい曲線を繊細に表現したお像です。
さらに、截金細工の美しい十一面観音菩薩像を拝見すると、
「今、世の中では『推し』という言葉が流行していますが、私の『推し仏』がこちらです。上から当てた光を動かしていくと・・・。光の当て方によって表情が変わる細工を施してあります。これからこちらを広めていこうと思います。」
数多の貴重な文化財やお寺の縁起をユーモアを交えご説明をいただきました。お話一つ一つが分かりやすく、親しみを感じるものでした。

いくつもの目に見える文化財だけではなく、無形文化財である『鬼祭り』も続けて守り、伝承していく。そのご苦労はいかばかりと質問すると、次のようにおっしゃられました。

「これまで文化財指定など受けていないものばかりだったので、指定を受けると何かと大変だろうな、という想像はしています。ただ、実は、地元の信用金庫の会長さんが文化財の保護に造詣の深い方で、NPO法人を立ち上げてくださいまして、近くの優良企業の皆様がクラウドファンディングを通じて応援してくださっています。ありがたい話で、セキュリティ対策なども進めてくださっているのです。おかげ様で、文化財指定をされるというお祝い事も続きますので、喜ばしいこととしてご本尊の御開帳を準備しようと考えているところなんです。」

お寺を愛し、守り、つないでいこうとするご住職の想いと地元の皆様の信仰が、境内の隅々まで感じられる。そんな名刹を訪問することができました。

参加大学生の感想

瀧山寺はご住職が熱くお寺に残された文化財について説明してくださったことが印象的で した。運慶作と伝わる聖観音さまの三尊像だけでなく、本堂の十二神将や宝物館の十一面観 音像など、ご住職自慢の仏様の魅力も新たに知ることができました。 謎解きのような形式で運慶作の観音像と源頼朝公との関係に迫っていくような形の紹介を していただき、楽しみながら学ぶことができたのも魅力的でした。 この取材をきっかけに瀧山寺の魅力がもっとたくさんの人に伝わってもらえたら嬉しいです。

 特別に本堂の内陣に入り拝観させていただくと、外陣からは暗くてあまりみえなかった仏像たちがよくみえるようになりました。すると十二神将の目がギラリと光ります。バスローブのようなものを着ている像もあり、動きとしては迫力のあるものの服装としては特別迫力があるというのをあまり感じなかったのですが、それでもこの像たちが本像である薬師如来を、絶対に守るという見えない力を感じさせられました。それは像容のすばらしさはもちろんのこと、今まで長い間多くの人に信仰されてきたことによる、祈りの力の積み重ねが現われているのだと思いました。

 運慶作の源頼朝の等身大と伝わる聖観音像を拝見しました。運慶と言えば力強い表現が有名ですが、この像は女性的な柔らかな体つきやおだやかな顔つきであり、かっこいいという表現よりも、きれいや優しいという表現の方が適した像と思います。鎌倉時代の武士と言えば、戦をしており野蛮な印象をいだいていることも多いのですが、寛伝は頼朝のいとこという身近な存在であったために、頼朝の内なるやさしさを感じていたのではないでしょうか。それに加えこの瀧山寺を保護してくださったこと、3回忌の法要を行うこと以上に頼朝に対する思いがこの頼朝等身の聖観音像が生んだのだと思いました。また運慶という仏師の像容の多様さには、仏師としての技能の高さを感じさせられました。



 今回の訪問では、お寺や文化財を守ることに対するたくさんの人々の熱意に圧倒されました。
 ご住職によると、瀧山寺を含む瀧山東照宮、日吉山王社などに伝わる文化を未来へ守り伝えるために、地元住民や地元企業と協力して、文化財やお祭りの維持や修復を行っているそうです。近年、文化の伝承に関して資金面や人材不足など様々な難しい問題があるなかで、瀧山寺における地域の取り組みは、全国的な文化伝承に関する問題を解決する際のモデルケースになるのではないでしょうか。
 瀧山寺の文化を未来へ守り伝えることに情熱を持っているのは、現在に生きる人々だけではありません。瀧山寺は、源頼朝公の髭と歯を体内におさめる運慶・湛慶作の聖観音菩薩立像をおまつりすることで有名です。このお像の真偽については「瀧山寺縁起」に残っているのですが、ある箇所が墨で塗りつぶされていることに気がつきます。よく見てみると、下に書いてある文字がうっすら読めるように塗りつぶされています。これは、明治時代の瀧山寺のご住職が、聖観音菩薩立像の造立に関わった式部僧都寛伝に関する情報を失ってしまわないように必死に守ったからだそうです。
 瀧山寺の境内を巡っていると、地域全体が文化財に愛着を抱き、地域一丸となって未来へ守り伝えようとする人々の息づかいを感じます。現在に生きる私たちが、お祭りや文化財など受け継がれてきた文化に簡単に触れることができるのは、過去から現在に至るたくさんの人々が必死に受け継ごうとしたことの結果であると、改めて強く感じました。
瀧山寺
〒444-3173 愛知県岡崎市滝町字山籠107