神仏習合が今も残る世界遺産「那智山青岸渡寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

神仏習合が今も残る世界遺産「那智山青岸渡寺」を訪ねる

2022年12月2日 訪問
古来より神々の霊が隠れ籠る独自の聖域をなし、本宮、新宮、那智の熊野三社で神々が祀られ、現世と来世での救いを願う人々の崇敬を集める熊野三山。
平成16年(2004年)7月には、熊野三山を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されました。世界中から多くの人が訪れるこの地に那智山青岸渡寺があります。

今回は明治から数えて九代目という、高木亮英住職にお話を伺いました。

山門

442段の階段を上ると見えてくるのが大きな山門です。昔は熊野那智大社の大門坂にあった大門を昭和8年に移築したものだそうです。表から見ると仁王門になっていますが、裏側(境内側)には狛犬が祀られています。
「面白いことに、仁王像と狛犬が背中合わせです。かつての神仏習合、熊野山全体への信仰の名残ですね。」
また、こちらの仁王像は運慶の作と伝えられています。

本堂(外観)

階段を上りきると正面に本堂があります。

「まずは外観を見てください。お堂とお宮さんの社殿が一直線に軒を接しています。これは神仏分離・廃仏毀釈によって分かれるまでは、廊下伝いにつながっていた名残なんです。本堂は、単層入母屋造りで屋根はこけら(杉の板)葺き、宮は檜の皮を敷き詰めた檜皮葺き(ひわだぶき)でできています。」
「この建物は織田信長によって焼き討ちされた後、天正18年(1590年)に豊臣秀吉によって再建された6代目の建物になります。国の重要文化財、世界遺産、日本遺産に登録されています。寺院の建物には欅や檜が使われることが一般的なのですが、この建物はすべて熊野杉でできている非常に珍しいものです。『適材適所』地元の材料を使っています。

「また、このあたりの地域は雨が多いため、床を高くして風通しを良くするなどの工夫もされているんですよ。」

本堂(内陣)

続いて、本堂の内陣をご案内いただきます。

「お堂の中央、皆様の頭上にあるのは日本最大の『大鰐口(おおわにぐち)』で重さ450キロ、直径145センチあります。このお堂が完成した際に豊臣秀吉によって奉納されたもので、名前も刻まれています。」
「ご本尊は『如意輪観世音菩薩』。手を6本持ち、片膝をついて物を考えている一般的に半跏思惟像と呼ばれる姿の観音様です。手に如意宝珠という輪宝を持っていて、我々の願いを意のごとく聞き届けていただき、観音様の教えが車輪のごとく四方八方に広がるというところから『如意輪観世音菩薩』と呼ばれます。正面に祀られているのは身代わりの御前立で、奥の扉の向こうの宮殿(くうでん)と言われる昇龍降龍が刻まれたお厨子(国指定重要文化財)の中に、約4メートルのご本尊が秘仏として祀られています。ご開帳は2月3日の節分と、開基・裸形上人の遺徳をたたえる4月の第2日曜日の開山祭、8月17日のお盆、と年に3回となります。」

「それでは、青岸渡寺の歴史をお話ししましょう。青岸渡寺の開祖は裸形上人(らぎょうしょうにん)という方です。仁徳天皇の時代(4世紀末~5世紀前半頃)にインドから日本へ渡り、熊野浦の那智の浜に漂着。川をさかのぼって那智の滝へたどり着いて修行をしていたところ、観音様を感得し、ここに那智青岸渡寺を開きました。つまり開基は比叡山よりも古いんです。この一帯は熊野三山と呼ばれ、山岳宗教の山伏や修験者の修行の地であることから天台宗と結びついたようです。」

「また、青岸渡寺は観音信仰の西国三十三霊場巡礼の第一番札所となっています。『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第25門』というお経の中で、観音様は人々を救うために三十三に身を分けられて、それぞれの姿に合わせた説法(三十三応現説法)をされたといわれていることから、現世利益というこの世での幸せを願い、三十三のお寺の巡礼が行われてきました。
観音様『南無大慈大悲観世音菩薩』は、全国の寺院で最も多く本尊にされている、いわば私たちにとって最も身近な仏様です。では、観音様の御心、慈悲の心とはどういったものか。それは、人に対する思いやりや優しさ、慈しみの心です。人間は誰しも生まれた時に平等にそのような心を授かっているはずですが、人間関係や社会のしがらみによってその心が薄らいでしまいます。それは煩悩によるものです。せちがらい世の中ですが、お参りすることによって観音様の御心を感じ取っていただければと思っております。」

「ぜひ、観音様のお教えに近づいてください。」とのことで、特別に御前立の目の前までご案内いただきました。

つづいて、一枚の絵図を拝見します。
「こちらは『裸形上人練行図』です。インドから船に乗って熊野の浦に漂着されて以降、この地で観音信仰を広めた裸形上人の生涯を絵図で表したものです。昭和26年に描かれたものです。」

「こちらのお堂では日々、護摩を焚きますので天井など全体がすすけているように見えます。でも、この煙のおかげで、燻蒸・防虫効果もあるのです。熊野杉の赤い節が見えているのも特徴的ですね。風光明媚な場所でもありますし、世界遺産の効果か宗派を問わず全国各地から、また世界各地から多くの方がお参りされます。」

護摩壇

護摩壇には不動明王像が安置されています。「鎌倉幕府の要人である文覚上人(もんがくしょうにん)が那智の滝で修行をされた際に、不動明王が現れて命を救われたという言い伝えが残っています。」

那智の滝を望む三重塔

「高さ25メートル、朱塗りの三重塔は世界最古の企業といわれる宮大工の金剛組さんによって昭和47(1974)年に建てられました。他にも信徒会館、写経堂、阿弥陀堂など境内でも8つほどの建物を金剛組さんに手掛けていただきました。」

那智大滝と三重塔の美しい景観を堪能し、続いて塔の内部をご案内いただきます。

「内部の絵は、比叡山法華総持院と同じ画家が描いたものです。また、那智大滝の本地仏が千手観世音菩薩で、かつては『千手堂』というお堂もあったのですが、廃仏毀釈により壊されてしまったために、新たに千手観音像を祀ることにしました。」

三層目まで上がると、修験道の行場でもある那智大滝が非常に良く見えます。滝の水は台風で水量が増えたり、冬場には凍ってしまったり、と時代を経るごとに季節ごとの変化が大きくなってきたそうです。自然環境の変化がはっきりと浮かび上がります。

「高さ133メートルの滝口から滝つぼまでが一望できます。ここからでは小さくしか見えませんが、大滝の滝口には流れを挟むようにしめ縄が張られています。縄は非常に太く、そこから下がる紙垂(しで)は畳1畳分ほどの長さがあります。毎年2回、7月と12月にしめ縄の張り直しを行いますが毎回命がけで行います。」

青岸渡寺の秘宝を保管する瀧宝殿

最後に、普段は非公開の宝物館「瀧宝殿」を特別にご案内いただきました。古くからの信仰が窺われる貴重な宝物が多く収められています。

「那智大滝近くの『那智経塚』から約200もの仏像などが発掘されました。800年ほど土中に埋もれていたようです。こちらにも少し残りますが、現在はそのほとんどが調査のために東京国立博物館に収蔵されています。」
こうした宝物の1つ1つを代々のご住職が中心となり、お寺に関わる多くの人の力で、貴重な文化財の数々を見つけ出しとして、調査し、後世に残すために、ひとつひとつ大切に保存していくことが行われていることがわかりました。

熊野行者堂の再建

高木ご住職は、明治初期の神仏分離・廃仏毀釈・修験道廃止令によって途絶えていた那智の四十八滝を巡る修行を三十数年前に再興されるなど、様々な活動をされています。
令和4(2022)年には行者堂の再建を始めました。取り壊される前には本尊として祀られていた役行者像を修復し、本来の形で安置します。神仏習合の熊野信仰や熊野修験のシンボルとして多くの行者が参拝することになります。完成は令和5年秋の予定です。
完成予想図(青岸渡寺提供)

「私は学生時代に比叡山で学ばせていただき、伝教大師様のお言葉でもある『一隅を照らす。能く行い能く言う。己を忘れて他を利する。』という教えを受けました。この教えを大切に、生まれ育ったこの地において実践させていただいているのです。」とのお言葉が印象的でした。

参加大学生の感想

西國第一番礼所であり世界遺産である青岸渡寺への参拝は心から楽しみにしていました。
高木ご住職に笑顔で迎え入れて頂き、一つ一つ丁寧に説明していただきました。
那智山、那智の滝、三重の塔が織りなす風景は和歌山の紅葉も相まった壮大さを感じると共に、いにしえの人々と時代を経て同じ景色を見る事ができているのではないかと想われ感動しました。
海が近い地域のため、地域の漁師さんから魚のご奉納があるとのことでした。海岸沿いから山の上にあるお寺に足を運ぶ、という事に地域の方からの厚い信仰や大切にされてきた背景を感じました。

本堂はとても厳かさでしたが想像していたよりも小さく、規模が大きくないからこそ感じられた厳格さなのではないかと思いました。

特に印象に残ったのは、金剛力士像と狛犬が背中合わせに佇む山門です。神仏習合の名残を感じながら、両者が山門にて那智山を見守りながら想う思いは、神も仏もなく、根底的に通ずるものがあるのではないでしょうか。
青岸渡寺
〒649-5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8番地