元三大師を祀る青柳大師「龍蔵寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

元三大師を祀る青柳大師「龍蔵寺」を訪ねる

2022年7月2日 訪問
群馬県前橋市の人々に「青柳(あおやぎ)大師」の呼び名で親しまれるのが、青柳山談義堂院龍蔵寺です。
青柳大師の由来は、元三大師良源さまをお祀りすることから。毎年1月3日の縁日には大師堂が開かれ、多くの参詣者で賑わいます。
今回は眞木興空ご住職に、堂内を案内していただきました。
「この寺は日光山の開祖・勝道上人が延暦2年(753年)に開いた満願寺が始まりです。南北朝時代の貞治・慶安の頃(1362年〜1375年)に厩橋城(後の前橋城)が築城される際、鬼門除けとして現在地に移転しました。当時、この辺りには利根川が流れ、龍が潜む深い縁があることから「龍ヶ淵」と呼ばれており、寺号を龍蔵寺と改めたそうです。山号に含まれる談義堂院とは、僧侶の修行道場を意味します。この寺の中興の祖・豪尊は康暦2年(1380)に一大檀林を築き、関東八箇檀林に数えられました」

江戸時代の寛保2年(1743年)、再び火災で本堂や庫裡、寺宝などを焼失してしまいますが、延享3年(1746年)に前橋藩主・酒井忠恭によって再建されます。その後も代々の藩主が元三大師を信仰し、50石の寄進を行なっています。

内陣の中心に阿弥陀如来、左に釈迦如来、右に薬師如来

本堂では檀家の供養を行います。折り上げ天井の煌びやかな造りで、内陣の中心に阿弥陀如来、左に釈迦如来、右に薬師如来が鎮座しています。
「お釈迦様が前世、薬師如来様が現世、阿弥陀如来様が来世と、3体の仏様がいらっしゃるので、法事などでいらした方には、ずっといつでも仏様のお救いがありますよと話しています。ご本尊は江戸時代中期に造られたようで、彩色を施した衣を身に纏っていたそうです。来年に調査・修繕するので、年代や仏師など、詳しいことがわかるかもしれません」

本堂に隣接する大師堂へ

内陣の奥に2つの厨子があり、それぞれ元三大師の木像をお祀りしています。元三大師は比叡山中興の祖と崇められる、第18代天台座主の良源さまです。強い神通力をそなえ、平安時代の都で蔓延した疫病を退散させた逸話で有名です。その際、良源様は自分の姿を鏡に写して坐禅を組むと、みるみるうちに骨ばかりの鬼の姿に変わります。良源様はその姿を描いたお札を作り、庶民に配ると疫病やあらゆる災難も払ってしまったそうです。元三大師が「角大師」「鬼大師」と呼ばれる所以です。

「左側の厨子には煤けて真っ黒な元三大師像をお祀しています。これには面白い語り伝えが残っています。江戸時代の天明3年(1783年)に浅間山が大噴火しました。近くの住民や利根川の河川敷で働いていた人にも命の危機が迫り、もうダメかと思った時に、どこからともなく墨染めの衣を着た僧侶が現れて、必死に祈願を始めます。そのおかげで危機を脱するのですが、いつの間にか僧侶は姿を消していました。どこのお坊さんだろう?人々は口々に話すうちに、この寺の元三大師像を思い出します。厨子内を見ると尊像は大汗をかいていたそうです」

中央の厨子には数珠繰りをしながら祈願する尊像が鎮座しています。1月3日には内陣にある2つの護摩壇で終夜、護摩が焚かれるとともに2体の大師像を拝することもできます。

特に興味を引かれたのは、中央厨子の右脇に並ぶ千手観音菩薩像と十一面観音菩薩像です。細かな彫刻が施され、慈悲深いご尊顔を目にすることできます。
「元三大師が如意輪観音の生まれ変わりと伝わっていますから、2体の観音様をお祀りしていると考えられます。なかなか調査が進まず、詳細をお話しできないのが心苦しいですが、そんなに喜んでもらえると嬉しいな」とご住職から笑顔がこぼれます。

ご住職は保護司と教誨(きょうかい)師も兼務しており、仏教を身近に感じられいつでも触れることができるようにと、平成17年(2005年)から毎週1回、「興空和尚の悟りのお話」というメールマガジン法話を配信し、累計800話以上の中から厳選した法話を一冊にまとめた書籍『青柳大師住職の厄除法話 一分で読めて一生忘れない悟りのおはなし』も出版されました。

「メールマガジンは目の前に居る人に語りかけるように1話ずつ発信してきました。法話といっても、日々ノートに書き留めた思いを発表するブログに近いかもしれませんね。大上段に構えた法話でないのがよかったのでしょうか。ある親御さんが刑務所で服役しているお子さんに本を差し入れたようです。先日、そのお子さんから手紙が届き、〝本を読んで感動しました。これから頑張っていこうと思います〟と書かれていました」

昔から多くの人々の心に寄り添い、親しまれてきた歴史を感じることができる訪問でした。

参加大学生の感想

大師堂には元三大師さまがお祀りされています。江戸時代、前橋藩主であった酒井氏の篤い信仰を集めたというお大師さまは、今も多くの地域の人々の願いを聞いてくださっているような気がしました。大師堂には、他にも千手観音と十一面観音のお像がお祀りされていました。お像も厨子に描かれた眷属の絵も非常に綺麗に残されており、釘付けになってお参りしていました。ご住職も、お寺の仏像がこんなに気に入ってもらえるとは思わなかったと驚いていらっしゃって、ご住職と私たち学生との交流を通してお寺の魅力を再発見できたように感じて私自身も嬉しくなりました。
ご住職は法話をメールマガジンを通じて発信するという活動や、不登校・ひきこもり支援の会をお寺で開催されたりなど、地域の方々との交流やお手伝いを熱心にされているとのことで、お話を聞いていて非常に心が温かくなりました。
私たちのような若い世代が仏教から離れている要因の一つに"わからない"が大きいのではないだろうかと思います。
まず初めのきっかけとしてわかりやすい何かに触れるという機会はとても大切だと感じましたし、どの時代の人々もそのようにして仏教、宗教に触れてきたのではないだろうかと思います。
私自身もできることをして身近にある仏教の心を広めたいと思いました。
龍蔵寺
〒371-0057 群馬県前橋市龍蔵寺町甲68