鎌倉期の鉄造仏を祀る「善勝寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

鎌倉期の鉄造仏を祀る「善勝寺」を訪ねる

2022年7月3日 訪問
群馬県前橋市の艮場山慧雲院善勝寺は、鎌倉時代の鉄造仏を祀る古刹です。東日本でもっとも美しい鉄造仏との評判もあり、参拝希望者は多いのですが、本堂内は一般公開していません。岡慈一ご住職のご好意に感謝しながら、本堂内を見学させていただきました。

山門をくぐると正面に見えるのは現代風の本堂です。
「この寺は昔から火災と再建の繰り返しで、よく燃えることから〝全燃〟寺と冗談にする檀家さんもいますよ。現在の本堂は昭和54年(1979)完成で、鉄筋コンクリート製ですから安心してください」
緊張が解けたところで、本堂に入り寺の歴史を伺います。

「寺伝によると、当山の開基は日光山を開いた勝道上人です。平安時代の大治4年(1129年)になると、聖慶法師が薬師如来の尊像を安置して、鳥取山自観寺と命名したそうです。その後、すっかり衰退しますが、鎌倉時代の正喜2年(1258年)に天台宗の僧・覚山が住職となって中興します。この時に、鎌倉幕府第五代執権の北条時頼が諸国巡歴の際に宿泊し、百畝の田地を寄進するとともに、古桜の塩竈桜を愛でて〝海もなく磯べも遠きこの里に何れのあまが植し塩竈〟と詠んだそうです」
室町時代の永享3(1431年)には円祐という僧が伽藍を整備し、慧雲院の院号を加えました。天文年間(1532年〜1555年)には、厩橋城主の長野左衛門尉がこの寺に陣を置いて、合戦に勝利したことから寺号を善勝寺に改名。さらに、永禄6年(1563年)に厩橋城主の北条(きたじょう)高広が帰依し、城の鬼門である艮(うしとら)の方向に寺があることから山号を艮場山(ごんじょうさん)に改め、現在の艮場山慧雲院善勝寺となっているのです。

江戸時代には徳川3代将軍・家光から寺領25石を賜ったそうです。文化12年(1815年)と慶応2年(1866年)に火災で諸堂を焼失。明治12年(1879年)に仮本堂を建て、現在の本尊をお迎えしました。
「慶応2年といえば、明治はもうすぐです。当時、神社仏閣は寺社奉行しか手出しできないため、うちの寺では本堂の下に罪人をかくまっていたそうです。ところが、12月の寒さに耐えかねて、床下で火を焚いたからもう大変。厚さ5寸(約15㎝)もあった床板に燃え移り、おまけに藁葺の屋根ですから、あっという間に炎上して、三日三晩も燃え続けたそうです。西では長州征伐の戦火で焼けて、うちの寺は火事で燃えて、困ったものですよ」

その後、140年の時を経て、昭和54年(1979)に本堂が完成しました。

「御本尊の阿弥陀如来様は、ここから4キロほど離れた現在の小坂子(こざかし)町で製造されたと伝わります。胴体は砂鉄を溶かして鋳造した鉄製、頭部と手は銅製です。頭部は千葉県の方で造られたそうです。明治時代頃までは鋳造の鋳型や鉄屑などが残っていたとも聞きましたね」

尊像の高さは約90cmで、重さは約88kg。「上品下生」の院を結び、頭髪は一面の螺髪(らほつ)で、丸顔の端正な顔立ちです。体の衣文は平行の薄い線で表現してあり、東日本でもっとも美しい鉄造仏と称賛されるのも納得です。
「さて、この御本尊も善勝寺に安置されるまで、ご苦労を重ねました。誕生したのは鎌倉時代の仁治元年(1240年)です。当時の小坂子村にある慶雲和尚の御堂へ、浄土真宗の開祖・親鸞聖人が来訪します。その教えに感動した人々は、阿弥陀如来像の建立を願い出て、諸方から寄付を集め、鋳物師や鍛冶に頼んで完成させます。尊像の噂は瞬く間に広がり、一日に500人以上の参拝者が訪れたとか。また、尊像の前を乗馬したまま横切ると必ず落馬するため、通りに塚が築かれたとも言われます。」

「ところが、永禄2年(1559年)に盗難が発生。仏罰が当たった盗賊は途中で足を痛めて諦めますが、尊像は水田の中に捨てられてしまいます。しばらく不在が続き、江戸時代の元和元年(1615年)または元和5年(1619年)に小坂子城主の五十嵐荘左衛門が、泥の池から光を放つ尊像を見つけ出し、地元の願いを聞き入れて、新たに御堂を建てて元へ戻したそうです。」

本堂内は欄間の彫刻も見事です。『釈迦一代記』と題された大作で、「天上天下唯我独尊」と告げる誕生から、沙羅双樹の木の下で北向きに横たわり、十大弟子や菩薩、鳥獣が見守るなかで入滅するまで、その生涯を9枚の彫刻絵で描かれています。
その向かいは阿弥陀如来と二十五菩薩が微笑みます。人が臨終する際にはこれらの仏様が迎えに来てくださるそうです。

「若い檀家さんには、この彫刻を解説しながら、お釈迦様や仏様のことを知ってもらえればいいなと思いましてね。中国の仏師にお願いしてから、完成まで10年かかりました。格天井に花鳥風月の絵を描くことも考えましたが、気力も体力も時間も無くなったので、次の世代に任せます(笑)。こうした彫刻や天井画は仏様に捧げる花と同じお供物ですからね」
※「格天井」・・・(ごうてんじょう)太い木を格子状に組みその間に板を張った天井


参加大学生の感想

善勝寺は、全国的に珍しい鉄で作られた阿弥陀如来坐像をご本尊としておまつりしています。この阿弥陀如来坐像には、善勝寺へおまつりされるまでにたくさんの人々と関わってきたことを象徴する様々な伝承が残されています。例えば、このお像を作る際、お像の材料となる鉄を集めたのは土地の有力者や権力者ではなく、村人たちでした。村人たちそれぞれが各所から砂鉄を集め、お像の材料を集めたと伝わっています。このことを裏付けるように、ご本尊は通常に比べて重量が重いそうです。このことをご住職から伺い、ご本尊が当時の人々の願いや祈りから構成され、ご本尊の優しく穏やかなまなざしは、人々のそのような想いを象徴しているのだと実感しました。

 今回の訪問では、文化財は様々な時代の人々の願いや想いから構成されていることを特に感じました。このように先人達に想いを馳せることができるのは、どの時代においてもお寺や神社が地域の人々のよりどころであったからであり、人々によって現在まで守り伝えられてきたからこそだと改めて思いました。教科書や本の上では知ることのできない、当時の人々の息づかいを体感することができた訪問でした。

善勝寺
〒371-0133  群馬県前橋市端気町337