坂東三十三観音霊場の1つ「水澤寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

坂東三十三観音霊場の1つ「水澤寺」を訪ねる

2022年7月3日 訪問
群馬県の名湯・伊香保温泉の近くに水澤観世音こと五徳山水澤寺があります。秋田県の稲庭うどん、香川県の讃岐うどんと合わせ、日本三大うどんに数えられる水沢うどんは、水澤寺の参詣者に提供した手打ちうどんが始まりとされます。現在も多くのうどん店が並ぶ水沢うどん街道沿いの山門から、村田亮順執事に境内をご案内いただきます。
「せっかくですから、正式のお参りをしてみますか」
まずは亀の上に立つ水天様を祀った手水舎で手と口を清めてから、長い石段を登り始めます。途中、江戸時代の天明7年(1787年)に完成したという2階建ての仁王門をくぐります。境内に悪い心を持った者が侵入しないよう、阿と吽の仁王様が睨みを利かせ、天井には狩野派の絵師・狩野探雲が描いた龍の絵(模写)が見られます。門の裏側に回ると2階への入口があり、階段を上ることができます。

「楼門の2階に上れる寺院は少ないから貴重な体験になるよね。先代の住職は〝見せられる物は見せてあげなさい〟という方で、その姿勢をいまも継承しています。拝観は自由です。2階には釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩の三尊と、十六羅漢像が祀られています」

廻縁に出て、2階の外側を一周した後は、残りの石段を登って鐘楼へ。

「年末の除夜の鐘と同じで、梵鐘を撞くことで煩悩を払うことができます。心身ともに清めてから本堂をお参りするわけです。よくお参り後に梵鐘を撞かれる方をお見かけしますが、これは戻り鐘といって、仏様からいただいた徳も払ってしまうので気をつけてくださいね」
村田執事の手本に続き、学生も挑戦。大きな鐘の音が響きました。いよいよ本堂に入ります。

朱塗りの本堂は元禄年間(1688年〜1704年)に仮堂が建立され、宝暦年間(1751年〜1764年)から33年間の大改修を行ったもの。徳川幕府の祈願寺であることから、葵の御紋を描いた大きな提灯が提げてあります。焼香を終え、村田執事と学生たちは、太鼓の音に合わせながら般若心経を読経しました。
「この寺は1300余年前、推古天皇と持統天皇の勅願により、高麗の高僧・恵灌僧正によって開かれました。当時は南都六宗の三論宗だったそうです。天台宗に改宗した時期は定かではありませんが、伝教大師様の東国巡錫との関わりはあるかもしれません。日光、江戸、善光寺とそれぞれ36里の距離にある霊場で、上野国の国司の菩提寺でもありました。最盛期は30余の御堂が立ち、1200体の仏様を祀っていましたが、度重なる火災で多くを失い、古い建物は江戸時代に再建された本堂、山門、六角堂だけです」

「御本尊は上野国の国司・高野辺家成の三女、伊香保姫の御持仏と伝わる十一面千手観世音菩薩です。秘仏のため、普段は御前立ちの尊顔を拝しますが、12年に一度の午年にご開帳されます。この時は御本尊と絹の糸で結ばれた回向柱が本堂前に立ち、誰でも仏様とご縁を結ぶことができます。本堂の裏側はV字型の地形になっていて、水沢山からの清浄な気が降り注ぐ、霊場でもあります。実は、坂東三十三観音霊場の16番札所でもあるのです」

坂東三十三観音は、鎌倉時代に西国三十三観音を模して始められた観音巡礼です。鎌倉最古の寺・杉本寺を1番札所として、関東7都県に33の札所が点在します。33という数字は観音様が衆生を救済する際に替えられるお姿の数になぞられています。西国三十三観音、埼玉県の秩父三十四観音と合わせて、日本百観音と呼ばれています。

六角堂へ

建物は2階建てで、1階に六地蔵、2階に大日如来をお祀りしています。六地蔵は回転式の経蔵に似た台座に鎮座されていて、回すことができます。

「お釈迦様がバラモン教の考え方をもとに説かれた六道の教えはご存じですか。六道は地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天人の六世界を差し、それぞれの世界で寿命があります。徳を積めばよい世界に、罪を犯せば下の世界に生まれ変わります。しかし、徳を積めるのは人間界で生きている時だけ。たとえ、ご先祖様が地獄界に居ても自分で徳を積むことはできません。ご先祖様のために、この六地蔵を回して徳を積み、ご供養することで自分の運勢も開けると言われています。いまのポイント制のように、徳は貯めることもでき、子孫に残すこともできますよ」

六地蔵の回し方は左方向に3回転です。ずっしりと重そうに見えますが、それほど力はいらず、難なく回すことができました。特別に油を差すことはないというから驚きです。欄間には鯉が龍へと出世していく彫刻や、二階には方角を示す十二支の彫刻も見られました。

本堂近くの石段を上った水沢山登山口には、飯綱大権現堂がありました。
「飯綱大権現はカラス天狗のような姿をした山岳信仰の仏様で、古くから当山をお守りいただいています。水沢山は標高1194m。富士山を目指す人がトレーニングで登る山で、一般の方で片道2時間ほどの道のりです。南西2kmには舟尾滝もあります。この辺りには99の谷があり、もう1つ谷があれば、真言宗の開祖・弘法大師(空海)が関東の高野山を開いたという伝説と一致します」
本堂の周囲に自生したユキノシタの愛らしい花を眺めた後、乾いた喉を潤してくれたのは、龍王弁財天を祀る霊水です。真夏でも冷たくおいしい。この水があればこそ名物の水沢うどんが誕生したというのも納得です。霊水が流れ込む池の近くには、大きなカエルの石像が佇んでいます。昔、この地域に大きな飢饉が起こり、人々は山に棲むカエルを食べて生き延びたそうです。その後、カエルの供養に石像が建立され、霊水をかけて感謝の念を捧げる習慣ができたそうです。
「現在は閉館中ですが、宝物館に当たる釈迦堂には本堂の二十八部衆、仁王門の釈迦三尊、六角堂の大日如来など、歴史ある仏像を所蔵していますので、また機会を作ってご覧になってください」

村田執事からの〝嬉しい宿題〟に学生たちもニッコリ。彼らがこの地を再訪する日はそう遠くないかもしれません。

参加大学生の感想

水澤寺で私が一番面白いなと感じたのは、お堂の色でした。普段見るお寺のお堂では朱色と白色だったり、木の色と白色だったりと、お堂には白色が多く使われているイメージがありましたが、水沢寺のお堂は全体が赤と黒で塗られていて白色が見えないお堂が多く、そのためか非常に力強い印象を受けました。普段訪れるお寺とはまた違う独特の雰囲気があったように思います。その中でも群馬県指定の重要文化財に指定されている六角堂は非常に珍しい建物で、六道を表す六体のお地蔵さまを回転させることができたり、鯛が龍に変わっていく姿を表した彫刻が施されていたりと、非常に工夫を凝らしたお堂となっていて、建てられた江戸時代からたくさんの人々が訪れて、触れることを想定して造ったのかなと想像を膨らませていました。

ご本堂で一緒にお勤めをさせていただいたとき、村田執事は太鼓をたたきながらお経をよまれていて、作法にも独特のものがあり非常に興味深かったです。
関西から来たからこそ気づけたことかもしれませんが、それぞれの地域のお寺の違いなどを感じながらお参りするのも面白いのではないかと感じました。
水澤寺
〒377-0103 群馬県渋川市伊香保町水沢214