天台宗信濃五山「光前寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

天台宗信濃五山「光前寺」を訪ねる

信州、長野県駒ケ根市にある「宝積山 光前寺」は6.7ヘクタール(2万平方メートル)の広さを誇る境内全体が国指定の名勝庭園になっているという風光明媚な名刹です。その開基は、貞観2年(860年)に本聖(ほんじょう)上人が太田切黒川の瀑の中より不動明王の尊像を授かり、ご本尊として開かれたと言われています。
本堂に祀られているご本尊の不動明王像は秘仏で、数えの7年に1度の御開帳が2022年6月30日まで開催されています。
学生たちが光前寺を訪れたのは、御開帳直前の慌ただしいタイミング。ご準備の中、吉澤道人ご住職に境内全体をご案内していただきながらお話に耳を傾けました。


「こちらのお寺は昔、大変栄えた時代がありました。ご本尊が不動明王様ですから、戦国時代には甲州武田氏の庇護があり、戦勝祈願をした願文が奉納されたという経緯もあったそうです。しかし、武田を滅ぼした織田勢により、この地も焼かれたそうで、古文書の大半は散逸してしまったそうです。

その後は羽柴家によって保護され、江戸時代には徳川幕府により、六十石の寺領と十万石の大名格を授かったそうで、十棟あまりの堂塔があり、隆盛を極めたそうです。
現在残っている建物の中で一番古いのが、弁天堂で重要文化財に指定されています。建物自体は室町時代の造営と言われています。

「本堂は嘉永4年(1851年)の建物で江戸末期の造立です。広大な境内に比べますと、いささか本堂が小さく感じるかもしれません。これは江戸時代に2回も火事に遭ってしまったので小さくせざるを得ないという事情があったようです。というのも相次いだ本堂の火災で、経済的な負担を強いられたために、当初の本堂よりも小さくしないといけなかったという台所事情もあったそうです。本尊は不動明王像で、御開帳の時はお厨子を開けて拝観できるようになっています。」
コロナウイルスが収束に向かっているとはいえ、依然として懸念が残る中での御開帳に、吉澤ご住職は細心の注意を払いつつも参拝が可能なように配慮したとおっしゃっていました。

この度の御開帳の時には、ご本尊から出ている五色の『善の綱』で結縁柱(回向柱)と結ばれていますので、直接本堂の中に入らなくても参拝ができるようになっています。また中には堂内での接触や密は避けたい方もいらっしゃると思いますので、参拝する際は外陣の場所を明るく照らす5色のライトを設置しました。善の綱と結んで、内陣まで入らなくても、その功徳が得られるような配慮もしています。
普段からここは御祈祷を行う場所ですので常に護摩が焚かれています。ご本尊の横にいらっしゃる八大童子は江戸時代の作でもともとは彩色されていたようですが、すっかり真っ黒になっています。開創当初からここは祈祷寺だったので、本堂は今も御祈祷のみを行っています。戦後に建てられた大講堂ではご供養や法事をさせていただいています。檀家は500軒ほどありますが、あくまで祈願寺ということから、場所を分けています。」
御開帳のみならず、光前寺が近年脚光を浴びているのが、漫画・アニメで紹介されたことがきっかけでした。アウトドアを趣味にする女子高生の主人公が訪れたことで「聖地化」し、漫画やアニメを通じて知ったファンが押し掛ける事態になったと言います。

「漫画・アニメの中で登場したのが、『霊犬早太郎の伝説』です。その中では通称『わんこ寺』としてこの寺も紹介されていて、『野生動物に気をつけましょう』という看板ですら漫画・アニメにも出てきたようで写真に撮りたいという参拝客が跡を絶ちません。
もともと、『霊犬早太郎の伝説』は700年ほど前に、光前寺に大変強い山犬が飼われていました。当時、静岡県磐田市の遠州府中見付天神社では、毎年の祭りの日に、白羽の矢が立って、神様に家の娘をいけにえに差し出す風習がありました。

ある年に、その場を通りかかったのが、旅の僧である一実坊弁存(いちじつぼうべんぞん)。その神様の正体を見届けるべく、祭りの夜に様子をうかがうと、娘をさらいに来たヒヒが『信州の早太郎には知られるな』と言葉を残していきました。そこで弁存が光前寺にいる早太郎を探し出し借り受けて、娘の身代わりになってヒヒを倒したというお話です。
結局、傷を負った早太郎は、光前寺にたどり着くと和尚に怪物退治を知らせて息を引き取ります。そこで境内の本堂横には今も早太郎のお墓があり、祀られています。
磐田市では早太郎ではなく、悉平(しっぺい)太郎という愛称で昔から地元で愛され、今では磐田市のキャラクターにもなっているほど有名です。しかもこの伝説が縁となって磐田市と駒ケ根市は友好都市として交流を続けています。
この早太郎はおみくじにもなっていますが、漫画やアニメで紹介されて以降は、一人で20個ほど買い求められた方がいるほどです。

また、早太郎をかり受けた弁存は、早太郎の供養にと大般若経600巻を写経し光前寺へと奉納います。この経本は現在でも、経蔵に保存されています。

いずれにしましても、この早太郎伝説は、江戸時代の文書には『早太郎五百五十回忌』と記されていますから、かなり古い時期に成立していたのだろうと思います。ただ、このお寺は織田による焼き討ちで古文書がほとんど残っていません。そのため、お寺の縁起も詳細は不明な点が多いのが残念であります。昔は武田信玄の書状があったと言われていますが今は行方不明になっていますね。」
境内には古の姿を想起される堂塔が自然と調和した形で建っています。昨年、屋根が葺き替えられたばかりの三重塔は、高さ17メートルほどですが荘厳な佇まいです。文化5年(1808年)の造立から200年余りで今もこけら葺きの美しい堂塔が目を惹きます。
「このお寺は境内全体が名勝庭園として文化財保護法により国の指定を受けています。国の指定ということは修復や改修にはすべて文化庁の許可が必要になります。令和3年までの7年がかりで寺院の主要な堂塔である三門と経蔵、三重塔に十王堂の屋根の葺き替えを行いました。同時に、石畳みの参道の修繕もしましたので、かなり大がかりになりました。

境内のお堂の多くはこけら葺きです。サワラや杉の薄い板を幾重にも重ねて葺いています。木の葉っぱが落ちて堆積すると傷んでしまうので、およそ30年ごとに屋根を葺き替えないといけません。これが鉄板や銅板で葺き替えるのに比べて3倍以上費用が掛かります。

長野県にはいくつかの三重塔があります。
光前寺の三重塔は長野県の県宝(文化財)に指定されています。三重塔内には、五智如来(ごちにょらい)様が祀られていますが、こちらも御開帳に合わせて公開しています。

三重塔は造立当時から彩色はなく周囲の景観と溶け込んでいます。一番美しいのは冬の雪が降る時期です。雪の日は積もった雪に反射して、下からレフ版に照らされたように屋根の軒下がきれいに見えます。自然のライトアップになって大変美しいです。
本堂前庭は鎌倉時代の作と言われています。今は雪解け水が流れ込んでいますが、ここは池泉回遊式庭園で石組みは鯉が滝を上り龍になる姿表現していて、『龍門瀑(りゅうもんばく)』と呼ばれています。現在、名勝光前寺庭園として国の指定を受けているのも、鎌倉時代の様式を残している本堂前庭と、本坊客殿庭園がきちんとした形で保存されているからでしょう。」
その後、一行は本坊と軒を連ねる客殿もご案内いただきました。

庫裡の内仏堂。こちらにいるのがお薬師様です。昔、たくさんのお堂があったので、そこで祀られていた仏像をこちらに移したものもあれば、ご寄付を戴いたものもあります。重要文化財の弁天堂とは別に「伊那七福神めぐり」の弁天様としてお祀りしています。
「一般に、光前寺の庭というと本坊客殿庭園を指しますが、作庭に関しての記録は残念ながら残っていません。庭の専門家によりますと、およそ400年前の室町末期から江戸初期にかけて造られたのではないかとのことです。おそらく、池を挟んで向こう側を西方浄土に見立てたのではないかと考えられています。正面にある大きな石を阿弥陀様に見立てていて、極楽浄土からお迎えになる御来迎のお姿を再現したのではないかと考えられています。

ただ大変残念なのは、当初この庭園自体はもう少し広い敷地だったのではないかと言われています。それでもこのような立派な庭がありますから、名勝庭園として次の世代にも引き継いでいければと思っています。
四季折々に美しい光前寺は、何度も足を運ぶ方が多いそうです。最後に吉澤ご住職からお寺に訪れることについてお話いただきました。

「観光寺院というと良く思われることが少ないと思いますが、お寺に最初に訪れる動機は何であってもいいと思います。まずはお寺を知っていただかなければ信仰にも何にもつながらないと思います。
観光バスで善光寺さんや諏訪大社さんに行く途中に、たまたまここに寄ったということでも構いません。まずは1回来て気に入ったら家族や会社の方と「また来たい」と思っていただけるかもしれません。そこから一人でも「また行こうかな」と広がれば信仰心が生まれることにつながると思います。
まずは「ここにこういうお寺がある」と知ってもらうことが第一歩です。
お正月の時期には、大勢の方に来ていただいています。その半分以上は若い人で、本堂に行けば手を合わせてお参りされます。なので、きっかけは漫画やアニメでもいいと思っています。境内の雰囲気を味わっていただいて手を合わせてもらえれば十分ではないでしょうか。」
御開帳のシーズンともなれば、大勢の人が訪れるという光前寺。霊犬早太郎ブームでも一過性でない自然と信仰の歴史を体現した寺院の魅力が詰まっていると学生たちは口をそろえて話していたのが印象的でした。


参加大学生の感想

光前寺は長野県駒ヶ根市に位置する寺院です。平安時代に比叡山で修行をした本聖上人によって開かれました。江戸時代には徳川家の厚い庇護を受けて栄えました。

広大な境内には三つの庭園があり、境内全域が国の名勝に指定されています。特に本堂前の庭園は鎌倉時代のものとされていて、当時の景観を想像して楽しむことができます。
戦国時代の争乱のために古い建築はあまり残っていませんが、戦国時代の弁天堂が残されています。小さいお堂だったために兵火から逃れられたのでしょうか。
境内全域が木々に囲まれていて、ゆったりとした空気の流れる澄んだ空間が広がっていました。参道の石垣にはヒカリゴケが生えているほか、山門内の建築は瓦葺きの建物が少なく、全体として自然と調和したようになっていました。長時間滞在したくなるような心地よい空間でした。
光前寺に残されている興味深い伝説として早太郎伝説というものがあります。これは光前寺で飼われていた早太郎という犬が、静岡県の見付天神社の怪物を退治するものの光前寺に戻ってきて亡くなってしまうというもので、静岡県でも同様の伝説が伝わっています。光前寺にはこの早太郎のお墓が残されているほか、本堂前には早太郎の像が祀られています。長野と静岡で同じ伝説が残されているのは非常に興味深いです。

最近では漫画・アニメで光前寺が「わんこ寺」として登場し、ロケ地巡りとしてファンが訪れることも増えたそうです。新しい形でお寺に若い人たちの注目が集まっている珍しい事例でとても面白いです。アニメにも登場した早太郎みくじは人気で売り切れてしまったこともあるそうです。

昔ながらの自然と調和したお寺と、現代風の「聖地巡礼」が共に楽しめる何度でも訪れたくなるお寺でした。


七年に一度の御開帳は令和4年6月30日(木)までです。
詳しくは光前寺ホームページをご確認ください。

光前寺
〒399-4117 長野県駒ヶ根市赤穂29