西国三十三所 第二十七番「圓教寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

西国三十三所 第二十七番「圓教寺」を訪ねる

世界中から多くの観光客が訪れる姫路城を有する兵庫県姫路市には、千年以上の歴史を誇り、西の比叡山と称される古刹「書寫山圓教寺」があります。
圓教寺は、姫路城の北方に位置する書写山を境内としています。書写山にお寺が開かれたのは、康保3年(966年)のこととされています。九州の山岳修行の中心地の一つである霧島山や背振山などで修行を積んだ性空上人が、修行するにふさわしい神聖な場所を求めていたところ、「素戔嗚尊(すさのおのみこと)が降り立ち非常に気に入った」と伝わる書写山こそふさわしい場所であると感じ、山中に草庵を結び修行をされたことが圓教寺の始まりとされています。

俗世間から離れ、書写山で修行に励む性空上人の名は、次第に都まで聞き及ぶことになり、様々な栄達の機会があったのですが、性空上人はそれらをすべて断り、書写山での修行に励んだそうです。都での名声がさらに高まると、支援者たちの寄進により書写山の伽藍は整備されていきました。寛和2年(986年)には、性空上人を慕う花山法皇が書写山に来山され、「圓教寺」の寺号が与えられたことにより、さらに発展していくことになります。

霊験あらたかな圓教寺には、霊地とされる場所が3カ所あります。広大な境内を大樹玄承執事長に順番にご案内いただきました。
圓教寺の入口である仁王門をくぐり参道を進むと、最初に現れたのは第二霊地の摩尼殿です。懸造りのお堂は見上げるほどに荘厳で、西国三十三所観音巡礼の巡礼者で賑わいます。
この摩尼殿は天禄元年(970年)に整備されたお堂です。崖に根を張る桜に天人が礼拝している様子を修行中の性空上人が見たことに始まります。性空上人は、天人が礼拝していた桜の生木に如意輪観音を刻み、柱間が3間の小さなお堂を整備しました。その後、たくさんの支援により現在のような大規模なお堂が建てられたそうです。現在のお堂は、大正10年(1921年)に焼失したお堂を、昭和8年(1933年)に再建したものです。比叡山延暦寺の大書院を設計した建築家、武田五一さんによる設計で、近代の寺院建築を代表する建物として兵庫県の文化財に指定されています。
摩尼殿の内陣には、ご本尊である如意輪観音坐像と四天王立像がお祀りされています。

当初の観音像は、火災により焼失してしまい、現在は摩尼殿が建てられたと同時に造立された観音像がお祀りされています。ご本尊の左右には、大講堂の釈迦三尊像と同じ時期に、感阿上人によって造立された四天王立像がお祀りされています。この四天王立像は、当初釈迦三尊像と同様に大講堂にお祀りされていましたが、摩尼殿の再建に合わせ、大講堂から移してきたそうです。摩尼殿の壁のうち、ご本尊のちょうど裏側には、摩尼殿で法要を行う際に僧侶がお堂に入る入口となる扉が設置されています。

参拝者は入ることはできませんが、この扉の向こうにはご本尊の如意輪観音像の背面に、鎌倉時代に造立された如意輪観音像がお祀りされているそうです。このお像は、当初のお像が桜の木に刻まれたことをふまえ、桜の部材から造立されており、お像の表現も当初のお像をふまえていると考えられているそうです。鎌倉時代に造立された如意輪観音像以外のお像は、毎年1月18日に執り行われる修正会にて扉が開かれ、お姿を拝むことができるそうです。
摩尼殿の下を通りながら、次に向かうのは第一霊地です。木々に覆われた坂を上がると、3つのお堂がコの字に建ち並ぶ『三つの堂』に到着しました。左から常行堂、食堂と並び、右のお堂が第一霊地とされる大講堂です。
大講堂は、花山法皇の寄進によって建立されたことに始まり、圓教寺の本堂にあたります。経典の論議などが行われる場所でもあります。

現在の大講堂は、1400年代頃に建てられた正面の柱間が7間、側面の柱間が6間の壮大な建築です。内部に入ると、比叡山延暦寺の根本中堂と同じように内陣を下げ、土間としています。内陣の須弥壇上には、圓教寺が開かれた10世紀に、性空上人の弟子である感阿(かんな)上人の手によって造立された釈迦三尊像がお祀りされています。性空上人が修行する姿を見ているかもしれないお像の前に立つと、自然と背筋が伸び、お像が醸し出す厳かな雰囲気に圧倒されました。

大講堂の外観を注意深く見てみると、建物を構成している部材の色の違いに気がつきます。この違いは、修理の際に取り替えられた部材とそうでない部材の違いです。長年の風雪に耐えてきた部材と比べると、新しい部材は色が異なります。そのため、大講堂を修理した当時、新しく導入する部材に色を塗り、周囲の部材の色調と合わせました。その後月日が流れ、長年の風雨にさらされた現在、当時塗られた色が落ちてしまい、色の違いが明らかになっているそうです。この色の違いを見ていると、第一霊地とされる大講堂が千年以上にわたり、たくさんの人々から大切に思われ、現在まで受け継がれてきていることを強く感じました。


第三霊地とされる場所は、書写山の山頂付近に位置する白山権現です。
性空上人が修行に励んだ場所と伝わっています。性空上人はここで読誦されているときに、法華経六万回を達成され六根清浄を得られました。

以上の三大霊地が示しているように、圓教寺はたくさんの人々の手によって守られてきました。室町時代には、寺領が約2万7000石にもなり、書写山全体に塔頭寺院が営まれていたそうです。
圓教寺の境内を巡っていると、西国巡礼の巡礼者で賑わう摩尼殿周辺の和気あいあいとした雰囲気、そして大講堂を中心に3つの壮大なお堂が構えている厳かな雰囲気のように、境内の場所によってがらりと雰囲気が変わることが印象的でした。一見相反する側面である、修行に励むための山という面とたくさんの人が集う山という面の両者が共存している点が書写山圓教寺特有の魅力や文化を生み出していると感じました。

塔頭寺院「壽量院」で精進料理を頂きました。

圓教寺の中ある塔頭寺院「壽量院」は、古くは「無量壽院」と呼ばれ、山の迎賓館として全国から集まる天台宗の高僧や公家の宿にもなり、おもてなしをする場所として使われていました。承安4年(1174年)には後白河法皇が滞在され、書写山の中でも格式の高い塔頭寺院であったそうです。長和2年(1013年)に創建された壽量院は一千年の歴史を持つ塔頭です。

現在の堂宇は、江戸時代中期に建築された建物で、国指定の重要文化財に指定されています。壽量院は2015年にミシュランで一つ星を獲得したという国際的にも評価の高い精進料理を提供しています。比叡山の本膳料理に倣ったという精進料理は肉や魚を使わず、匂いが強く精がつく食材「五葷(ごくん)」(ネギ、タマネギ、ニラ、ラッキョウ、ニンニク)を使わない優しくも滋味あふれた食事を頂くと、体も心も清らかになっていく心持ちがします。
そのような由緒ある建物の一室で、精進料理を頂きながら壽量院の料理人、佐藤光明さんにお話を伺いました。
「本日食べていただくのは精進本膳料理と言いまして、このお山の接客献上料理です。特別な食材はありませんが、今時分の旬の食材を使って調理をしています。三つの膳で配膳していまして、一の膳に使われている漆器は「高足膳」と言い、江戸末期、明治初期の輪島塗です。二の膳、三の膳は隅切り折敷と言い「書写塗」です。古いもので500年ほど前、新しいものでも江戸中期ごろのものといわれています。
伝説によりますと、天正年間(1573~1592年)に根来寺の焼き討ちによって、いわゆる塗師(ぬし)たちが離散。その中の一部の者がこの寺に来られたそうです。それ以降、これらの漆器は『書写根来塗』と呼ばれていましたが、近年の調査によって、根来塗とはまったく異質なものだということが判明しました。漆自体が異なり、7層、8層、9層塗り重ねられている大変堅牢精巧な塗物です。現在では「書写塗」という名称に統一されています。昔は特別な日、特別な方への献上接客のための時にしか使うことができなかったので、このような綺麗な状態で残っています。

この山には古くは250カ所以上の塔頭群があったと言われています。明治を迎え、神仏分離令、いわゆる廃仏毀釈という事態になり、寺領等がすべてなくなってしまいます。そのため、多くの人が食べていけなくなり、山を下りられた。その際に当面の食い扶持に充てるために、多くの漆器類を持って下りられたので、現在では三十客足らずしか残っていません。今では、お客様に「書写塗」を使っていいただいて、こういった塗物があるということを知っていただければということで、このような形で料理をお出ししています。
精進料理には血肉を使わない代わりに様々な工夫が施されています。たとえば、『ひろうず』は『飛竜頭(ひりょうず)』、「飛ぶ竜の頭」と書きますが、これは『がんもどき』のことです。「雁の肉が食べたいけど食べられない」、ならば、ということで食べられるように工夫しました。他にも先ほどお出ししました『鰻の蒲焼きもどき』などのもどき料理もたくさんあります。
精進料理を調理するうえでもっとも気を遣うところは、薄味ではあるけれども、それぞれの素材の味の違いがわかるようにすること。そして、季節のもの、旬の食材を使ってお客様にご満足いただけるようにお出しすることでしょうか。

重要文化財という建物の中で精進料理を提供するのは、おそらくここが最初だったのではないか、と文化庁からも言われます。文化財である建物で食事を提供することは例がなかったそうです。それが、ここの山主が文化財の管理保護の理事をやっており、国と県と市に協力を仰ぎ実現することができました。非常にありがたいことだと思います。」

由緒あるお寺の一室で、由緒ある漆器を使い、由緒ある料理を食べる時間は、自分自身の五感すべてが研ぎ澄まされ、圓教寺が開かれてから約千年の歴史を肌で感じる贅沢なひとときでした。
書寫山圓教寺
〒671-2201 兵庫県姫路市書写2968