日本最大の元三大師を祀る「深大寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

日本最大の元三大師を祀る「深大寺」を訪ねる

東京都内では、浅草寺に次ぐ古刹として知られ、東日本最古の国宝仏を祀る調布の「深大寺(じんだいじ)」。境内は国分寺崖線と呼ばれる崖から溢れ出る湧き水が川や滝にも利用されていることでも知られます。参道周辺には名物「深大寺そば」の店が20軒ほど点在し、連日、多くの参拝客が訪れています。古くから水神信仰の霊場として親しまれており、鎌倉時代には国の安寧鎮護を担う役割から、東国における天台寺院の要衝として、像高約2メートルを誇る日本最大の肖像彫刻「元三大師(がんざんだいし)像」が造像されました。今も年間約200万人が参拝に訪れる人気のスポットです。

巨大な元三大師像は、新型コロナが猛威を振るった令和3年、東京国立博物館の伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」に205年ぶりに「出開帳」されたほか、胎内仏である「鬼大師」像も11月に特別公開されました。

自然豊かな緑と水に恵まれた深大寺の魅力を89代目ご住職の張堂興昭師にご案内いただきお話を伺いました。

「このあたりは都心と違って、自然が豊かな地域です。元々この地域はあまり米がとれなくて、蕎麦の栽培に適しているということで、江戸時代より名産品になったそうです。ところが、戦後は蕎麦の栽培もされなくなってしまいました。昨年亡くなった先代の住職が、昭和60年代に蕎麦畑の復活を目指しました。たまたまお檀家さんの中に1軒だけ、蕎麦の栽培をしている方がいらっしゃって、在来種を育てることから始めたのです。

それから30年、地元有志の方のご協力もあって、現在はお寺の法務の一環として蕎麦畑作業もしています。お坊さんの仕事として農作業も重要な仕事だと、口を酸っぱくして言っています。

どちらが大変か尋ねると一様に『畑だ』と言いますよ。1日農作業すれば心身ともに疲れ果てます。このあたりは農家が多いので、『みんなこうやってお檀家さんがお寺を支えてくれている。いい加減な法事はできないだろう』と発破をかけています。そう言うと、皆、骨身に染みるみたいです。お寺というのは、支えてくれる人がいて成り立つもの。やはり僧侶は支援してくださる方々に感謝し祈っていかなきゃいけない。30年かかってやってきた蕎麦の栽培を通して先代の志を継いでいます。

『ゲゲゲの鬼太郎』の作者である水木しげるさんがこの町にいらっしゃったので、アニメにもよく、このあたりが出てきます。私は『深大寺曼荼羅(じんだいじまんだら)』と呼んでいるのですが、まずお寺があって、豊かな自然があって、蕎麦があって、サブカルチャーみたいなことがあって、そういうのが溶け合ってお互いが調和を取りながら成立しているのが、この町の特徴なんです。それぞれの分野に携わる人たちが深大寺という土地を通じて、お互いに敬う気持ちがあることが大事じゃないかと思っています。」

平成29年(2017年)9月に国宝に指定された「銅造釈迦如来像」(通称・白鳳仏(はくほうぶつ))は、飛鳥時代の後期にあたる白鳳期(7~8世紀)に制作された関東でも最古の仏像です。調査の結果、この白鳳仏は法隆寺の夢違観音(ゆめたがいかんのん)や現在は右手の部分しか残っていない新薬師寺の香薬師(こうやくし)如来立像と同じく、大和地方にあった同一工房で造られたとみられています。

釈迦如来倚像(国宝) (東京国立博物館 特別展「最澄と天台宗のすべて」にて撮影)

「仏像の表現もこれら三仏は極めて酷似していますし、銅造の成分を計測したところ、いずれも自然銅100パーセントでできた仏様だった。純銅は鋳造するのが技術的に難しいようで、奈良時代になると、鉛とか錫とかを混ぜて鋳造するようになります。いわば白鳳仏が造られた当時は最先端の鋳造技術だったことからも、高貴な方々や中央(大和朝廷)とのつながりがあった人物がこの仏像を造らせ、100年ほど経って畿内から創建間もない深大寺に持ち込まれたと考えるのが自然です。

飛鳥大仏のような大陸的な仏像とは違い、どこか可愛らしいというのは、日本人的な感性でしょうね。ですから白鳳仏をして『元祖カワイイ』という人もいます。貴田正子さんというジャーナリストが書かれた『深大寺の白鳳仏』(春秋社刊)という本の中では、高倉福信(たかくら の ふくしん)という武蔵国の国司を務めた人物をキーマンとして上げています。中央では光明皇后にも寵愛された有力者で、この地に白鳳仏をもたらしたのではないかと推理しています。」
さらに深大寺の厄除け信仰の中心である元三大師像の造立を巡っても鎌倉幕府との関係が近年わかってきました。

「比叡山中興の祖」として知られる元三慈恵大師良源(がんざんじえいだいしりょうげん)大僧正は、平安時代中期に荒廃した比叡山を整備し再興させただけでなく、たぐい稀な霊力を発揮し、疫病を鎮めたことでも有名です。この霊力にあやかるべく、全国の天台寺院で元三大師像が造られました。とりわけ深大寺の巨大な元三大師像は等身大をはるかに超える大きな体躯に加え、写実的な表現も相まって見るものが圧倒される迫力に満ちています。

「この元三大師像は巨大な肖像彫刻でありますが、胎内仏に15センチほどの鬼大師の仏像が納められていました。このいずれも秘仏ですから外に出る機会はほとんどありません。今はコロナ禍ということで、疫病退散の願いを込めて今回、元三大師像を現代版の出開帳という意味を込め東京国立博物館に出陳し、大きな反響がありました。

慈恵大師(良源)坐像 (東京国立博物館 特別展「最澄と天台宗のすべて」にて撮影)

美術史の常識では肖像彫刻はせいぜい等身大の大きさまでのところ、坐像で2メートルという規格外の大きさですから。しかも秘仏ですので、存在を知らない人も少なくなかった。出開帳ということでいえば前回はなんと205年前です。文化13年に両国で元三大師と胎内仏の鬼大師が出開帳されて以来です。
ではなぜ、これほどまで巨大な元三大師像が造られたかということですが、鎌倉時代、大陸から元(モンゴル)が日本に攻め込もうとした『元寇』との関連が指摘されています。国家の一大危機にあって、異国調伏をするために、元三大師像が造られたと考えられています。」
新型コロナウイルスの流行により、これまで以上に熱心にお参りや角大師のお札を求める若い参拝者の姿も増えてきているとのこと。やはり、時代が変わっても天変地異や疫病に対して、神仏に御祈願するという日本人の心というのは、変わらないのかもしれません。

「新型コロナに関して言えば、改めて伝教大師最澄様の『己を忘れて他を利する』という言葉がクローズアップされるのも当然かもしれません。感染拡大を鎮めるためには、まずマスクが必要です。それは自分を守るためだけでなくて、相手にうつさないという気持ち、『無症状でも罹患(りかん)しているかもしれない』という心持ちが日本人の感性にありますね。そういうのを仏心(ほとけごころ)と呼んでいいと思います。
日本には戦後様々な価値観が持ち込まれましたが、自分を戒める心の強さのようなものが変わらず私たちの根っこにあるのではないでしょうか。鬼大師にしても、鬼というのは元三大師の心を表している。人間はとかく愚かな部分も心の中にありますが同時に、自分を戒める『鬼』も存在しています。そういう鬼の心を忘れないためにも、元三大師像にお出ましいただき、胎内仏である鬼大師像も寺でご開帳させていただきました。ですから拝観された後は『いいものを観た』ではなく『自分の心を観た』と思っていただければ幸いです。

元三大師は厄除け信仰で人気がありますが、そのルーツはいわゆる鎌倉仏教のお祖師さんにしても、必ず伝教大師に辿り着きます。別の言い方をすれば日本人の心象にはそういった先徳を通じて伝教大師の精神が浸透していると思っています。すなわち東日本大震災にしても昨今のコロナにしても、日本人というのは耐え忍びつつ他者の為にも行動ができる、そうやって幾つもの災厄を乗り越えてきたのです。困難な時代ですが、それは後の人生に必ず生かされると確信しています。

深大寺は水に恵まれた場所であり、木もうっそうと茂っています。ところが、数年前に大きな台風が来た時に、大木が何本も倒れてしまった。詳しい人に理由を尋ねると、『木は水が豊かな場所だと根が強く張らない。過酷な場所で育った木は根がしっかりはって丈夫になる』と話されており、なるほど、と思いました。私たちも新型コロナ禍という過酷な環境を乗り越える過程できっと人間的な強さの根を張っているはずです。

学生の皆さんも一番楽しい時期をオンラインで授業をする、あるいは友人と親交を温めるということもままならなかったでしょう。でもそういう時だからこそ『忘己利他』という伝教大師のお言葉や、アフガニスタンで活動されていた中村哲さんの座右の銘でもある「一隅を照らす」という天台宗の標語はみんなに響くと思います。」

参加大学生の感想

伝教大師1200年大遠忌を記念し、上野の東京国立博物館で開催されていた特別展「最澄と天台宗のすべて」。この特別展でたくさんの人々の注目を集めていたお像があります。そのお像とは、東京都調布市の深大寺にお祀りされ、今回205年ぶりに深大寺から離れ出開帳された、像高およそ2メートルの元三大師坐像で、日本最大の肖像彫刻であると考えられています。この元三大師坐像の205年ぶりの出開帳にあわせ、深大寺では元三大師像の胎内仏である鬼大師坐像が205年ぶりに参拝者のみなさんの目の前に姿を現しました。今回、たくさんの人々の注目を集めている深大寺を訪問しました。

像高がおよそ2メートルにもなるこのお像は鎌倉幕府との関係で造立されたと推測されているそうです。実際に、源頼朝の甥などが深大寺の別当職についていたと史料から裏付けられており、鎌倉幕府との結びつきがかなり強固であったようです。そして巨像とは対照的な像高わずか15センチの小さな鬼大師像は、比叡山を中興するとともに修行にも厳しかった元三大師の精神の力強さをあらわしていると伝えられています。非常に小さなお像ですが、お像と相対すると、力強いまなざしに、まるで元三大師と相対しているような感覚を覚え、圧倒されました。
深大寺に伝わる縁起によると、深大寺の創建は今からおよそ1300年前に遡ります。
もともとは深沙大王(じんじゃだいおう)をお祀りする法相宗のお寺であった深大寺。平安時代になると、天台宗のお寺として大いに栄えたそうです。そのことを如実に示しているのが本堂にお祀りされている鎌倉時代の宝冠阿弥陀如来(ほうかんあみだにょらい)像です。このお像は天台宗の修行の一つ「常行三昧」の本尊としてお祀りされる場合に多いそうです。やわらかく優しい表情のなかにも、修行に対する強い決意や信念を感じさせるお顔でした。
今回の訪問で、たくさんの方々が深大寺に参拝されていたことが強く印象に残っています。深大寺は、創建されてから何度も火災に見舞われ、創建に関する史料はほとんど残っていません。しかしながら、今回お会いしたたくさんの参拝者のみなさんのように、深大寺のことを身近に感じている人々の力によって今日まで貴重な仏像や文化財が伝えられているのだと思います。張堂ご住職は将来に文化財を守り伝えていくため現在、学芸員も3人常駐しているといいます。今後、深大寺発の新たな歴史的な発見があるかもしれません。

深大寺に漂う、厳粛さのなかにもすべての人々を包み込むようなあたたかく親しみやすい空気感に名残惜しさを感じながら、境内を後にしました。
深大寺
〒182-0017 東京都調布市深大寺元町5-15-1