いろり端
探訪「1200年の魅力交流」
日本最古とされる伝教大師坐像を祀る「観音寺」を訪ねる
滋賀県・米原市にある「大原観音寺」は石田三成と豊臣秀吉の出会いの地として歴史好きの間でも、有名なお寺です。かつて三成が寺の小僧をしていた時のこと、秀吉が鷹狩りの帰りに観音寺に立ち寄った際に、茶を献じたのが、三成でした。まだ15歳の青年の三成でしたが、そのもてなしぶりに感心しその後、臣下としたことから「三椀の才」として逸話になっているほどです。その遺構としては、秀吉に水をくんだとされる古井戸が残されていますが、観音寺の800年に及ぶ歴史を振り返ると、ほんの一部にすぎません。


今回、お話を聞いたのは住職である林昭一師。秘仏であるご本尊の十一面千手観音を前に、開放的な本堂で、参加学生と距離を取りながらお話をお伺いしました。

当院は、十一面千手観音をご本尊としています。ご本尊は秘仏で厨子の中に入っておられます。年に1回だけご開帳していまして、今日は残念ながらお見せすることはできないですけど、お前立ちと違ってちょっとほっそりとした造形です。


『大原』というのは、鎌倉時代にこの辺を佐々木大原氏という方が治めておられたことから、この地が『大原荘』と呼ばれていることに由来します。しばらく佐々木氏の庇護を受けてまいりましたが、戦国時代には、浅井氏・羽柴氏から寺領を安堵され、その後、江戸時代には、彦根藩の井伊家へと変遷しながら庇護を受けてきた歴史がありました。
そうしたご縁もあって、本堂には豊国大明神と東照大神宮を並べてお祀りしています。豊臣秀吉公と徳川家康公をお祀りしつつ、南北朝の北朝である光厳天皇も南朝の後醍醐天皇の両方を奉賛しているのも、先人の知恵で栄枯盛衰の激しい時代を生き抜いてきた当院の歴史を物語っているのではないでしょうか。


ただ、ありがたいことに、私の父である先代住職が亡くなったときに、近隣の先達がアドバイスをしてくださいました。
『毎朝、お父上にお経をあげるときに何世か決まっていないと困るから、君のお父さんは50世ということにしておいたから。』ということで、当院第51世を拝命いたしました(笑)。
いずれにしても、ここは仏像や建物の由来ひとつとっても複雑でちょっとわからない歴史が詰まっているのだなと感じることが多いですね。
『毎朝、お父上にお経をあげるときに何世か決まっていないと困るから、君のお父さんは50世ということにしておいたから。』ということで、当院第51世を拝命いたしました(笑)。
いずれにしても、ここは仏像や建物の由来ひとつとっても複雑でちょっとわからない歴史が詰まっているのだなと感じることが多いですね。
代々、時の権力者によって護られてきた観音寺ですが、大きな時代の荒波にさらされました。それが戦争です。太平洋戦争により、寺の大事な鐘楼などが徴用されたばかりか、戦後は農地解放により、これまでの収入の基盤を失うなど、岐路を迎えることになりました。
私の祖父にあたる大老僧が父に対して『この寺をやるには月給取りではないとやっていけない』との言葉を遺していたそうです。終戦を境に、この寺では住職は働きに出るという大きな構造改革を図ったと聞いています。私もサラリーマンをやっていますが、最近では、薬師堂の修復にクラウドファンディングを利用するなど、収入の多角化を図ることで、お寺を維持しています。
私の祖父にあたる大老僧が父に対して『この寺をやるには月給取りではないとやっていけない』との言葉を遺していたそうです。終戦を境に、この寺では住職は働きに出るという大きな構造改革を図ったと聞いています。私もサラリーマンをやっていますが、最近では、薬師堂の修復にクラウドファンディングを利用するなど、収入の多角化を図ることで、お寺を維持しています。
近年、注目されているのは、坐像としては日本最古のものとされる伝教大師像です。高さは65㎝の一木造りで、国の重要文化財にも指定されています。銘によれば、彫られたのは、1224年で、社会科の教科書でもたびたび掲載されるなど、広く伝教大師のイメージを伝える歴史遺産として、今も大事に保存されています。

この伝教大師坐像は、明治の時期に一度国宝の指定を受けたのですが、その後、指定替えを経て現在重要文化財と位置付けられています。胎内の銘によりますと、鎌倉時代に、伊吹山四大寺の中にある長尾寺さんのお坊さんが彫られたというのがわかっています。
しかしその後、どのような経緯をたどり、いまこちらでお預かりをしているのかが未だにわかっていないのです。ただ、どのようなご縁があったにせよ、この大切なお像を後世にしっかりと伝えていきたいと思っています。
伝教大師坐像は、是非、お近くでご覧になっていただければと思います。私がお顔を拝見する限りでは、難しいお顔をされているなと思います。でも見る方によっては優しいお顔をされているととらえる方もいらっしゃるようですね。
しかしその後、どのような経緯をたどり、いまこちらでお預かりをしているのかが未だにわかっていないのです。ただ、どのようなご縁があったにせよ、この大切なお像を後世にしっかりと伝えていきたいと思っています。
伝教大師坐像は、是非、お近くでご覧になっていただければと思います。私がお顔を拝見する限りでは、難しいお顔をされているなと思います。でも見る方によっては優しいお顔をされているととらえる方もいらっしゃるようですね。
時の権力者や地元の檀家さんに支えられ、近年ではインターネットを通じたクラウドファンドなども利用しながら、歴史遺産を維持保護していく観音寺。一般公開は特別な催事の時だけとされていますので、ご参拝されるときは事前に確認してください。
林住職のお話をお伺いして(参加学生感想)

しかしながら、実際に対面してみると、生きている人間が座っている大きさより少し小さいくらいの大きさで、お顔の写実性もあり、実際に最澄さんと対面しているような不思議な感覚を覚えました。私にはお像のお顔が少し厳しいように感じられ、奈良時代末期から平安時代初期という激動の時代に、自分自身の志を実現しようと尽力された最澄さんの決意の深さや厳しさの一端に触れた心地がしました。


●今回の訪問を通して、お寺離れの時代と言われる現代、お寺を中心とした伝統や文化を未来へ繋いでいくためには、いかに地域の外にいる一般の方々が身近に感じてもらうのか、興味を持ってもらうのかが重要なことなのではないかと改めて感じました。そして、私たちのような大学生が、お寺や地域を訪問し、その地域や文化の魅力をたくさんの方々に向けて伝えていくことが、文化を未来へ繋ぐことに対して私たちができる第一歩ではないかと感じました。
●お寺の歴史についていろいろとお伺いする中で、お寺が現代までどのように守られ続いてきたのかを知ることが出来ました。大名などの権力者に外護されていたのはよく知られているが、地元の名もなき人々からの寄進などによっても大切にされてきたという目に見えない歴史の側面にきづくきかいにもなりました。後醍醐天皇を祀り、南朝勢力として貢献したと証である燈籠を大切にしつつも、地域住民から寄進された石塔なども大切にしているなど、観音寺が如何に多くの人の心の支えとして在り続けたのかを感じさせられました。

●歴史書や史料に残っているものだけが歴史や文化ではなく、そのような所に出てこない多くの人々によって、歴史は続いているのだなということを実感しました。そしてまた、誰がどのようにして持ってきたのか等が正確には分からない中でも、先代から大切に受け継がれているものだから自分たちの代もしっかりと受け継ごう、という心に強い感銘を受けました。
大原観音寺
〒521-0226 滋賀県米原市朝日1342
〒521-0226 滋賀県米原市朝日1342

人から人へと紡がれてきた
大切な想いや魅力について語り合う
地域で育まれてきた歴史や文化を語り合い、
新しい価値と出会います