いろり端
探訪「1200年の魅力交流」
滋賀県西部の仰木地区「華開寺 虚空蔵堂」を訪ねる
琵琶湖の西側に位置する滋賀県西部の仰木地区には、源氏の源流である源満仲が帰依した恵心僧都源信ゆかりのお寺が点在しています。今回紹介する華開寺もそのひとつで、ごく近くにある飛び地境内の虚空蔵堂を訪れました。
虚空蔵堂には本尊である虚空蔵大菩薩像が祀られています。普段は、なかなか拝むことのできない場所で貴重なお話を、住職の藤支良明さんからうかがいました。
――このお寺のゆかりを教えてください。
伝教大師様が産まれたのが767年。ここのご本尊である虚空蔵菩薩が造られたと言われているのが781年です。伝教大師様が、比叡山を開かれたのが788年ですが、それ以前には、今は廃寺になっていますが、高日山星林院という場所で修行をされていました。そこで修行されていた時のことです。山中に光る樹木を発見し、その木を彫って、こちらに安置されている虚空蔵菩薩像と(東光寺の秘仏とされている)千手観音菩薩像をお造りになったそうです。伝教大師15歳の時のことです。
伝教大師様が産まれたのが767年。ここのご本尊である虚空蔵菩薩が造られたと言われているのが781年です。伝教大師様が、比叡山を開かれたのが788年ですが、それ以前には、今は廃寺になっていますが、高日山星林院という場所で修行をされていました。そこで修行されていた時のことです。山中に光る樹木を発見し、その木を彫って、こちらに安置されている虚空蔵菩薩像と(東光寺の秘仏とされている)千手観音菩薩像をお造りになったそうです。伝教大師15歳の時のことです。
その後、延暦寺を開く際に発願されて、仏さまに誓われて、修行されたといわれています。10世紀になって、元三大師良源さんも同じように、高日山星林院に入って、300日の修法(すほう)をして、その後、発願をして、比叡山延暦寺を再興させ、中興の祖と言われております。
この虚空蔵菩薩像は平安時代から鎌倉時代にかけて、高日山星林院に安置されていたんですが、徐々に廃れていき、仏さまをお守りする人がいなくなったので、江戸時代の寛永年間(1624年)に、観音菩薩、虚空蔵菩薩などは、小椋神社の神宮寺にお祀りされることになったのです。
この虚空蔵菩薩像は平安時代から鎌倉時代にかけて、高日山星林院に安置されていたんですが、徐々に廃れていき、仏さまをお守りする人がいなくなったので、江戸時代の寛永年間(1624年)に、観音菩薩、虚空蔵菩薩などは、小椋神社の神宮寺にお祀りされることになったのです。
大きな変化があったのは、明治2年(1872年)に出された「神仏分離令」です。これにより、この華開寺から少し行ったところに、かつて源満仲の居があった「御所の山」に移されました。ところが、そこも朽ち果ててきたので、周辺の部落で、1体ずつ仏さまをお守りすることになったのです。
その結果、下仰木が観音菩薩。平尾が虚空蔵菩薩。辻ケ下が地蔵菩薩。上仰木は薬師像さんをお守りするということになりました。昭和になって、今の場所で、虚空蔵菩薩をお守りするという事になり、現在に至っています。
その結果、下仰木が観音菩薩。平尾が虚空蔵菩薩。辻ケ下が地蔵菩薩。上仰木は薬師像さんをお守りするということになりました。昭和になって、今の場所で、虚空蔵菩薩をお守りするという事になり、現在に至っています。
毎月13日は虚空蔵様の日です。華開寺檀信徒の女性陣が作っているお講を「婦人講」と称しています。毎月13日には、「婦人講」のメンバーがお参りに来て、お花とお香を供えてご詠歌を唱えています。そして、年1回、8月13日に4つの集落が集まり、ここでご開帳を行い、「虚空蔵会」の法要を行います。9月23日の秋季彼岸会に仰木仏教会の七ヶ寺が集まり、宗派に関係なく「戦没者の慰霊法要」を行うのも貴重な機会です。
虚空蔵様の法要には、人が集まってくれますが、昔に比べて檀家さんが少なくなっています。中でも50歳以上の人は集まってくれていますが、若い方のお参りが少ないのが残念です。女性でも今は職業を持たれている方も多いので、なかなか時間を作って集まってもらえないのが実情ですね。お寺がサロンみたいな形で寄れるところになっていくのが一番ではないでしょうか。信仰のよりどころで、皆がお守りするところになってくれたらと思い、活動はしております。
虚空蔵菩薩様というのは、宇宙を司る智慧の仏様。天空に輝く光を見て伝教大師様が彫られたという風に言われていますので、霊験あらたかだと思います。
虚空蔵様の法要には、人が集まってくれますが、昔に比べて檀家さんが少なくなっています。中でも50歳以上の人は集まってくれていますが、若い方のお参りが少ないのが残念です。女性でも今は職業を持たれている方も多いので、なかなか時間を作って集まってもらえないのが実情ですね。お寺がサロンみたいな形で寄れるところになっていくのが一番ではないでしょうか。信仰のよりどころで、皆がお守りするところになってくれたらと思い、活動はしております。
虚空蔵菩薩様というのは、宇宙を司る智慧の仏様。天空に輝く光を見て伝教大師様が彫られたという風に言われていますので、霊験あらたかだと思います。
――右にある満慶像と書かれているのが源満仲公ですか?
はい、そうです。源満仲さんがいたということが、仰木の誇りになっています。それを元にした祭りもあります。「駒止めの儀式」と呼ばれています。これは源満仲さんがここから摂津に帰ろうとした時に、村人が満仲さんを慕って、その馬を引き留めたということに由来するお祭りで、毎年盛大に開かれています。
はい、そうです。源満仲さんがいたということが、仰木の誇りになっています。それを元にした祭りもあります。「駒止めの儀式」と呼ばれています。これは源満仲さんがここから摂津に帰ろうとした時に、村人が満仲さんを慕って、その馬を引き留めたということに由来するお祭りで、毎年盛大に開かれています。
このお寺を創建した恵心僧都源信さんも満仲さんとゆかりが深い人物です。高齢になった恵心僧都が比叡山に上がれなくなった時に、華開寺を隠居寺として住まわれていました。その時に源満仲さんは得度(出家)をしたいということで、恵心僧都さんからお剃刀を入れてもらって、満慶という法号をもらわれたんです。
他にもこのお堂の中の後ろにはお地蔵様や観音様があります。重要な仏さまとしては、元三大師像さんがありまして、博物館などにも展示させてもらっています。
他にもこのお堂の中の後ろにはお地蔵様や観音様があります。重要な仏さまとしては、元三大師像さんがありまして、博物館などにも展示させてもらっています。
――重要な文化財の保存は大変ではないですか?
やはり大事なことは、湿気が入らないこと。光があたらないようにすることです。拝観していただくのはありがたいですが、湿気が入らないようにするためには、雨の日は避けたりとか天候も考慮します。そうしないと、仏さまの金箔がはがれたりしてくるからです。
平成20年(2008年)ごろでしょうか、修復していただいてホコリなどの煤も取ってキレイにしていただきました。(仏像を収めている)厨子も昭和55年(1980年)に修復してもらっています。
やはり大事なことは、湿気が入らないこと。光があたらないようにすることです。拝観していただくのはありがたいですが、湿気が入らないようにするためには、雨の日は避けたりとか天候も考慮します。そうしないと、仏さまの金箔がはがれたりしてくるからです。
平成20年(2008年)ごろでしょうか、修復していただいてホコリなどの煤も取ってキレイにしていただきました。(仏像を収めている)厨子も昭和55年(1980年)に修復してもらっています。
――住職にとって、伝教大師さんという人は、どういうお方だと思われますか?
よく、空海と比べられるのですが、空海は天才だと思います。対して伝教大師は、秀才だと思います。本当にまじめで一生懸命に努力されて、いろんな物を残されましたね。そして誠実な方だったので、だからこそ今も伝教大師の遺されたお言葉が伝わり続けているのだと思います。
よく、空海と比べられるのですが、空海は天才だと思います。対して伝教大師は、秀才だと思います。本当にまじめで一生懸命に努力されて、いろんな物を残されましたね。そして誠実な方だったので、だからこそ今も伝教大師の遺されたお言葉が伝わり続けているのだと思います。
華開寺のご訪問を終えて
恵心僧都と源満仲の師弟関係が育まれた土地ならではの信仰が今も息づく仰木地区。静かな威厳を讃えた華開寺を訪れれば、古から連綿と続く祈りの世界にタイムスリップできるかもしれません。
光曜山 華開寺
〒520-0247 滋賀県大津市仰木4-21-17
〒520-0247 滋賀県大津市仰木4-21-17
人から人へと紡がれてきた
大切な想いや魅力について語り合う
地域で育まれてきた歴史や文化を語り合い、
新しい価値と出会います