滋賀県の湖東三山の一つ「金剛輪寺」を訪ねる
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探訪「1200年の魅力交流」

滋賀県の湖東三山の一つ「金剛輪寺」を訪ねる

琵琶湖の東側の湖東地域に位置する天台宗の古刹「金剛輪寺」は西明寺と百済寺ともに「湖東三山」と称されています。
金剛輪寺の山号は松峯山で松尾寺ともいわれているそうです。
今回はご住職の濱中大樹師に境内と本堂の内陣、そして伝教大師最澄像をご案内いただきました。

参道から本堂へ

本堂に向かう石段の参道には個性ある千体地蔵が並んでいます。ゆっくりお顔を拝顔しながら本堂を目指しました。
長い坂道の後、最後に階段を上ると正面には金剛輪寺の二天門が見えてきました。門の左右には持国天と増長天が祀られています。大きな草鞋は七難即滅を願ってかけられているそうです。
金剛輪寺は聖武天皇の勅願により僧 行基が開創とされたそうです。奈良時代ですね。

金剛輪寺のご本堂は鎌倉時代に近江守護職の佐々木頼綱が蒙古襲来(元寇の役)の際、戦勝記念として建立されたそうです。金剛輪寺は信長の焼き討ちにより一部被害を受けられたようですが、本堂と三重塔、二天門等の主要建築は免れました。

ご本堂内へ

本堂は七間四面(約22メートル四方)のほぼ正方形で、屋根は入母屋造り檜皮葺き、内部は外陣、内陣、後陣に分かれ、外陣と内陣の間には天台宗独特の吹寄せ菱格子欄間による結界を設ける。
中世密教本堂の代表的な建築として国宝に指定されています。
金剛輪寺は平安時代の初め、第三世天台座主の慈覚大師円仁により再興されたので、中興の祖と仰いでいるとのことです。

内陣に入るとすぐに平安時代に創られた慈覚大師の像が祀られていました。
慈覚大師の像はあまりみたことがなく、貴重で見入ってしまいました。

中央には建物と同時期に建立されたといわれる本尊様のお厨子が祀られています。
秘仏であるご本尊聖観世音菩薩は、行基が一刀三礼で彫り進めたところ、木肌から一筋の生血が流れ落ちたという伝説から、「生身の観音様」と呼ばれているそうです。
平成26年に御開帳されたとのことで、次の御開帳はずっと先になりそうですね。
須弥壇にはご本尊を守るように両脇には不動明王と毘沙門天、その前には多聞天・広目天・増長天・持国天が並び、その後ろには二体の阿弥陀如来坐像が同じく両脇に祀られています。
阿弥陀如来坐像の一体は平安時代のもので弥陀定印を結ばれ、もう一体は鎌倉時代のもので来迎印を結ばれています。
こういった像の配置についてお聞きしたところ、秘仏本尊の厨子の右に不動明王、左に毘沙門天を配置するのは、延暦寺横川中堂より始まったとされ、天台宗独特の三尊形式といわれているそうで、現在は板張りになっている内陣の床ですが、当初は根本中堂と同様に石畳、あるいは土間であったとされています。

内陣を通って後陣にいくととても表情豊かな大黒天が迎えてくれました。
こちらも室町時代のものとお聞きしました。

印象的だったのはお厨子の扉から見えた十一面観音菩薩像立像(平安時代)でした。
柔らかい立ち姿で頭上に十一面がなければ観音様と思えないような人の彫刻のようでひきつけられました。

すぐ横には正応元年に蓮妙という仏師が彫られた慈恵大師(元三大師)坐像も祀られていました。

待龍塔へ

本堂の中で多くの重要な文化財を拝見し、外に出てみました。

本堂の奥手の高台に木々の隙間から見え隠れするのが、重要文化財に指定されている三重塔です。紅葉の終わりにお伺いしたのですが、赤や朱色の彩りの奥にみえる塔の姿は絵画のようでした。

この三重塔は待龍塔とも呼ばれ、古文書によれば鎌倉時代に建立されているとのことで、長らく荒廃していましたが、全国からの篤信者の浄財により昭和53年に復原されたそうです。










明壽院庭園

次に金剛輪寺は国指定の名勝庭園、明壽院庭園が有名とお聞きしたので拝見しました。
入り口には「池泉回遊式庭園」と書かれています。池のある庭園には3種類のタイプがあるようで、舟を浮かべて楽しむ「池泉舟遊式」、眺めて楽しむ「池泉鑑賞式」と歩きながら楽しむ「池泉回遊式」があり、こちらの庭園は回遊式になるそうです。

明壽院の茶室水雲閣(左)と護摩堂(右)

明壽院の中から見る庭園。障子が額縁のように見えます。

龍が描かれている美しい板戸が目に入りました。
こちらは京都府在住の画家、森田洋子氏が平成25年に奉納されたそうです。
紅彫画という独特の技法で杉の板戸に彫った双竜に色彩を施した大作です。

伝教大師最澄像を拝見

今回の御訪問では伝教大師最澄の像も探していたのでお聞きすると、本堂の横と博物館の横に伝教大師最澄の童形像が祀られているとのことでした。

本堂横の像は、滋賀教区慈音院住職で現在天台宗布教師会長に就かれている木村孝英師の作です。

博物館の像は、先々代住職の弟である小西光壽氏(故人)が昭和40年に造像されたとのことでした。

<ご住職・濱中大樹さんからのメッセージ>

コロナ禍の状況下に当山が果たす役割として、お参りされた方が自然豊かな境内で仏様の優しいお顔を拝することによって、少しでも心の癒しにつながれば幸いです。
<ご訪問を終えて>
今回は2時間ほど全部のお堂や文化財等をゆっくり拝見させていただいました。
焼き討ちから免れたことで、ここでは多くの歴史が今も時を刻んでいます。そして
その時その時を生きた方々の思いをご住職が大切に紡がれていることを感じられました。
また春になったらお伺いしたいと思います!ありがとうございました。