精進料理を通して伝えたい 食の意味と寺の存在
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いろり端

探訪「1200年の魅力交流」

精進料理を通して伝えたい
食の意味と寺の存在

神奈川県川崎市にある天台宗 福昌寺の副住職を務める飯沼さんは、大学在学中に食を通じた布教を志し、現在、「お寺の敷居を下げるのではなく、入口を増やす」という信念のもと、精進料理のほか、坐禅と季節のお粥の会などを行っています。今回は飯沼さんに、精進料理を始めたきっかけや精進料理を通して伝えたいことを伺いました。

-飯沼さんが、精進料理を作るようになったきっかけを教えてください。

昔から料理をすることが好きだったこともあって、精進料理を通して「仏教にふれてもらえる会」をお寺でできたらいいなと思ったことがきっかけです。そのために大学卒業後は、飲食店に勤めながら調理師免許を取得しました。週末は実家のお寺で師匠の手伝いをし、平日は飲食店といった日々でした。約4年間お店で働かせてもらい、現在はお寺を中心に各地で食を通じて仏教にふれることが出来る行事を催しています。

-ご住職でもあるお父様のご理解は得られたのでしょうか

はい。父親も昔、勤めていたこともあったので、温かく見守ってくれていました。

-精進料理を通して伝えたいことは何でしょうか。

日頃、献立を決める時は、その行事で話す内容から逆算をしています。例えば、節分には豆、お盆には茄子とキュウリなど。具体的な流れとしては、お寺の定例の精進料理会では、まず参加者全員でお経を唱え、焼香し法話を聞いて頂き、それから食堂に移動して食事作法(斎食儀)を解説、読誦してからの食事となります。洗鉢(食べ終わった後のお椀を沢庵と焙じ茶で洗い、綺麗にすること)はもちろん、生飯作法(自分の食膳から少しだけ取り分け境内に供えること)も行います。美味しい、美味しくない、にこだわり過ぎず、大事なことは「お寺っていいな」「お参りに来てよかったな」と感じてもらうことで、精進料理はその橋渡し的な存在と意識しています。
 「山川草木みな仏」と説かれます。動物だけでなく山、川、草、木すべてに命が宿り、共存しています。ある日の夕飯が、白米、豆腐と油揚げの味噌汁、南瓜の煮物に胡瓜の漬け物でした。きっと家庭では肉魚がない野菜だけの食事という認識になるはずです。しかし、同じ食事をお寺ですれば精進料理に感じるはずです。何が違うかは明らかで、作る人と食べる人が精進料理と思わないとそう成り得ないのです。精進料理の現代における意義としては、食べ物を動物性、植物性と取捨選択することではなく、食事を頂くことが当たり前のことではなく、有り難いことなんだ、と気付かせてくれることだと思います。それには清浄なお寺という非日常的な空間がとても大切です。「魔が差す」というじゃないですか。なぜ「魔が差す」かというと心が調っていないからではないでしょうか。魔の字の中には鬼がいます。お寺は魔が差す鬼を払い、清浄な心を保つための場所であり、精進料理もそういうものだと思います。精進料理はダイエットやヘルシーといった先々の効果効能のために食べるわけではなく、ただ有り難く、そして丁寧にいただくものです。朝起きて食事をしながら「今日、仕事どうしようかな」、また仕事をしながら「お昼、何を食べようかな」など、日常では先の段取りばかりを考えてしまいがちです。もちろん段取りを考えることはとても大事なことですが、同じくらい今だけに集中する時間だって必要だと思うんです。ですから、お寺に来たときだけは「今」を大切にして欲しいです。それは精進料理に限らず、坐禅や写経などの体験からも味わって頂きたいです。

-「一隅を照らす」という言葉をどのように解釈されていますか。

食事作法の「洗鉢」が、それに当たると思っています。洗鉢は決して難しいことではありませんが、自身の目の前の出来ることを丁寧にする。まさにそれが「一隅を照らす」ではないでしょうか。それは、日常全てにおいて通じることだと思います。今を一所懸命に。それに尽きる気がいたします。

洗鉢:たくあん一切れとお茶で食器をきれいに洗い、最後にそのお茶を飲み干すこと。

-取材を終えて

飯沼さんは、「いただきます」という言葉は、食材と人の関係だけではなく、人と人との「いただきます」もあるというお話しをしてくれました。作る側と食べる側がいて、作ってくれる人は食べる人のために時間をかけて料理をしている。例えば、母や父が、料理を作ることに一日のうち1、2時間をかけてくれているのだとすると、×365日×年数。それだけ両親の時間、つまり限られた命をいただいて、私たちは生きているということだとおっしゃっていました。
これは食に関してのお話しでしたが、全てのことに通じますし、家族内だけではなく、仕事や友人関係でも言える話。「時間をいただきます」。常にこういう気持ちを持って仕事もしていきたいと強く思いました。



飯沼さんには、大学コラボプロジェクト「3日間で1200年in坂本」で大学生が企画した、精進料理での地域の方々のおもてなし「食の魅力交流」をご一緒いただきました!

-「食の魅力交流会」では、学生たちにご指導をいただきながら、一緒に精進料理を作っていただきましたが、学生たちの取り組む姿勢に何か感じることはありましたか。

大学や学年が異なり、普段は交わることがないような関係の中で、お互いがお互いを尊重し合っていると強く感じました。また、精進料理を作っている時も、言われたことだけをやるのではなく、自分で考えて創意工夫をしようとする姿がつねに見受けられました。正直言って、料理をすることに慣れていない感じもありましたが(笑)、自分に出来ることを積極的に精一杯やってくれたと思います。「食の魅力交流」のお粥に関しては学生の代表者に水分量や火加減まで全ての責任を持って取り組んでもらいましたが、無事においしく炊き上げることが出来ました。50人前以上のお粥を大鍋で炊くことはすごく緊張したと思います。
今回の企画において、主役の学生さんたちが現場で主体的に取り組むことが出来るように「どこまで手を出すか」に戸惑いながら過ごしましたが、最終的には学生たちの力に後押しされました。

-飯沼さんにとって「食の魅力交流会」を通して得たことや良かった点を教えてください。

二部立てで構成された今回の交流会ですが、一部の「修行としての食事」では食事中一切の物音をたてることを禁じ、食後には洗鉢をし、古儀に則った厳粛な食事でした。献立の中心のお粥には十の功徳があると経典で説かれており、伝教大師が唐から持ち帰ったと伝わる貴重な日吉茶の茶殻を炊き込みました。仰木の棚田米の甘味と日吉茶の殻の柔らかな苦みがとても相性が良かったです。

一方で、二部には様々な想いを込めた「オリジナル精進料理」を地元の方々と交流しながら、楽しく食べることが出来ました。特に気を付けたことは野菜の皮や出汁の殻など普段捨ててしまいがちな食材全てを余すことなくいただくことです。例えば、昆布、干椎茸、豆類で出汁をひき、その出汁殻は低温の油で煮て、名物である生湯葉と青菜と和えました。そして、出汁殻の香りが移ったいわゆる精進出汁殻オイルを仰木の柚子の絞り汁と刻んだ皮と合わせドレッシング(山麓の童歌で伝わる湯葉のつけ焼きをのせた白菜サラダ)にしました。また、精進料理の華とも言えるであろう「もどき料理」の精進鰻やスパゲティ精進ミートソースを献立に組み込み、硬軟メリハリをつけました。
「食の魅力交流会」において非日常的な修行と日常的な親睦という二つの角度両面から食事をして頂くことが出来たことは、お寺ならではの意義深い催しとなったのではないでしょうか。
そして、改めてこのような宗内の大きな行事に関わることが出来たことは、今後の布教活動の大きな励みになり、一層励んでいこうと思いました。また、延暦寺の方、イベント運営チームをはじめ、学生チーム、調理スタッフ、野菜をご提供いただいた仰木の農家さんたちなど、さまざまな立場の人たちが集まってそれぞれの持ち場でベストを尽くし、目的に向かうことはとても楽しかったです。

-今回の参加を通じて「伝教大師最澄」をどのように感じられましたか?

寺で育った者ですので、常にいらっしゃる大きな拠り所ですが、今回ほど、伝教大師を身近に感じたことはなかったと思います。それは、今時の若い学生たちが「一隅を照らす」という言葉を頻繁に口にしていたからです。
1200年後の私たちが、親しみ分かりやすく使える言葉を残された伝教大師の先見さと揺るがない信念に、改めて敬服した機会となりました。

―学生のみんなに一言お願いしますー

今回のプロジェクトでは様々な分野の方が参加していて、驚くことの連続だったのではないでしょうか。こんな人たちにこんな場所でお話するの?!(笑)、って何度も思いましたよね。でも、その中で無事に胸を張ってやり遂げたことは、皆さんにとって大きな自信と経験になったことでしょう。
この春に卒業する4回生はもちろん、これからプロジェクトを続けていく在校生のどちらにも言えるであろうことは、やりたいことが出来る時は、感謝の気持ちを忘れないで下さい。きっと支えてくれている人たちがいるから。そして、やりたくないことをやらなければいけない時は、工夫してやりたいことに近づける前向きなガッツとユーモアで乗り越えて下さい。きっと感謝してくれている人たちがいるから。
どんな立場にあっても、限られたお役目を精一杯全うしていれば、きっと良い仲間に恵まれるはずです。皆さんの輝かしい飛躍を願っています!