比叡山延暦寺独自の役目 俗人と僧侶、僧侶と仏様を結ぶ…伝承を支える担い手「仲座」
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探訪「1200年の魅力交流」

比叡山延暦寺独自の役目
俗人と僧侶、僧侶と仏様を結ぶ…伝承を支える担い手「仲座」

比叡山延暦寺には「仲座」という比叡山延暦寺で行われる法要の準備を一手に引き受けられる人たちが存在します。「仲座」は、比叡山延暦寺独自の役目で、第50代桓武天皇の時代から存在し、1200年以上の歴史があります。今回、お話をお伺いするのは、滋賀院門跡の事務長でもある、臈分(ろうぶん)仲座の岩崎惠晢(けいせつ)さん。「仲座」のお役目や、どのような経緯で「仲座」というお役目に就かれたかなどをお伺いしました。

-「仲座」はどのようなお役目をされるのでしょうか

字のごとく、人の間に座るというのが「仲座」の仕事になります。私どもの職務は法要に関わる仕事と、それ以外の雑務が大きな柱で、法要に関わる仕事も、雑務に関わる仕事も、人や何かの間に座って、その間を取り持つことが「仲座」です。
現在、比叡山延暦寺では年間約400の法要があり、その約8割に「仲座」が関わっています。私どもは、得度をし、時の天台座主の弟子となりますので、天台座主がお出ましになるときには、法具や仏具など法要に必要なものをすべて持って行き準備をします。天台座主のお供をするということが「仲座」の本来の仕事なんですが、最近では古儀(古い時代に行われていた儀式)の復活により比叡山延暦寺以外の場所でも行われますし、また、比叡山延暦寺のお付き合いも全世界に広がっていますので、そういったものも含めて、法要が執り行なわれるときには出かけて、法要の準備をします。

法要に行きますと、さまざまな役がありその役をこなしながら記録をします。何月何日何時から何時まで、どこで、どのような法事をして、どのような方が来られて、どういう役をなさったのか、法要の内容はどうであったかなどを記録して保存します。
法要が終わると、すべてを片づけるのですが、収納前に使用した衣や道具などを確認し、破損などがある場合は、仏具屋に修理に出したり、衣を修理する人を呼んだりして、元の状態に戻してから滋賀院門跡にある6つの蔵に収納します。蔵がお山にあると便利なのですが、山の上は湿気が多く収納には適していません。また、そういった仏具などの管理もありますので、私は山下で管理をしています。

-法要以外の職務とは、どのようなことをされるのでしょうか

比叡山延暦寺は、昔は生産活動をしておりませんので、その代わりに荘園(貴族や寺院の私有地)を与えられていました。お山に登られて、琵琶湖をご覧になると平野部が大きく開けているのがわかると思います。それを江州(近江)平野というのですが、そこから見える限りのところは、比叡山延暦寺の荘園であったと言われています。
それだけ広い土地を所有しておりましたので、そこから上がる年貢米をいろんなものに代えて、お山に上げていました。その物流の拠点が、滋賀院門跡です。昔から僧侶も業務をされますが、僧正(そうじょう)という位を受けられると、俗とは一切離れて、法務に専念されますので、僧侶の代わりに雑務を一手に引き受けていました。
僧侶と俗人とを結ぶ役割と、先ほどもお話したように法要に関しては、仏様と僧侶との間を結ぶ、所作をする。もしくは、用意をするということで「仲座」が存在しています。

-先ほどお話の中にありました、滋賀院門跡についてお話をいただけますでしょうか

滋賀院門跡は400年以上前にできたんですが、1571年に信長の焼き討ちで、すべてが灰になってしまいました。その時に大きな力を出されたのが、天海大僧正と言われる方です。この方は会津の出で、明智光秀の生まれ変わりではないかと言われています。あまり素性が分らない方でしたけれども、徳川幕府に入り、家康、秀忠、家光という3代の将軍に仕え、徳川幕府の知恵袋と言われるほど非常に頭のいい方でした。
その天海大僧正が、比叡山延暦寺の復興の拠点にされたのがこの滋賀院になります。滋賀院は、天海大僧正が京都の天皇家とゆかりのある寺、法勝寺を賜り移築し、代々天皇家の方々をお迎えしてきました。また、天海大僧正は、政策的にも非常に力のある方でしたから、このような意味のある方策を取られたので、門跡寺院としてずっと繋がって今にきているわけです。
滋賀院門跡というのはそういう意味があるのと同時に、比叡山延暦寺の本坊としての役目もありました。先ほど申しあげましたように、滋賀院門跡は一大物流拠点であったことから、今でも本坊と呼ばれています。

-「仲座」に携わるきっかけとはなんだったのでしょうか

私どもは、天台座主の弟子になるんですけども、僧侶になるためのいろんな儀式はなに一つ受けておりません。実際に「仲座」の仕事をしていくうえでは、師匠にあたる方からいろんなことを教えてもらうことになります。「仲座」になるためには、見込んだ人間を自分の弟子にし、仕事を教えていくという、職人みたいなものなんですね。
私が「仲座」に携わるきっかけですが、私の師匠であります、今井玄崇(げんそう)が私を何年にもわたって口説きまして…。若い時ですから髪を剃って坊さんになるというのは、嫌で嫌で、逃げ回っておりましたけれども、一度これと見込んだら逃さない。そして、見込んだ人間はトコトン信じるという、それは誠にありがたかった。若い人間は、失敗ばかりですから。何度失敗しても見放さないで、この方に見込まれて「仲座」になったというのが経緯です。今となってはよかったですけどね。

-「仲座」のお仕事は、すべて師匠からの口伝なんでしょうか。マニュアルのようなものはありますか

先ほど申したように、私たちはすべての法要の記録をとります。先輩たちが残した記録が山のように残っていますので、最近それをすべてパソコンに取り込み、マニュアル化しようと思っています。しかし、年によって法要の仕方が少しずつ変わるんですね。基本的には一緒なんですが、順序が逆になったり、省いたり、付け足したり、法要を采配する方の考え方もありますし、また準備の段階で、なくなってしまったものもあります。例えば、じゃ香。現在、じゃ香はワシントン条約で取引禁止なので、取り寄せることもできませんので、違うものにしなければならないということもあります。
ほかの誰がやってもできるような形に残しておくのは難しいですね。また、それをやると、冥利がなくなるというか。やはり仏様と自分とのつながりみたいなものを感じながら。実態があるかわからないものに手を合わせてなんだってことになるかもしれませんが、目に見えなくてもあるものはある。信じることによって、我々の業務は成り立っていると思っていますから、なかなかマニュアル化は難しい。また、「仲座」というものは、法要の職人とも思っていますから。

-「仲座」という比叡山延暦寺独自の役目の伝承を支える担い手としての思いや、使命感をお聞かせください

我々は原則的に下働きですし、存在としては表に出ない日陰の仕事ばかりですが、長い間、仕事をしていると「法要はお前たちがいなかったらできない。なくてはならない存在だ」と言ってもらえるのが、誠にありがたいです。若い頃は、仏さまに対してもそうですし、「仲座」に対してももう一つピンとこなかったのですが、この仕事を続けてきて、やりきった充実感というものが出てきます。使命感というは「仲座」の仕事をそつなくこなしていける、いく努力をするということが、使命感を支えているんじゃないかなと思っています。また、伝統継承をしていく使命の一つとして、後進を作っていくという大きな役目もあります。

-「仲座」の世代交代について努力されていることはありますか

世代交代できるもんだったらやってみろ!(笑)
世代交代は必要だとみんなさんおっしゃいますが、それは他人事だから言うんです。「もうそろそろ世代交代ですね」って言われたらさみしいもんですよ。もういらないって言われていることと同じですから。さみしいもんですけれど、必要だとも思います。でも、俺を倒して乗り越えて行け!(笑)。
「乗り越えて行けるもんならやってみろ」というのは、お前たちには俺を乗り越えられないよという、自信があるからです。誤解を恐れずに言いますと、仕事は一人のもの。弟子が何人いようと、やっている仕事は一人。そこを間違ったらいかんと思いますね。そういうことが先ほど申しあげた、自信だし、覚悟だし、責任感なんです。

-岩崎さんにとっての「一隅を照らす」を教えてください

それは「仲座」の仕事に専念することです。「仲座」の仕事をきちんとすることが一隅を照らすということだと思っています。それはそのままで一生懸命頑張りなさいということでしょ。考え方は色々ありますが、一隅が明るくなると全部が明るくなる、我々の仕事は、その一隅を照らしている。それは、誰が照らしているのか分からないけれども、火を消さない。その蝋燭をずっと灯し続ける。これが私たちの使命でではないかと考えています。
-取材を終えて
現在、「仲座」は岩崎さんとお弟子さんのふたりで(お一人の時もあるようですが)、年間約400もの法要の準備をされています。1日の法要でも前日から準備を行う場合もあるし、法具や衣の修理に1、2週間かかる場合もあるそうです。仮に365座の法要があったとしても、365日では足りないということです。お休みもあるそうですが、頼まれた原稿を整理したり、法要の記録を整理したり、反省文を書いたりと、やっぱりお仕事をしてらっしゃる。適度にサボることだけを考えている筆者が、そのモチベーションを維持し続ける秘訣をお伺いすると「覚悟」だとおっしゃっていました。1200年もの伝統を守り、また、それを繋いでいかなければならないという「覚悟」。その言葉の重みや深さを、今回岩崎さんのお話から少しでも感じることができたことをとてもうれしく思いました。