比叡山延暦寺を支える縁の下の力持ち 「坂本山門出入方」という存在
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探訪「1200年の魅力交流」

比叡山延暦寺を支える縁の下の力持ち
「坂本山門出入方」という存在

比叡山延暦寺には「坂本山門出入方」という、ご奉仕をする団体が存在します。ちょっと聞きなれない言葉ではありますが、簡単に言うと比叡山延暦寺で行われる行事などのお世話をする人たちのことです。今回、お話をお伺いするのは、坂本山門出入方の杉江芳太郎さん。杉江さんは、坂本山門出入方のお役目をしながら、夜は、地域の特別補導員としての不良行為少年の補導活動もされ、道を外してしまった子供たちの更生に尽力された方でもあります。特別補導員としての武勇伝やご苦労話も気になりますが、今回は「坂本山門出入方」について、具体的にどのような事をされているのかや、なぜ比叡山延暦寺にご奉仕するようになったかについてお伺いしました。

-「坂本山門出入方」とはどういったことをされるのでしょうか

「坂本山門出入方」は、比叡山延暦寺の末方として非常に歴史が古く、明治よりずっと以前からあるのではないかと思います。比叡山延暦寺の伝統・教えを守り、比叡山延暦寺のさまざまな行事にご奉仕させていただくという団体。現在、30代から80代まで約60名が所属しており、私が一番の長老です(笑)。
比叡山延暦寺では、比叡の大護摩、御修法(みしほ)(※1)、伝教大師御誕生会夏祭り、戸津説法(※2)など、年間を通して多くの行事が行われています。そういった行事の炊事係や食事の手配、周囲の護衛、受付・案内役、供奉方(くぶがた)として行列に加わるなど、「坂本山門出入方」の役目は多岐に渡ります。「山門出入方」は坂本だけでなく、京都にも「京都山門出入方」がいらっしゃいます。
また、「坂本山門出入方」のほかに、比叡山延暦寺で行われる法要の準備を一手に引き受ける「仲座」という人たちもいて、「比叡山延暦寺」「仲座」「坂本山門出入方」は切ってもきれない関係になります。
※1御修法
毎年4月4日より7日間21箇座にわたり厳修される「御修法大法」。「御修法大法」は、比叡山延暦寺のなかでも最も重要な法儀で、古来の伝統に従って厳修される天台密教最高の秘法。内道場には、国家・国民の象徴である天皇陛下の御衣を奉安し、天台座主猊下をはじめ、各門跡主や天台宗内から特に選抜された17名の高僧によって「玉体安穏」「天下泰平」「万民豊楽」などが祈願される。
8月17日18日坂本生源寺に於いて伝教大師御誕生日記念の夏まつり、坂本全体も夏まつりとして行われます。出入方は夜店全体を受持つ。

※2東南寺 戸津説法
毎年8月21日~25日、琵琶湖湖畔にある東南寺で行われる法華経の説法のこと。説法師は、天台座主猊下から下命され、伝教大師に代わって法華経を講ずるという大変名誉な大役で、天台座主への登竜門とも言われる。東南寺は、延暦年間に伝教大師が創建した寺で、比叡山の東南にあったことに由来する。

京都御所での土足参内の様子

毎年3月13日比叡の大護摩は西塔峰道の伝教大師最澄1200年魅力交流事業大師尊像の前にて天台座主猊下、大阿闍梨、全国からの回峰行者40名~50名が一同に会し、世界平和、国の安泰、各個の家内安全、身体健康、等を一緒に祈りを捧げる薬師大護摩供が厳修されます。出入方は行列、食事の世話、護摩木のお世話をします。

天台宗、比叡山延暦寺、坂本山門出入方にとって一番大行事4年に一度の法華大会広学竪義です。10月初め6日間毎日探題様、己講様、五巻日(中日)には天皇使を迎え各々殿上興にての行列を供奉方として受け持つ役目です。出入方は全員2、3回ご奉仕します。
千日回峰満行行者、北嶺行満大阿闍梨の京都御所土足参内です。京都清浄華院より天台座主猊下殿上興にての参内行列、大阿闍梨の参内行列の供奉方として約30名位参加、ご奉仕します。
以上色々の古式豊かな格式の高い儀式に供奉方として参加、御奉仕させていただくのが坂本山門出入方の役目です。

-「坂本山門出入方」に携わるきっかけを教えてください。

昭和31年に比叡山延暦寺の大講堂が焼け、昭和39年に新しくなった時、学生時代の友人がほとんどお坊さんだったこともあり、天台密教の入門式である結縁灌頂(けちえんかんじょう)をさせてもらいました。得度もいたしましたが、私は俗人のほうがいいので、好きにさせてもらっていましたが、東南寺で葉上照澄(はがみしょうちょう)さん(※3)と出会ったことが、お山(比叡山延暦寺)に携わるようになったきっかけです。そのころ私は20歳ぐらいで血気盛んな時期。“仏さんなんかほっとけ”(笑)みたいな感じで、まったく関心がなかったのですが、葉上照澄さんから“根性を叩きなおしてやる”と言われ、その年の12月1日から400日間、1日も欠かさず滝行をさせられました。終わると夜になるのですが、雪が積もろうが、つららがぶら下がっていようが、熱があろうが関係なく、「一日も休んではいけない」と。それから何かとお山の用事があると呼ばれるようになり、45年。
私個人としては、回峰行の阿闍梨さん8名の先達のほか、年に2回、6月の第1と第2の日曜日に3年間修業した新しいお坊さんの京都切廻り(※4)のお供もさせていただいています。

※3葉上照澄
天台宗の僧侶(大阿闍梨)

※4京都切廻り
回峰百日のうち、一日だけ京都市内の社寺を巡拝する行

-葉上照澄さんとの出会いをもう少し詳しく教えてください。

葉上照澄さんとの最初の出会いは、高校生の時です。私は野球部に所属していたのですが、たまたま試合を見に来られ、その時から存じ上げておりました。先にも話ししたように、二度目の出会いは東南寺。それから長いご縁が始まりました。何かあると呼ばれて、説教されたり、400日間滝行させられたり(笑)。
平成元年に葉上照澄さんが亡くなられ、岡山の元恩寺へ骨納もさせてもらいました。葉上照澄さんとの出会いから、ずっとお山の用事をさせてもらっています。

-「坂本山門出入方」の世代交代について努力されていることについて教えてください。

坂本山門出入方はマニュアルブックのようなものがないので、見て実際にやって覚えてもらうしかないんですね。今は、50代の2人が頑張ってくれていますよ。「坂本山門出入方」も2世・3世と親の代から引き継いで役目を果たしてくれていますが、この辺りも新しい人たちが増えて、昔からいる人たちが少なくなってきましたので、勧誘したりすることもあります。まずは見習いとして1年間、どのようなことをするのかを経験していただくのですが、伝統を守っていきたい。
私も色々な意味で後身に道を譲っていきたいのですが、それもなかなか難しいと感じています。

-「伝教大師最澄」との関わりや今も伝承していると感じること、また「比叡山延暦寺」の存在について教えてください。

やっぱりこの地域には、ずっと昔から目立たなくても人のために世話をするという人たちが多いですね。自分のことは後回しにして、なんの抵抗もなく手伝ってくれる人が多いです。これも伝教大師最澄さんの「忘己利他(もうこりた)」という精神が、生活の中で自然と身についているからだと思います。
そして、比叡山延暦寺の僧侶さんは非常に親切で、私たちのような人間でも仏(菩薩)様と同じ目線で対応してくださる。そういうふうにしていただけるのはとてもありがたいと感じています。そう思うとますます励まないといけませんね。

-取材を終えて
杉江さんは、比叡山延暦寺のことにも大変詳しく、朗らかで優しい笑顔がとても印象的。今回、初めて「坂本山門出入方」という言葉を聞きましたが、「坂本山門出入方」という役目は、目立たないながらも比叡山延暦寺を中心に、比叡山延暦寺に関わる人や活動を陰で繋ぎ、支える“なくてはならない重要な存在”であることを知りました。
また、杉江さんは比叡山延暦寺のご奉仕と並行して、地区の特別補導員とし夜回りもされていました。以前の坂本地区はかなり荒れていたそうで、約4年間、ほぼ毎日のように不良行為少年の補導活動に尽力され、その後警察庁から表彰されるなど不良行為減少に大いに貢献されています。その間、よく生きていたなと思うこともあったそうで、「お山に守られている」気がするともおっしゃっていました。何かと対価を求めてしまう筆者は、杉江さんのお話しを聞いて、恥ずかしくなりました。杉江さんの真似はできませんが、心の隅に今回のお話しを留めておきたいと思います。