いろり端
探訪「1200年の魅力交流」
「お地蔵さんの里」と呼ばれる坂本の町
先祖代々から継承されてきた、優しさのリレー
坂本は、お地蔵さん(正式には地蔵菩薩)がたくさんあることで知られています。2000体とも3000体とも言われる中に、伝教大師最澄が作ったと伝わる六つのお地蔵さんがいらっしゃいます。六体のお地蔵さんは、伝教大師最澄が日本全国の六か所の聖地に宝塔を建立した際に作られたと言われ、その後、第3代天台座主・円仁が徳を授けるために叡山山麓を通る辻々に置いたとされています。
昔から「さかもとの六地蔵さんめぐり」と呼ばれ、この地方の一つの行事として広く行われていたそうですが、山津波や宅地開発などで、その六体のお地蔵さんは、いつしかどこにあるかわからなくなったそうです。
今回は、その六体のお地蔵さんを見つけ出し、坂本のお地蔵さんに関する書籍「お地蔵さんの里」も発行されている、木津和子さんに六地蔵をご案内していただきながら坂本の街の魅力を感じていただけたらと思います。
昔から「さかもとの六地蔵さんめぐり」と呼ばれ、この地方の一つの行事として広く行われていたそうですが、山津波や宅地開発などで、その六体のお地蔵さんは、いつしかどこにあるかわからなくなったそうです。
今回は、その六体のお地蔵さんを見つけ出し、坂本のお地蔵さんに関する書籍「お地蔵さんの里」も発行されている、木津和子さんに六地蔵をご案内していただきながら坂本の街の魅力を感じていただけたらと思います。
-伝教大師最澄が残した六体の地蔵菩薩
六体のお地蔵さんは、坂本・下阪本・穴太・雄琴の各地区に点在しています。
1. 「早尾(はやお)の陰坊(かくれんぼ)地蔵」(日吉大社境内)
日吉大社の三の鳥居脇、早尾神社の階段下にあり、「かくれんぼう地蔵」とも呼ばれています。このお地蔵さんは西教寺を開山した真盛(しんせい)上人が誕生した日に姿が消え、亡くなられた時にひょっこりと姿を現したことから、そのように呼ばれています。また、伝教大師最澄が、子女育成を祈願して作られたこともあり「子育て地蔵」とも。六つのお地蔵さんの中でも立派で重厚な六角堂に安置されています。
2.「阿波羅屋(あばらや)地蔵」(坂本7丁目)
JR比叡山坂本駅から国道161号線を雄琴方面に約700m、平和堂坂本店の北側にあります。お地蔵さんの前には東屋があり、取材に訪れた時にも数人のご婦人たちがお話しをされていました。聞くところによると、誰が決めたわけではないけれども、お花を持ってくる人、草むしりをする人と自然と役割が決まっているそうです。スーパーマーケットの近くということもあり、お買い物の行き帰りにここでのお話しを楽しみにしている方もいるかも知れません。「阿波羅屋地蔵」さんもきっとみなさんのお話しを聞いて楽しんでいることでしょう。そんなふうに感じられる温かな場所です。
「あばらや」とは、大日如来のご真言のうちの「あらはしやな」というのが、いつの間にかこのように呼ばれるようになったというのが由来です。また、木津さんが、六体のお地蔵さんを探すきっかけとなったのがこちらのお地蔵さん。
3.「苗鹿(のうか)地蔵」(法光寺境内)
六つの中で一番北にあるお地蔵さん。JR比叡山坂本駅とおごと温泉駅のほぼ中央に位置し、県道316号線から西へ細い路をぐんぐんと上がって行くと、法光寺の山門が見えます。「苗鹿地蔵」さんは、別名「すべり地蔵」と言われ、昔、お殿様がお地蔵さんの前を馬に乗ったまま通り過ぎようとしたら、馬からすべり落ちたという古事に由来しています。最近、祠を新調され大切に祀られています。ここのお地蔵さんは、木津さんが最後に見つけたお地蔵さんです。
4.「比叡辻の地蔵」(観福寺境内)
JR比叡山坂本駅から大宮川沿いを東へ、旧国道と交わる南橋詰にある観福寺境内に祀られています。こちらのお地蔵さんは左側が損傷しており、比叡山焼き討ちの際に負った被害の跡とされています。以前は大宮川沿いの道路に面した場所にあったそうですが、現在は手厚くお寺の境内で管理されています。
5.「穴太(あのう)地蔵」(穴太)
北国街道が滋賀から穴太へ差しかかる村の入口にあることから「まわり地蔵」とも呼ばれ、外から災難が入ってこないように守ってくれることから「延命地蔵」とも呼ばれている。
現在も地元の地蔵講が管理されています。
現在も地元の地蔵講が管理されています。
6.「明良(あきら)地蔵」
古くから民家が密集した坂本の町の真ん中にあり、隣には、この町内の氏神様である明良(あけら)神社があります。お堂の中に朱色の厨子があり、その中に安置されているそうです。小学校も近く、子供たちの賑やかな声を聞きながら嬉しそうされていることでしょう。「明良地蔵」さんは、一年交代の当番制度で地域の方が管理されています。
-「坂本の六地蔵」とのご縁について教えてください。
36年ほど前の話になりますが、数人で雑談をしていた時に、お地蔵さんと古くから関わりを持って生活している地域は珍しいのではないかという話になり、この一体のお地蔵さんを写真に収めておこうという話になりました。お地蔵さんの写真を撮っているときに、お地蔵さんに関わる風習や行事などの話を伺うことができたのですが、その中で「阿波羅屋地蔵」さんをずっとお守りされていた久保さんから、「阿波羅屋地蔵」は伝教大師最澄自作のお地蔵さんであることと同時に、あと五体のお地蔵さんがどこかにあるはずと教えられたのが、探すきっかけです。川沿いにあるはずと言われた場所になかったり、祀られているお寺さん自体も知らなかったりと六体を探すのは大変でした。はっきりしたことはわかりませんが、内側の扉の上に板に六体のお地蔵さんが描かれたものが、いくつかのお地蔵さんには共通してありました。
-坂本には、お地蔵さんが至るところにいらっしゃいますが、その理由をご存知でしょうか。
琵琶湖から東にはお墓がなかったので、人が亡くなると比叡山に運び、埋葬した上にお地蔵さんや石を置いていたそうです。この辺りは山紫水明(さんしすいめい)の地で静かなところですが、昔は風水害が多く、山津波により比叡山のお地蔵さんが坂本一帯まで流されてきたと聞いています。坂本に人たちはそのお地蔵さんを各家々の軒先などに祀ったため、坂本の町にはいたるところにお地蔵さんがいらっしゃるんですよ。
また、日吉大社の参道脇から北に向かってまっすぐ伸びる歴史街道「山の辺の道」沿いにも広範囲にわたり無数のお地蔵さんが散在しています。八講堂の千体地蔵は、お地蔵さんが田畑を耕作するごとに発見され、誰が言うこともなく、八講堂跡に集められたものです。その昔、比叡山は一般の人の参拝が制限されていたので、せめて山麓で読経が聞こえるこの辺りにお地蔵さんを祀って成仏を祈ったのだろうと。
今でも、道路工事やガス工事中にひょっこりとお顔を出されることがあります。
また、日吉大社の参道脇から北に向かってまっすぐ伸びる歴史街道「山の辺の道」沿いにも広範囲にわたり無数のお地蔵さんが散在しています。八講堂の千体地蔵は、お地蔵さんが田畑を耕作するごとに発見され、誰が言うこともなく、八講堂跡に集められたものです。その昔、比叡山は一般の人の参拝が制限されていたので、せめて山麓で読経が聞こえるこの辺りにお地蔵さんを祀って成仏を祈ったのだろうと。
今でも、道路工事やガス工事中にひょっこりとお顔を出されることがあります。
-坂本の人はなぜ「お地蔵さん」をお守りしているのでしょうか。
考えたことがないですね。小さい頃から親がそのようにしていたので、私も小さな頃からそういうものだと思って育ってきましたから。私の親の親も、その親の親も、そうやってきたからだと思います。今になって、なぜそんなことをするのかをちゃんと聞いておけば良かったと思うこともたくさんあります。坂本の人はほとんどそんな感覚じゃないでしょうか。お地蔵さんのお世話をすることが生活の一部になっているんだと思います。
-「伝教大師最澄」との関わりを今も伝承していると感じることがあれば教えてください。
伝教大師最澄さんのお導きだったのでしょうか。国の繁栄と人々の幸せを祈って作られた六地蔵さんとの出会いがまさにその関わりだと思います。坂本の人たちは、伝教大師最澄自作のお地蔵さんと何気ない日常生活の中で伝教大師最澄さんと繋がり、大切にしている。そんな地域はなかなかないのではないでしょうか。坂本で生まれ、育って本当に良かったと思います。
-取材を終えて
「坂本の六地蔵めぐり」のように伝教大師最澄自作と言われスポットを浴びるお地蔵さん以外にも、坂本の町を歩けば手入れの行き届いた祠、その前に供えられたお花などから地元の方が大切に守られている、たくさんのお地蔵さんに出会います。2000体とも3000体とも言われる坂本のお地蔵さん。その数だけの誰かが、その数だけの誰かのために作ったということは事実。誰かが誰かのために作ったお地蔵さんを、誰かが誰のためでもなく先祖代々守り続けている。そんなお地蔵さんを通して、坂本の人たちの優しさや温かさを感じることができるのではないでしょうか。
「坂本の六地蔵」は、日吉大社境内にある「早尾の陰坊地蔵」以外は通常開扉していません。毎年8月23日のみ開扉され、その日は御朱印も拝受することができます。
「坂本の六地蔵めぐり」のように伝教大師最澄自作と言われスポットを浴びるお地蔵さん以外にも、坂本の町を歩けば手入れの行き届いた祠、その前に供えられたお花などから地元の方が大切に守られている、たくさんのお地蔵さんに出会います。2000体とも3000体とも言われる坂本のお地蔵さん。その数だけの誰かが、その数だけの誰かのために作ったということは事実。誰かが誰かのために作ったお地蔵さんを、誰かが誰のためでもなく先祖代々守り続けている。そんなお地蔵さんを通して、坂本の人たちの優しさや温かさを感じることができるのではないでしょうか。
「坂本の六地蔵」は、日吉大社境内にある「早尾の陰坊地蔵」以外は通常開扉していません。毎年8月23日のみ開扉され、その日は御朱印も拝受することができます。
人から人へと紡がれてきた
大切な想いや魅力について語り合う
地域で育まれてきた歴史や文化を語り合い、
新しい価値と出会います