いろり端
探訪「1200年の魅力交流」
日本最大坐像十一面観音をお祀りする「櫟野寺」を訪ねる
2023年10月21日 訪問
忍者の里として広く知られている滋賀県甲賀市。そんな甲賀地域が、奈良時代の頃より良質な木材の産地として重要な場所であったことはご存知でしょうか。
今回はかつて"甲賀六大寺"の筆頭とし栄えた、「福生山 櫟野寺」で秘仏である御本尊の特別拝観にお参りさせていただき、三浦密照ご住職にお寺にまつわるお話をお聞きしました。
今回はかつて"甲賀六大寺"の筆頭とし栄えた、「福生山 櫟野寺」で秘仏である御本尊の特別拝観にお参りさせていただき、三浦密照ご住職にお寺にまつわるお話をお聞きしました。
お寺の始まり
今から1200年ほど前、伝教大師最澄上人が比叡山の根本中堂建立のための用材を探し求め、奈良時代の頃より良質な木材の産地として知られていた甲賀地域に訪れた時のことでした。道中にとても大きな櫟(イチイ)という種類の木をお目にした際、霊夢(神仏のお告げがある不思議な夢)を感じられて、御本尊である木造十一面観音坐像を刻まれたのがお寺の始まりとされています。
木造十一面観音坐像 (国指定重要文化財)
御本尊は平安時代に作られたとされている、頭部と胴体がひとつの木で作られた一木づくりの「十一面観音菩薩坐像」です。
十一面観音様の坐像としては日本最大といわれており、像高は3.12mにも及びます。仏像の理想の大きさとされるのが丈六仏と呼ばれる仏様です。立像で、高さが一丈六尺(4.8m)になるよう設計されており、坐像の場合は、半分の2.4mが丈六仏となります。
十一面観音様の坐像としては日本最大といわれており、像高は3.12mにも及びます。仏像の理想の大きさとされるのが丈六仏と呼ばれる仏様です。立像で、高さが一丈六尺(4.8m)になるよう設計されており、坐像の場合は、半分の2.4mが丈六仏となります。
御本尊の十一面観音坐像は、2.4mより大きな仏像ですが、額の髪の生え際(髪際高)までが2.4mになるよう設計されており丈六仏として作られた仏様なのです。普段は、八畳一間もある巨大な漆黒の御厨子に秘仏として格納されており、そのお姿を直接拝むことができません。
過去何度か修復をされた跡があり、江戸期の修復時にも彩色を施すなどし、綺麗なお姿になられました。昭和の修復の際、江戸期に塗られた色を落として素地に戻す方法を提案されたようですが、先代のご住職は信仰上の理由により、彩色や金箔を極力落とさないようお願いをされたそうです。
長い間地域の方々の信仰により大切に守られ、これからもそうあって欲しいという想いから先代のご住職は文化財の保存もさることながら信仰の対象として、そのようなお願いをされたのです。
過去何度か修復をされた跡があり、江戸期の修復時にも彩色を施すなどし、綺麗なお姿になられました。昭和の修復の際、江戸期に塗られた色を落として素地に戻す方法を提案されたようですが、先代のご住職は信仰上の理由により、彩色や金箔を極力落とさないようお願いをされたそうです。
長い間地域の方々の信仰により大切に守られ、これからもそうあって欲しいという想いから先代のご住職は文化財の保存もさることながら信仰の対象として、そのようなお願いをされたのです。
また、御本尊についての大変興味深いお話もご住職からお伺いすることができました。
「確かに比叡山でも十一面観音様は信仰の対象ではあったと思うが、その位置付けははっきりしていない。なぜこの地に十一面観音像が祀られたのか経緯がよく分からない点である。」
「十一面観音様は奈良時代より厚く信仰されていた仏様である。伝承とは異なり、奈良の仏師が関わった可能性が高い。(甲賀地域は奈良時代より良質な木材の産地として知られていた)」
寺伝では、十一面観音坐像は最澄上人によって作られたと伝わるが専門家の見解では、現在は、10世紀中頃に作られた仏像であるというお話です。元々この地域は木材の供給地として有名で、奈良の仏教も早くから伝わっていたと言われています。そのため、この地に根付いた日本古来からの信仰として、神様が宿られる依代としての立木信仰と奈良の仏師とも結びついて作られた仏像ではないかとの説もあります。
以前まで御本尊は、33年に一度のご開帳でしかそのお姿を拝むことができませんでしたが、今では春と秋の御本尊特別拝観期間が設けられており、そのお姿を直接拝んでいただけます。お寺の中に漂う粛然とした雰囲気の中で、日本最大坐像の圧倒的な迫力をぜひ体感してみてください。
「確かに比叡山でも十一面観音様は信仰の対象ではあったと思うが、その位置付けははっきりしていない。なぜこの地に十一面観音像が祀られたのか経緯がよく分からない点である。」
「十一面観音様は奈良時代より厚く信仰されていた仏様である。伝承とは異なり、奈良の仏師が関わった可能性が高い。(甲賀地域は奈良時代より良質な木材の産地として知られていた)」
寺伝では、十一面観音坐像は最澄上人によって作られたと伝わるが専門家の見解では、現在は、10世紀中頃に作られた仏像であるというお話です。元々この地域は木材の供給地として有名で、奈良の仏教も早くから伝わっていたと言われています。そのため、この地に根付いた日本古来からの信仰として、神様が宿られる依代としての立木信仰と奈良の仏師とも結びついて作られた仏像ではないかとの説もあります。
以前まで御本尊は、33年に一度のご開帳でしかそのお姿を拝むことができませんでしたが、今では春と秋の御本尊特別拝観期間が設けられており、そのお姿を直接拝んでいただけます。お寺の中に漂う粛然とした雰囲気の中で、日本最大坐像の圧倒的な迫力をぜひ体感してみてください。
木造薬師如来坐像 (国指定重要文化財)
「薬師如来坐像」は櫟野寺の奥之院の御本尊と伝わり、近年は"甲賀三大佛"と呼ばれる仏像の一つで、平安時代後期に作られたとされている、寄せ木造りの仏像です。
台座や光背も作られた当時のものが残っている、像高2.22mの滋賀県最大のお薬師さまです。
こちらの仏像は、中国の周代に使用された物差し(周尺)を使い作られた丈六仏です。このような仏像を"周丈六仏"と言います。御本尊の十一面観音坐像で説明した2.4mになる丈六仏より少し小さくなりますが、正真正銘の丈六仏なのです。
平安時代後半は、極楽に行きたいと願う思想のもと、阿弥陀様を作りたいと考えるのが一般的だと思います。そんな中、お薬師さまをお祀りしたのも、比叡山が関係していることを裏付けているように感じます。
その偉大で堂々たるお姿からは、古来より数多くの人を病苦や災禍から救ってきたことがしみじみと伝わってきました。
台座や光背も作られた当時のものが残っている、像高2.22mの滋賀県最大のお薬師さまです。
こちらの仏像は、中国の周代に使用された物差し(周尺)を使い作られた丈六仏です。このような仏像を"周丈六仏"と言います。御本尊の十一面観音坐像で説明した2.4mになる丈六仏より少し小さくなりますが、正真正銘の丈六仏なのです。
平安時代後半は、極楽に行きたいと願う思想のもと、阿弥陀様を作りたいと考えるのが一般的だと思います。そんな中、お薬師さまをお祀りしたのも、比叡山が関係していることを裏付けているように感じます。
その偉大で堂々たるお姿からは、古来より数多くの人を病苦や災禍から救ってきたことがしみじみと伝わってきました。
坂上田村麻呂とのつながり
802年に、征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂公が鈴鹿山の山賊の追討のために甲賀地域に赴いた際に、櫟野寺の十一面観音様を参詣してから出陣したところ、山賊を無事平定することができたのです。(鈴鹿山の鬼退治と伝わる)このことから、田村麻呂公は櫟野寺を祈願寺とし、自分の等身大(五尺八寸=約175cm)の毘沙門天像を彫刻し、相撲を奉納したと伝えられています。毎年10月の秋祭りには奉納相撲が開催され、境内の土俵で、小学生たちが元気に相撲を取る様子を見ることができます。
(文・立命館大学2回生)
(文・立命館大学2回生)
福生山櫟野寺
〒520-3412
滋賀県甲賀市甲賀町櫟野1377
〒520-3412
滋賀県甲賀市甲賀町櫟野1377
人から人へと紡がれてきた
大切な想いや魅力について語り合う
地域で育まれてきた歴史や文化を語り合い、
新しい価値と出会います