いろり端
探訪「1200年の魅力交流」
鎌倉北条⽒の菩提を弔う「宝戒寺」を訪ねる
2023年9月18日 訪問
⽇々多くの観光客で賑わう歴史の街、鎌倉。かつて鎌倉幕府のトップ、執権として⽇本の政治の中枢を担ってきたのが、北条時政公に始まる鎌倉北条⽒です。その北条⽒の館跡に、鎌倉幕府滅亡後の建武⼆年(1335)に建⽴されたのがこの宝戒寺です。鎌倉の街とともに歩んできた歴史を、静川慈昭ご住職にお話いただきました。
まずは宝戒寺の創建について教えていただきました。
まずは宝戒寺の創建について教えていただきました。
「宝戒寺が建てられた⽬的は、⼤きく⼆つあります。⼀つ⽬は、1333 年に滅ぼされた北条⼀族の菩提を弔うことです。宝戒寺のあるこの場所には、かつて北条九代の邸宅、⼩町邸がありました。1333年5⽉22⽇、後醍醐天皇側についた新⽥義貞軍によって鎌倉は攻め込まれ、時の北条⽒当主、北条⾼時公は宝戒寺の裏⼿にあった東勝寺(腹切りやぐら)で⾃刃、多くの家⾂もこれに続きました。政治の中⼼であった鎌倉幕府が滅んだことで、国中は政情不安に陥ります。そこで、後醍醐天皇は⾜利尊⽒公と京都法勝寺の天台僧、五代国師円観恵鎮慈威和尚に命じて北条⽒の総菩提寺として宝戒寺を建⽴し、北条⾼時公を鎌倉の守護神、徳崇⼤権現として祀られることになりました。⼆つ⽬は、天台宗の菩薩僧を養成する修⾏道場を設⽴することです。宝戒寺には戒壇院が置かれ、円頓⼤戒・⾦剛宝戒と戒律が授けられていました。この戒律の名前から、『円頓宝戒寺』と名付けられることになりました。」
記録では天⽂七年(1538)に多くの伽藍が焼失してしまっていますが、江⼾時代には天海大僧正による⽀援も受けて再興されました。宝戒寺の歴史のお話は、今年で発⽣から100 年を迎えた関東⼤震災にも及びました。
「関東⼤震災の際には、庫裡を残して全ての建物が倒壊してしまいました。宝戒寺ではちょうど法要を⾏なっていた最中で、本堂の虹梁が護摩壇に落ちてきたと聞いています。被害を免れた庫裡には、周辺の⽂化財が集められ、修理活動が⾏われました。宝戒寺の仏像もこの時に修復を受けています。現在の本堂は震災後の昭和六年(1931)に寺領の⽊を使って再建したものです。」
宝戒寺の歴史についてお聞きした後は、御本尊である地蔵菩薩像について教えていただきました。
「地蔵菩薩は創建当初からの御本尊です。なぜ地蔵菩薩が御本尊なのかは諸説ありますが、⼀つには⾜利尊⽒公が地蔵菩薩を信仰していたという背景があります。尊⽒公は戦の場にも⼩さな地蔵菩薩のお像を持っていっていたそうです。また、このお像のように錫杖と宝珠を持つ地蔵菩薩は特に修羅道(⼈間道、地獄道などの六道のうち、争いの絶えない世界)を担当するお地蔵さんであるとされていることも背景にありそうです。⼩僧⼤僧が読経を怠ると代わりにお経を読んでくれるお地蔵さんで『経読地蔵』とも呼ばれています。お地蔵さんがお経を読んでいるのを先々代の住職は聞いたことがあるそうです。」
「両脇には梵天・帝釈天像がお祀りされています。梵天勧請(お釈迦様が12月8日に菩提樹の下でお悟りされ、しばらくその悟りの境地を楽しみ、すぐに涅槃に入るのを梵天様が人々をお救いくださいと乞い願うこと)と、お釈迦様の涅槃後に衆生が迷わぬようお地蔵様が人々を救うようにとして、宝戒寺ではこのような三尊形式でお祀りしています。」
地蔵菩薩・梵天・帝釈天像はいずれも宝戒寺創建当初から伝わるもので、地蔵菩薩は国指定の重要⽂化財、梵天・帝釈天像は神奈川県指定⽂化財です。ご本尊に祈りを捧げながら、700年の歴史に思いを馳せました。
「両脇には梵天・帝釈天像がお祀りされています。梵天勧請(お釈迦様が12月8日に菩提樹の下でお悟りされ、しばらくその悟りの境地を楽しみ、すぐに涅槃に入るのを梵天様が人々をお救いくださいと乞い願うこと)と、お釈迦様の涅槃後に衆生が迷わぬようお地蔵様が人々を救うようにとして、宝戒寺ではこのような三尊形式でお祀りしています。」
地蔵菩薩・梵天・帝釈天像はいずれも宝戒寺創建当初から伝わるもので、地蔵菩薩は国指定の重要⽂化財、梵天・帝釈天像は神奈川県指定⽂化財です。ご本尊に祈りを捧げながら、700年の歴史に思いを馳せました。
鎌倉七福神のひとつに数えられる毘沙⾨天像や、鎌倉三⼗三観⾳第⼆番の准胝観⾳など、本堂には御本尊の他にも多くのお像がお祀りされていました。
続いて、聖天様を祀る⼤聖歓喜天堂をご案内いただきました。宝戒寺の双⾝歓喜天のお像は重要⽂化財に指定されているお像ですが、⼀般には公開されることのない秘仏です。
「宝戒寺の聖天さまは、宝戒寺⼆代⽬の普川国師惟賢和上が鎮護国家のために⾏った特別な修法の御本尊としてお祀りしていたものです。」
⼤きなお厨⼦からは、聖天様が⼤切に信仰されてきた歴史がうかがえます。
聖天堂は収蔵庫になっていて、聖天さまの本地仏である⼗⼀⾯観⾳像や、元三⼤師像をはじめ、他にもたくさんのお像が安置されていました。中でも地蔵菩薩像は⾜利尊⽒公の念持仏と伝わるもので、お厨⼦には⼗王像も描かれています。
「宝戒寺の聖天さまは、宝戒寺⼆代⽬の普川国師惟賢和上が鎮護国家のために⾏った特別な修法の御本尊としてお祀りしていたものです。」
⼤きなお厨⼦からは、聖天様が⼤切に信仰されてきた歴史がうかがえます。
聖天堂は収蔵庫になっていて、聖天さまの本地仏である⼗⼀⾯観⾳像や、元三⼤師像をはじめ、他にもたくさんのお像が安置されていました。中でも地蔵菩薩像は⾜利尊⽒公の念持仏と伝わるもので、お厨⼦には⼗王像も描かれています。
最後に、徳崇⼤権現(北条⾼時公の御神像)を祀る⼩さなお堂をあけていただきました。⾼時公は⽣前に出家されていましたが、ここでは武将の姿に表されています。⾼時公の命⽇である5⽉22⽇には毎年法会が⾏われ、⼤般若経の転読が⾏われているそうです。鎌倉や世界の平和を⾼時公に祈りながら、訪問を終えました。
(文・京都大学大学院2回生)
(文・京都大学大学院2回生)
参加学⽣の感想
後醍醐天皇や⾜利尊⽒公が、敵⽅であった北条⽒の菩提を弔うお寺を建てたというのが驚きでした。北条⽒の館跡もこの場所であったということで、鎌倉の歴史がここを中⼼に動いてきたのだな…と感動しました。御本尊に地蔵菩薩が選ばれた背景や、聖天堂にお祀りされていた尊⽒公念持仏の地蔵菩薩像からは、尊⽒公の内⾯に少し触れられたような気がしました。創建当初からの平和への祈りが、この宝戒寺でこれからも続いていってほしいです。
金龍山宝戒寺
〒248-0006
神奈川県鎌倉市小町3-5-22
〒248-0006
神奈川県鎌倉市小町3-5-22
人から人へと紡がれてきた
大切な想いや魅力について語り合う
地域で育まれてきた歴史や文化を語り合い、
新しい価値と出会います